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軽石へちま

Author:軽石へちま
基本自キャラで凄まじく妄想してみる。
隠れ家なのでBLとか黒とか暗とか主。
キャラ崩壊必至。何とも思わないけども。
妄想についてこれる人だけどうぞ。

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つめたいゆびさき



 二月に入り一週間ほど。後期試験が終わっても研究に忙しい瑶子さんとは付き合い始めてから毎日必ず何らかの手段で連絡がある。暇な時は俺の家まで突撃したりしていたが、学校が休みに入ってからは彼女は図書館に篭ることが多くなり、連絡もメールや電話になった。そんな瑶子さんから今日の予定について聞かれたのが一昨日のことだ。俺より瑶子さんの方がいつも忙しい。だから俺は彼女の予定にできる限り合わせることにしている。今回もその例に漏れない。彼女の都合のいい時間に、彼女が指定したコーヒーショップに向かう。そこは駅前にあるチェーン店で、それなりの広さがあるから探すのに苦労しそうだと思っていた矢先、店頭のテラス席に座って携帯電話を耳に当てている女性の姿が目に入った。ミルクティー色の長い髪、紺色のカチューシャ、白いコート。間違いなく瑶子さんだ。程なくして彼女も俺に気づいたらしく、電話を耳に当てたまま嬉しそうにこちらに手を振った。俺も手を振り返して、気づいていることをアピールし、それから店内で温かいものを注文しに行く。瑶子さんのいたテーブルの上にはカップが置いてあったから、彼女に飲み物は不要だろう。
 一番小さいサイズのブレンドコーヒーを頼んで外へ出る。二月の夕方はコートを着込んでいてもやはり寒い。立春が過ぎているのが嘘のようだ。わざわざ外に座らなくてもよかったのに、とは思ったけれど、電話をするなら外ということなのだろう。もしかしたら見つけやすい場所を選んでくれたのかもしれない。真意を確かめられない以上、真相がどうなのかはまだ分からないが。
 まだ通話を続ける瑶子さんの目の前に座って、コーヒーのカップで手を温めながら中身を少しずつ飲む。温かさが胃に落ちていく感じだ。

「うん、今来てくれたとこなの」

 電話の相手に向かって瑶子さんはそう言う。相手は友達なんだろう。

「あ、そだ、ちょっと聞いてくれる?」

 その台詞の合間に瑶子さんはちらりと俺を見た。誰が相手なのかは知らないが、これからの瑶子さんの台詞に対して一抹の不安を覚える。

「あのねー、理央くんってばひっどいんだよ、知り合って八ヶ月以上、付き合ってもう二ヶ月になろうってのにね、ちゅーはおろかぎゅーもないし、手だってなかなか繋いでくれないのー! どう思う!?」

 口許にカップを持っていった瞬間その台詞だ、危うく中身を零しかけた。
 言い訳をするなら好きじゃないとかそういうことじゃないし他意はないし、そもそも年上と付き合うのが初めてだからどうしたらいいかよく分からないというのが強い。他意はない、他意はないんだ。
 ……ここは屋外だったことを喜ぶべきなのか!? 店内の限られた人数にこの大声を聞かれるのと、大通りに面したこの席で不特定多数に聞かれるのとどっちが正解なんだ、ていうか、……電話の相手100%紗央だろ……。

「おかしいよねちょっと病院必要だよねっ、まあ年下の意地っていうか? いやいや誠実なジェントルマンっていうか? そういう面はもちろんあるのかもしれないし、寧ろそこがいいっていうか?」
『切っていいかしら?』

 機嫌よく喋り始めた瑶子さんを制するように、携帯から大声が聞こえた。やはり紗央。相当ご立腹だ。ここで止めてくれなかったら俺が恥で死ぬところだった。

「ええっ、なんでよう! 理央くんが一緒にプリクラ撮るの拒否した話とか聞きたいでしょ?」
『全っ然。身内の恋愛話なんて聞いてて悪寒するだけだわ。これから夕飯の買出し行くから切るわよ』
「ちぇー、紗央ちんのケチー、独り身ー」
『うるさい!!』

 電話使ってんのに対面で話してるかのようなこの音量……。いかにこの二人の声量がでかいか思い知らされる。
 休みの日にわざわざ瑶子さんが電話かけたんだとしたら紗央に悪いことをしたかもしれない。……じゃなくて、そんな暇に思うほど待たせてしまっただろうか。文句の一つも言いたくなったのかもしれない。一応予定の時間より少し早めに来たつもりだったんだが。
 ちなみにプリクラの件を拒否した俺は間違ってないと思うんだがどうなんだろう、瀬川と奈央なんかは似合う気がするけど、自分があの機械を使うなんてあんまり考えたくない。
 瑶子さんはそのあと少し紗央と他愛無い会話をして、通話を切った。やっと正面を向いて俺と話してくれるらしい。

「すみません、かなり待たせたみたいで」
「ううん、図書館で資料集めてたんだけど思ったより集まらなくてね。今度大きい図書館行くからいいや、って早めに来ちゃった。せっかく理央くんとデートできるんだしね」

 その言葉は可愛いと思うのだけれど、どうもさっきの紗央との会話が強烈すぎて素直にものを言えそうにない。愚痴るなら俺のいないところですればいいわけだし、俺がいることを確認して切り出したということは明らかに聞かせたかったということだろう。だからってこの往来の中でやらかさなくても……。そこが瑶子さんらしいといえばらしいけれど、らしいで済ませていいものかも迷いどころだ。

「紗央ちんも酷いよねー。“あんたが、理央くん、なんて年上面してるからじゃないのー”なんて言うんだよ? 理央くんは理央くんだもんねっ、他に呼びようがないよ」

 ぶう、と少し膨れながら椅子の背もたれに体を預け、テーブルの上のカップを口許に運んでいく。どうしてそこまでさっきのやりとりをスルーできるのか、俺にはちょっと理解できないが、仕方ない。

「呼び捨てにしたらいいじゃないですか。瑶子さんが誰かを呼び捨てにしてるの見たことないですし、俺は気にしませんよ」
「私が気にするの! だってだって、私だけ理央くん呼び捨てにしたって変わんないもん」
「じゃあどうしろっていうんですか」
「……うーん……」

 瑶子さんのカップの中身が何なのかは分からないが、瑶子さんは俺よりも一回り大きなカップに口をつけて、しばらく唸った。それから何かに気づいたらしいが俺には言い出せないようで、意味ありげにちらちらと俺の目を見る。そっちの方が怪しい。夕方の駅前は少しだけ人の数が増えて、街灯にも明かりがともり始めた。

「何ですか、言ってみてくださいよ」

 俺が促せば瑶子さんはまた唸る。しかしすぐにカップをテーブルに戻した。

「理央くんも私のこと呼び捨てにすればいいと思う! そしたら対等でいい感じになる! という案も出てますよ」
「年上の人を呼び捨てにするのって抵抗あるんですよね……」
「ほらあ! 言うと思った、理央くんはぜーったいそう言うと思った!」
「でも、あんまり距離があるのも微妙ですから、お互い呼び捨てにするなら構いません」
「え、」

 瑶子さんの目が一層丸く見開かれた。
 その後、え、え、え、と何度か聞き返すように俺を見る。そんなに意外だったんだろうか。

「じゃ、じゃあ、一回練習っ」
「はい」

 今のままじゃ傍から見て距離があるように思われても仕方ないし、その所為で彼女に変なのが寄ってきても嫌だなという思いも少なからずある。誰とでも友好的に接するからこそ、余計な厄介を呼び込む可能性もあるわけで、俺はそういうのは遠慮したいと思ってる。
 瑶子さんがそこまで気づいてくれてるかどうかはわからないけれど、とにかく、今はなんだか緊張した面持ちでひとつ咳払いをすると、大げさに深呼吸してみせた。

「……理央」
「瑶子」
「り、理央っ」
「? どうしたんですか、瑶子」

 丁寧語に呼び捨てっておかしいだろ明らかに、と思ったけれど言ってしまったものは仕方がない。俺の言葉の後突然瑶子さんが俯いたので笑われたのかと思いきや、彼女は両手で顔を覆って、ちらちらと俺の顔を見る。今日はチラ見が彼女の流行なんだろうか。俺が顔を覗き込もうとすると、すかさず片手で近づくなと牽制される。……何のこっちゃ。

「な、なんか、ヘモグロビンを多量に含む液体が噴き出しそう」
「は!? 大丈夫ですか!?」
「せ、精神的なものなので平気です、うん、……私の精神衛生上よろしくないからこのままがいい、かな、やっぱり」
「精神衛生上って」 

 よく見れば彼女の顔は赤い。寒さのせいでなければ照れたということなのだろう。これまで呼び捨てくらい経験あるだろうに、不思議な人だ。

「だってね、理央くんの声で呼び捨てなんかされちゃったらなんかもうっ、勿体無いっていうか! 毎日ドキドキしちゃうっていうか!」

 白いテーブルを強くばんばん叩いて彼女は猛抗議する。
 ドキドキされないよりはいいと思うのは気のせいだろうか。言わないでおくけれど。

「まあ、俺もあんまりしっくり来なかったっていうか。瑶子さんに呼ばれる分にはいいんですけどね」
「理央くんはやっぱり理央くんなんだよねー。そういえば理央ちゃんから理央くんに昇格したばっかりだし」
「あれって昇格だったんですか」
「昇格だよ。呼び方ひとつも大事なことでしょ?」

 確かに、気持ちにメリハリを持たせるためにはそういう細かいところに気を使うのが一番だろう。フィーリングで動いている人に見えて、意外と考えている。あの時の彼女はそこまで考えていてくれたのかと思うとそれなりに感慨深くもなった。
 彼女はやはり照れていたらしく、恥ずかしいからこの話題はここでストップ! と自ら振った話題を打ち切った。乗じて俺も話を振る。

「何か俺に聞きたいことあるとか言ってませんでした?」
「言った! うふふふー」

 そう、一昨日貰った電話では、“直接聞きたいことあるんだけど”と言っていたから、何かしら俺に用事があるのだろうと思っていた。
 瑶子さんは二月の寒さをもろともしない笑顔で、傍らの鞄を漁って、クリアファイルの中から二枚の紙を取り出した。二枚ともA4サイズ。見せられた紙の中央にはお菓子のデザインらしきものが描いてある……CGで。片方はウェディングケーキを彷彿とさせるデコレーションのもの、もう片方はシンプルにハートを象ったもの。簡単にどう違うか説明すれば、それは確実に使用インクの量だろう。

「ね、バレンタインどっちのタイプがいい?」
「は?」
「かたや紗央ちんがやらかしそうなごってごての、いかにも手間ひまかけました! なチョコ。かたやシンプルで愛情だけ詰め込んだのvなチョコ! さあどっち!」

 そういえばもうバレンタインが近いらしい。瑶子さんも一応考えてくれているらしく、その気持ちは純粋に嬉しい。

「紗央だけじゃなく奈央も凝るんで、後者で」

 そう言うと瑶子さんはさっきのように頬を膨らませた。それからじろりと俺を睨む。

「そんなんじゃダメだよ理央くん、奈央ちん紗央ちんなんて今はいいの! 私から貰うならどっち、って聞いてるんだから!」
「あ、すみません、うっかりして」
「そんなんじゃ私に愛想尽かされちゃうぞー?」

 いいのかなー? と挑発するようにこちらを見る瑶子さんは、すぐ笑い出した。付け足された言葉は、百年後か二百年後くらいには私の愛想も尽きてるかも、だった。そんな言葉をぽんぽん言い出すからこの人は本当に読めない。俺をただ呆れさせるだけじゃなく、これまで生きてきて考えられないくらいの緊張感を味わっている。誰かの仕草ひとつ言葉ひとつにこんなに心拍数を左右されるものなのかと感心してしまうくらいだ。こんなガキみたいな感情が今の俺の表情から滲んでしまっていないか少し心配になる。

「それで、どういうのがいい? リクエストあれば私頑張って手作りするよ」

 瑶子さんが話を戻した。悩む必要はなかった。

「それでも後者です」
「えー、つまんないなあ、せっかく紗央ちんとデコレーション勝負したかったのに」
「考えるだけで恐ろしいんでやらなくていいです」

 かけた時間が気持ちをそのまま表すことに繋がるなら、前者と俺に答えて欲しかったのだろうことはわかる。それでも、俺は瑶子さんにそこまでを求めてはいないし、瑶子さんならたとえどんなシンプルなものだろうと、ごてごてのデコレーションに負けないだけの気持ちを詰め込んでくれているだろうという半分以上惚気のような予測もあるわけで。
 瑶子さんはやることがたくさんあるから、俺はそれを応援したいと思っている。バレンタインに豪華な手作りお菓子を貰うために彼女と付き合っているわけではない。

「俺のためにそんなに時間使うくらいなら、本の一冊も読んでください」
「わ、手厳しい! うーん、残念だけど、シンプルでおいしいの作ることにする。理央くんに似合うラッピング考えておくね」

 それくらいなら許容範囲だろう。第一、デコレーション過多なものってラッピングしにくい、……というより、できなくないか? 紗央は作るだけ作って俺に押し付けて満足することとかあったからな。
 瑶子さんは問題に一応の解答を得たようで、俺の目の前に出した二枚の紙をファイルに仕舞う。かなり精巧なCGだった。

「瑶子さん、そのCG自分で作ったんですか?」
「え?」

 ファイルを手に首を傾げたので、それ、と彼女が手にしているファイルを指差すと、まっさかー、と一笑。

「この前図書館でね、こういうCG得意だっていう工学部の男の子と知り合ってねー、作ってもらっちゃった」
「……はあ」

 そのパターン、なんかどっかで覚えがあるのは気のせいか?

「瑶子さん、まさかそうやって俺のときみたいに次々アドレス交換して交流持ってるんじゃ」
「あー! 疑ってるなあ!? 付き合い始めて二ヶ月の最愛の彼氏に早々と疑われるなんて心外だー」
「瑶子さんならやりかねないじゃないですか」
「私はただ理央くんに愛情たっぷりのチョコ贈ろうと思っただけなのに! あ、そっか、理央くんよ、それはやきもちという解釈で良い? すると好感度がぎゅいーんと上がって、理央くんって可愛いvvって評価になるんだけど!」
「……少しでも疑った俺が馬鹿でした」
「はい、それでよろしい」

 この人純粋に知り合い増やしたいだけだ。でも自分との出会いが出会いだっただけに、他の人ともあんな感じの交流を持ってるんじゃないかと疑った俺は間違ってないと思う。考えの方向性は間違っていないのだろうが、相手が相手がその上を行く人だった。真っ直ぐなのに読めないって難しい人だ。

「飲み物冷めちゃった。冷たい」
「そうですね、結構時間も経ってますし。飲んだら行きますか」

 二月の夕方に屋外にいれば、いくら淹れたての温かい飲み物でも冷めるだろう。俺のカップもすっかり冷たくなっている。俺より早くここにいた瑶子さんはもっとだろう。冷めたコーヒーを喉に流し込むと、瑶子さんも同じく中身を飲み干したようだった。

「どこ連れてってくれる?」
「あんまり考えてこなかったんですけど、……映画でも行きますか?」
「いいねー、私観たいのあるんだあ」
「じゃあそれで」

 空になったカップを瑶子さんの分と二つ手にして先に席を立ち、燃えるゴミに紙カップを捨てる。遅れて席を立った瑶子さんがこちらに来るのを待って、「お待たせ」と俺に声をかけてきた彼女の左手を軽く引いた。

「え、なにっ」

 手袋をしていない彼女の手はかなり冷えている。こんなに冷えるなら店の中にいればよかったのに。
 映画館は駅前の大通りを少し進んだところにある。そこまではこのまま手を引けばいいだろう。

「病院なんて別に必要ないって言いたいんですよ」
「もしかして理央くんって結構根に持つタイプ?」
「あんな会話目の前でされて気にしない男がいるなら見てみたいもんです」
「あは、そりゃそうだ」
「そりゃそうだじゃないですよ……」

 締まりのない笑顔で瑶子さんが俺の手を握り返す。瑶子さんに対する呆れたため息はやっぱり板についてしまったみたいだが、まあ、これは致し方ないというか、気分が悪いわけではないし。
 来た時よりもぐっと下がった気のする気温に肩を竦めながら歩き出した。


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2010.02.05(Fri) | Always I Need | cm(0) | tb(0) |

月と共に満ちてゆく  5



 俺たちは、瑶子さんの部屋のある方角へ向かって歩いていた。この前居酒屋の帰りに瑶子さんが俺を連れてきた公園、あの方面に案内して欲しいと俺が彼女に頼んだのだ。そこからなら、瑶子さんもすぐに家に帰れる。夜道を送るついでにもなるからちょうどいいだろうと思った。この前は一度駅前まで出たから距離があったらしいが、ここからならそう遠くないらしい。
 瑶子さんが俺の数歩前を歩き、道の分からない俺はその後に続いた。自然、俺が彼女に話しかける時は背中に向かって、ということになる。

「……何から話したら納得してもらえるか分からないんですけど」

 まずはその前置きから入った。
 言い訳と取られるのかもしれないとは思ったけれど、俺がここにいるのはもう単なる自己満足だ。瑶子さんは言葉を押し付ける対象でしかない。
 瑶子さんは返事をせずに、ただ黙々と、でもゆっくり歩いた。続きを促されているような気がして、俺は瑶子さんの後ろを歩きながら、言葉の続きを考えながら口にする。

「……俺が電話したの、気づいてました?」

 俺の問いかけに、瑶子さんは小さく首を振った。その仕草はあまりにも小さくて、否定の返事と断定するのには十分でなかった。しかし瑶子さんはそのアクションの後、ほとんど電源切ってたから、とこれもまた小さく答えた。返答が小さくとも、これで答えは得られたわけだ。

「メールもしました。電話もしました。けど、返事はないし、たまに繋がっても留守電で。瑶子さんの古い携帯、俺からの着信ばっかりで気持ち悪いことになってたでしょうね」

 それを思うと自分でも笑えてくる。滅多に俺から連絡なんてしなかったのに、瑶子さんの携帯には俺からの着信がたくさんあって、それは想像するだけで気色悪い。携帯替えたくなる気持ちも分かる。俺なら気持ち悪いから替えるだろうし。

「自分でも、瑶子さんに何を言いたくて電話かけてみてるのか分からなくて。何を言ったらいいのかなんて分からないし、告白の返事なんて考えてもいなかった。でも漠然と、どうにかしないと、と思ってたんです」

 告白の返事なんて少しも考えていない。ただ、変な焦りばかりに支配されていた。拒絶するように流れる留守番電話や圏外を伝えるトーキーが更に俺を焦らせた。
 人との繋がりが切れることを、ここまで深刻に考えたことがあったろうか。こんなに、恐れを抱いたことがあっただろうか。俺が、普段の生活を狂わすほどに動揺したことなんて、これまでにない。

「……それじゃただのイタ電になっちゃうよ、理央くん」

 瑶子さんがやっと口を開いてくれた。そうだ、俺もそうだと思う。そうですよね、と口にして頷いた。

「多分電話した理由は本当に単純で、さっきやっと実感しました。……瑶子さんの声聞きたくて電話したんですね。耳が馬鹿になってるのかもしれません」
「え、……えっと、」

 瑶子さんがどもる。いつも俺の言葉に動揺した素振りを見せていた瑶子さんらしい反応だ。狙って言ったと教えたら怒るだろうか、……怒るだろうな。

「ば、馬鹿になるって、言い方ひどいと思うっ」

 取り繕うような瑶子さんの言葉に俺も返事をする。

「俺の耳馬鹿にした瑶子さんが悪いんじゃないですか。そう思ったら今度は本当に電話繋がらなくなるし、今度こそ本当に焦りました。瑶子さんは俺のこといろいろ聞きだしましたけど、俺はひとつも聞いてない。俺が知ってるのは瑶子さんの研究室と、携帯の番号、メールアドレス、それからアルバイト先。学校は終わりましたし、携帯の番号もアドレスも変えられたら、俺は貴女と繋がる手段をなくしてしまう。それは嫌だったんです」

 瑶子さんは馬鹿じゃないし、初心でもない。それなりに経験のある人だから、ここまで言えば俺がどうしてここにいるのかも分かっているはずだ。察してくれていようと何だろうと、俺はただぶつけるだけだ。彼女の耳がちゃんと動いているなら、耳を塞いだって聞こえてしまうくらい、何度でも。

「告白の返事云々なんて言い訳で、……俺が、このまま貴女と何もなくなるのは嫌だと思ったんです。昨日今日と寒空の下何時間も待ってでも会いたいと思うくらい、醜いくらい必死でした」
「き、昨日も!? 私昨日バイト入ってないし、……昨日は駅前でクリスマスケーキ販売のバイトしてたし」
「なるほど。売れ行きはどうでした?」
「まあ、……悪くなかったと思うけど」
「瑶子さん真っ直ぐですから。勧められたら買っちゃう気も分かる気がします」
「人を押し売りが得意みたいに言わないの!」

 いつもの調子だ。瑶子さんの小さい背中、白いコート姿を目に入れて、深呼吸を一回。自分の顔はきっと何か諦めたような表情を作っているんだろう。一度周囲に目を向けると、もう見覚えのある公園の近くまでやって来ていた。
 ゆっくり進む目の前の背中に、声を掛ける。

「――瑶子さん」

 彼女のブーツがアスファルトを叩くのをやめた。くるりと振り返った彼女の目の前に立つと、高いヒールを履いていてもやっぱり彼女は小さいんだなと改めて実感した。大きいのは態度だ。少しくらい小さいところがあってくれないと男としては困る。

「……貴女が好きです」

 ゆっくり、ゆっくり、瑶子さんが目を見開いていく。元々大きいと思っていたけれど、驚いたらもっとだ。
 自分から正直に気持ちを言うのは誰が相手でもこれが初めてで、想像していたよりずっと緊張したけれど、どこか落ち着いた感じもあった。思っていることをそのまま伝えるだけだから、難しいことはない。俺の場合、返事を気にする必要はないのだから緊張の度合いも普通よりぐっと下がるのだろう。そうだ、俺は返事を気にする必要が無い。そもそもただ気持ちをぶつけるためだけに会いにきたのだから。
 瑶子さんはそのまま俯いて黙り込んだ。しばらくそのままでいたかと思うと、勢いよく顔を上げた。

「嘘言わないでよ!!」

 想定外の言葉に一瞬唖然としたが、彼女がそう思うのも尤もだ。嘘じゃありませんよ、と答えると、嘘だよ! と強い声でまた否定された。ここまで真っ向から否定されるとは思ってなかった、流石に。

「奈央ちんに言われたの? それとも紗央ちん? 私が可哀想だからって、しょうもない女だから付き合ってあげなさいって言われたんでしょ? じゃなきゃ有り得ないもん、ぜったいっ、有り得ない!!」

 自分は好きになれるのに、相手に同じ権利を与えないってどういう了見だ。差別だろそれ、政治学専攻してんのにそれで大丈夫なのか?
 少し彼女に不安を抱いてしまう。それと同時に、同情にも似た感覚。確かに、この人は可哀想なのかもしれない。けれどそこに奈央やら紗央やらを持ち出されるのは心外だ。
 暗闇に白い息をぽわぽわと吐き出して息を荒げる瑶子さんを真っ直ぐ見つめる。

「確かに、突然すぎるから瑶子さんにそんな風に思われるのも仕方ないのかもしれません。瑶子さんの言葉を否定できる要素は俺にはないでしょうし。でも俺は俺の意思で昨日も今日も貴女を待ちました。あんな別れ方したままじゃ嫌で、返事をしたくて、声を聞きたくて、ずっと待ってました。俺にはそう主張することしかできません。あとは瑶子さんに信じてもらわないと」

 あれだけ振り回されたんだから、最後に少し俺を信じてくれるくらいいいじゃないか。
 今、瑶子さんが俺をどう思っていようとも、俺の気持ちくらい素直に受け取ってくれたって罰は当たらないと思う。まあ、信じてもらえないような非も俺にはあるだろうが。
 そう思ったら、信じて欲しいなんて何と軽薄な言葉だろうと自分を嘲笑ってやりたい気分になった。そうだ、それも伝えないと。

「……と言っても、俺は瑶子さんに信じてもらえないくらい酷いことをしたって自覚は一応あるつもりです。告白を安易に受け入れるなんて、誰に対しても失礼ですよね。そこから気持ちが始まることもあるのかもしれないけど、俺にはその前例がないわけですし、もう少し慎重になるべきでした。どうせあの時告白受けてても、俺はきっともう貴女に惹かれていたと思うので振られるのは時間の問題だったと思います。でも、こう言えるのは今こうして貴女に告白できるまでに至ったからで、あの時の俺はあの時の俺にできる範囲のことしかできなかった。今の俺はあの時の行動を心底恥だと思っていますけど、俺にはきっとああするしかなかったんだと思います」

 瑶子さんは何も言わなかった。
 どう思われていても仕方ないことをした。普通なんてわからないけど、きっと瑶子さんにとっては最低の男に映ったことだろう。あの時の俺を恥じると同時に、あれが無ければ俺はここにいて今の気持ちを伝えることもなかった。複雑な気分だ。
 受け入れてもらえるなんて思わない。ただ俺は、気持ちを伝えに来ただけだ。あの時の瑶子さんのように、貴女に気持ちを置いて、帰る。

「……電話番号も、メールアドレスも変えられて、連絡つかないようにされても仕方ないことをしたと思ってます。だから俺も、瑶子さんと会うのはこれで最後にします。嫌な男の顔なんてそう見たいもんじゃないでしょうし、大学でもできるだけ理学部棟から出ないようにするので、安心して勉強なさってください」

 最初から、彼女とどうこうなりたいとは思っていなかった。
 電話番号もメールアドレスも変えられた、紗央は知っているようだったから、あれは明確に俺を拒絶しての行動だったのだろう。そこまでされてポジティブな解釈をできるほど俺は図太くない。
 ただ、気づいた気持ちを伝えないことほど彼女に失礼なことはないと思った。それに、彼女の声が聞きたかった。俺はこの先何度そうして彼女の声を懐かしむことになるのだろう。それは想像するだけで途方も無く永く、苦しいもののような気がした。しかし、それがこれまでに対する報いだと言うのなら、俺は受けなければならないとも思う。
 
「それじゃあ、俺の話はそれだけなので。聞いてくださってありがとうございました。ここから瑶子さんの部屋、近いんですよね? ここから見送るんで、心配しないで帰って大丈夫ですよ」

 部屋まで行ったら変に不安がらせてしまうに違いない。ここから、彼女が見えなくなるまで見送るのが最善だろう。
 いつものミルクティー色の長い髪も、紺色のカチューシャも、夜の闇の中ではその色を深くするばかりだ。その姿を見るのももうこれで最後になるのだと思うと、卒業式なんかとは比べ物にならないくらいに胸が痛む。それじゃ嫌なんだと騒ぐ心を押し殺して、俺はただその場に立っていた。
 瑶子さんは俺の目の前から動こうとしない。どうしたんですか、と声を掛けようとしてよく見れば、彼女が肩を震わせて、その大きな瞳に涙を溜めているのがわかった。瑶子さんに涙って、不似合いすぎて動揺する。

「……なんでそんなこと言うの……? 意味わかんないよ理央くん……!」
「意味、わかんないって、」

 それはこっちの台詞だ。手の甲でぐっと目の涙を拭う瑶子さんを前に、俺は何も言うことができなかった。

「……なんでもう最後とか、見送るとか、帰れとかっ、勝手なことばっかり言って、何なの? 私のこと好きって言ったくせに、私だって好きなのにっ、そんなのおかしいよ!」
「け、携帯の番号もメールアドレスも変えられて、連絡手段ひとつもなくなって、やっと会えたかと思えば逃げられて、だから最後にした方が瑶子さんのためになるに決まってるじゃないですか!」
「なんでよ! 他の女の子の告白受ける直前だったんだよ、理央くん! わかってる? そんな男の子に告白したって断られるに決まってるじゃない! 好きになってもらえるなんて、思わないもん、……同じ番号だって、アドレスだって、絶対連絡なんか来ないのに、寂しいだけだもん……」

 瑶子さんの目には、拭っても拭っても涙が溢れていた。街灯の明かりが反射して、水滴がきらりと光る。

「……好きになった人に、すきって、言ってもらえたことなんて、ないんだもん、……一回もないんだもん、頑張ったって期待したって伝わってないことばっかりだったんだから……」

 それを言い切ると、今度こそ瑶子さんは泣きじゃくった。止まらない涙を何度も何度も手で拭っていた。
 ……だから、瑶子さんは『有り得ない』と断言したのだろう。俺自身の意思で告白なんかするわけがないと。彼女のこれまでの統計が、俺の行動は誰かに唆されたものだと主張したらしい。瑶子さんはいつも同じタイプを好きになってしまうのだと言った。懲りないのだと。俺もそのカテゴリに入っていたのなら、これまでの経験からそう判断しても仕方ない。俺の行動は瑶子さんの統計からするとあまりにもイレギュラーで、初めてのことで、だからあんなにも不信感をあらわにしたのだろうと思う。それは分かるのだが、……俺の行動ってそんなにおかしかったのか? そうではない気がする。

「……今だから言いますけどね、瑶子さん」

 まだ泣いている瑶子さんに近づいて声を掛ける。瑶子さんはまだ、何度も肩を震わせていた。

「……瑶子さんみたいに、聡明で、すごく可愛い人に真っ直ぐ気持ちをぶつけられて、心が動かない男なんていないと俺は思います」

 震えていた肩が止まったので、その両肩に俺の両手を乗せる。

「だから、瑶子さんが振った男たちは、瑶子さんが勝手に抱いてくれてたクールなイメージのために自分の気持ちも言い出せずに別れてやることしかできなかったんじゃないかなと思ってます。俺は感謝しますけどね、その人たちに」

 そうでなければ出会うこともなかった。その人たちが瑶子さんのためにイメージを崩さずいてくれたから、今の瑶子さんがここにいてくれる。あの時図書館で律儀に職員に名前も所属も教えていた自分を褒めてやりたい気分だ。やはりそれもなければ、彼女と出会うことは叶わなかっただろう。
 研究室に飛び込んでくるような彼女の性格を作り上げた環境にも、全部俺は感謝しなきゃいけないだろう。軽く背を押してくれた奈央と紗央にも、一応。

「わ、……私も、理央くんが馬鹿真面目で律儀だったことに、感謝しちゃうよ」
「何ですかその悪意に満ちた発言は」
「だってそうでしょう? 律儀に今はちゃんと俺って言ってる」

 そっちだって呼び方変えたくせに、よく言うよ。
 そう心の中では悪態をつきながら、やっと笑顔を取り戻した彼女の目尻を親指で拭ってやってから、返事をする。

「……別に、明確に自分の中で区切りがあったわけじゃないですけど。今はもう、これでいいかなって」

 漠然と、他人に対しては僕を使っていたし、近しい人間には俺と使っていた。途中でシフトさせることもあったけれど、こんなにごっちゃになったのは本当に瑶子さんが初めてだ。
 他人にも、近い人としても、どちらでもいてほしくて、でもやっぱり気を使わないでいられる関係でいたいと思ったということらしい。我ながらよくわからない。
 あ、と瑶子さんが声を上げてがさがさコートのポケットを漁って、じゃん、と俺に手にしたものを見せつける。そこには俺が見たことのあるものとは違うデザインの携帯電話が握られていた。

「電話番号とアドレス、教えるね。晴れて両思いという奴なら、私毎日だって電話しちゃうんだから!」
「瑶子さんは昼夜問わず電話してきそうですね……」
「私に自重という言葉を教えようと思うほど理央くんは愚かじゃないよねー。それに、理央くんならいつかけても出てくれるんじゃない?」

 それを言われると否定しきれないのが悲しいんだが、否定できないのは事実だし仕方ない。電話云々は想定の範囲内だし、それも込みだと思えば何てことはない、か。
 新しい携帯を操作する瑶子さんを眺めながら、冷えた手をポケットに突っ込む。赤外線で送信するから携帯出して! と騒ぐ彼女から、さっきまでの泣き顔は面影すらも見出せない。たまに見る分には新鮮だろうけど、あんまり見て気分いいものじゃないし、瑶子さんははしゃいでる方がよく似合う。携帯を出してまた初めて会った時のように連絡先を受け取ると、一段落した実感が湧いてきた。

「それじゃあ、最後に部屋まで送らせてくださいね」

 俺の提案に瑶子さんはさっき以上に嬉しそうに笑う。

「うん、寒いからお茶でも飲んでいきなよ」
「いえ、部屋の場所知りたいだけですし。じゃないと明日迎えにも行けないですから」 
「明日?」

 約束なんてもちろんしてないんだから、俺が勝手に言い出したことだ。勝手ではあるけれど、瑶子さんなら嫌がらないかな、という予測も一応立てている。
 昨日が23日、今日は24日、なら明日は。

「クリスマスまでに彼氏欲しいって言ってたらしいじゃないですか。まだ何も用意できてないですけど、折角ですから明日出掛けませんか? 勿論予定がなければでいいんですけど」

 瑶子さんなら嫌がらない。その予想は見事に的中したらしく、彼女はぶんぶんと首を縦に振った。そんなんで頭痛くならないんだろうかと心配してしまうくらい大きく振っていて、幼稚園児くらいの小さい子供を見ている気分に近い。

「行く! 行きますっ! バイト入ってるけどそんなの全力で蹴っちゃうもんね、恋の病なんです! とか言って休むんだから!」
「お店に申し訳ないですけど、そう言ってもらえて有難いです」
「いいのいいの、理央くんとクリスマスにデートなんて夢のまた夢だったんだから! ……ていうかっ、クリスマス云々って何で知ってるの!? 紗央ちんだよね、紗央ちんが悪意を持ってバラしたんだよね!?」
「悪意があったかどうかはわかんないですけど、紗央から聞きました」
「ああもう恥だよね、好きな人にそんなのバラされるとか、紗央ちん今度シメる」

 拳を固く握り締めた瑶子さんは不敵な笑みを浮かべながら踵を返し、こっちだから、と俺に一言告げて先を歩き始めた。拳が解かれていないところを見ると、余程ご立腹らしい。

「……別に恥なんかじゃないと思いますよ、俺は」
「恥なの! がっついてる可哀想な子みたいじゃない」
「そんな風には思いませんし、寧ろ俺なんかで申し訳ないくらいです」

 瑶子さんの長い髪が規則的に揺れるのを後ろから眺めていたが、俺の言葉の直後、彼女はまた足を止めて振り向くと俺を睨んだ。
 目が大きいから眼力はあると思うけど、紗央ほど怖くは無い。そんな彼女から次に出た言葉は。

「理央くんの馬鹿っ、鈍感っ、イケメン!」

 板についたいつものあの台詞。久々に聞いたな、と思いつつもその単語の並びにはいつも嘆息してしまう。
 ――貴女に対してだけですよ。
 そんな言葉も思いついたけれど、我ながら寒すぎるので口にするのは自重しておいた。彼女に感化されたのだろうが、それでも程度というものがある。それは、俺のキャラじゃない。
 きんと冷たい冬の夜。空に浮かんだ満ちる寸前の月を見上げながら、少し歩幅を広げて彼女を追いかけた。


2010.01.14(Thu) | Always I Need | cm(0) | tb(0) |

月と共に満ちてゆく  4



 目の前のナマモノに火を通してください。
 ナマモノですから、そのまま口に入れると腹痛を起こす恐れがあります。
 あなたの選ぶ食材はいつも少し変わっていますので、ちゃんと火が通ったかどうかは一見してはわかりにくいかと思われます。
 それでもあなたの調理法は確かです。いつまでも火が通らないなんてことは有り得ません。
 目の前のナマモノに火を通してください。
 それはただのナマモノですから、諦めないでしっかり火を通してください。
 




 今日で二日目。昨日、今日、と、本気で天罰なんじゃないかと思ってしまうほどの寒気に襲われた。普段着の上にコート、マフラーをしていても驚くほど寒い。夏生まれは冬が苦手だとか言うけど、この寒さは日本人なら誰だって得意なもんじゃないだろうと思う。
 昨日今日と俺がいるのは、瑶子さんのバイト先、の外。他にバイトしてるのかもしれないけど、それは俺は知らない。学校以外の瑶子さんを俺はここしか知らないから、ここに来るしかなかった。昨日、23日は姿を見かけることはなく、そのまま翌日に持ち越し。クリスマス時期なら書き入れ時で人手も必要だろうし、辞めてなければきっと来るはずだ。混む時間帯としては昼から夜だろうが、出勤の時に鉢合わせしても向こうが困るだろうし、それならこの前上がりの時間だと言っていた五時以降なら不都合も少ないのではないかとアタリをつけた。……上手くいくかは別問題として。
 長い時間待つのは慣れていない。奈央は時間を守るし、紗央と出かける時は大抵奈央もいるから暇にはならない。これまで付き合った相手も、比較的時間はよく守っていたように思う。明るければ本でも読むのだが、十二月の五時以降ともなれば辺りは真っ暗で、こんな環境で本なんて読んだら今以上に視力が低下する。だから俺は、壁に寄りかかったまま、来るかどうかもわからない相手をひたすら待つしかなかった。
 呼吸をするたびに、ほわりと白い綿のような息が暗い空に昇る。瑶子さんもいつもこんな気分だったのだろうか。一寸先は闇、そんな言葉がぴったり合う気分。どう転ぶか分からない、安心したい、そんな気持ちだったのだろうか。ただ単に真っ直ぐな人なのかと思っていたけれど、計算もしていたろうし、やはりかなり強かな人だったのかもしれないと思う。俺はそんな瑶子さんにどう接しただろう。そういえばたまにひどく驚いた表情で俺を見ることがあった。思い返そうとすると、考えていたよりずっと鮮明に、これまで一緒に過ごした時間を思い出すことができて、自分でも驚く。出会ったのなんてもう半年以上前。なのに、ここまで鮮やかに思い出すことができるなんて、――紗央に馬鹿にされても仕方ない。
 時計を見ると七時を回っていた。頬はすっかり冷え切っている。口許のマフラーを直していると、従業員の通用口から出てくる人影があった。そんなのも、昨日から何人も見ている。昨日はその影の中に彼女を見つけることはできなかった。今度だって目的の人物ではないだろう、と思いつつもそちらに視線を向けると、出てきた影の人物もこちらに気づいたらしく、

「……あ、」

 と、思わず漏れてしまったような声が聞こえた。声が聞こえると、姿も一緒になってはっきり見えた気がする。たった一音だけだったのに、その声が彼女のものだと分かってしまうこの耳が憎らしくも頼もしくもある。
 久し振りに聞く声に、まだいてくれてよかった、と心底安堵する。本当に、久し振りだ。
 
「瑶子さ」
「~~~っ!!!」

 声を掛けて近づこうとすると、彼女は脱兎のごとく逃げ出した。走り出したのではなく、これは明らかに逃げ出したという表現が正しいだろう。俺の傷つき具合といい、これを逃亡と言わずに何と言うか。
 一瞬呆気にとられたが、ここで逃がしたらこの二日が台無しになる。幸い向こうはヒールの高いブーツを履いているようで、全力で走っているといってもそこまでのスピードは出ていない。すぐに追いつける。人通りは少ないが、それでもゼロじゃない。ハイヒールのブーツで逃げる女と、追う男。この構図、第三者からはどう見えているのやら。
 カツカツカツカツ、と早い間隔でアスファルトを打っていたヒールの音は段々とその間隔を緩めていく。疲れてきたのだろう。軽くスピードを上げるとあっという間に追いついた。俺の顔を見ようとせずに肩で息をする瑶子さんの右腕を掴む。びくんと瑶子さんの肩が、運動直後とは関係なく震えた。

「……逃げないでくださいよ、いきなり」
「に、っ、逃げるよっ、だって、追っかけてくるからっ」
「追いかけるより前に逃げたの、瑶子さんじゃないですか」

 俺の手を振りほどこうと、瑶子さんは肩を動かす。放してやる気は毛頭ない。

「は、放してよ」
「……歩きながらでいいんで、俺の話聞いてください。じゃなきゃ放せません」

 瑶子さんは最初は困った顔をしていたが、条件を呑まなきゃ放してもらえないことを察したらしい。

「わかったから、放して? 痛いよ、理央くん」

 その声を聞いて、俺は慌てて手を放した。
 瑶子さんは俺の手が掴んでいた場所を摩っている。――軽く掴んだつもりだったのに、力が入っていたらしい。どんだけ必死なんだ俺。

「す、すいません、つい」
「珍しいの。理央くんが、つい、なんて謝るなんてね」

 気にした様子を感じさせず瑶子さんが笑ってくれたので、安心した。ああ久し振りだ。確かに焦っていたはずなのに、変に落ち着いている自分がいるのが分かった。


2010.01.10(Sun) | Always I Need | cm(0) | tb(0) |

月と共に満ちてゆく  3


 瑶子さんに告白されたらしいその日から、瑶子さんからの連絡は宣言どおりぱったりとなくなった。
 返事を保留で逃げるんじゃなく、告白仕掛けて逃げるってアリなんだろうかとしばし思案。
 ……思ったより驚いていない自分がいる。期待していたわけではないし、元々ああいうタイプは苦手な部類だった。でも、瑶子さんは俺に好意を持ってくれてるのかもしれない、という変な自惚れみたいなものもあった。やけに俺を誘ってくるのは、好意を持っているからじゃないかと考えていた。俺から誘うのは、気まぐれにお返しでもしてやろうって気分だった? 否定できない、でも、肯定もしたくない。
 あの日以来勉強も上手く手につかなくなってきた。最後のレポートの提出がギリギリになって、同級生と教授に驚かれた。……自分でも意外だ、何かよくわからないものに日常を引っ掻き回されている気分。何か返事をしなきゃいけない。このまま、何もないままじゃいけない。そう思って、寝る前に自分の部屋から瑶子さんの携帯に電話をかけてみたことがある。告白されてから一週間ほど経った日だった。長いコール音の後に、留守電センターへ繋ぐメッセージ。その時は、出てくれなくてよかった、と思った。出られても、俺は明確な答えを持ってはいない。瑶子さんが求めているのは、マルかバツだ。三角は、曖昧だから好かない。瑶子さんはいつも三角に苦しめられていたようだから、マルかバツで答えなければ彼女が可哀想になってしまう。


 何度電話をかけてみても、彼女の声が聞こえることはなかった。
 無機質な留守電のメッセージ。あれだけ騒がしかったあの人が、突然俺を拒絶している気がして、苛立ちとも何とも断じることのできない複雑な気分になった。


 学校ももうすぐ終わってしまう。冬休みに入る。実家から出てきているという瑶子さんは、年末年始は実家に帰ってしまうかもしれない。
 だから何としても休みに入る前に話をしたいのに、彼女の姿はなかなか見かけることができない。
 たまに法学部棟の近くを通った時に彼女の姿を見かけても、同じ院生らしい人と歩いていたり、その表情が楽しそうだと声をかける気もなくなってしまう。
 ――これじゃあ立場が違う。逆だろ、普通。
 思っても、誰も答えてはくれないのに、考えることをやめることはどうしてもできなかった。なかなか、彼女が頭の中から出て行かない。




 その日は、後期の授業が終わった日だった。あと数日でクリスマスという日。

「りーおっ」

 夜、部屋のベッドに横になって本を読んでいると、奈央がひょっこり顔を出した。
 入れよ、と声を掛けると遠慮なくその身を部屋の内側に入れる。奈央の手にはお盆が。その上にはガラスの器。ヘタの取られたイチゴが盛り付けられていた。

「イチゴ洗ったから、食べよ?」
「わざわざ持ってこなくていいのに」
「理央、元気なさそうだなあって思って」

 にこりと笑って奈央はベッドの縁に腰掛けた。
 ……いつもそうだ。奈央は妙なところで察しがいい。俺の調子が悪い時なんかは本当に一発で見破ってしまう。それとも、そこまで俺が顕著な反応をしているということなのだろうか。
 起き上がって、器に盛られたイチゴをひとつ頬張った。クリスマスケーキとかに使うためにそろそろイチゴの売出しが始まってきているのだろう。

「最近瑶子さんと遊ばないんだね、理央」
「そんな毎日遊んでるわけじゃないし」
「でも、あたし毎日のように瑶子さんのお話聞いてた気がするなあ。お付き合いしてるんだよね? 喧嘩した?」
「は? ……別に、付き合ってない」

 俺の言葉に奈央は、え!? と珍しくひどく驚いて、摘んだイチゴを取り落としていた。
 んな報告をした覚えは無い。全然、無い。
 奈央はまだ目を丸くしたままだったが、そうだったんだあ、と納得したように言って、拾ったイチゴを口に放り込む。

「……理央が今まで連れてきた女の子って、みいんなあたしみたい、っていうか、なんていうか。大人しそうな子ばっかりだったよね。だからあたしには、理央は理央にしか見えなかったよ」

 奈央は納得しながらそう喋ったけれど、俺からすれば発言の意味が全くわからない。

「俺は俺だろ、別のものに見える方がおかしい」
「そう。理央は理央だよ? ただ、あたしにとっての理央はどんなことがあったって絶対に“お兄ちゃん”の枠からははみ出さないの。理央が女の子連れてきてても、あたしが見る理央はいつも理央。何も変わってない」

 瑶子さんに言われた言葉と、とても似通っていた。俺はいつも、奈央か紗央にしか分類していないんだと、そう言われた。奈央から見てもそうだと言うのなら、俺は瑶子さんをどうふるいにかけていたのだろうか。そんなつもりは少しもなかったのに。
 奈央はまたひとつイチゴを摘んだ。

「でもね、瑶子さんの話をしてる時の理央を見るのは、ちょっと不思議な感じだったんだあ」

 大ぶりのイチゴを一口齧って、それから俺の表情を窺って、俺が全く見当もつかないという表情をしていれば、わかんないの? とでも言いたげににやりと笑った。 

「はいはいしょうがないなあ、って顔なのに、楽しそうなの。けど口は愚痴ってるんだよ? そういうのなんていうか知ってる? 惚気っていうの」
「だから、俺はあの人と付き合ってるわけじゃ、」
「うん、それでもいいよ別に。あたしが知ってたって仕方ないことだもん。あたしが分かってるのは、瑶子さんのお話する時の理央はお兄ちゃんぽくないなあ、ってことだけ。いつもお兄ちゃんしてたのに、瑶子さんといる時はきっとそうじゃないんだろうなって。理央と対等でいてくれる人、理央にお兄ちゃんさせない人なんだな、って、あたしはそう思ってた」

 ………対等なものか、あれが。
 俺ばっかり振り回されてたじゃないか、いつもいつもいつも。それで対等だって言うなら世界の天秤は全部狂ってる。
 
『理央くんはいつもどこかで強くブレーキをかけてて、その一方で無意識的に女の子をすごく傷つけることをたっくさんしてると思う』

 ただ、……傷つけているというその対象に瑶子さんも入っていたのなら、俺が全くの無傷でいることはフェアじゃない、とは思う。そう思うことくらいならできる。
 俺だって、瑶子さんに対して無感情だったわけじゃないんだ。

「じゃ、あたしリビングでゆっくりテレビ見てるから。残りのイチゴ全部食べちゃってね」

 仕切り直すように奈央は立ち上がったが、ガラスの器にはまだこんもりとイチゴが残っている。

「……こんなにいらない」
「だってあたし洗ってる間につまみ食いしちゃったんだもん、もうおなかいっぱいで。2パックも開けなきゃよかった」
「お前、二人で2パックって多いことくらいわかるだろ見た目で」
「ちょっとしたミスなの! 開けてから気づいたんだからしょうがないじゃん!」

 奈央はもうこれ以上食べる気は少しもないらしい。じゃああとよろしくっ、と言い逃げ状態で部屋を出て行く。……こんなに要らないのに。
 仕方なしにひとつイチゴを口に運ぶ。まだ時期が少し早いからか甘さよりも酸っぱさの方が際立っている。
 枕元に投げてあった携帯を手にとって、もう一度電話をかけてみることにする。電話帳から、彼女の名前を引っ張り出すことにももう慣れた。
 ……連絡が取れなくなって、困ったことなんてこれまでなかった。今だって実害は別に、ない。
 連絡が取れなくなれば関係の終わりが意味されている。それでよかったし、これまでそれを受け入れてきた。このまま連絡を取れなければ、今までと同じように俺も彼女も互いのことを忘れて、出会う前と同じ生活をするのだろう。それでよかったはずだ。どうして今更、彼女とはきちんとさせなければいけない、なんて妙な考えが浮かぶんだろう。マルならマルで、バツならバツで、彼女には伝えないと。そう思って今携帯を手にしていても、正直答えはまだ、出ていない。答えもないのに何をしたくて俺は彼女に電話しようとしているのだろう。
 そんなことを考えながら、とりあえず通話ボタンを押す。コール音がなかった。代わりに耳元で聞こえた音声案内に目を見開く。


 おかけになったでんわばんごうは、げんざいつかわれておりません

 
 無機質な声。
 ――ヤバい、と直感的に思った。
 ヤバい、これはどうしようもなくなる。だって俺は結局、彼女に聞き出されることはあっても、何一つ聞き出そうとはしなかったから。住んでいる場所だって、瑶子さんは俺の家を知っていても俺は知らない。連絡手段は携帯で、学校はもう終わっていて、それじゃあ俺はどうすればいいのか。
 試しにメールも送ってみたが、アドレスが違うと返送された。つまり彼女は、メールアドレスも、電話番号さえも変えて、俺との連絡手段を一切断ったのだ。告白してきた側がそんな対応するって、あるのか。ないだろ普通。マルかバツかさえも言わせないつもりなのか、それが嫌だと言ったのは貴女の方なのに。
 心拍数が変に上がるのを感じながら、俺は別の番号に電話を掛ける。数回のコール音の後に、今度は相手が出た。

『……何よ、あんたが電話って珍しいわね』
「瑶子さんの番号知らないか」

 電話の向こうの紗央の声が、ああそのこと、と言う。
 初めて会った時から意気投合していたようだったから、きっと紗央には教えているんじゃないかと思ったのだ。

『クリスマスまでには彼氏欲しいって騒いでたから、なるほどね。でも電話で告白する男ってどうかと思うわ』
「別に告白するなんて言ってない」
『言ってるわよ。……知ってても教えてあげない。天罰だと思って少しは足掻きなさい』
「……言ってくれるな」

 当然よ、と紗央の声が俺を嘲笑うように言う。

『嫌そうな顔してたくせにハマってたのはあんたってことね、ざまあみろって感じ』

 警鐘が鳴り止まないから、変に緊張しているから、もう紗央の言葉を否定する気は少しも起きていなかった。
 認めるしかない。連絡手段を断たれて、このままじゃ嫌なのは俺なんだ。

「自分でどうにかする。もう頼まない」
『そうしなさい。今度のお正月は理央からお年玉が期待できるかしら、この恩は一生忘れない、ってね』
「馬鹿かお前。もう切るぞ」

 騒ぐ声が小さく聞こえたが無視する。
 ……上手くいくなんて、少しも思っていない。自惚れがすべて断ち切られた。メールアドレスを変えたのも、電話番号を変えたのも、知らず俺が彼女を酷く傷つけていたからだとしたら。あの告白の時点で、彼女の気持ちがもう終わったものになっていたら。寧ろその確率の方が高いかもしれない。
 ――でも、これも天罰か。
 なら受けなければ。受けなければ。寒空の下で俺を待って、またひとりで飛び出していった瑶子さんに、俺の答えをあげないと。
 通話を切って携帯を閉じる。その後俺が最初にしたのは、大量にビタミンCを摂取することだった。


2010.01.03(Sun) | Always I Need | cm(0) | tb(0) |

月と共に満ちてゆく  2



 研究室に着いてから鞄の中に入っていたノート数冊を出しておいて、俺を呼び出した張本人を待つ。壁の掛け時計を見ると、もう四限が終わって二十分ほどが過ぎようとしていた。俺が取っていた授業が割合早く終わったのもあるが、時が過ぎるのをやたらと長く感じてしまう。瑶子さんのことだから自分の用事はさっさと済ませて、もうこの建物の入り口で待ってるんじゃないだろうか。遅れたら遅れたで何だかんだとチクチク言われそうだ。……いや、付き合わされる身なのに用事で遅れたくらいで小言言われる意味がわからない。大体あの人も俺なんか付き合わせないで友達だの恋人だの、他にいろいろいるだろうに。
 指先でトントンと机を叩きながら待っていると、小さく扉が開く音がした。待ち人来る。用件は予測がついているからとっとと済ませて建物を出るべきだろう。時期が時期だし、俺が待つならまだしも待たせるのは酷だ。鞄を肩に掛け、出したノートを手に立ち上がった。

「これ、ノート」

 真っ白なコートに、膝丈の黒いスカート。俺を呼び出したその女子は、髪型や服装とか雰囲気がなんとなく奈央に似ていて、背丈は瑶子さんより少し低い感じの、普段から大人しい子だった。そう親しいわけでもないけれど、親しくないというわけでもない。まあ普通に同じ研究室にいる程度の交流は持っているが、他の授業で出くわして近くの席にわざわざ座るほどは仲良くない。ノートを借りに来るようには見えなかったから意外だという気持ちも少しある。
 俺が差し出したノートを見て、彼女はきょとんとした瞳でノートと俺を交互に見た。

「え、……ノート?」
「違った? 教科書?」
「きょ、教科書?」
「?」

 ……意思の疎通が図れない。どうも何か読み間違えたらしいことだけはわかる。
 それじゃあ用件は何なのだと再び相手の瞳を見れば、彼女は少し戸惑った様子で一度目を伏せてから、意を決したように俺の目を見た。

「あのね鈴城くん、」

 窓の外は、

「わたしね、」

 今どれくらい寒い?



『いつまでも自分が恋愛の主体になろうとしない人』 



 少し困ったような呆れたような表情、照れたような控えめな声。そういやらしくなかったな、と今頃思う。
 いつだってあの人は自信に満ちている。自分というものは今いるこの自分でしか有り得ないのだからと堂々としているように見えていた。
 あの時のあの人の台詞は、どうしてあんなに寂しく響いたのか。
 ――俺は、早くこの建物を出なきゃならないのに。夏に待たされたお礼を冬にするのは報復としても正しくない。そう思う。




「――どう、かな……?」

 彼女の“告白”が終わったらしかった。ほとんど上の空だったけれど、何を言われていたのかは大体見当がつく。
 どう?
 どうだろう。
 別に特別仲が良かったわけでもないけれど、特別苦手だというわけでもない。こういう雰囲気の子とは前にも付き合ったことがある。
 だから?
 だからどうするのか。
 いつも通りにするだけじゃないのか。
 自分が特別嫌だと感じたのでなければ、相手を受け入れるのが正しいんだろうと思って今までそうしてきた。
 だから今回もだ。今回もそうするのが普通だ。

『別にいいよ』

 そう言おうと小さく息を吸ってから口を開いた時だった。
 けたたましい音をさせて、研究室の扉が開かれた。その音は、いつぞやの来襲を俺に思い出させる。

「理央ちゃんおっそーい!! レディを冬空の下で待たせるなんてっ、……あ、」

 いつも通り騒がしい人だ。図ったかのようなタイミングの悪さに驚いてしまう。ドアを開いて飛び込んできたのはもちろん、瑶子さんだ。勢いが良すぎたからか、瑶子さんの白いコートの裾が大きく揺れている。
 ――もっと驚いてもよかったはずなのに、心のどこかで「やっぱり」という気持ちがある。こうなりそうな気がしていた。
 突然割り込んできた瑶子さんも部屋の中の様子に驚いて、俺を呼び出した彼女は当然俺や瑶子さん以上に驚いたようだ。目を丸くして俺を見ると、どもりながら「ごめんね」と呟いて走って部屋を出て行く。悪いことをした気がして手を伸ばしたけれど、拒絶するようにドアが閉まったのでそれ以上俺にはどうすることもできなかった。

「……今の子と話すのが、理央ちゃんの用事だったの?」

 鞄を肩にかけ直していると、瑶子さんが小さい声で俺に問いかける。
 事実なので、頷く。

「話があるって呼び出されてて」
「ならどうして私と約束なんかしたの!?」

 瑶子さんは急に声を張り上げた。さっき瑶子さんが飛び込んできたときよりも驚いてしまう。怒鳴られることを何かしたのだろうか。

「どうして、って、瑶子さんが電話を」
「あの子との約束が先だったんでしょ!?」
「どうせノートか何かの催促だと思ったんですよ」
「そんなわけないじゃない……! あんな大人しそうな子が、頑張って理央ちゃん呼び出したんだよ!?」

 大人しそうな子。……そうだ、なんとなく奈央に似てるなあと思っていた。でも、奈央が大人しいなんてことは俺はよく分かってるから、特別それが問題だと思ったことなんてない。
 俺の態度が気に入らないらしい瑶子さんは睨むように俺を見る。

「……理央ちゃん、あの子に付き合って欲しいって言われたんでしょ? ……私が入ってこなかったら、別にいいよ、って言って、晴れてハッピークリスマスだったわけだ」
「な、」

 なんでそんなこと断言されなきゃいけないんだ。
 けど、実際瑶子さんが入ってこなかったらそうなっていたのだろう、とも思う。瑶子さんが飛び込んでくるまでは、あの子の意に沿う返事をしようとしていたわけだし。だから途中で口を噤む。口を噤めば自分の推論の正しさを瑶子さんが確信するのは当然だろう。やっぱり、と小さく呆れたような声が聞こえた。
 ほんの少し静寂が訪れる。
 白いコート姿の瑶子さんは、俯き加減で立ち尽くしていた。白いコートに、紺色のカチューシャの対比が鮮やかだと思う。
 どうして俺がこの人に叱られているのか、わからない。「ごめんね、邪魔しちゃったぁ?」とでも言えば彼女らしいと思うのに、どうして瑶子さんとの間に今、静寂が訪れなければならないのか、わからない。
 静けさを切り裂いたのは、すう、と空気を吸う音。

「――理央くん」

 違和感を覚えながら、瑶子さんの目を見る。
 その瞳は、さっきのあの子と同じ、……もしかしたらそれ以上に真っ直ぐに見えた。

「……今から私がずうっと思ってきたことを言うので、黙って全部聞いてください。異論は認めません」

 ……まるで俺がこれまで全然貴女の話を聞いてなかったみたいな言い方じゃないですか。
 そんな軽口さえ阻まれる空気があった。ただその空気に圧されて、頷く。
 よしよし、と瑶子さんは茶化すように一度顔を綻ばせてから、また真剣な瞳で俺を見る。

「理央くんはいい人だと思う。優しいし、気が利くし、紳士的だし、賢いし。言うところはきちんと言ってくれる。女の子がそういう人に弱いのは当然だと思うのね。でも、いい人であっていい男ではないと思う。だって理央くんにとっては、どんな女の子も奈央ちんか紗央ちんか、そのどっちかにしか分類されてないんだもの。妹だとか従姉だとか、みんなそんな風に見えちゃうから、踏み込みすぎることができない。理央くんはいつもどこかで強くブレーキをかけてて、その一方で無意識的に女の子をすごく傷つけることをたっくさんしてると思う。それは無意識だから責められることじゃないよ。けど、誰に対しても本気になれないなら擬似的な恋愛関係だって作らない方がいいんじゃない? ……これまで付き合った子が何人いるのかわかんないけど、きっとみんな、どっか寂しいなって思ってたと思う。理央くんのこと好きって言うのはね、奈央ちんや紗央ちんだけじゃないんだよ。理央くんが家族をとっても大事に思う気持ちはすごく素敵だと思うけど、同じような目で見て欲しいなんて誰も思わない」

 そこまで言い終わると、瑶子さんは息をついた。それから深呼吸をする。

「……でもね、どうしてかなあ、私はそういう人に惹かれちゃうんだよね。頑張ってもこっち見てくれないな、って思う人、好きになっちゃうの。だってね、理央くんって見た目すっごい私の好みなの。その上過剰なくらい優しいでしょ? 嫌なら嫌って言ってくれればいいのに、そうじゃなきゃわかんないのに、でも理央くんは絶対断らないもんね。そんなの私じゃなくたって自惚れちゃうよ普通。私間違ってないと思う! ……私だけにこうしてくれてるんじゃないかな、って、私だけだったらいいな、って、……思っちゃうよ、もう、理央くんの馬鹿、鈍感っ、……大好き」

 ――これは、どう反応するのが正解なんだろう。
 突っ立ってることしかできずに、ほとんど放心に近い状態でいると、瑶子さんの笑い声が聞こえた。

「あははっ、何、嘘、意外だったの? 本当はもうちょっと時期見ようと思ってたんだけど、理央くんがあんまりダメダメな子だからつい。これだからおねーさんってば面倒見が良すぎてダメなのよねー」

 瑶子さんの明るい声が、段々尻すぼみになっているように思える。本人は同じボリュームで喋っているつもりだろうし、実際そうなのかもしれないけど、俺の耳に入ってきたのは段々小さくなる寂しげな声で、……それだって、どう考えたってらしくないだろう。瑶子さんの声なのに、瑶子さんの言葉じゃないなんてそんな馬鹿なことは。
 何か言わなくちゃいけない、何か言わないとどうにもできなくなるような気分の悪い予感がして、とにかく言葉を探したけれど、俺が口にしていいような言葉はひとつも見つからなかった。
 おかしい。
 さっきはあんなに簡単に、誰かを受け入れる言葉を言おうとしていたのに。

「……うん、なんか踏んだり蹴ったりだよね、ごめんね理央くん。買い物はひとりで行けるから平気! もう私からしつこく連絡したりしないので、安心して勉強に恋に励んでください! おねーさんからの訓示は以上です! じゃ、またね理央くんっ」
「は!? 何ですかいきな、」

 り、と続ける前に扉の向こうにコート姿が消えた。
 ……別に、踏んだり蹴ったりだなんて思ってないし、しつこいだなんて思ったことも言ったこともないのに、……勝手な人だ。
 泥沼に引っ張り込んでやるとか豪語してたのはどこの誰だ。……本当に、本当に本当に、一方的すぎる。
 一人になった研究室で、瑶子さんの自分勝手な部分をたくさん頭の中で挙げていった。けどそれは全部瑶子さんらしさだから許せていたことで、俺が優しいからじゃない。
 数分考えたけど、考えたところで次のアクションは思いつかず、埒が明かないので帰ることにする。
 

 重いもの買わなきゃいいけど、あの人。


2009.12.25(Fri) | Always I Need | cm(0) | tb(0) |

月と共に満ちてゆく  1



 照井瑶子という女性は、これで意外と家庭的なのだと気づいたのは最近のこと。
 俺のシャツのボタンが取れかかっていればそれを目ざとく見つけて、

『おねーさんが直したげる! ほら脱いでっ』

 と、バッグから小さいソーイングセットを取り出して縫い付ける。最初はただやりたがりなだけなのかと思っていたが、その手つきがとても手馴れたものだったからすぐに考えを改めた。奈央ちんに任せっぱなしじゃダメだぞ、と俺に釘を刺しながらも彼女は手際よくボタンを縫い付けていた。
 料理も実は上手い。彼女から昼食に誘ってきたから、てっきりどこか出かけたいところでもあるのかと思いきや、彼女は弁当を持参していた。聞けば給料日前で苦しい時はいつもこうして自分で弁当を作るのだという。学食で一緒に食べよう、と言われたけれど、師走に入って寒いこの時期に自分だけ温かいものを食べるというのも気が引けたので購買で適当にパンを買って、空き教室で食べた。そんなに気を使ってくれなくてよかったのに、と彼女は言った。逆に気を使わせてしまっただろうか。僕がしたいからそうしたんです、と言えば、瑶子さんは嬉しそうに顔を綻ばせ、それからすぐに眉間に皺を寄せて、口説き文句は禁止です! と言う。そんなつもりは1mmもないです、と返事してやった。そうだよねえ、と納得の声音が返ってくる。

『わざわざ私に合わせてくれた理央ちゃんにおねーさんの手料理を食べさせてあげる』

 丁重に断ったが、そんなものを簡単に聞き入れてくれるような人なら半年以上もずるずると変な友人関係を続けたりしていない。彼女お手製のおかずをいくつか試食させてもらうことになったが、どれも素朴な味で純粋に美味しいと思った。奈央や紗央が作るものとはまたベクトルが違う。あいつらは料理っていうか家事に関してはプライドがあるし極める気もあるからアマチュアの中のプロみたいなもんなんだろう。とても家庭的な味だと思う。奈央や紗央の作るものに慣れているからか、すごく新鮮な気がした。

『どお? 奈央ちん紗央ちんが作るのとはまた違うでしょ?』

 否定するところでもないので頷くと、彼女はとても満足そうだった。
 とにかく、彼女は単に世話を焼きたいだけなのだろうと思っていた。そうとわかっているなら俺も付き合っていられる。会話の中にほんの少しの冗談を挟みながら、姉気取りの彼女と、振り回される弟みたいな関係でいいじゃないかと思う。何かの罪滅ぼしのように、俺はこうして日々を過ごしていくのだろう。俺と関わりながらもひとりでいなければならない奈央や紗央に対してのささやかな贖罪のためには、誰かを受け入れて、否定しないでいくしか方法がないような気がしていた。




 後期の授業もあと数回で終わろうかという師走の初め。その日俺は、同じ研究室の女子に「話があるから」と四限終わりにいつもの実験室に呼び出されていた。試験勉強のためのノートならもう数部出回ってる気がするのだが、女子なら男子と違ってしっかり返ってくるような気がしているので貸し渋る気にもならない。頼まれれば貸す気ではいる。今日持ってきているノートで大丈夫なのだろうかと鞄の中身を確認しながら三限の授業を終えて、四限の教室へと移動する。大教室の扉に手をかけると、ちょうど上着のポケットの中で携帯が震えるのが分かって、仕方なく扉から離れた。

「はい」
『理央ちゃんやっほー! 元気?』
「切りますよ」
『冷たいこと言わないでよっ、せっかく電話したのに!』

 ディスプレイで誰からの電話かはわかっていたけれど、この人の電話はイタズラ染みているから、大事な用件なのかそうじゃないのか読み取りづらい。理解するには話を聞くしかないわけで。

「で? 用件は何です?」
『うんっ、お給料入ったしね、買い物付き合ってくれないかなあって思って』
「荷物持ちですか」
『そうとも言うかもね』
「その辺はもうちょっと隠した方がいいと思いますよ」
『だってどう言ったって理央ちゃん“結局荷物持ちなんでしょう”とか言うでしょ? 最初からお願いした方が早い!』

 その可能性を否定できない辺り、俺もだいぶ彼女にパターンを読まれているようだ。

「……別にいいですけど、彼氏に渡すプレゼント選ばせるのとかはやめてくださいよ」
『へっ、嫌味かねそれは』
「ですよねえ。彼氏いたら俺なんかに声かけませんからね」
『理央ちゃんのそれは自嘲気味のギャグか何なのか、おねーさんには見当がつかないわ……。とにかくっ、じゃあ今日暇なんだね?』
「といってもこれから四限ありますけど」
『それは私も一緒。その後図書館に本返しに行かないといけないんだけど、待っててもらってもいい?』

 俺も研究室にちょっと用事あるんで、と当初の用件を告げると、忙しいなら別にいいよ、と少し慌てた声が電話越しに聞こえた。振り回すくせに、こういうところ変に謙虚なんだよな。

「すぐ終わると思うんで、図書館で待っててくれれば行きますよ」
『あ、でもこっちの図書館よりも理学部棟のが正門に近いよね。私がそっち行くよ、学内屈指のイケメンであらせられる理央ちゃんの時間をいただくんだもん、それくらいしないと』
「いい加減その恥ずかしい誇張表現やめてもらえますか」
『私が気に入ってるからダメです、やめられません』

 やけに威張る彼女の顔が見えるようで、苦笑する。
 結局、四限が終わって各自用事を済ませたら理学部棟で、と約束を交わして通話を切った。
 年末の買い物ってやたら長いんだよなあ、重いし。
 奈央と紗央に付き合わされた時のことを思い返しながら今度こそ教室の扉を開いた。



2009.12.05(Sat) | Always I Need | cm(0) | tb(0) |

クラリティ・オブ・マインド



「理央ー、お父さんとお母さんからこんなの届いたよー」

 夜、部屋で本を読んでいると奈央がやって来て俺に封筒を手渡した。奈央が一度開けたのだろう、既に封の空いている封筒を開いてみると、手紙と一緒に二枚のチケットが入っている。
 手紙は後で読むことにして、チケットを見てみると、この近くでやっている宝飾品の展覧会の招待状だった。俺と奈央と二人で行けということなのだろう。

「あたし仕事あるし、理央行ってきたら?」
「宝石に興味ない」
「でもせっかく二枚あるんだし、もったいないよ」

 奈央は働いているから学生の俺とはあまりスケジュールが合わない。二人で行くのはまず無理だろう。かと言ってひとりで行けるかというと、両親から送られてくるこの手の展覧会は一人では行きづらい。
 行かなきゃ行かないでただのゴミになるだけなのだが、今回はどうもそれも忍びない。普通の美術館レベルなら行かなくても放置できそうだが、普通にチケットを買って入場しようと思ったらかなりの値段がするのだ。これは勿体ないと言って差し支えないだろう。
 どうしようか、とチケットを前に困った様子の奈央に、声を掛ける。

「いいよ、俺が行ってくるから」
「ひとりで?」
「それでもいいけど、……一応アテはあるし」

 ふうん、と奈央は曖昧な相槌を打つと、にこりと笑みを浮かべて、じゃあおみやげよろしくね、と言った。





「はいっ、おはようございます理央ちゃん!」
「……おはようございます」
「出発の前にひとつ質問が!」

 待ち合わせたのは日曜の朝、会場最寄の駅だった。十一月の半ばともなればそれなりに寒いので、俺も瑶子さんも割としっかりした上着を羽織っている。
 開場は十時から。現在時刻は九時半。少し早すぎかとも思ったが、定刻前に行動するのがポリシーの瑶子さんにとってはちょうどいいらしかった。五分前行動! とか普段言っておいて、夏休みに俺を三十分近く放置してたのはいいのか、と今更つっこみたくなったりする。
 質問質問、と手を挙げる瑶子さんに、どうぞ、と声を掛ける。

「理央ちゃんから誘ってくれるなんてすごーく嬉しいんですが、これはもしやデートということでよろしいかな?」
「は? あー……、まあ、好きなように思ってくれればいいんじゃないですか」
「どうしてそう主体的じゃないのよ理央ちゃんはー!」

 別に恋人と会うことだけがデートというわけではないだろうし。恋人でなくとも一応瑶子さんを異性として認識はしているので、これをデートと呼んでも定義としては差し支えなさそうな気がする。
 瑶子さんは俺の返答がお気に召さないらしい。面倒な人だ。

「けど、誘ってくれるにしてもジュエリーなんて意外。理央ちゃんセレブっぽい雰囲気はしてるけど、あんまりそういう装飾品には興味無さそうだよね」
「そうですね、そんなに興味あるわけじゃないです。でも親から送られてきたんで、一応」
「海外にお住まいなんだよね? それで日本の展覧会のチケット送ってくるなんてちょっと不思議」
「うちの会社が協賛してるんで、それでじゃないですか」
「へえ、理央ちゃんのおうちの会社が協賛か、それで、………え、今なんと」

 会場はこの駅から徒歩で五分ほど行った場所にある大ホールらしい。その方向に俺が先に進もうとすると、瑶子さんはぴたりと止まって俺が手渡したチケットを手にわなわなと震えている。
 
「言ってませんでしたっけ」
「言ってません聞いてませんっ」
「うちの父親、宝飾メーカーの副社長で。社長は紗央の親父さんなんですけど」
「言われてません聞かされてません!!」
「今言いましたから」
「何それっ、セレブどころじゃなく超おぼっちゃんじゃない!」
「そういう家に生まれただけで、僕の財産じゃないです」

 俺や奈央が小さい頃から、両親揃って仕事一筋。子供放って海外で仕事してるような親だ。仕事を継がせようとしないだけいい。
 協賛している会社も数社あるが、一番大きいのが親のいる会社らしい。チケットも普通に買えば安くないものだろうが、身内に渡す分なら掃いて捨てるほどあるに違いない。昔からよくこの手のチケットは送られてきたが、気が向いたら奈央と足を運ぶ程度。奈央が看護学校に進んで就職してからはなかなかスケジュールも合わなくなり、行くこともなくなった。今回も瑶子さんがいなければきっとただの紙くずになっていただろう。

「そうだよねえ……。紗央ちんとかギラギラしたジュエリー似合いそうだもんねぇ……。スタイルいいし」
「親からモデルの依頼来て断るのに苦労してるみたいです」
「ていうか、そんなお嬢様おぼっちゃまのくせに公務員とか理学部で教職とか理解できないんですけど私」
「紗央と奈央はまあ、あんまり勉強とかしたがらないですし。僕も経営には興味が無いっていうか、向かないと思うんで」
「そうかなあ……。デキる若社長になれそうだと思うけど?」
「買いかぶりすぎですよ」

 そんなことないよう、と主張する瑶子さんも、一応家のことについては合点がいったらしく、チケットをハンドバッグに仕舞うと俺の隣に並んだ。彼女の紺色のカチューシャが視界に入ってから、歩を進める。瑶子さんが歩く度にこつこつとヒールがアスファルトを叩く音がする。
 瑶子さんはいつも俺の少し前を歩くか、真横を歩く。後ろを歩くということはそんなに多くない、というか、イメージがないから覚えていないだけなのかもしれない。ふと気になって彼女の足元を見ると、いつも紗央が履いているような高いヒールを彼女も履いていた。奈央はあまりこういう靴が好きでないらしく、靴を履いても家にいる時と身長の違いを感じることはないが、瑶子さんの場合この靴でこれくらいだと、靴を脱いだ時はもしかすると奈央と同じくらいなのかもしれない。……意外と小さい? 態度の大きさでカバーしすぎている気がする。

「うん? 理央ちゃんどうしたの?」
「いえ、別に」
「今私見てにやにやしてたよ? えー、おねーさんそんなに可愛いかなあ」
「それ、僕以外の前で言わない方がいいですよ、絶対ひかれますから」

 俺だからスルーしてやれるようなものの、公衆の面前でそんな台詞大声で言ってみろ、頭おかしい女だと思われるに決まってる。瑶子さんが他の人と一緒にいるところを見たことがないからわからないだけで、もうやらかしているという可能性も捨て切れはしないが。
 そんなことを考えながら歩いていると、隣の足音が消えたことに気づく。まだ朝早いから人通りは少ないが、振り向けばまたさっきのように瑶子さんが足を止めていた。

「どうしたんですか」

 随分距離が開いてしまっていたので仕方なく戻る。瑶子さんはダークブラウンのワンピースの生地をぐっと握ってわなわなと再び震えながら、上目遣いに俺を睨んだ。

「理央ちゃんこそっ、私以外の前でそういう台詞言うのやめた方がいいと思う!」
「は? どうしたんですかって言っちゃいけないんですか?」
「うああああっ、なんでそうなの!? 理央ちゃんの馬鹿っ、鈍感っ、イケメン!!」
「はあ」

 ……怒られる原因にさっぱり思い当たらない。いや、確かに頭おかしい女とか思ったりしたけど、口にはしてないから伝わってはいないはずだ。俺が、一頃流行った「サトラレ」とやらでなければ。
 何故だか頬を膨らませて不機嫌な様子で、瑶子さんはつかつかと俺の前を歩き出した。やっぱり面倒な人だと思いながら、その後に続く。……うん、後姿が見えてるくらいが俺にはちょうどいいらしい。




「……うーん、やっぱりいいよねぇ、宝石」
「楽しめたなら幸いです」
「綺麗だよねー、いいよねぇ……」

 俺の言葉に耳を貸さない瑶子さんはさっきからずっとこんな調子だ。十時の開場と共に入り、出たのは二時過ぎだ。どんだけ見るんだと思ったのは俺もそうだし、多分会場にいた警備員もそうだろう。宝石だから長くなったわけでなく、瑶子さんは毎度こんな感じだから慣れたと言えば慣れたものなのだが、それでもやはり長すぎた。今は会場近くのレストランに入って遅い昼食を取ったばかりなのだが、立ちっぱなしだった足が昼食の間休めたことでやっと少し疲れが取れた。
 展示を回っている間、瑶子さんとはあまり会話をしなかった。それも今回に限らずだ。ひとつひとつの展示を自分が満足するまで彼女は眺める。説明だって俺みたいに読み飛ばしたりしないで一字一句暗記してるんじゃないかというくらい、真面目に読んでいる。学芸員だとか解説の人間が近くにいれば質問することだって少なくない。普段とのギャップのせいもあるかもしれないが、そういう姿勢の人は嫌いじゃない。紗央はこういう瑶子さんの爪の垢を煎じて飲めばいいのに。普段馬鹿ばっかりやってるし言っているが、根はすごく真面目な人なんだろうと思う。俺に対しても常に真面目な面だけ見せてくれればもう少しくらい株が上がるのに。

「まさか理央ちゃん、付き合った子みんなにああいう光り物あげてるんじゃ!?」
「なんでそうなるんですか。僕のものじゃないって言ったでしょう」
「理央ちゃんならやりかねないもん、ダイヤとかルビーとかほいほいあげてそう」
「僕をなんだと思ってるんですか、瑶子さん……」
「ワンピースなんかくれちゃう前科があるもんね!」
「いらないなら返してくださいよ、捨てますから」
「わ、何でそういうこと言うかなあ」

 食後のコーヒーに口をつける。瑶子さんは相変わらずじとりと俺を睨んでいる。そんな表情を見るのもだいぶ慣れてきた。
 ……なんか、俺は瑶子さん見にきたみたいだ。とふと思う。展示そのものより、展示を見て回る瑶子さんを眺めている時間の方が長い気がする。あそこまで熱心に展示を見て回る人がこれまで近くにいなかったから、新鮮なんだろうと思う。そう考えれば、これまで連れ回された博物館美術館めぐりも、結局瑶子さんを眺めていたような気もしてきた。なんだ、俺の中でこの人は珍獣か何かのカテゴリに属しているのか。

「そんなにはしゃいで疲れてないんですか? 瑶子さん」
「へ? 何で? 理央ちゃん疲れちゃった?」
「多少は」

 俺の言葉に瑶子さんは「あー」と声を上げて、眉を下げた。それからミルクティーのカップに口をつけると、ごめんね、と殊勝にも謝罪の言葉を口にした。

「私が長々見てたから疲れちゃったよね」
「あ、いえ、瑶子さんがこういうの見ると長いの分かってましたし」
「分かってたんなら私なんか誘わなきゃよかったのに」

 ……確かに、それはそうなのだが。
 絶対長くなる、というのはわかりきっていた。疲れると思うなら別の人を誘うなり、チケットを瑶子さんに二枚とも押し付けるなり、やり方はあったと思う。その辺自分でもよくわからないのだが、やっぱり二枚とも押し付けるというのは少し不自然だからなのだろうか。瑶子さんなら二枚とも自分でしっかり消費してくれそうなものだが。面倒ならそうすればよかったのだ、ろうが、不思議と「そうすればよかった!!」と強く思っているわけではない。それも選択肢のひとつとして把握はしていたからだ。だから尚更自分の行動と言動の不一致が気持ち悪くもある。

「……いいじゃないですか別に。僕が一緒だと何か悪いことでも?」

 瑶子さんは過剰なほどぶんぶん首を振る。

「誘ってくれたってことはちゃんと私とお友達になってくれてる自覚があるってことで! よきかなよきかな」
「お友達、ねえ」
「デートに誘っておいて単なる顔見知りはないでしょ? 理央ちゃんの思考回路がどうであれ、私は嬉しいよ」

 思考回路を馬鹿にされたような気がするのは気のせいだろうか。
 もう冷めたのだろうミルクティーをこくこくと飲む瑶子さんを見ながら、俺もカップのコーヒーを飲み干す。
 かちゃんと置かれた互いのカップの中身は空。行きますか、と声を掛けてから伝票を手に立ち上がった。

「あ、理央ちゃんお金大きいの? じゃあ私の分お店出てから渡すね」
「いいですよ、俺の奢りで」
「え、でも、で、デートじゃあるまいし」
「デートだって言ったの瑶子さんじゃないですか。……ランチなんて大した額じゃないし、奢られてください。今日は俺が誘ったんですし」

 上着を着て先に会計に向かう。カーペットの上を足早に歩く音が聞こえる。小走りで着いてくる様子が何となく伝わった。後ろにいると思うと落ち着かないからできれば真横にいてほしいと思いながらも立ち止まるのは不自然なのでそのままレジのあるカウンターへ向かった。伝票を店員に渡して、上着のポケットから財布を取り出した瞬間に突然思い至る。
 
(……そういやまた俺って言ったな)

 この前は耳ざとく気づいた彼女だが、今回も気づいただろうか。何も言わないから気づいていないのかもしれない。普段あまりこんなミスはしないから、そろそろ瑶子さんとの間にあったようななかったような壁は壊れてきているらしい。瑶子さんの言うように、単に顔見知りだという言葉では片付かないだろう。
 ……まあ、キャラを固定させるのに必死になっていないということは、どちらだっていいと思っているということだ、多分。
 別に一人称の違いくらいこんなに真面目に考えなくてもいいのに、と自分の思考に苦笑しながら、清算を終えると俺も続いて店を出た。



2009.12.02(Wed) | Always I Need | cm(0) | tb(0) |

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