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軽石へちま

Author:軽石へちま
基本自キャラで凄まじく妄想してみる。
隠れ家なのでBLとか黒とか暗とか主。
キャラ崩壊必至。何とも思わないけども。
妄想についてこれる人だけどうぞ。

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ステアリングウィズレイン  1


 あれ? なんかおかしいぞ?
 と思ったのは、遡って考えてみれば結構前からだった。
 最初はあれです、私が理央くんの働いてる学校に突撃した時。でも突撃自体は初めてじゃなかったから、ある程度私もこの学校に慣れてしまった頃。
 放課後は理科教員室で待ってれば理央くんが来るってわかってたから、その時もその部屋にお邪魔して、理央くんよりいつも早くここに来るケレス君といつも通りくだらない話とか、学者同士(専攻は違いすぎるけどね)くだらなくもない話とかして時間を潰していた。ケレス君は私と話をしながらノートパソコンに向かっていて、試験問題だったら怒られるかなあ、とか思いつつひょっこり覗いてみても怒られなかったので、そのままじっと眺めていた。チラ見した限りでは何に使うものかわからなかったけど、全部英語で、体裁は論文チックだった。ふうん、と思いつつ視線を外す。文章って書かないと書けなくなるもんだから、たまに書いてるのかもしれない。高校の先生なんて一番時間取りにくそうなのにこういうことできてるって、やっぱりケレス君には一目二目くらい置いとくべきなのかも。

「ケレス君、手おっきいねえ」

 ノートパソコンのキーボードを覆う手を見て、私はそう言った。書きかけの文章についてとやかく突っ込むのは野暮ってもんだし、何よりも専門外だから多少訳せても専門用語のとことか意味不明だし。化学は齧った程度だから聞いたってわかんないし。でも私が沈黙に耐えられるのってそんな長くないし。だから自然とそんなどうでもいい話を振るしかなかった。

「お前が小せぇんだろ。コビトサイズ」
「私が可愛いってことですね、わかります。かの嫌な女であらせられる清少納言も言ってましたものね、ちいさきものみなうつくし、って。やだぁもうケレス君ってばぁ、ホントのこと言うの上手なんだからぁ」

 軽くケレス君の腕を叩くと、ケレス君は私の手を払うように腕を動かした。その手首を掴んで、自分の手のひらを重ねてみる。やっぱり外人さんは大きいんだよなあ。ケレス君はこれで箸とか使えちゃうんだからすごい。

「うちのダイ兄より大きいな、うん」

 ダイ兄は照井家の長男でもって畑を継いだでっかい兄ちゃんだ。私が四人兄弟の末っ子とかいう話はこの場に何も関係ないのでケレス君も深くは突っ込まない。私も細かい説明を避ける。
 理科教員室の扉が開いていたことと、そこに理央くんがいることに気づいたのはその直後だった。私とケレス君が手の大きさ比べをしている光景を見て、理央くんは驚いたような、よくわからない不思議な表情をして、それからいつものように困ったみたいに笑った。眉を下げて、仕方ないなあ、って顔。私に甘い、理央くんの顔だ。

「すいませんケレス先生。また瑶子さんが仕事の邪魔したみたいで」
「ああ、やかましいから早く持って帰れ」
「そうしたいのは山々なんですが、俺も多少雑務が残ってて」

 理央くんがケレス君の真向かいの席に座る。私はケレス君のとなりの席に腰かけたまま、ケレス君がキーボードを叩く様子と、理央くんが雑務とやらをこなす様子を見ていた。うふふふふ、眼福ってやつですね。疲れ目にイケメンですよね、わかります。

「瑶子さん、仕事はいいんですか?」
「ん? いいのいいの。院生の論文添削も面談も終わったしー、逆に今ひと段落ってとこなの。だから直帰じゃなくてデートがいいなあ、って思って、じゃあこっちで待ってた方がいいかなー、とか」
「メールくれればいいだけの話じゃないですか」
「ついでにケレス君が常々私としたがっていたドクター同士の高尚な会話とやらに付き合ってあげようかなって」
「さりげなく人巻き込んでんじゃねぇよ」
「さりげなく会話に耳を傾けてくれてるところがなんとも憎めないよねぇ、ケレス君って」

 
 私がそう言うとケレス君は下らないものを見るかのような視線を私に向けて、それからまた画面を見つめた。

「ねえねえ理央くん、今度ケレス君とことダブルデートしようよー! 博物館とかばっかりじゃなくって、たまにはみんなで遊園地行くのもいいと思います!」
「遊園地って……、明らかにケレス先生キャラじゃないじゃないですか」
「行かねぇから安心しろ」
「なんと奇遇なことにこれからチケットを4枚手に入れますので」
「ただの計画的犯行って言うんですよ、それ」
「だぁいじょうぶよ理央くん。ケレス君みたいなタイプはねー、チケットがそこにあって、あと可愛い彼女の一押しがあれば8割方折れるから」
「どっから来るんですかその確率は」

 私の経験的判断です、と言ったら理央くんはどんな顔するんだろう。どれだけ男性の意思折らせてきたんですかー、とか言うんだろうか。うん、多分言うね。
 その後は平和だった。日取り決まったら連絡するから空ける準備しといてよね、とケレス君に言ったけどスルーされた。ま、でもこの手のタイプってどうでもいい話も結構ちゃんと聞いちゃってるんだよね。
 椅子に腰かけたまま、二人が仕事をこなす音をぼんやり聞いていた。




 私が帰国してからもう半年近い。戻ってきたのは今年の4月。なるべく早く理央くんに会いたかったから、私の処理能力限界いっぱい使って残務を片づけた。晴れてドクターの肩書きを背負って空港に降り立った私を出迎えた理央くんは、真っ白なバラの花束を抱えていた。ほんと、王子様みたいなことをさらっとやってしまうのだ。理央くんのそういう妙に真っ直ぐな部分に、おねーさんはきゅんとしてしまうのでした。はい、惚気です。そしてその場で正式なプロポーズ。留学前にそれとなーく、帰ってきたら結婚を前提に、的なことは言われてたけどその時の私はすっかり忘れてたもんだから本当に驚いてしまって。
 そこからはもう、とんとん拍子。ただいまわたくしの左手の薬指に光っておりますのは、エンゲージリングでありまして、帰国してすぐ一緒にホテルでディナーを楽しんでいた時に頂いたものであります。帰国してどれくらいすぐかというと、翌日でした。翌日の夜。だからつまり彼は、指輪を注文した上で私の帰国を待っていたことになる。なのにリングのサイズもぴったりで、しかもしかも前に一緒に直営店を覗きに行った時に呟いた、ハートのデザインが可愛いなあ、って言葉を覚えててくれたみたいで、まさに私が欲しかったリングそのものだったのです。
 しかもバンドリングまでセットで、それだけでも相当したはずなのに、理央くんはすまなそうに笑っていた。

『結婚指輪は、その、うちの指輪を贈ることになると思うので、せめて婚約指輪だけは瑶子さんの欲しがってたものを、と』

 そういえば理央くんのおうちは宝飾会社さんなんだった。その会社のジュエリーを贈らないというのはかなり体裁が悪いのかもしれない。……ま、私は何貰ったって嬉しいんですけどね。
 私は、理央くんが私の欲しがってるものをちゃんと覚えててくれたこと、それがとっても嬉しい。いつもいつも人任せで、自分の感情では動かなくて、妹や従姉のことばっかりで、たくさん女の子を傷つけてきたであろう理央くんが、私のためにこれを用意してくれた。一緒にお店見に行ったのなんてこっちの大学にいた頃だから、かなり前だ。そんな些細な事でも覚えていてくれて、本当に嬉しい。

『……もう。断られたときのこと考えてなかったんだ? 私がブロンズのイケメンとでき婚してたらどうするつもりだったの?』
『……それは、ない、って思ってましたから』

 意外なほど穏やかな表情で理央くんはそう言った。
 私は、テーブルの上のグラス、その中で揺れるロゼを一口飲んだ。

『どうして?』
『……瑶子さんが、要らないものを持ったまま留学なんてするはずないですから。近くにいないからこそ、俺は信じて待ってることしかできなかったんです』

 これですよ、これ。純粋というより寧ろピュアという三文字の方が似合うだろうこの台詞ですよ。
 理央くんといい奈央ちんといい、この子たち無菌室で育ったんじゃない? ってくらい、なんにも混じってない綺麗な心をしてる。
 理央くんが可愛いことを言ってくれる度に、私はきゅんとして、そして、ほんの少しだけ物足りない。理央くんの心に、一滴でも黒いインクが落ちたら、どうなっちゃうんだろう、って思ってる。
 私はそんなに信用されるほど綺麗な人間じゃないし、疑ることもたくさんある。何回か浮気もされてるし、したことだってある。そんなに私のこと信用して大丈夫? そんなに私のこと好きで大丈夫? って、婚約してるのに思ってしまう。
 確かに、要らないものを持って留学なんてしないタイプだ、私は。重荷になると思ったら理央くんとだって別れてから出発しただろう。自分の心が安らげるように、私には理央くんが必要だった。



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2011.08.03(Wed) | 触発されました | cm(0) | tb(0) |

番外はこっちに。



「やほっ、理央くん!」

 空港のターミナルで彼女を待っていると、彼女がやって来るだろう方向から声がして、そちらを凝視したけれど俺の想像した相手はいない。けれど声がしたのは確かなので視線を泳がせてみると、見覚えのある色の頭が見えた。それに、紺の太いカチューシャ。待ち人来る、と思ってそちらに一歩踏み出す。そこでやっと、違和感の正体に気づいた。
 大きなキャリーを引きながら照れくさそうに微笑む彼女。前にこの空港で彼女を見送った時とは明らかに違う。

「……瑤子さん」

 彼女の薄茶色の髪は、確かに腰まであったはずなのに、今は俺と張れるくらい短くなっていた。





「機嫌直してよー! 仕方ないじゃんっ、理央くんがロングヘアー好きなんて知らなかったもん!」
「別にそんなんじゃないですけど、そんなバッサリ切ったなら写真くらい寄越したっていいじゃないですか」
「普段写真撮ったりしないし」
「知ってます? 今の携帯って写真撮る機能ついてるんですよ」
「知ってるよそれくらい!!」

 空港までは車で来ていたので、助手席に瑤子さんを乗せて走る。再会してから俺たちは終始そんな感じで問答を繰り返していた。傍から見ればこれが俗に言うバカップルという奴なのかもしれないと自覚しつつ、もやもやする複雑な感情は隠しきれなかった。
 そもそもそこまでロングヘアーが好きなわけではない。それは本当だ。

「瑤子さんくらい長い髪の人がそんなに短くするって、紗央がショートにするのと同じくらい驚くもんですよ」

 言えば、あー! と瑤子さんは頬を膨らませる。

「何でそこで紗央ちんの名前出すのー!?」
「単なる例えじゃないですかっ」
「理央くんの場合、単なる例えに肉親使いすぎなの! もっと第三者的なものを使った方がいいと思うっ」
「自分にとって身近なもの使ってこその例えだと思いますけど」
「ううん、理央くんに限っては不安だもん! 私にとって奈央ちんと紗央ちんは敵です、敵!」

 肉親に不安云々言うくらいならどうして単身渡欧なんてしたんだか。俺にはそっちの方が疑問だ。……別に、留学して欲しくなかったとかそういう訳では決してない。俺と瑤子さんが出会ったのは、瑤子さんが大学院に居たときだ。院なんて、研究をしっかりしたいと思わなきゃ進んでない。俺と出会う前からその道を志していた瑤子さんの邪魔をするつもりは毛頭ないけれど、……でも矛盾してる部分は気になって当然だ。

「……だあってさあ、髪長いって洗うのも面倒だし綺麗にしてるのも面倒なんだよー?」
「あー、それは紗央もよく言ってます」
「あ、ほらまた紗央ちんの名前出した!」
「今のは同意の意味で使っただけじゃないですか!」

 信号に差し掛かってゆっくりブレーキを踏む。完全に車が止まってから横目で瑤子さんを見ると、瑤子さんはこちらを凝視していて、なんだかすごくやりづらい。

「……綺麗にしてたって見せたい人もいないし」
「……いない所に行ったのは、瑤子さんじゃないですか」
「あー、ひどいんだーそういう言い方」
「半分冗談ですよ」

 綺麗にしてたって見せたい人がいない、と瑤子さんは言う。その相手に俺が入っているのなら、今日綺麗な髪を見せてほしかった、と少しだけ思う。
 ……まあ、さっきの一言は普通に考えれば殺し文句なわけで、殺し文句に冷静にケチつけるのもどうかと思う。この話題はここで終わらせておくべきだろう。

「俺が悪かったです、すみませんでした」
「いいよ、別に。理央くんが紗央ちん以外に浮気しないでてくれたってのがよーくわかったから」
「だから、紗央は違うし俺は浮気なんて、」
「あーもうっ、そういうのはいいの! 理央くんって学生の頃からほんっと鈍感! 直す気ないんでしょ」
「鈍感とかじゃないですよ、それだけ髪切ったくせに颯爽と現れるから悪いんじゃないですか」
「だぁからっ、それは謝ったでしょー? そんなに気にすると思ってなかったんだもん」

 信号が青になる。不貞腐れた彼女の顔から視線を外して前を見る。

「………おかえりなさい」
「本当は空港で言って欲しかったけどなー。ちゃんと目見てハグしてくれなきゃ」
「無茶言わないで下さいよ」
「はいはい、おねーさんはそういうの寛大だから。車から降りたらちゃんと抱きついてただいましたげるね」

 瑤子さんを空港で見送るまでの自分なら、そんなの要らないです、と断っていたはずなのに、疲れているのか何なのか、今日は断る気が起きない。 
 疲れているなんて言い訳だろうか。やっぱりこれは、自分が瑤子さんに会いたがっていた証拠なんだろうか。その辺は区別がつかない。

「……じゃ、楽しみにしてます」
「おー? ちょっと見ないうちに甘え上手になったね、紗央ちんのおかげ?」
「あのですね、何だかんだって自分から名前引っ張って来てんじゃないですか」
「冗談だよ」

 顔は見ていないのに、余裕の表情で顔を綻ばせる瑤子さんが隣に居るのがわかる。彼女はしばらくすると何も喋らなくなった。長時間飛行機にいてゆっくりすることもできなかっただろうから、きっと疲れているのだろう。と言ってもそれで今日紗央の部屋に泊まると言うのだから、この時間くらいはゆっくり寝かせてやるべきなのだろう。俺より先に向こうでの話を聞くのが紗央っていうのがなかなか不本意な気がするが、ここは彼女の意思を第一で考えてやるとして。そのまま俺は安全運転に専念することにした。





2009.09.25(Fri) | 触発されました | cm(0) | tb(0) |

はちがつようか!



「いらっしゃい! 暑かったよね?」

 俺たちがインターホンを押してすぐ。中から扉を開けたのは、エプロンを身に纏った奈央だった。その姿も、なんだか久しぶりに見る気がする。暇があればよくこの部屋には顔を出しているというのに、こんなにも離れた気がするとは、別々の家で暮らすということがどれだけ距離をもたらすものなのか今更ながら実感した。
 紗央は今日は仕事が休みらしいし、俺は学校が夏休みの上に夏期講習ともかぶってない、奈央は元々この日は休みを取るだろうと踏んで連絡をし、こうして押しかけたわけだ。紗央は暑い暑いと騒ぎながらサンダルを脱ぎ、部屋へと上がっていく。それに俺も続いた。
 瀬川の部屋だ。俺や奈央と地元が同じ瀬川は、大学に入る時に一人でこっちに来て、以来ずっとこのアパートに住んでいる。稼げるようになったんだから引っ越せばいいのに、と俺も紗央もよく言うけれど、何か離れがたくてさあ、とのことだ。

「相変わらずせっまい部屋よねー。一人の部屋じゃないんだからいい加減引っ越せばいいのに」
「あはは。ちゃんと籍入れて式挙げたら別の部屋探そうって。夢はマイホームだからそれまでの仮住まいだ! って言ってた」
「式挙げてから探してんじゃ遅いでしょうが……。ほんっと、そういうとこ計画性がないのよね」

 小さなリビングのソファーに俺と紗央が腰掛け、麦茶の入ったグラスを三つ運んだ奈央がカーペットの上に腰を下ろす。奈央のセンスで選んだのだろうグラスは、少し歪で不思議な形をしていたが、透き通る緑色が光をよく吸い込んでとても綺麗だ。
 先月の奈央の誕生日(俺の誕生日でもあるわけだが)に、瀬川と奈央は正式に婚約した、ということらしい。厳密な意味での婚約は結納をもってするものなのだろうが、生憎とうちの両親は海外住まいでそう簡単にこちらには帰ってこない。当事者が納得してるし、親にも連絡が行けばそれでいいだろうってことで、指輪を渡しただけだ。俺も紗央も立ち会ったわけじゃないが、それ以上することもないだろうし、そういうことなんだと思う。婚約してから奈央は俺と住んでいたマンションを一応出て、瀬川の部屋で一緒に暮らしている。一緒に暮らし始めてまだ二週間ほどだが、これまでもしょっちゅう出入りはしていたし、随分板についているように見えた。
 俺は休みだが、瀬川は出勤日だ。夏期講習が入っているらしい。紗央はきょろきょろと部屋を見回して、瀬川がいないことを確認してから口を開いた。

「でさ、今日なんだけど。奈央、ケーキ以外に何か準備してる?」
「ううん。夏休み始まってクリニックにお客さん増えちゃって。ばたばたしてたら用意できなかったの」

 ケーキだけはちゃんと焼いたんだけどね。そう言って奈央が台所に目を向ける。そこにはなるほど、確かにちゃんとケーキが準備されていた。しかし。

「……ちょっと気合い入れすぎだろ、奈央」
「え? そうかなあ、空君なら食べてくれると思うんだけど」

 ……それはウェディングケーキか何かか。
 と思わずツッコミを入れてしまうほど高さがあった。そりゃ瀬川は食べるだろう。どんなにでかかろうと、不味かろうと、奈央が作ったものなら。食べてる途中に倒壊しないのを願うばかりだ。
 
「ま、あれだけのケーキがあれば他にプレゼントなくても文句ないわよね、普通。ていうかあたしの奈央に文句なんかつけたら即ブチ殺すわけなんだけど」
「空君は文句なんかつけないから大丈夫大丈夫。それに、今日誕生日って絶対忘れてるもん」
「それは好都合ね」

 グラスの中の麦茶を一気に飲み干し、うふふ、と大層物騒な笑みを浮かべると、紗央は奈央にこれでもかというほど顔を近づける。

「一回やってみたいことあったのよ。自分じゃできないから奈央にやってもらおうと思ってv」
「な、なに……?」

 流石の奈央もこの近距離でたじろぐだろう。顔近い、顔。
 紗央が何を企んでいるのか俺も聞いていないが、どうせろくでもないことだろう。俺に飛び火しなければ何でもいいんだが、……取り合えず瀬川早く帰って来い。




「いっや、そーいやそうだったんだよな! 生徒に言われて初めて気がついたんだよ俺!」

 奈央と紗央がタッグを組んで腕を振るった料理の数々が狭いテーブルに、くどくなるが所狭しと並べられ、瀬川はそのひとつひとつを味見して舌鼓を打っていた。これは紗央が作ったな、愛情が感じられない! などとのたまい、当然紗央に殴られていた。これが見事当たっているのだから、瀬川の味覚はすごいと思う。俺じゃ奈央と紗央の料理の違いなんてわからない。同じ料理を出されたとしても分かるかどうか怪しいのに、これだけ品数が豊富な中で奈央の料理だけを見分けられるのは、……色々通り越して気持ち悪い気もしてきた。
 奈央が言っていたように、瀬川はすっかり自分の誕生日など忘れていたらしい。休憩時間に生徒にプレゼントを貰って初めて気付いたのだそうだ。非常勤の俺にもプレゼントくれたりする生徒がいるくらいだ、生徒って意外とそういうどうでもいい記憶力はいいのかもしれない。その記憶力を是非試験で使って欲しいと思うわけだが。

「けどさ、仕方ねぇよなー。これまでは誕生日なら奈央と会える日だしそりゃあ楽しみにしてるから忘れないんだけど、今は目が覚めても仕事行って帰ってきてもいつも奈央いるんだぜ!? 毎日誕生日みたいなもんだろマジで!!」

 瀬川はいやに機嫌がいい。酒も飲んでないのにフル回転しているらしい。
 奈央はこの熱弁にもう慣れたらしく、はいはい、と簡単に聞き流している。

「この前安藤さんと六津さんが来たんだけど、その時も似たようなこと言ってたから。慣れちゃった」

 この様子では新学期始まってからがすごく心配だ。今は二年の担任だけど、それでも一応それなりに勉強のできる学校だ。締まりの無い顔で授業するんじゃなかろうか。いやそもそも夏期講習だってまともにできてるのかこいつ。惚気て終わりな気がしてきた。……だからって怒るような上司がいないのがあの学校の悪いところだ。
 ケーキとお茶の準備するね、と奈央と紗央が空になった皿を手に立ち上がり、台所へ向かう。それを見計らったかのように、瀬川は俺の隣にそそくさと腰を下ろした。

「奈央いなくて寂しい?」
「別に」
「……奈央が側にいると、お前も紗央も前、向かないだろ。奈央のいないとこにいた方がいいんだよ、お前ら。奈央には俺がいんだからさ、気兼ねなく部屋に女連れ込めばいいじゃん」

 紗央がこの言葉を聞いていたら、もしかしたら、怒ったのかもしれない。
 あたしが前向いて生きてないって言いたいの!? と、瀬川を殴ったかもしれない。
 ――瀬川にこんな台詞を言われた時でさえ、俺の頭の中に浮かぶのは紗央のことで、俺自身のことではない。もう何年もこうして、自分を勘定に入れてこない生き方をしてきたのだ。簡単に変わるとは思えない。

「俺は、奈央のこと心配してるお前らのが心配」
「……ほっとけ」
「ばぁか! ほっとくかよ、俺の義兄さんだぞお前」
「うわ、寒気するから二度と言うなその単語!」

 しまった忘れていた、奈央と結婚するってことはこいつが俺の義弟になるってことで、即ち鳥肌。 
 ぞわぞわきた寒気を腕を擦って暖めることで振り払うと、いつの間にか台所から奈央と紗央が消えていることに気付いた。そういえばそうだ、ケーキの準備って、あいつらがロウソク吹き消すイベントを忘れるはずがない。ということは、下らないプレゼントのアイディアを今まさに実行中といったところだろうか。

「うわっ」

 瀬川が声を上げる。そりゃ当然だ。後ろから、……奈央、に手で目を塞がれたのだ。そして奈央の後ろには黒幕たる紗央がにやにやしながら仁王立ちしている。

「だ、だーれだっ」

 そしてこの前時代的な文句。

「な、奈央だろ?」

 紗央がこんなことするはずないのでどう考えても100%奈央なのだが、瀬川の目を塞ぐ奈央は戸惑いがちに「ぶー」とハズレの意を示す。
 それから瀬川の目を覆っていた手を外すと、ゆっくりと瀬川の首が振り向く。

「こ、今年はっ、あたしがプレゼントっ」

 ……明言を避けていたが、瀬川の真後ろに立つ奈央は、白いワンピースの上から全身を赤いリボンで巻かれている。どんだけ前時代的なんだ。こんなこと言い出す奴が現代にまだ生きていたとは。
 主犯の女、もとい紗央は仁王立ちのまま「どうだ面食らっただろう」とでも言い出しそうな勝ち誇った表情で瀬川を見ていたが、瀬川は割りと俊敏な反応を見せ、すっくと立ち上がると奈央の両肩に手を置き、ぐいと自分に引き寄せた。
 あまりのくだらなさに俺は座ったまま麦茶を啜ることにする。

「奈央がプレゼントだと!? 笑止! 奈央はもう俺のもんだ、新たにもらう必要なんざねぇんd」

 勢いよく言いきろうとした瀬川の言葉は不意に終わりを見せた。顔面に耐熱ボウルがめり込んでいる。ものすごく痛そうだ。

「……さ、紗央ちゃん、やりたかったことってこれ?」
「ううん、“あたしがプレゼントv”って奈央が言ったら凄まじく可愛いだろうな、と思って。空の反応は想像してたけど、実際に聞いたら想像よりずっとウザかったからつい手が」

 想像してたくせに聞いてみたらウザかったからってあんな重みのあるものを顔面に投げつけられたらたまったものではない。と瀬川を擁護すると同時に、奈央を引き寄せていたにも関わらず奈央を少しも傷つけることなく瀬川の顔面にクリーンヒットさせることのできる紗央の能力にも感心してしまった。

「何だよこの暴力女!! そんなだから永遠に男できねぇんだよ!!」
「あんたにあたしの永遠を語られる謂れはない!」
「あーあ、どうせお前の家雛人形年中飾ってたんだろ、行き遅れるわけだぜ」
「うるさいわね、そんなわけないでしょ!?」

 睨みあいながら瀬川と紗央はそんな口論を繰り広げている。奈央がきょとんとした顔で俺の顔を見やって、くすりと笑った。俺も口角を上げることで返してやる。
 ――俺たちの実家は雛人形も五月人形も飾りっぱなしだ。
 多分、奈央が笑ったのはそういうことだろう。変に水を差すのも面倒なことになるし、放っておくことにする。
 こうして地味に祝う誕生日会もこれが最後だ。来年の今頃には、奈央の苗字はもう変わっている。だからって本質的に何が変わるわけでもないけれど、漠然とした空虚な感じはしばらく拭えそうになかった。





2009.08.08(Sat) | 触発されました | cm(0) | tb(0) |

ごめ、無理。



 仕事で遅くなるとだけ奈央に連絡を入れて、ある程度仕事を終えたら瀬川と一緒に安藤先生の部屋にお邪魔していたその日。いまだに俺を子供扱いする世話焼きの奈央のこと、帰宅すれば「誰といて何時くらいに帰るかくらい連絡くれてもいいじゃない」とでも言われるかと思っていたのだが、玄関のドアを開けてくれた奈央から小言が出てくる気配はない。

「機嫌いいな、紗央でも来たのか?」
「ううん」

 玄関からリビングまでの廊下を、奈央の後に着いて歩く。やはり奈央はいつもより機嫌がいい。
 リビングの食卓は栗皮色のクロスが敷かれ、それにナチュラルなベージュのディナーマットが三人分。卓の中央にはガラス製のフラワーベースに水が入れられ、赤い薔薇の花がふたつ浮いている。普段瀬川や紗央が来てもクロスを変えたりすることはないから、普段来ないような人間が訪ねてきたに違いない。

「さて、誰が来たでしょう? 当ててみて」

 相変わらずの上機嫌で奈央はそう問うけれど、さっぱり思い当たらない。奈央の交友関係はあまり広くないし、大体俺や瀬川と被っている。その俺と瀬川は安藤先生といたのだから、安藤先生ということは有り得ない。いや、思い当たる人物はいるのだけれど、ディナーマットが三枚引かれていることがネックだ。一枚は奈央として、その人物が他の人間といるところをなかなか想像できない。

「……清浦先生、とその執事」
「わ、その名前が出るとは思ってなかったよ」
「だよな」

 上着を脱いでソファーの側に置き、ネクタイを緩めながら腰を下ろすと、奈央はその隣に陣取る。どうにかして俺に答えを出させたいらしい。ということは、話のネタになるような意外な人物ということだろうか。でも俺だって想像力の限界がある。誰だよ、と声をかけると、降参したのが嬉しいのか満面の笑みを浮かべる。

「ヒントは、要さん」

 やっぱりだ。その名前はまず出るだろうなと思っていた。肝心のもう一人は全く浮かばないけれど。響にだって学生時代の知り合いだとかはいるだろう。その交友関係の中から、まとめて奈央が夕飯に招待できる相手なんているのだろうか。クリニックの関係者なら俺は知らないわけだが、問題にされているのだから俺も知っているはず。

「時間切れ、ってことで、正解は?」

 これ以上考えても埒が明かない。俺からそう切り出せば、奈央はくるりと表情を変えて不機嫌そうに頬を膨らませた。

「えー、つまんないよ、知ってる人最初から挙げてくかと思ったのに」
「俺が知っててお前が知らない相手なんてたくさんいるんだからやるだけ無駄だろ。ケレス先生とかだってお前会ったこと」
「はい正解っ」
「……は?」

 で、また笑顔に戻った。俺は相当驚いた顔をしているらしい。それが嬉しくて仕方ないのだろう、性格の悪い妹だ。

「今日ね、仕事終わって買い物して帰ったんだけど、クリニックに携帯忘れたの思い出して。荷物置いてからまた要さんのところ行ったんだけどね、要さんとケレス先生ふたりでお酒飲んでたみたいで」
「……で、招待?」
「要さんってお医者さんだけど不摂生でしょ? それで」

 それで。で、話が通ったつもりなのか。俺にはいまいち理解できない。響とケレス先生が知り合いなのは分かった(もちろん意外だけど)、奈央はクリニックで働いているし響の食生活には対瀬川よりもうるさい。そこまでは分かるが、これでは一方通行だ。奈央は確かに知り合いをよく食事に招待するけれど、初対面の人間をすぐに引っ張っていくタイプではない。会って話して誘いをかけて後日、というパターンが多いだろうが、そもそもケレス先生となんて会ったことないだろう、こいつ。

「あれ? 話したことなかったっけ、前に商店街の近くで会ってね、ちょっとお話したことあるんだよ」
「誰と」
「ケレス先生」

 瀬川が聞いたらぶっ飛びそうな発言だ。会ったことはなくとも有名な先生だ、見た目の特徴さえイメージできていればそりゃあ本人かどうかくらいはわかるだろうが、……ケレス先生と奈央、雰囲気的にも色合いとしても全然合わない二人だと思う。

「初耳」
「そっか。びっくり?」
「かなりな」

 取り合えず瀬川がこの話を聞かないことを願う。瀬川の耳に入ったらうるさそうだ、本人ではなく俺や紗央に。そうなると紗央が余計なことを言って更に騒がしくなるだろうから、それだけは避けたい。
 響にケレス先生、そりゃあなかなかうちになんか来ない面子だ。奈央が気合い入れる気持ちも分からないではない。洋食は紗央ちゃんの方がずっと上手いんだよね、と常々言っている奈央のことだ、外国人のケレス先生に食べてもらうのもいい機会だと思ったのだろう。紗央の方が上手いとか言ってるが、俺にはふたりの腕の違いなんてさしてわからなかったりする。本人たちがそう言って納得しているのならそれでいいだろう、くらいの気持ちだ。

「要さんとケレス先生が揃うと、すごーくインテリって感じの雰囲気になるよね。空君と理央じゃ、ああはならないなぁ」
「悪かったな、低学歴で」
「そんなこと言ってないよ。理央だって十分賢い先生だし」
「無理に褒めなくていいっての」

 響は医者だし、ケレス先生は聞くところによればあの名門大を飛び級で卒業したとかで、正直、なんで日本で教員なんかやってんだ? といまだに首を傾げてしまうような人だ。瀬川だって一応国立大卒ではあるが、世界的に有名な大学とはさすがに張れない。まあ、張り合うといっても化学と日本史で張り合えるわけがないのだが。
 そのインテリな雰囲気の中で奈央がどう立ち回れたのかは定かじゃない。奈央はあまり社交的とは言えないし、響だって人付き合いが上手いとは言えない。ケレス先生も、一度会っただけの女と会話しながら食事というのは難しかったのではないだろうか。せいぜい給仕係ってところだったのかもしれない。――ご機嫌だしそれはない、か。

「でもね、事前に準備してたわけじゃなくて急に呼んじゃったからちゃんとしたもの作れなくて。おいしいって言ってくれたけど、今度はちゃんとフルコース作るから! その時は理央、ご招待してね?」
「その時は俺も混ぜろよ」
「えへへ、理央いなくちゃあたし話についていけないもん」
「やっぱりな」
「ワインがおいしかったからちょっとは頑張れたけどね」
「……なるほど、俺に黙っていい思いしたから上機嫌ってわけか」

 横目で奈央を睨んでやると、えへへへ、と奈央が更に顔を綻ばせる。奈央は酒には強いから酔っているわけではないのだろうが、珍しい人を家に呼ぶことができて満足なのだろう。それはそれで、まあいいか、と思ってしまう。そんなだから理央って呼ばれるのよ、とまるで理不尽な紗央の怒りの声が聞こえた気がした。




2009.06.29(Mon) | 触発されました | cm(0) | tb(0) |

フレーバーティーとクッキーのある昼下がり




「ねえ奈央」
「うん? どうしたの? 紗央ちゃん」
「あたしってどうしてこう、性格悪い男にばっか絡まれるわけ?」
「………ええっと、……からかいがいがあるから、かなあ」
「はあ?」

 あたしがあからさまに、訳わかんない、という表情を作ると、多分それがダメなんだよ、と奈央は笑って、ついさっき蒸らして淹れたピーチティーのカップを渡した。フレーバーティーは当たり外れの落差が激しいし、良いものを選ばないと単に香りがきついだけで紅茶の味を損なっているものを飲むはめになったりするから、あまり好きじゃない。でも奈央が淹れるなら別だ。奈央がそう簡単に外れを選ぶはずがない。奈央はできる子だから、食材を選ぶ目は抜群にいい。もちろん見た目も抜群に可愛い。

「でも、どうして急に?」

 お茶請けにとシンプルなバタークッキーをテーブルに置いて、奈央も席についた。少し不思議そうな顔。

「喫茶店の常連さんがいるんだけど、この前閉店間際までいたもんだから帰りに送ってくれちゃって」
「お客さんが? びっくりだね」
「そう。バイクの後ろに乗せてくれたの」
「わあ、カッコイイねー。紗央ちゃんそういうの似合いそう」

 にこにこ笑いながら奈央はカップに口をつける。桃の香りがふわりと漂ってくる。嫌な感じはしない、上品な香りだ。上質のフレーバーティーは奈央によく似合う。紅茶の上品さも保ったまま、人を安心させる甘い香りを提供する。ならあたしはさしずめセンブリ茶か青汁かどっちかってとこかしら。

「でも性格悪いのよ。あたしが心配してあげてるのにわざわざイラつかせるような返事するし」
「紗央ちゃんが乗ってくれるなんて思ってなかったんじゃない?」
「怖がってないって言ってるのに馬鹿にしたみたいに喋るし」
「だって紗央ちゃんバイクに二人乗りなんて初めてなんじゃないの?」
「……い、嫌なんだったら嫌って言えばよかったじゃない!」
「ううん、乗せたかったんだと思うよ」
「……奈央の言う事ってよくわかんないわ」
「あたしは紗央ちゃんの基準がよくわかんない」

 たまに奈央とは話が噛みあわなくなる。あたしは動揺するけど奈央は少しも揺らがないから、ひょっとしてあたしがおかしいの? と思ったりしてしまう。でも自分が間違ってるとは思いたくない。だって性格悪いのは事実だったんだし。
 甘さ控えめのバタークッキーを一口いただく。これもまた丁寧で優しい味がする。量産型じゃないから余計に美味しく感じる。

「この辺には性格悪いのと草食動物しかいないわけ? いい男なんて生き物が存在するなら全国に平均的に配置すべきだわ」
「あー、でも、多分一般的な『いい男』って、紗央ちゃんは好きじゃないと思うな」
「そんなことないわよ」
「紗央ちゃんがもっと自分のことわかってたら、こんなの取るに足らない問題だよ、多分。紗央ちゃんが今まで一蹴してきた男の人がそうかもしれないし」
「は? えー? ないないないない」
「ほら、やっぱりあたし紗央ちゃんの基準よくわかんない」
 
 あたしは奈央の言う事がやっぱりよくわからない。さすが長いことあの空と付き合ってきただけあるってことなのか。寧ろ奈央のベストが空って時点であたしにはよくわからない。
 ……ああ、まあ、

「……参考程度にしておくわ、奈央の話」

 過去がベストなんだから普通じゃないのかも、あたしも。
 首にかかる安っぽいチェーンが思い出を主張する。

「紗央ちゃん可愛いからいろんな人が仲良しになりたいんだよ」
「あたしよりも奈央でしょ、いろんなのに寄られてるのは」
「ううん、紗央ちゃんだよ」

 もう一度カップに口をつけて、ね? と同意を求めるように奈央が小首を傾げた。桃色のリボンが揺れる。……やっぱり、この子はよくわからない。



2009.03.19(Thu) | 触発されました | cm(0) | tb(0) |

野に咲く花のように




 昨夜の予報から、今日が雪であることは分かっていた。なので今日はいつも使うバイクを使わず、電車を使っての通勤。こういう日に限って研究日でない自分の身を恨めしく思ったのは往路も同じだった。学校での仕事を終えて帰路につき、駅への道を辿りながらケレスは再び往路と同じことを考える。
 雪は止む気配がなかった。大粒の牡丹雪が、黒い傘にふわりふわりと積もって、だんだんとその重みを主張し始める。積もったと思ったら傘を振って雪を落とし、また進む。往路と同じ、その繰り返しだ。往路と違うところと言えば、足場が格段に悪くなっているところだろう。朝はまだ降り始めということもあってか路面はあまり酷くはなっていなかったのだが、何時間も経って積もった上を車が通り、泥の入り混じったみぞれが道路に満遍なく広がっている。
 駅はもうすぐそこ、商店街の入り口に差し掛かった。この悪天候で、買い物に出る人間など少ないのだろう、以前見たことのある商店街と比べると活気が少ないのは当然だった。それでも商店街の各店舗のシャッターは開いている。全国の他の商店街に比べれば、ここは比較的賑やかなのかもしれない。

「…………」

 商店街に特別用事はないので、駅に向かうため突っ切ることにする。そうして一歩踏み出し、たまたま左を見ると、その先にどこかで見たような顔があった。向こうもケレスに気がついたらしく、あ、と言った顔のままフリーズしている。どことなく気まずい時間が流れた。
 セミロングの栗色の髪、その一部を結う桃色のリボン、真っ白なコートに大人びた黒い傘。彼女の顔立ちはまだ学生のようにも見える。肩には黒く大きなトートバッグが掛かっているのだが、その先からはネギらしきものが見えているので、所謂エコバッグという奴なのだろう。

「えっと、け、」

 彼女は傘を差したまま、随分考えながらこちらに一歩ずつ近づいてきた。歩くたびに、「け、け、」と傍から見れば奇怪極まりない言動を繰り返す。
 あと数歩で隣に並ぶというところで彼女は、ふう、と大げさなため息をつくと顔を上げ、

「こんにちは、横文字さんっ」

 と満面の笑みで言ってのけた。
 その言動のお陰で、一発で目の前の女が何者なのかが分かる。先ほどの呟きも、こちらの名前を思い出そうとしてのことなのだろうと予測はできるのだが、思い出せなかったからといってその呼び方はどうなんだ、と思わざるを得ない。

「恋人の影響受けすぎなんじゃねぇのか」
「すみません、空君がいつもそうやって呼んでたな、っていうのしか思い出せなくって」

 明日シバく。
 翌日の予定がひとつ決まったケレスである。
 目の前の女は、瀬川 空の恋人だ。普段聞き流しているが、やたらと自慢していたような気がする。名前は何と言っただろうか。

「あたし鈴城奈央です。理央の双子の妹の。今更失礼なんですけど、お名前伺ってもいいですか?」

 奈央はトートバッグを肩にかけなおすと、ぺこりと頭を下げた。理央と兄妹だということは、言われるまで忘れていた。見た目はあまり似ていない。色合いも雰囲気も、理央はどちらかといえば交番に勤務している女性警察官に似ているような気がする。普段理央と奈央が二人で歩いていても兄妹だと初見で判断できる人間はまずいないだろう。

「……ケレスだ」
「あ、そうですよね! ケレス先生! 芹沢君とか水城君とか野島君とかがクリニックに来るとたまに聞こえる名前でした。きっと先生の話で盛り上がってるんだろうな、っていうのはわかるのに肝心のお名前が出てこないことが多くって。もう覚えたので大丈夫です」

 固有名詞を使わずに会話する、今名前の上がった面子からならどんな言葉を使われていたのか簡単に想像できるというものだった。頭が痛くなった気がした。

「普段お見かけしませんから、今日は雪で電車を使ったんですね?」

 マンションが駅の方向なので途中までご一緒してもいいですか?
 こういったタイプの女との会話は慣れていないが、断る方が不自然だろう。ああ、と頷いて駅への歩みを再開した。




「普段は何で通勤されてるんですか?」
「バイクだ」
「あ、なんか分かる気がします。車よりバイク似合いそうですね、ケレス先生」

 駅は目と鼻の先で、距離もそう遠くない。ケレスから質問するようなことは特に無いので、自然と奈央からの質問ばかりになってしまっていた。クリニックの院長である響 要は非常勤の保健医として校内にいることはあるが、奈央が来るという事は校内での健康診断の時くらいで、学校にはほとんど来たことがないはずだ。諸々のイベントには空が参加しているのだから奈央も来ているのだろうが、生憎と顔を合わせる機会はなかった。

「あたしばっかり聞いちゃってすみません。理央、えっと、兄が休むと代わりに授業してくださってるんですよね。すごい人なんだぞー、って聞いてたからついつい気になっちゃって」
「別に、授業のベースになるプリントは理央が作ってる。俺はそれに従って進めているだけだ」
「教え方上手くて学歴も比べ物にならないから、生徒に何も言われなくても兄にとってはプレッシャーなんだそうです」
「杞憂だって伝えておけ」
「きゆう、……難しい日本語もご存知なんですね……」

 見るからに外国人であるケレスが難しい熟語を知っていたことに奈央は驚きとある種の絶望を感じているようだった。肩と一緒に桃色のリボンもしゅんと垂れて見える。
 職員室やら教室やらで、瀬川 空はやたらと恋人自慢をしている。くどいようだがちゃんと聞いているわけではない。けれど、あれだけ自慢する女ということは、空とは釣り合いが取れないくらい気品のあるお嬢様なのかと思っていたケレスだったが、どうやら少し違うらしい。初めて言葉を交わしてまだ数分しか経っていない。彼女の本質など見抜けはしないが、高嶺の花、という言葉とは別の場所にいる女であろうことはわかった。

「雨とか雪とか、嫌いじゃないんですけどお買い物には適してないですよね」

 黒い傘を傾け、ふわりふわりと空から降る牡丹雪を眺めながら、奈央が呟いた。

「でも、今日は初めて先生とお話できたのでちょっとラッキーでした」

 そう言って少しケレスより先を歩き、くるりと振り向いてみせた奈央だったが、白いコートが翻った瞬間にブーツの底がみぞれで滑ったらしく体勢を崩した。何が入っているのかは知らないが、トートバッグの中身をぶちまけては大変だろうし、何より駅前での転倒騒ぎは周囲の視線が気になるところ。ケレスが咄嗟に彼女の腕を取ると、何とか転倒は防ぐことができた。
 
「思ったよりずっと優しい人で嬉しいです」

 体勢を立て直してコートを叩くと、奈央はにこりと笑ってお礼のために頭を下げてきた。それからごそごそとコートのポケットを探っている。

「これ、さっき八百屋さん行った時に創兵くんにあげようと思ってたんですけど、本人がお留守だったので、貰ってください」

 小さな透明のラッピングバッグに入っているのは四つのマカロンだった。ピンク、ライトブルー、チョコレート、ライムグリーン。春を思わせる淡い色合いが揃っている。
 味には自信ありますから、と言っているところを見ると、手作りなのだろう。甘いものは得意ではないが、断ると関係云々の前にどこかから聞きつけた空が喧しく騒ぎ立てるのが想像できたので大人しく貰っておくことにした。受け取ると、奈央は大きな瞳を見開いて、まるで驚いているかのようだった。 

「……何だよ」
「いえ、突っ返されると思ってたのでちょっとびっくりで」
「突っ返して欲しいなら返す」
「そんなことないですよ! おいしいので食べてみてくださいっ」

 やっと駅まで着いた。さっき奈央と出会った場所はここからでも見えるくらい近いのに、随分長かったような気がする。軒下でケレスが傘を閉じると、ばさりと積もった雪が落ちた。
 奈央はこの位置から見える高層マンションに住んでいるのだろう。傘を差したまま、ぺこりとまたお辞儀をした。

「今日はどうもありがとうございました。今度電車使うことがあったらお夕飯でも食べに来てください」

 電車を使うことがあってもそんな日はきっと来ないだろう、とケレスは思う。その様子もおそらく奈央は分かっていて、次の言葉を口にした。

「美味しい赤ワインがあるんですけど、空君ワイン苦手みたいで合うお料理が作れないんです」

 重いのか肩のバッグを時折掛け直し、奈央はそう言う。ワインお嫌いですか? と奈央が問えば、繕う必要もないので「いや」と曖昧な返事をするに留めた。

「先生と要さん呼べばちょっと大人なディナーが楽しめそうだな、と思いまして」

 それは割と魅力的な話だとは思えたのだが、今の発言はどことなく、想像に反していたような気がする。不思議な違和感だった。
 あ、と奈央が気付いたように声を上げ、長々引き止めてすみませんでした、とまた頭を下げ、それじゃあ気をつけて帰ってくださいね、と見送られる。そのまま背を向けて駅に消えてもよかったのだが、一応、

「大事な恋人除け者にしたディナーでも楽しめんのか?」

 その質問を、投げかけておいた。
 奈央はやはり目をぱちぱちさせている。予想外の質問だったのだろう。独占欲の強い空を差し置けるのだろうか。
 返答がなければそれでも構わない。背を向けようとしたその時、

「本当の空君はこんなことくらいじゃ騒いでくれないんですよv」

 穏やかな声がはっきりとそう告げた。

「今のは今度お夕飯食べに来てくれるってことですよね? 期待しちゃいます」

 黒い傘には白い雪が降り積もって行く。
 吐息も白いのに、彼女の周囲は寒さを感じないやわらかさがある。
 高嶺の花でこそないが、大地にしっかり根を張る花ではあるらしい。
 今度こそケレスは背を向けた。

「――いつか、な」




2009.02.28(Sat) | 触発されました | cm(0) | tb(0) |

その頃のA組




「どうよ、憧れのセンセイが担任になった気分は」
「あ? サイアク」

 即答すれば目の前の席に座る大和――本来の席の持ち主を追い出してここに居座っている――は腹を抱えて笑い、そりゃあ実態がアレじゃあな、と一定の理解を示した。
 流風はいつもに増して不機嫌である。ひとつ学年が上がれば周囲の環境も変わるし、元々女子からの支持が厚い流風だ、普段どおりならばもっと愛想を振りまいているはずなのだが、新学期が始まってからもうじき一週間になろうというのにまだ機嫌が悪い。
 大和は『憧れ』という言葉を用いたが、果たして自分の感情にその言葉が相応しいのかは流風にとっても疑問だった。あれだけ目を引く色をしているのだ、目に入れば追ってしまうのは致し方ないこと。

(ちょっと似てるかもとか思ってた俺が馬鹿ですよ、どうせ)

 流風は頬杖をついてため息をついた。自分が馬鹿だったのだ。
 今はHRの時間。委員会を決めるという話は聞いていたがあまりに一方的だった。開始五分してどの委員会に誰の立候補もないことを知ると、担任教師が適当に生徒を指名、強引に委員会に割り当てた。流風もそのとばっちりを受けたひとりである。委員会など面倒なものをやっているくらいなら部活に行きたい。流風をはじめ、生徒の反論はひとつも聞き入れられることはなかった。
 傍若無人、唯我独尊。ぽつりぽつりとそんな四字熟語が飛び交ったのは、流風の気のせいではあるまい。

「つーか、開始五分で強制的に委員会決められてHRやることねぇし、じゃあ解散、って流れにすりゃいいのにな。このぐだぐだ感、新学期に有り得ねぇよ」

 大和もこの空気にうんざりしている様子だった。委員会決めなんて元々どうでもいいものだし、普通ならば立候補がなくとも誰かが推薦などしてある程度盛り上がるものだ。それが結局、最初の五分+強制執行の一分+生徒の反論が三十秒、七分かからないで議題は消化してしまった。教科書を読んだり、近い席の者と話したり、寝たり。残り四十分以上というのはかなり長い時間だ。
 流風にとってもそれは同じだ。生憎と、大勢の人間がいる前で勉強する気にはならない。携帯を取り出すと、ちょうどメールを着信してぶるぶると震えた。中をチェックすれば、去年同じクラスで今はC組にいる女子からの連絡だ。

「C組、レクでバレーやるんだってさ。空先生の提案で」

 携帯を閉じ、ブレザーのポケットに仕舞うと、あの先生ならやりそう、と大和が笑った。

「アレだろ、最下位は罰ゲームで掃除! とか。あの人担任だったらクラスもすぐ仲良くなるよなー。ぐだぐだな空気とか許さなそう」

 だよなあ、と流風は頷く。
 瀬川 空は社会科全般を担当している。流風たちが入学した去年、新任教員として着任したらしいが、持ち上がりではなく、去年も二年の担任をしていた。二年の方が社会科科目に当たる時間が長いからなのだろう。背は、背が低いと自分で思っている流風よりも低く、態度はでかい。生活指導なんてのもやっているから、髪を染め服装もきちんとしているとはとても言えない流風が標的になるのも致し方ないことではあった。去年地理の授業を担当していたくらいであまり接点は無い。水泳部の顧問だとかなんだとか。球技大会のときの空のクラスの応援具合といったら半端なかった。

「担任があんなんじゃ、このクラスの行く末が心配だよ、俺は」
「担任発表された時密かに喜んでたくせに」
「してねぇよ!」
「いいや、してたね」

 大和は椅子に跨るように座るとこちらを向いてにやりと笑った。こういうところが苦手だ、と流風は思う。さすが金持ちの家の息子、人を見下して笑うことには慣れているのだろう。
 それは仕方が無いのだ。確かにちょっと喜んだ。A組の担任としてあの男が名前を呼ばれた時、あの人だ、とそりゃあ多少は喜んでしまった。誰にも話したことはないが、子どもの頃一度だけ出会った人に似ている、と思ったから、去年も廊下で見かけては目で追ってしまっていた。仕方ない、それは認めよう。しかしこうして実態を目の当たりにしている今となっては、ただ単に金髪の無愛想な男、としてしか認識のしようがない。これ以上思い出を穢されるのは御免だ。

「……あーあ、うちもC組みたいにアクティブな活動すりゃいいのに」

 脱力して天井を見上げ、そう呟く。それから大和とともに、教壇の前に椅子を置いて座り、HR中であることも生徒の様子にも我関せずで英字新聞を広げる担任の姿を目に入れる。

「有り得ねぇな」

 斬り捨てる大和の言葉に、だな、と流風は頷くことしかできなかった。




2009.02.27(Fri) | 触発されました | cm(0) | tb(0) |

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