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軽石へちま

Author:軽石へちま
基本自キャラで凄まじく妄想してみる。
隠れ家なのでBLとか黒とか暗とか主。
キャラ崩壊必至。何とも思わないけども。
妄想についてこれる人だけどうぞ。

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ホワイトメイズ 5


 報せを受けてからというもの、彼の表情は死んでいた。そりゃあそうだ、親友と同僚と教え子を一気に亡くしたのだから気持ちが死んでない方がおかしい。……本当に優しい人だから、自分がその場にいなかったことを心の底から悔いているに違いない。
 でも、私は思ってしまう。
 死んだのがあの人たちでよかった。
 そりゃあ私だって悲しくないわけじゃないけど、私は私の一番大事な家族を失わずに済んだ。
 だから彼にはもっと堂々としていてほしい。
 それがどれだけ彼にとって、そして世間一般的な意味で酷なことなのかも、重々承知している。彼の心がそこまで丈夫にできていないことも、わかっている。
 それでも私は思う。
 あの白い箱に入っているのが理央くんでなくてよかった。琴也でなくて本当によかった、と。 




 思った通り紗央ちんは壊れてしまって、息子のヒロ君はそのフォローに回っている。ヒロ君って見た目はおにーさん似だけど中身は結構紗央ちんに似てるところあるから、あの二人が暗い気持ちのまま家にこもってるとか、かなり危ないような気がしないでもない。みのりちゃんが別の場所にいるのは正解だ。奈央ちんはよくあの状況で頭が回ったなと感心してしまう。旦那と息子と二人を亡くしたのに、他人の子供を気遣う余裕があるなんてすごいじゃない? なんて他人事のように思う。いやまあ、実際他人事なんですけどね。

「……真紘、まだヤバいんかな」

 夕食の席、普段忙しくてあまり食事は一緒に取らない琴也が今日は珍しく同席してそう呟いた。
 なんだかんだで幼なじみだ。姿を見かけなければ不安になるのは当然。

「大丈夫よ、ヒロ君しっかりしてるもの」
「あいつ頭固いからさ。息抜きとか全然できてねぇ気がする」

 私もそうだと思う。
 壊れて沈んでいる紗央ちんを目の前にして、いっぱいいっぱいになって、すごく苦しいだろうと思う。
 でもそれはヒロ君の問題で、ヒロ君が自分で自分の性格を作り上げた結果で、琴也や私が心配するべき事柄ではない。父親が死んで気楽に考えろとは言わないけれど、もう少し周りを見てみたらいい。悲しいのは紗央ちんだけじゃないことがわかるだろうに。

「紗央おばさんも、まだ?」
「みたいね」
「……だよなあ。織夏だってきっと、俺が急に死んだらそうなる」

 琴也が、まっすぐな目をしてそう言う。
 誰に似たんだろう、その目は私とも理央くんとも違うもののような気がする。

「おじさんとおばさん、大恋愛だったって」
「あららー? 私とお父さんだってすっごい大恋愛だったけどー?」
「でもさ、七年越しだろ? その間一度も会わなかったんだろ? おばさんよりおじさんの方がさ、本当に気持ちでかかったんだろうなって思う。だからおじさんが一番悔しいだろうな、とか、思うよ。あの人本当にさ、家族いれば何にも要らねぇってオーラ出てたし」

 そうね、そうだと思う。 
 拓海さんは誰よりも紗央ちんが大事で、ヒロ君が大事で、みのりちゃんが大事な人だ。今の家族が、拓海さんのすべてだった。悔しかったのかもしれないけど、満足もしていたと思う。
 拓海さんは、悪役めいているくせに芯だけはヒーローってな感じの、実に面倒な人だから。そんな面倒な人だからこそ、面倒な紗央ちんにはよく似合った。どれだけ年が離れていても、すごくお似合いの二人だった。羨ましいくらいにいつまでもあの二人は恋人同士のまま。

「……それなのにおばさんがそこまで酷いことになって、真紘がそんなに追いつめられてるってのはさ、俺は何か、釈然としないっつーか、俺も何か手伝いたいっていうか」

 もちろん、私と理央くんだってお似合いな二人。
 そんな私たちから生まれた琴也は気遣いもできて人一倍優しい子だ。琴也がこうやって育ってくれて、私はすごく嬉しい。

「琴也」

 そう、だからこそ、

「この件に首突っ込むのはやめなさい」

 大事だからこそ、琴也がこの暗闇に巻き込まれるのを許すわけにはいかないの。
 目を見開いた琴也は、ほんの少し口を開いて、多分「なんでだよ」と言おうとしたのだろうと思う。私はそれすらも許さなかった。

「貴方は今織夏ちゃんを一番大事に考えてあげなさい。いくら親戚だろうと順序を間違えちゃいけないの。……琴也は賢いから、私の言うことわかるよね」

 ほんの少しの沈黙の後、琴也は震えた声で「ああ」と頷いた。





「……大変そうだね、ヒロ君」
「まあ、……仕方ないことなんですけど」
「紗央ちんは?」
「部屋に篭もってます」

 次の日、事件があってから初めて桜井家を訪れた。
 家の中は薄暗く、どこか湿った感じもして、以前とは比べものにならない惨状だった。リビングも廊下もいろんなものが散乱していて、それはきっと紗央ちんが半狂乱になった結果なんだろうと想像はついた。泣いて、喚いて、いろんなものを壊して、ばらまいて、ヒロ君は追いかけるだけで何もできなかったに違いない。片づけをしようにも、そういうところは拓海さんに似ている彼だから、本当にどうしようもなくて、誰の手も借りることができないままこの暗い家で何日も過ごしたのだろう。
 ヒロ君の目の下の隈は誰が見ても酷いもので、頬も痩けてしまっている。余程の疲労が窺えた。

「……毎日、どんな感じ?」
「酷かったのは本当に最初だけで、最近は生きてるのか死んでるのかも分かんないくらい、静かです。たまに騒ぎだすと、きっと父さんの夢見たんだろうな、って」

 言葉にしてしまえばあっさりとしたものだが、ヒロ君にはきっと、毎日が地獄だ。
 長い沈黙の後、俺は平気です、と全くそうは見えない顔で、笑いながらヒロ君は言った。

「……母さんが、言うんです」
「……なんて?」
 
 ぎゅっと固く手を組んで、唇を噛みしめてから、ヒロ君はゆっくりゆっくり言葉を吐き出す。

「子供が欲しいなんて言ったからこうなったんだ、って。父さんがいればそれでよかったのに、俺を欲しがったせいだって。見た目が父さんにそっくりで、なのに目が青いなんて都合がよすぎるから」

 ……ああ、もう。
 どんなに強い人間でも、こんな言葉に耐えられるわけがない。どんなに出来がよくても、心がある人間が耐えられる言葉じゃない。
 ひとりだけで抱えていられる苦しみじゃない。

「俺なんか消えればいいって」

 母からの否定の言葉。
 いくら動揺しているとはいえ、錯乱しているとはいえ、それ以上に酷な言葉なんてない。
 なのにヒロ君はそれで平気だという。

「……全然平気じゃなさそうだけど?」
「……いえ、平気です」

 何度も夜を重ねて、彼はその結論に至ったのだろう。
 馬鹿だと思う。これだけのことを言われて投げ出さないのを、私は馬鹿だと思ってしまう。でもそれは他人だから。彼らの苦しみを本当に理解することなんて私にも誰にもできないことだ。

「……母さんは、みのりを要らないとは言わなかったから」

「だから俺は、」

「自分が死んでるもんだと思うことにして、少し楽になったんです」

「俺がいたって母さんに何もしてやれないし、母さんにとって要らない存在なら死んでた方がまだ母さんを苦しめないで済む」

「けど母さんが俺を呪うことで少しでも楽になるなら、死んでる俺でもここにいた方がいい」

「ここにみのりを帰したら、母さんはきっとみのりも殺してしまう」

 誰にも理解できないから、だから私は彼のこの悲壮な決意を馬鹿だと笑うことにしようと思う。
 ……ううん、違う。彼にこの決意をさせた母親を、心底馬鹿な奴だと嘲笑うことにする。
 私は知っている。多分奈央ちんも知っている。紗央ちんはみのりちゃんよりもヒロ君をこそ誰よりも欲しがっていた。どうして欲しがったのか、きっと紗央ちんは忘れているんだ。

「ヒロ君のお母さんは本当にどうしようもない馬鹿だね。もう若くないんだからさ、いい加減その性格どうにかした方がいいよって伝えておいて。私、紗央ちんのそういう性格大嫌いなの。ヒロ君の決意も結構だけど、ご苦労様って感じ。母親が悪いとそういう方向にしか考えが向かないのかな? うちの琴也のが余程聡明だわ」

 ヒロ君の顔に微かに怒りが見える。
 その方がいい。生きてるって感じがする。死んでると思うことにしたって言うけど、ヒロ君は心も体もまだまだ死んじゃいない。死んでるより生きてる方がいいに決まってるよ。

「ねえヒロ君、いいこと教えてあげるよ」

 こんな時に怒らせるようなこと言う私はすごく悪い人なのかもしれないね。でもそういうの気にしないの。だって所詮は他人だから。紗央ちんが悲しくても、私は笑って時間を過ごせる自信があるよ。

「子供が欲しい、ヒロ君を産みたいって言ったのは紗央ちんだよ」
「……知ってます、耳が痛くなるほど聞いた」

 そしてもう聞きたくない言葉。けどその裏にこそ本当に知っていなきゃいけない事実がある。

「紗央ちんが子供欲しいって言ったの、拓海さんと結婚できて幸せだからそろそろ家族増やしたいよね、って軽い気持ちじゃないんだよ。紗央ちんはね、本当に馬鹿だから」

 そう、本当に馬鹿だ。
 紗央ちんにとっての子供は、ただの子供じゃない。

「一度拓海さんと離れて寂しい思いをしたからね、寂しくないように子供が欲しいって思ったの。何かあって離れた時に寂しくないようにって」

 自分のことばっかり考えてるんだ。自分が悲しくないように、自分が寂しくないように。桜井紗央にとっての子供は、桜井拓海を共有するためのもの。

「だからね、拓海さんに似てるヒロ君はこれ以上なく紗央ちんが望んだもののはずなんだよ」

 拓海さん自身は、子供なんて要らないと未だに言っていた人だ。それはヒロ君も知っているだろう。拓海さんが望んだのは、紗央ちんが欲しいもの。紗央ちんが必要とするものは拓海さんにとっても必要なものだったから。
 それでも、その拓海さんが家族第一主義みたいになったのは、生まれたのがヒロ君とみのりちゃんだったからだろう。二人とも、どこからどう見ても自分と紗央ちんの子供。家族を本当に愛していた拓海さんだからこそ、今の紗央ちんを見たらきっと、馬鹿だなと愛しく思うのと同時に怒ってもくれるだろう。

「……だから、ヒロ君の仕事は死んで存在を消すことじゃないよ。もっと紗央ちんに思い出させないと。俺がここにいるよ、って言ってあげないと。馬鹿は死んだって直らないんだから、せめてまともな馬鹿でいさせてあげて」

 呆気にとられたような表情をしていたヒロ君は、しばらくするとやっと頬を緩めてくれた。

「瑶子おばさんって、本当は母さんのことすげえ好きだろ」
「まさか。私、昔から馬鹿とは相容れないの。賢いからね」
「母さんも、いやに頭良い奴は嫌いだってよく言ってた」
「でしょう? 犬猿の仲なのよ」

 日が傾いてきて本格的に暗くなってきた部屋。
 ヒロ君が自分からリビングの明かりを点ける。それで私はほんの少しだけ安心できた。





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2010.10.01(Fri) | ホワイトメイズ | cm(0) | tb(0) |

ホワイトメイズ  4




 どうやら芹沢大和は本当にもう帰ってこないらしかった。イタズラとしか思えない連絡を受けてから一日、腹部に深い傷を負った大和の遺体と対面した。
 悲しい気持ちはゼロじゃないけど、でも大和は、どこにいたって同じ気持ちだ。大和は生きていたって死んでいたって絶対にあたしだけを愛している。それが分かるから、一時の悲しみで泣いても、一晩経てば一応の気持ちの整理くらいはついた。
 おそらく大和の死を目の前にしたのだろう椿はとても疲れきった顔をしていたけれど、毎日都筑の息子が付き添ってくれている。付き合ってるんだかそうじゃないんだかあたしにはわからないけど、椿がしたいようにさせてあげるのがあたしの仕事だし、大和だってそれを望んでいる。
 大和は椿を跡継ぎとして育てたいなんて一言も言ってない。子供がそうしたいというならそうすればいい。家の都合上、そして家元としての立場上、花は教えるけれど、嫌いなら続ける必要はないとすら考えていた。椿はそれがわからなくて、こんな家だから自分はこの家を継がなければならないのだろうと自分を押し殺した。大和はそれをさせるのが一番嫌だったのに。大和自身家のために自分を何度も押し殺してきたから、椿にはそんな経験をさせたくなかった。子供は子供らしくわがままに育てばいいと思っていた。けれど、それを口にして言うことはできない。大和は父親になるよりもずっと前に、家元としてこの家を引っ張っていくと決めていたのだ。不器用だけどそれが大和なりの愛情だったことを、あたしだけはちゃんとわかっている。
 このまま椿が都筑炎而のところに嫁に行きたいと言い出したとして、あたしはそれを引き留めることなんてしない。いいんじゃないの、と言って送り出してやるのがあたしの仕事。都筑炎而は椿をきっとしっかり支えてやれる男だから心配もない。早くそう言い出して欲しいくらいだ。
 だから、あたしが今一番心配しているのは椿ではない。椿と同じくらい、そして父親と同じくらい不器用にしか生きられない、可哀想な男の子。その子が、あたしは一番気にかかる。



「……樹理くん」

 あまりにも気にかかるから、あれから一週間ほどしてから、あたしは樹理くんの、というよりは彼の父親の所有するマンションまでやってきていた。二人で住むにも広すぎるだろうと感じていたこの部屋は、一人で暮らすにもやっぱり広すぎる。玄関のカメラであたしの姿を確認した彼は、黙って部屋の中に通してくれた。
 広いリビングの、大きなテーブル。樹理くんはあたしの目の前に緑茶を一杯淹れて差し出した。彼も自分の湯呑みに一杯お茶を注ぐと、あたしの目の前に座る。
 何と声をかけるべきなのか。
 あたしには椿がいる。千咲さんのところにも、まだ野島流風がいる。紗央さんには真紘くんとみのりちゃんがいる。でも、樹理くんには、誰もいない。もう誰もいない。樹理くんの父親である水城流風が実の親と何となく疎遠だったために、樹理くんも祖父母を頼ることができないのだ。この子を救ってあげられるのは、これまで水城と同じように目をかけてきた芹沢家だけ。つまり、あたしだけだ。
 樹理くんの綺麗な緑色の瞳は暗く沈んで淀んでいるように見える。それはすごく、すごく、悲しみと苦しみと痛みを湛えている色なのだろう。全てを失った少年の心なんて、あたしには推し量ることだって難しい。

「……聞かないんですか」

 樹理くんの第一声はそれだった。
 少し上目遣いにあたしを見て、不敵ににやりと笑う。

「椿には都筑くんがつきっきりなんでしょう? 帰りのバスでもそうだったんですから。だから大和さんのこと何も聞けない。大和さんのこと聞きに、僕のところまで来たんじゃないんですか?」
「聞いて教えてくれるの? 話すのだって辛いんじゃない?」
「言いますよ、いくらでもね」
 
 少し、大人になった?
 こんな物言いをする子だっただろうか。確かに元々クールな面もあっただろうけど、根は本当に優しい子だったから。……こんな、自嘲めいた発言をするなんて。
 樹理くんは湯呑みの中身を少し飲んで、わざわざ音を立てて食器を置いた。

「親が子供守るのなんて当たり前じゃないですか。それ見越して、親同士殺し合わせたんですよ」
「そんな、……酷い」
「酷いですよね。酷いゲームだったんで、大和さん殺したのが僕のお父さんでも許してください」
「水城が、………そっか、そう、なんだ」

 あたしが激昂すると思っていたのか、樹理くんが拍子抜けしたような顔をする。
 ……そりゃあ、驚かないわけじゃないけど、そういう状況下なら納得はできる。大和と水城じゃ、気合いの入り方が違う。水城は元々一人で樹理くんを育てる気で日本に連れ帰ってきた。元から母親がいない、この子には自分しかいないと強く思っていたはずだ。樹理くんを一人にさせないためならなんだってするだろう。誰を殺したって自分が生き残って、樹理くんを一人になんてさせない覚悟だったはずだ。
 大和はそうじゃない。大和は不器用だけど、普通の親だ。椿を生かして帰すためなら自分の命は犠牲にできる。その差が明暗を分けたのだろうと思う。死ぬわけにいかないと思っている人間と、死んだっていいと思っている人間が戦えば、結果なんて見えている。

「……もう何十年にもなる親友を殺すだけの覚悟があった水城は、誰に?」

 それが、問題だろう。
 水城が一緒に帰って来れなかったということは、水城もまた誰かにやられてしまったということ。でも、大和を殺すだけの覚悟ができている水城が簡単に誰かにやられるなんて考えられない。きっと水城は、誰よりも強い。最初から親としての気合いが段違いだったはずだ。
 樹理くんは苦虫を噛み潰したような顔をした。綺麗な顔が醜く歪む。

「僕は絶対そいつを殺すんです、絶対、お父さんが殺された時よりもっと無惨に、でも生かす余地なく殺します」
「……そんなの、お父さんは望んでないよ」
「望んでなくとも僕たちはそうしなきゃいけない」

 僕たち?

「今すぐにでも殺してやりたいんです、どこに逃げても、僕らは絶対に見つけだして殺します。もう僕たちの生きていく理由は、あいつを殺すことにしか見出せない」
「……水城は、誰に?」
「――ケレス先生です」
「――――!!」
 
 樹理くんがぎりっと歯を食いしばる。
 そんな、樹理くんと生きるためにあれだけの覚悟をしたのに、その水城を、あの先生が!? あの先生が、あの水城を殺すなんて簡単には考えられない。
 けど、だからって、どんな理由があったってその相手が誰であれ、あたしは樹理くんに人殺しをさせるわけにはいかない。

「……水城も大和もいないからね、あたしが樹理くんの親代わりさせてもらうよ。あたしは保護者として、どんな理由があったって樹理くんにそんなことさせられない」
「どうして? 悔しくないんですか? 理由なく大和さんはお父さんに殺されて、お父さんはあの男に殺された。誰も帰ってこないのに、あの男だけは悠々と帰ってきた!! そんなの許せるわけない、お父さんと野島慎吾を、無惨に斬り捨てたんだ、それでもあの男は声一つかけなかった!! 絶対に僕と生きるって言ってくれたお父さんを、流風を守るって約束した野島慎吾を殺した! 僕と流風に壁だけ残して、死んだらどうしたって越えられないのに、そんな壁だけ残して、消したんです……!!」

 テーブルに強く拳を叩きつける。
 痛そうだった。なのに樹理くんは、一粒も涙は流さなかった。多分もう流し尽くしたんだろう。
 叫ぶ中で出た、流風というのは水城じゃなくて野島流風。野島慎吾の子供だ。けど、名前で呼ぶような関係だったっけ――?

「……それでもだよ。それでもあたしは、あなたがそんなことするのを黙って見てるわけにはいかないの。樹理くんを芹沢の屋敷に縛り付けてでも、あたしはあなたが無事に大人になるのを水城の代わりに見届けないと」
「僕にはもう失うものなんてない、守るものもない、逮捕されても死刑になっても、反撃にあって死んだって誰もいない何もない!」
「馬鹿言わないで!! あたしだって椿だっている! 世界に自分一人しか生きてないみたいな言い方しないでよ!」
「……そんなに言うなら、なら、ルミさんがなってくださいよ」

 突然の発言に何と返したらいいのかわからない。
 樹理くんは樹理くんで切羽詰まった様子だ。

「僕を止めたいなら、僕と結婚してくださいルミさん」
「……へ?」

 ――樹理くんがそんな言葉を言うなんて、一体誰が想像しただろう。実の親である水城だって、まさか樹理くんがあたしにこんなこと言い出すなんて少しも思わなかっただろう。

「ルミさんが僕と結婚してくれたら、僕はルミさんを守っていくためにどんなことだってします。ルミさんを泣かせるような真似はしません。親子ほど年が離れてるから結婚しちゃいけないなんて法律ありませんよね」
「……どうして、いきなりそんなこと」

 あたしが問いかけると、樹理くんは今日初めて、やっとやわらかく笑ってくれた。
 樹理くんはやっぱり、そういう表情の方が似合うと思うから、少しだけだけど安心できた。

「僕、ルミさんのこと好きだったんですよ。子供の頃からずっと」
「……母親代わりとして、でしょ?」
「そりゃあ最初は。けどルミさんは僕のお母さんなんかじゃないんです。ルミさんといる時はリラックスできるし、……普段の自分よりずっと素直になれてる気がするんです。それに僕、根暗ですし。女子となんてほとんど喋ったことない。そんな僕がルミさんを特別視するのは不自然なことではないと思います」

 樹理くんの淡々とした説明に、思わず納得して頷きそうになる。確かに樹理くんは昔から友達はそう多くなかった。家で本を読んでいることが好きな子だったし、親の都合上外出する機会にも多くは恵まれなかったから、自然と家で過ごすことが多くなってしまったようだった。外で遊ぶ時と言えば、水城にバスケを教えてもらったり、大和相手にバスケしてみたり、……とにかくバスケか勉強かって感じの子だった。小学校の頃、絵日記に書くことがないから夏休みは嫌いだと言っていたのがまるで昨日のことのよう。
 ……そうね、そうかも。樹理くんなら、あたしのこと好きになったとか、言っちゃいそうな気がする。水城はどう思う? 大和は? あたしは素直に嬉しいよ、こんな状況で、樹理くんの心の大事な部分が壊れてなければ、この言葉は最高に嬉しい。女冥利、母親冥利に尽きるってものよ。
 嬉しいから、あたしの答えは決まっている。
 もうあたししかいないんだよね、樹理くん。たったひとりの、本当に大事な人を失って、それでもあたしの前でなら正気を保てるというのなら、あたしは。

「……いいよ、樹理くん。結婚してあげる」
「は……?」
「だから、いいよって言ったの。水城ルミになってあげるよ」

 自分で言い出したのに樹理くんは目を丸くしている。あたしのことおかしいって思った? 狂ってるって思った? どうなんだろう、そこはあたしにはわからない。

「そんな、芹沢はどうするんです」

 だから、どうして樹理くんが言い出したのに樹理くんが芹沢の心配をしちゃうのかな?

「芹沢なんていいわよ別に。あたし芹沢と血が繋がってるわけじゃないし。ものすごーく華が巧いわけでもない。大和がいなきゃあたしは芹沢名乗るの難しいのよ。未亡人ってやつだしね、芹沢の籍抜けるにはちょうどいいのかも。芹沢の家自体はね、心配してないの。椿が継いでくれるから」
「……椿、今都筑くんに随分支えてもらってるみたいですけど。嫁入りするなんて言い出すかもしれませんよ」
「なら、あたしの肩の荷はより下りるわね。……平気よ、椿はどこかの家にお嫁に行っても芹沢を捨てることは絶対にない。戸籍で名前が書き換わっても、あの子は絶対に芹沢を継いでくれる。家元を一番近くで見てたのは椿だから、大和が伝えたかったことを全く汲み取れないほど椿も馬鹿な子じゃないでしょ」

 あたしは椿を生み育てた親として、大和と誰よりも濃い時間を過ごした妻として、芹沢のことを見据えることができる。椿は芹沢を捨てたりしない。大和を失って、ぼろぼろで倒れそうでも椿の瞳はしっかりしていた。あたしと結婚するって芹沢のみんなに宣言した時の大和の瞳によく似ているように思う。

「あたしが大和だけを大事に思ってこの先も生きていくとでも? ごめんね樹理くん、悪いけどあたし死んだ旦那よりも生きてる樹理くんの方が大事なの」

 それだけじゃない、あたしにとっての大和のポジションは大和がいなくなった時点で永久欠番。もうその位置には誰も来ることがない。あたしの中の一番は、絶対に、永遠に、大和だけのものだ。大和の代わりなんて誰にもできない。あんな大馬鹿な男の代わりになれる人なんて、いるわけないじゃない。
 大和だってきっと、あたしのこと怒ったりしないはずだ。嫉妬はするかもしれないけど、でも、大和だって樹理くんのことは息子みたいに大事に思っていたはずだから。もちろん大和の思い出は何にも代え難いし大事に思ってこれからも生きていく。でも、樹理くんを守って生きることも、あたしには必要なことなんだと思うから。

「いいよ、今日から一緒に暮らす? あたしは全然構わないよ? だから樹理くんは当然、あたしとこれからずっと生きていく約束をしてくれなきゃ。貧乏だって何だって構わないから、真っ当に幸せな暮らしを送るって誓って」

 もういない大和に、水城に誓って。
 あたしと真っ当に生きるんだと誓って。
 そんなことできるわけない、と言われると思っていたのだろう樹理くんは、あたしの予想外の返答に反応しかねている様子だ。
 あたしとは目を合わせようとしない樹理くんを見ながら、お茶を一口。

「……あたしが本気っぽいからどう返したらいいかわかんないんだ?」
「っ、そんなこと」
「いいんだよ、困っちゃうよね、当然だよそんなの。もっとちゃんと考えなきゃ、って思ったよね樹理くん」

 それは人として当然の葛藤。
 これからの人生がかかっているんだから、考えたいのは当然だ。樹理くんが元々あたしをそれなりに好いていたというのは事実なんだろうけど、それとこれから一緒に暮らせるかどうかというのは別問題。

「でもね、自分のこれからについてもそうやってちょっとしたことで迷っちゃう樹理くんが、他人の人生終わらせることなんてできるわけないよ。そんな権利もない」

 樹理くんが歯軋りをした。
 本当に悔しそうな瞳で、テーブルを睨みつけている。
 追いうちをかけるようで悪いんだけど、樹理くんにはどうしたってケレス先生を殺すことができないってあたしは確信してる。野島流風はあまり接点がないからわかんないけど、樹理くんに関してなら、あたしは母親代わりだ。
 
「……それに、樹理くんのお母さん、言ってたじゃない」

 ――それが呪いだとあたしは知っている。
 その言葉に縛られて、樹理くんはずうっといい子でい続けた。
 お父さんのためにいい子でいて、お父さんを殺した奴に復讐したいなんて、本当に本当にお父さん思いなんだろう。この戒めは、解くべきじゃない。まだこれからもずっと、樹理くんを縛っていてくれないと。

「お父さんを困らせることしちゃダメ、って言われたでしょう?」

 樹理くんの目が、憎しみに彩られていく。あたしを睨みつける。
 樹理くんのお母さんが、亡くなる前に樹理くんに告げた魔法の言葉。この言葉がどんな呪いなのか、そしてどれだけ綺麗な気持ちが詰まった言葉なのか、きっと樹理くんはわかっている。
 だからあたしを睨むのだ。反論の余地がないから。

「それを言うのは卑怯です……!!」

 ペリドットの瞳が潤んで、ぼろぼろと涙を零した。
 彼の父親が困るかどうかなんて、もう存在しない人のことなんてわかるはずないのに樹理くんは大きな声を上げて泣いた。わかってるから泣いた。ケレス先生を、水城の恩師を殺すことは、水城をこの上なく悲しませることだってわかっている。樹理くんと生きなきゃいけなかった水城をもってしても、倒すことなんてできなかった人。その時の水城の気持ちに迷いが少しもなかった、なんて誰も思ってない。ずっとずっと追いかけ続けた人を自分の手にかけて超えることなんて水城は望んでないし、できるはずもなかった。
 樹理くんには見えてるはずなんだ、水城がすごく哀しそうに、困っている表情。
 小さな頃から変わらない、そのふわふわの金髪を撫でようと手を伸ばした時、

「……樹理さんに触んのやめてもらえますか」

 嘘みたいに、よく似た声を聞いた気がして振り向いた。
 在りし日の水城の姿。違うの身長くらいで、声も、表情も、今あたしの目の前で泣いている少年の父親にとてもよく、似ている。前に見たときは髪も黒かったはずなのに、今は学生時代の水城みたいに明るい茶髪になっている。

「……あなた、」
「こんなところで子供誑かしてる暇あったらあんたも少しは悲しんだらどうなんですか。何か随分余裕こいてたみたいですけど、そんなんじゃ家も潰れますよ」

 でも中身は違う。
 慕うものをとことん大事にする、それ以外はまるで蚊帳の外。そういう部分は野島慎吾にそっくりだ。もっとも、本来はもっと似ていたのだろうけれど、今はそれが負の方向に発現してしまっている。

「……仲良くなるのはいい事だけど、共謀して良からぬことを考えるのは見過ごせないわね」
「仇を討ちたいっていうのがそんなに悪いことですか? その神経こそ俺にはわからない。俺からすればあんたの方が狂ってる、大恋愛だったんだろ? 旦那が死んで、自分の子供でもない、親戚でもないガキを心配できるなんておかしい以外のどういう言葉で説明できるんだ」
「あたしの精神状態を簡単な四文字で済ませないで頂戴。人並みに悲しんで人並みに泣いたわよ。人並みに娘の心配もしてる。それ以上に気にかかるからこうして様子を見に来てるの」

 樹理くんはまだまだ悲しみから抜け切れていない。あたしがああやって突いただけですぐに悲しくなって、後悔して、泣き出してしまう。でも、野島流風は別だ。この子は悲しいとかを全部どこかに置いてきてしまったみたいだ。全部が怒りでできている。多分、樹理くんや、野島慎吾が目指した水城流風の像を自分に映し出すことでしか立っていられないんだろう。
 ――なんで、この子たちがこんなに悲しい決意をしなきゃいけないのか。何も悪いことなんてしてないのに。

「……今日は帰るわ。流風くん、あとお願いね。また様子見に来るから」

 不意に泣き出したくなって、あたしは席を立った。あんな顔をした子供たちを見ていることが、あたしには辛すぎた。あたし一人で何ができるって言うんだろう。
 部屋を出て、エレベーターに乗り込む。
 狭い鉄の箱の中、びっくりするくらい大声で、あたしは泣いた。




2010.07.13(Tue) | ホワイトメイズ | cm(0) | tb(0) |

ホワイトメイズ  3
 ぼろぼろになって帰ってきた黎と、預かったみのりちゃんを寝かせて、あたしはリビングのソファーでやっと頭の整理をする。わけがわからなかった。昨夜連絡があってから半信半疑、ううん、九割は冗談だと思っていた。なのにそれがすべて本当で、あたしは大事な家族を二人も亡くしてしまった。黎だけでも帰ってきてくれたのが本当に、せめてもの救い。それであたしの心はなんとか保たれる。

「……空君……」

 背中を刺されていた。相当強い力だったんだと思う。どうしても抜けなかったのか包丁がそのまま空君の背中に刺さっていた。柄が食い込みそうなほど背中の肉に深く刃が沈みこんで、……あれで、空君はどれだけ生きたのだろう。即死だっておかしくない。でも空君だから、黎に何も言わずに死んだなんてことないだろうと思う。片割れと父親を失う黎だから、自分が死ぬ間際だって空君はちゃんと気にかけてくれたはずだ。瀬川 空は、そういう人だ。
 黎は何を聞いたのかな。あたしには聞けない。それは黎が、しっかり自分の心の整理をして、あたしに話せるようになったらきっと話してくれる。死は誰にでもいつか必ず訪れるから、それ自体は悲しくないことだって自分では思っているのに、この埋めきれない心の穴はどうしたらいいんだろう。何もわからないから。彼の痛みも、苦しみも、あたしには思いを馳せることすらできない。
 あたしのこと、少しでも考えてくれたかなあ。黎のことばっかりだったのかなあ。……寂しいなあ。
 音のないリビング。隅で眠っていたゴールデンレトリバーの権造が寂しそうに小さく鳴いてあたしに近づいてきた。その頭をわしゃわしゃ撫でてあげて、抱きしめる。家を買って数年して、「やっぱりマイホームには犬がいねぇとな!」と空君が言い出したから、みんなでペットショップに見に行った。一番元気で、やんちゃで、イタズラ好きの子犬を買って、また子供がひとり増えたみたいだってあたしは思ってた。黎と櫂は空君にそっくりで、明るいけど賢くて誰のことだってちゃんと考えられる。まあ、やんちゃが過ぎるところはあるけど、だから権造を飼い始めた時も怖がるなんてこと全然なかった。

「……お母さん」

 権造と一緒に過ごしていると、リビングの扉から小さく声が聞こえた。顔を上げると、やつれた顔の黎がいる。

「どうしたの? 眠れない?」

 近づいてその頬に手を当てる。黎は力無く笑ってみせた。

「あはは、それもあるんだけどね。……お母さんが、一番辛いかなって、思って」
「お母さんのことなんて心配しなくていいから。黎が一番疲れてる。……黎には元気でいて欲しいの」
「私は櫂も、お父さんも、ちゃんと見た。分かってる。何も分からないで家族が二人もハイ死にましたって言われるお母さんの方が辛いに決まってるよ」

 ――あたしは本当に、この子が空君の子供で嬉しいよ。
 思いやりがあって賢くて、本当に空君そっくりなんだもん。
 黎はあたしの隣に腰掛けて、あたしの服の袖をつまんでしばらく黙っていたけど、
 
「お父さんがね」

 そう、切り出した。
 すぐには聞き出せないと思っていたことだ。
 少し、緊張してしまう。

「……ルカのお父さんに刺されたの。気がついたら後ろからぐさっとやられてね、犯人はルカと一緒に逃げちゃって。私は、追いかけて殺してやる!って言ったんだけど、お父さんは、……やめてやれ、って」

 そこから少しずつ涙声になる。あたしにも何だかその風景が見えてくるようだった。

「慎吾だって父親だからルカのこと守らなきゃならないんだ、って。俺も黎の父ちゃんだから、黎を危ない目には遭わせられない、黎を守らなきゃいけない。でも櫂のことは守れなかったから、俺は櫂の父ちゃん失格だなあ、って、言って……」
「……お父さんらしいね」
「馬鹿だよお父さん、私のお父さんなら、櫂のお父さんでもあるのに。……それに、俺センセイだしなあ、って、言ってた」

 ……それは、本当に、空君が言いそうなことだった。
 俺はセンセイだから。
 センセイだから、教え子を恨んだり、呪ったり、ましてや手に掛けたり、そんなことは自分の命と秤にかけたってできなかったんだろう。死にたい人間なんかいない。空君だって本当は生きたかった。けど、教え子を殺して生きながらえるくらいなら死んだ方がましだって、空君は馬鹿みたいに真っ直ぐだから、何だって大事にする人だから、そう、思ったんだろう。そしてきっと、櫂をひとりにさせられないって思ってくれたんだろう。櫂は黎といつも一緒だったから、離れただけできっとすごく不安がっているだろう。
 ああ、最後まで、空君は空君だったんだ。

「……それでね、……奈央にも伝えてくれって」
「な、……何を?」

 自分の名前が出て驚く。
 空君は、あたしに何を言いたかったのかな?

「今度会う時も、歌っててくれなきゃ俺は見つけらんないからなって、言ってた。黎と櫂もそうだぞ、って。今度みんなで会ったら、俺がピアノで伴奏するからって、それで……」

 夏の青い空。
 熱をもった空気。
 ぬるいプール。
 誰もいない、プール。
 人目を盗んでプールで歌っていたあたしを見つけてくれた、空君。

 ――次に会えるのは、いつ?
 ――次に声を聞けるのは、いつ?
 ……もう会えないんだよね、声も聞けないんだよね、あたしがそっちに行くまでは。また新しくどこかで巡り会えるまでは。

 鼻をすすって泣き始めた黎の肩を抱いて、手に伝わる確かな温かさの代わりに本当に大事なものもいくつも失くしてしまったのだと実感が湧いてきた。
 一番大事で楽しい時間はもう永遠に訪れない。けれど彼は、あたしに残りの時間を楽しむことができる可能性を残してくれた。黎だけでも、こうして帰してくれた。

「……黎だけでも帰してくれて、空君は本当に立派なお父さんだよね……」 
「……お母さんは、悲しくないの……?」
「悲しいよ」

 でも、わがままを言ったら空君に申し訳ない。
 本当は空君にも、もちろん櫂にも会いたかった。
 わがままなんて言えないよ。いつもいつもわがままだったのはあたしの方だ。

「……お父さんが、櫂を守れなかったってすごく後悔して、黎だけでも絶対に守ろうってすごく頑張ったんだ、ってあたしには分かるから。だから、この結果以上を求めるのはお父さんに対して失礼だよ。……黎を無事に帰してくれて、たくさん言葉も残してくれた。確かに意味がわからないし理不尽だけど、最後まで空君らしかったんだって、わかる。あたしのことも考えてくれてたんだって、わかるから、……悲しくないよ……」

 言いながらあたしは涙していた。 
 ひとりでそれだけのものを背負って、空君はどんなに不安だっただろう。強くても完璧な人じゃないから、空君は普通の人だから、きっと怖くて震えただろう。それでも、あたしや子供たちや教え子のことを気にかけてくれていた。
 そんな空君が、孤独や恐怖と戦っている間に隣にいてあげられなかったことが、とても悔しい。隣にいて、声をかけてあげたかった。少しでもその恐怖を取り除いてあげたかった。できることなら代わりたいし、あたしも一緒に死んであげられたら、と思う。
 でも、できないんだよね。
 空君は空君の全部をかけて、黎をあたしのところに帰してくれたんだよね。

 あたしは、最愛の人に心からの感謝を贈りながら、世界で一番大事な娘を抱きしめた。



2010.06.23(Wed) | ホワイトメイズ | cm(0) | tb(0) |

ホワイトメイズ  回想2



「慎吾ってさ、奥さんとどうやって出会ったわけ?」

 慎吾と空から少し離れた場所で、ルカと黎は寄り添って眠っていた。今日一日でいろいろなことがありすぎたのだ、危険だとしても多少休ませなければならないだろうという意見は慎吾と空とで一致した。
 つい数時間前に、放送があった。芹沢の苗字を聞き取った瞬間、ぞわっと悪寒が走った。

 ――流風先輩が俺を、殺しに来る。

 そんな暗鬼に駆られるばかりではいけない。空との会話に集中することにする。

「ん、えっと、ひとつ年上で、バスケ部のマネージャーで、怪我して運動できなくなって、それで」
「なるほど。通りで水城流風そっくりなわけだ」

 ――先輩が、俺を、殺しに来る。

「それは関係ないじゃないですか。まあ、確かに似てるかもしれませんけど」
「ははっ、そーかもな。あー、しっかし年上かー。俺年上とか年下とかあんまり興味なかったからなー」
「先生は自分の奥さん以外興味ないんでしょうが」
「そうなんだよな! やっぱ奥さんが一番だ」

 だからだろう、扇谷の名前が先に呼ばれて目を伏せた空は、芹沢という単語を聞いて肩を落とした。子供を死なせる親などいるものか。空は、椿ではなく大和が死んだのだろうことをきっと悟ったのだ。価値観の合いそうな二人だっただけに、悲しみもあろう。
 ――そのヤマト先輩は、流風先輩に殺された。
 ――流風先輩がヤマト先輩を殺した。
 ――俺を殺すと言った。
 
「……よし、そろそろ移動した方がいいかもな。あと三十分くらいでここ、禁止エリアだ」

 空先生とすごく話が合うかもしれなかったヤマト先輩を流風先輩が殺した俺に4番のゼッケンをくれた流風先輩が殺した一人でアメリカに旅立って行った流風先輩が殺した子供を連れて帰ってきた流風先輩が殺した俺がずっとずっと今でも憧れている流風先輩が殺したあのヤマト先輩を流風先輩が殺した俺にしか練習頼めないって言ってた流風先輩が殺した俺に面倒ばっかかけてよくぶっ倒れてた流風先輩が殺した強い声で言ってた

『慎吾だって誰だって殺すんだよ』

 そう言った、言った、言った、言った!!!!
 一番側にいたはずの俺が、流風先輩に殺される、流風先輩でさえ俺を殺そうとするのに、


「黎、ルカ。移動するから起きろよ。もーちょいしたら作戦をじ」





 この、ぎらぎらした瞳で静かに怒る男が、俺を、俺たちを殺さないわけがないじゃないか。





 しこりが大きくなりすぎて違和感もなくなる。確信に変わっていった。空は自分を殺すつもりなのだと確信した。慎吾の手は自然とデイパックの中の武器、刺身包丁に伸び、眠る黎の肩を優しく揺する空の背中に、いつもダンクを決めるように、それを根元まで突き刺していた。
 ぐ、と呻いて空の首がこちらを向く。驚いた様子はなさそうだった。
 
「あ、……あ、俺、」

 なんだよ、驚いてないってことは承知の上だったんじゃないか、そういうリスクがあるって。自分も俺を殺すつもりだったから、逆のことされても驚かないんだよな!? 俺のこと、そういう奴じゃないって見くびってたんだよな!?
 空の体はぐらりと前のめって、目を覚ましたばかりなのだろう黎に凭れかかる。お父さん!? と慌てる黎の声。早く逃げないと、空にも殺されてしまう。
 慎吾は勢いよく立ち上がると、自分のデイパックではなく空のデイパックを掴んで、寝惚け眼のルカの手を強く引いて駆け出した。





「ちょッ、父さん、何で!? どうしたんだよ!!」
「……ごめん、ルカ、」

 走り疲れて、悪い足場の中をとぼとぼと歩き始め、ルカにそんな素朴な質問をされても、慎吾には手を握ってやる程度のことしかできなかった。
 
「……俺、あの人たちみたいに特別な人間じゃないんだ」
「は?」

 ルカは一番状況を理解していないのだろう。空と黎は今頃どうしているだろうか、もう空は息絶えてしまっただろうか、まだ痛みに苦しんでいるだろうか。
 背中を貫通するかと思うほど、力を込めて突き刺したのだ。その感触は今も手の中に残っている。ルカの手を引くのは、まだ綺麗な左手だ。

「……あの人たちって、誰のことなのか知らないけどさ、……芹沢さんって人はただガキっぽくて偉そうなオッサンだし、空先生はもっともっとガキっぽい良い先生だ。水城先生は、……年齢不詳でクールなのに熱血で、やっぱちょっと子供っぽい。で、……みんな、」

 ルカは一呼吸置くと、緊張で冷たくなった慎吾の手を軽く握り返した。

「自分の子供が大事なだけだ。……父さんと同じだろ」

 歩みを止めた慎吾の背中に頭を預けるようにして、ルカもその足を止める。

「なのに、普通なのは自分だけみたいな言い方すんな!! あの人たちはずっと子供といて、親やってきたんだよ! 俺に野島慎吾しか見せなかったあんたの方が普通からかけ離れてる! あんたは最近やっと俺の父親になったんだ、やる気あんなら勝手に早々挫折してんなふざけんじゃねぇよ!!」
「ルカ、」
「……見たんだろ、芹沢さんか椿さんか、どっちか殺されるとこ。……空先生、殺したって、俺は父さんのこと責めたり、気に病んだり、ぜってーしねぇよ、そんなこと……。……ただ最後まで俺の父親でいてくれれば、それで」
「……無理しなくていいのに」

 背中に押し付けられた頭がふるふると震えていることには気付いていた。無理をしている。ルカは馬鹿ではない。だから全て察したのかもしれない。
 ショックも受けているだろう。責めたい気持ちも、信じられない気持ちもたくさんあるに違いない。それでもルカはすべて飲み込んで、こうして慎吾の手を握っている。 

「……ほんと、ルカには迷惑かけっぱなしだな」
「ホントだよ、馬鹿親父」
「ちゃんとお前が野島流風だと思える野島慎吾にならなきゃな」
「そうだ、苗字ナメんな」

 最後に、ごめんな、と呟くと、ふくらはぎを強く蹴られると同時に、謝んじゃねぇよ、と強い声が響いた。



2010.06.22(Tue) | ホワイトメイズ | cm(0) | tb(0) |

ホワイトメイズ  回想1



「……どう、したんだよ。気分でも悪くなった?」

 一応心配そうな顔を作ってこちらを覗き込む、息子のルカにまともな表情を返すことができず、慎吾は乾いた笑いを漏らした。平気、と辛うじて返せば、ならいいけど、と満足はしていない様子でルカが再び歩を進める。慎吾もその後に続いた。
 何度だって再生される。全てがスローモーションのようだった。



 ルカが先を歩き、慎吾は用心深くその後ろを歩く。四方八方を警戒しながら山の中を歩き、ぱぁん、と乾いた音が聞こえたのはつい五分ほど前のこと。何だ!? と動揺するルカを制止し、慎吾自身も草に身を隠して音源を探った。段々と暗くなる視界ではどういう事態になっているのかもわからない。ただ、本当に殺し合いが行なわれているのだと実感できる。
 誰と誰が、どうしてそうなったのか、確執あるメンバーなんてあの面子の中にいたのだろうか。慎吾の中で様々な疑念が渦を巻いた。
 その時だった。たった一言だけ、慎吾の耳に綺麗に入ってきたのだ。

『だから俺は、樹理と生きるためならお前だって慎吾だって誰だって殺すんだよ』

 その一言はあまりにも衝撃的で、その一言で全てが理解できてしまった。たくさんの情報が一気に雪崩れ込んできて、飲み込むのは容易ではない。

 あそこにいるのは流風先輩とヤマト先輩だ。
 やられたのはヤマト先輩。
 やったのは、――流風先輩。
 流風先輩は決めたんだ。子供と生きるために他人を殺すことを決めたんだ。
 その対象には俺も入っているんだ。
 
 すべてを理解して、ゲームを理解した。
 流風にそんな決意をさせるようなゲームだ、他に頼れる人間なんていないのかもしれない。
 ルカを守れるのは自分だけなのかもしれない。
 だってあの流風が、慎吾でも殺すと明言したのだ。その声には説得力があった。何よりも殺意を感じてしまった。
 自分はそれでも流風の敵になれるだろうか。本気で追いかけた人に、刃を向けることなどできるのだろうか。何を理解しても、その点にだけは結論が出ない。

「あっれ、そこにいんのルカ!? ルカだよねー!?」
「ばッか黎! でかい声出すなっつーの!」
「ほらお父さん! だってルカだよ、ルカ! てことはルカ父もいんだよ?」
「マジか! 慎吾いんのかー!?」
「「親子してでかい声出さないで下さい!!」」

 突然かけられたひょうきんな大声に、ついルカと一緒になって言い返してしまう。
 声からして、それは瀬川 空と、娘の黎。嬉しくてつい、なんてすまなそうに揃って謝る様子は普段と何ら変わりない。この人たちだけ日常生活みたいだ、と慎吾は思った。
 段々と暗がりに目が慣れてくる。空と黎にはこちらを攻撃する意思など皆無のようだ。ルカがそう判断したのか二人に近づいたので、慎吾も一応は警戒しながら空に近づいた。

「さっき銃声したよな。お前らか?」
「いえ、あれは、」

 ルカセンパイトヤマトセンパイガ

「……よく、わかんなかったです」
「ならよかった。無事で何より!」

 ルカは黎とこれまでとこれからのことについて談義している様子だった。ならば慎吾は大人として空との会話を続けることが最善だろう。
 空は、慎吾が思っていたよりずっと明るく振舞っていた。
 最初にあの教室で目を覚まし、モニターで、黎の双子の兄弟である櫂の惨殺シーンを見せられた時は、慎吾も目を逸らしたくなるほど絶叫していたというのに。どう切り替えればそうも明るくなれるのだろう。気になるところではあるが、こうして二人とも明るく振舞っていてくれているのだ、わざわざ水を差すことはできなかった。

「あのさ、慎吾」
「はい、何スか?」
「俺たちさ、あの本拠地爆破しようと思ってんだ」
 
 アレ、と空が指差した先には、小さく敵の本拠地、最初に集められた場所が見える。
 『爆破』なんて空ならいつもふざけて使いそうな言葉ではあるが、暗闇で覗き見た空の瞳は静かに怒りを湛えていて、声も少しも笑っていない。ああ、怒っているんだ。多くは話さなくとも、空が息子の死に対して誰よりも怒りを抱いているのだということはよく分かった。

「黎のバッグに入ってたのが火薬だったんだ。やろうと思ってできないことはない」

 自分がどんな表情をしているのか慎吾には自覚がなかったが、おそらくは困った表情なのだろう。空が諭すように続ける。その言葉に、それにさ、と加わって、空は苦笑を浮かべた。

「やっぱそうしなきゃ俺も納まりつかないんだよな。大事な子供、あんな風に、蹴散らすみたいにあっさり殺されてさ。俺も悔しいし悲しいし痛いけど、黎はもっとだろうし、櫂は、想像もできない」

 ぐっと拳を握る音。ぎり、と痛いくらい歯を噛む音もする。
 空が木の幹に背中を預けて座り込むと、慎吾もその隣に腰を下ろした。

「……もちろん、黎には危ないことさせられないから、実際やるとしたら俺の単独行動にはなるんだけどな。五十メートルって制約がムカつくぜ」
「……確かに、そうですね。爆破っつったら五十ぎりぎりまで離れても危ないかもしれない」

 空が遠まわしに協力を要請していることがわかる。
 人数は極力多い方がいいだろう。それに、空や慎吾に万が一のことがあっても、ルカがいれば黎は安全である可能性が高い。
 自分ならどうするだろう。子供を殺されて、こう前向きでいられるだろうか。二人いるから一人殺されてもいいなんて答えはナンセンスだ。一人も二人も同じく心が痛い。ルカがもしああやって殺されていたら、こんな冷静には考えられなかったに違いない。
 モニターに映った、生気を失ったどんよりとした櫂の瞳が忘れられない。あの時の空の表情も、声も、涙も、忘れることなどできない。
 やはりこの人は自分よりずっと大人なのだ、と慎吾は思う。それならば、協力してやるべきなのではないだろうか。

「いいじゃん、俺だって櫂さんあんな風に殺されて、このまま生きて帰れって言われたって嫌だよ」

 黎との話を粗方終えたのか、ルカが慎吾の側に来てひとこと言う。そうなのだろう。空がそうであるように、空の子供の黎と櫂も、子供たちの中心であった人物だ。
 それでも、どこか拭いきれない不安がある。しこりを抱えたまま、慎吾は頷くことしかできなかった。




2010.06.22(Tue) | ホワイトメイズ | cm(0) | tb(0) |

ホワイトメイズ  2

 この行事、移動教室の最終解散の場所は学校だ。大型のバスが行きも帰りも乗せてくれる。俺と母さん、椿の母さんだとか、瑶子おばさんも変な連絡の真偽が気になるのかやってきていた。
 大型バスが何台もやってきて、遊び疲れた顔の生徒を下ろしていく。バスが何台来て、何台去っていこうと、その中にみのりや椿の姿は見えない。いよいよ本当に何かあったんじゃないだろうかと俺も不安になってきた頃、バスの集団にかなり遅れて、一回り小さいバスがやって来た。
 バスはさっきまでの集団と同じように校門を入ってすぐのところで停車し、生徒を下ろす。一番先に下りてきたのが……与一郎とかいったか、妙にテンションが高く、そいつだけを見るなら他のバスに乗っていた生徒たちと大差ない。異様だったのは与一郎の後だ。

 みんな、死んだような目をしている。

 あの樹理が、誰かに対して敵意剥き出しの瞳をしている。水城先生そっくりの野島流風もそうだ。椿は足取りおぼつかない様子で、都筑がしっかりとその肩を支えていた。みのりは一番最後、俯き加減の黎と一緒にバスを降りてくる。その姿を見てほっと一瞬だけ安心する。
 しかし、一抹の不安がよぎる。
 一部の先生の姿が見えない。
 父さんの姿も、見えない。櫂の姿も、見えない。
 どくどくと心臓が早鐘を打つ。違う、そんなはずない。そんなはずは、ない。

「……お、にい、ちゃ」

 ふらふらとバスを降り、ふらふらと俺へと近づいてくるみのりは、たどたどしく途切れ途切れに俺を呼ぶ。俺の目の前まで来ると、青い左目と黒い右目が一瞬で涙を溢れさせた。

「お、おとうさんが、おとうさんがぁ……!」

 ――マズい。
 みのりは糸がぷつりと切れたかのように泣き始め、つられてか黎も涙し始めた。そうなるともうダメだった。その場に留まっている面子は、昨日連絡を受けた人間なのだろう。あの連絡が嘘ではないことを誰もが悟り、……当然、一番に壊れてしまうのは母さんだと予想はついていた。
 それだけで十分衝撃だったのに、俺や母さんにとどめを刺したのは、みのりたちを乗せたバスの次にやってきた小さなトラックだった。
 
 見ちゃいけない。
 これを母さんに、見せちゃいけない。

 なのに俺は手も足も動かすことが出来ずに、俺たちの目の前に運ばれ「確認」を求められたその棺の中身を、見てしまった。みのりは一瞬息を止め、それから泣いた。
 胸に穴の空いた父さんの姿が見えた。
 母さんはきょとんとその中を見ていたが、「タク?」とひとつ呼びかけて、それから、表情が、どんどん強ばって、――悲鳴を上げた。みのりの泣き声よりも大きかった。暴れて止まらない母さんを見てみのりが戸惑い、また涙する。そんなみのりの腕を強く引いたのは、奈央おばさんだった。

「みのりちゃんは黎と一緒にうちにおいで! 真紘くんは紗央ちゃんお願いね、男の子だからちゃんとお母さん支えてあげられるよね!?」

 思わず頷いたが、そんなことできる自信はなかった。俺だって手も足も震えてる。けどこれ以上母さんにコレを見せているわけにはいかない。母さんを棺から引き剥がすと、引きずってでも家に帰ろうと心に決めた。
 視界の隅にちらりと見えたのは、奈央おばさんと黎の前にふたつ並んだ白い棺。
 ――ふたつ。
 その片方に誰が入っていて、もう片方が誰なのかなんて俺はもう考えない。そんなこと、絶対に考えない。 




 父さんは本当に、母さんのことを愛していたと思う。
 俺よりもみのりよりも、誰よりも母さんを愛していて、父さんの中で母さんは家族じゃなくて永遠に恋人で。いくつ年が離れていようがそんなのは関係なかった。父さんは俺たちにも隠すことなく、母さんが一番だと公言していた。
 家族を捨てた父さんが見つけた一番綺麗なもの。そして欲しいと強く願ったもの。
 思い出にしか縋れなかった母さんが、ずっと欲しいと強く願っていたもの。



 リビングには嗚咽だけが響いている。
 母さんはテーブルに突っ伏し、俺は部屋の隅でぼんやり突っ立っていた。幾度も呟かれる、ごめんなさい、の言葉。痛々しくて聞いていられない言葉。


「……………ったから」

「欲しいなんて、言ったから」

「あたしが、子供欲しいなんて、言ったから」

「要らないから」

「そんなわがまま言わないから」

「もう、言わないから」


 ここにみのりがいなくてよかったと心底思った。
 あ、いや、……否定されてるのは、母さんが望んでしまった最初の子供だけで、みのりに罪はない。
 要らない、ごめんなさい、それを繰り返して、だんだんと心が切り刻まれていく。
 そうだよな、俺なんか要らなかった。俺を望まなければ、母さんは父さんとずっと二人で暮らせたんだろう。こんな別れをすることもなく、ずっとだ。それが叶わないのならせめて、死ぬのが父さんでなく俺だったらよかったのに。産んだことをこの年になって悔やまれるくらいなら、死んだ方がきっと有意義だ。
 俺が死んでもきっと父さんが母さんのフォローをしてくれる。でも、父さんが死んだら俺は母さんに何もしてやれない。母さんにとっての父さんは、本当に唯一無二なのだ。他の何でも替えがきかない。そりゃ何でもそうだろうと思われるのかもしれないが、母さんは、父さんさえいれば生きていける。そういう意味での唯一無二。
 父さんは、母さんにとっての“世界”そのもの。母さんという世界の“器”を満たしていたのが父さんの存在だった。それを失った悲しみは、俺なんかじゃ想像もつかない。

「母さん、もう寝た方がいい」

「子供なんて要らなかったのに」

「体壊すぞ」

「タクがいればそれでよかったのに」

「今日はゆっくり休めよ」

 声をかけても母さんは俺の声なんてまるで聞こえていないかのように独り言を続ける。いや多分、本当に聞こえていないんだろう。俺は母さんの中でいなくていい存在だから、俺の声なんてあってないようなもんなんだ。
 でも休ませないと。今の母さんの精神状態じゃ、下手すりゃ自殺しかねない。それは俺も嫌だし、みのりにこれ以上辛い思いもさせたくない。この一線だけは守らないと。父さんがいない以上、俺が守らないと。
 時計の針は残酷に時を刻んでいく。ぶつぶつ独り言を言う母さんに、俺は声を掛け続けた。もう休め、寝ないと体壊すから。……もう壊れている母さんにこんな言葉ほど微妙なものはない。やがて日付が変わる時刻になる。ふらふらしながら母さんが椅子から立ち上がったが、すぐに膝の力が抜けて崩れ落ちる。慌てて駆け寄ってその体を支えると、母さんの青い瞳が大きく見開かれた。心底驚いているみたいに。

「……なんで、あんたみたいのがいるのよ」

「片方だけ青い目なんて馬鹿みたい」

「そのくせ外見はタクにそっくりなんて、そんな都合のいい人間生まれるはずないじゃない」

「消えなさいよ」

「夢なんだから早く消えなさいよ!!」

 母さんが呪いの言葉を吐き出す。
 流石に俺も辛くなって何も言い返すことができない。俺の存在は母さんにとってただの悪夢だ。でも、俺だって望んで生まれてきたわけじゃないのに、どうして俺を産んだ当の本人に存在を否定されなければならないのか。生まれる感情は怒りでなく、悲しみ。
 そうだよな、なんで、俺なんか欲しがったんだろうなあ、母さん。
 俺の手を振り払い、一人で立ち上がると母さんはよろめきながら寝室へ向かった。俺はその背を眺めて、強く扉が閉まる音を聞いて、リビングでしばらく一人で泣いた。



2010.06.21(Mon) | ホワイトメイズ | cm(0) | tb(0) |

ホワイトメイズ  1


 家に誰もいないから。
 そう言って母さんが俺を家に呼び寄せた。実家に着いたのは夜だったのに、確かにみのりも父さんも家にはいない。聞けばみのりは夏の林間学校だか臨海学校で、父さんは何故かその付き添いで出かけたらしい。まさしく家には母さん一人だったわけだ。俺が家を出てしばらく経つが、数日間ひとりきりになることなど母さんはなかったはずだ。俺をわざわざ呼び戻すのも頷ける。
 数日戻るくらいなら別に構わなかった。そりゃあ、家を出る原因が母さんだったから、気まずい気持ちがないってわけじゃない。でも何日も母さんを一人にする方が気が引ける。あんまり寂しがらせるとキノコでも生えてきそうだからな、この人。それに俺はサークルやってるわけでも彼女がいるわけでもない。強いて言うならバイトしてるくらいだ。食事の心配をしなくていいんだから、数日の気まずさくらい我慢しよう。



 その連絡は、三日後に届いた。



 その時俺は部屋の窓を開け放して煙草を吸っていた。父さんが吸っていたものと同じ銘柄だ(多分)。母さんこのこと知ってんのかなあ、とぼんやり考えながら、曇った夜空を見上げていた。煙が雲に向かって上っていくのを目で追っていると、階下で電話のコールが聞こえた。はーい、なんて返事したって電話の向こうには聞こえちゃいないのに、母さんは上の階にいる俺に聞こえるくらいの声で返事をすると、電話を取ったらしい。コール音が止む。
 壁の時計をちらりと見ると、午後九時。そろそろ風呂にでも入るか。いや、明日みのりや父さんが帰ってくるんだから適当に荷物まとめとくべきか。といっても持ってきた荷物なんて大学で使う教科書とノートが数冊くらいで、その他はほとんどない。多分帰る時に大量の食糧をもたされるから、その辺の覚悟だけしておけばいいだろうか。
 携帯灰皿に吸い殻を押しつけると風呂に入る準備をするため窓を閉めた。
 がしゃん、と、ばたん、という大きな音が聞こえたのは、その直後だった。明らかに誰かが倒れた音だ。この家には今俺と母さんしかいない。ということは――。

「母さん!?」

 急いで階段を駆け下り、リビングへ飛び込むと、受話器の子機が床で寝ていた。母さんは力なく座り込んでいて、……よく見ると微かに震えている。その肩を軽く揺すってみても、だらりと力が入っていない。俺の右目と同じ青い瞳は虚ろで何も映していない。何というか、ぞっとする光景だった。

「……に決まってる」

 ぽつりと母さんが何か呟いた。聞き取れなかった俺は思わず「え?」と聞き返す。

「うそ、に、きまってる」

 自分に言い聞かせるような口調だった。強い口調。自分を必死で納得させようとしているような、そんな声色だ。
 何のことなのかよく分からない俺は、取りあえず床に転がる子機を拾い上げた。電話が原因なのは間違いない、けど電話が何を母さんに知らせたのだろう。俺が子機を手にした瞬間、計ったかのように再びコールが響いた。流石に今のタイミングは俺もぎょっとしてしまう。母さんは体を小さくして震えている。俺が出るより他ないらしい。
 通話ボタンを押して、桜井です、と名乗る前に相手の言葉が耳に飛び込んだ。

『紗央ちん!?』

 それもまあ、聞き慣れた声。紗央――もとい母さんをそんな風に呼ぶのはこの人しかいない。

「いえ、俺です。真紘です」
『あ、ヒロ君か……』

 少しだけほっとしたような、そうでもないような、複雑な声。その声の底にある感情が何なのか、俺には見当がつかない。
 そのまま少しだけ沈黙が訪れた。電話の相手――瑶子おばさんとの会話で沈黙ができるなんて初めてかもしれない。おばさん自身にとってもきっとこんなことは珍しいだろう。
 電話の向こうのおばさんが話し始める。こういうのを多分、重い口を開く、って表現するんだ。

『もう、ヒロ君は知ってるの?』

 何か、よくない情報がもたらされたのだろう。だから母さんが取り乱した。おばさんは俺がまだ何も知らないことを考えて慎重にそう聞いたのだろうが、どちらにせよ意味ありげな言い方になってしまう。おばさんがいくら賢くたってこればかりは仕方ない。

「いえ、よく分からないです。ただ、この電話の前にも一本電話が来て、母さんがそれ取ってから異様に取り乱してるんで何かあったんだろうとは思ってました」
『そっか……。ヒロ君は賢いね』

 このタイミングでそれは褒め言葉なのか?
 多少の疑問を抱きつつも、それで? と俺はおばさんに続きを促す。

『紗央ちんは多分ちゃんと状況教えられないと思うから、私が説明するね。動じるなとは言わないよ、けど紗央ちんほどは取り乱さないで欲しいの』
「説明される内容によるじゃないですか、そんなの……」

 でも、母さんが取り乱すことで、俺も平常心ではいられないかもしれないことなんて、みのりか父さんのことしか有り得ない。二人のどちらかか、もしくは二人ともに何かあったのだろう。それでも俺は一応男だし、ある程度のことには動じずにいられる自信があった。

『……亡くなったんだって、拓海さん』

「……は?」

 ……何かあったって、何が?
 亡くなったって、誰が? ……父さんが? は?
 嘘に決まってる、って、それのことか?

「み、みのりは!? みのりは無事なんですか!?」
『その辺は情報が詳しく入ってないからまだ分からないの。学校に入った情報がね、亡くなった人たちのことだけだったから』

 人、たち?
 その複数形はおかしいじゃないか。複数形を使うってことは、ひとりじゃないってことだ。

「人たちって、父さんだけじゃ、ないってこと、ですか」
『……入った連絡じゃ、大和くんとか、瀬川くんとか、いろんな名前があったんだけどね、子供の名前は櫂君のしか見当たらなかった』
「か、……櫂、が?」

 子供の名前は櫂しか見当たらなかった。ということは、他は大人、親の名前ってことだ。大和ってのはきっと芹沢大和、椿の親父さんで、瀬川ってのは瀬川 空、櫂と黎の親父さんだ。
 なんで、どうして父さんが? 父さんだけじゃなく叔父さんや空先生まで? おまけに櫂もなんて、そんなの――。

「……あの、俺にはイタズラとしか思えないんですけど」

 そう思う。当然だろ、親だけ死んだなんて出来すぎてる。ついでみたいに死んだという櫂なんて主犯格だとしか思えない。帰ってくる前にサプライズってところか? 瀬川家の父子が共謀して、他の親巻き込んで、家で待ってる母さんや俺たちを驚かそうって魂胆か。確かにそれならうちの父さんも、叔父さんも乗りそうだ。辻褄が合う。そうだ、そうとしか考えられない。
 
『私もそうだと思ったんだ。理央くんもまだ半信半疑でね。けど今日理央くん研究日で、学校から連絡くれたの安藤くんなんだよ。今連絡回してくれてるのは安藤くんみたい。……切羽詰まってるみたいだったし、仕事も忙しいのにそんなイタズラに乗るかなあ、とか考えちゃう』
「でも、そんな図ったかのようにみんな死んだとか、そっちの方がおかしいじゃないですか」
『……死ぬとかいなくなるとか、紗央ちんが拓海さんからは一番聞きたくない冗談だと思う。拓海さんもその辺は分かってると思うんだよ。紗央ちんのことすごく大事にしてる拓海さんがそんな冗談、言うとは思えないんだよね……」
「それは……」
 
 確かに、そうだ。
 そういう冗談は母さんは大嫌いだし、もしも話でも父さんは自分が死んだ時のことなんて話さなかった。俺が聞いたことないだけかもしれないけど、とにかくそうだった。
 
『瀬川くんとか大和くんだけなら私もイタズラだろうなって思ったと思う。けどねヒロ君、君のお父さんに関しては私はどうしてもそう思えないんだ』
「……だからって、どう確かめりゃいいんですか……」
『うん、私もそう思って拓海さんの携帯に電話したんだけど、どうも圏外にいるみたい。理央くんも向こうに参加してる人にいろいろ確認取ってるみたいだけど、なかなか繋がらないみたい。……ごめんね、色々言ったけど結局明日になってみなきゃわからないよね』
「取りあえず俺は母さん落ち着かせて寝かせるんで」
『そうして。……ヒロ君のお母さんはすごーく芯が強いんだけど、諸刃の剣って感じなの。お父さんがいないと強くなれない人なの。……ま、これで明日冗談だったらぶん殴ればいいんだよ。私もまだその可能性捨ててないしねー』

 おばさんは明るくそう締めくくった。俺が変に気にかけて、母さんに要らぬ心配をかけさせないようにしたのかもしれない。
 とにかく、状況がわからない以上俺たちは明日を待ってみるしかない。何か起きたにせよ、何もないにせよ、それまで俺たちには為す術がないのだから。
 脱力したままの母さんを立ち上がらせ、父さんがそう簡単に死ぬかよ、と自分でも地に足のついていないような、確信の持てないふわふわした言葉を母さんに言って聞かせた。母さんを寝室のベッドに寝かせ、電気を消してその部屋を出る。
 扉を閉めると音がなくなったように感じられた。なんだか背筋がぞっとして、俺は風呂場へと足早に向かったのだった。


2010.06.11(Fri) | ホワイトメイズ | cm(0) | tb(0) |

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