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軽石へちま

Author:軽石へちま
基本自キャラで凄まじく妄想してみる。
隠れ家なのでBLとか黒とか暗とか主。
キャラ崩壊必至。何とも思わないけども。
妄想についてこれる人だけどうぞ。

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後日談風味だよよろしくね!!!



 吐く息がもう白く浮き上がる季節。駅の出口の階段を下りながら、拓海は自分の体を包むコートの存在に感謝した。外出する前、十月の事件以来、しばらくデスクワークに集中するようになった所長のケレスに今日の業務の内容を確認し、例の事件の報酬で新調したダークグレーのスーツのまま出かけようとしたところで、新入りの猫を構う新入りの事務員に声を掛けられたのだ。薄い茶色の体毛の子猫を撫でながら、新入り事務員に上から下まで全身を眺められた。

『……うるせェ』
『まだ何も言ってないでしょうが!!』
『視線がうるせェ』
『ちくしょう、新入りいびりが露骨だ!』

 ぷんすか怒りながら事務員――安藤圭一は子猫を床に下ろすと事務所の隅のロッカーへと大股で歩いて行き、がたんと扉を開けて中身を物色した。今にも壊れそうな錆びた蝶番がきいきいと悲鳴をあげる。ロッカーから取り出されたものに子猫が飛びついた。「こら、きなこ」と窘めながら圭一はバサバサとその黒い布を数度大きく振ってほこりを落とす。どう見てもそれは黒いトレンチコートだった。ほこりを払ったところで裾にはきなこがじゃれついているのだが、そこはあまり気にしていない様子だった。

『何だそれ』
『ケレスさんのお古です。新調したから捨てとけって預かったんですけど、まだ着れそうなんで』

 思わず拓海が「貧乏性」と呟くと、察しのいい子猫は拓海の足元でじゃれつくと靴下の上から足首に噛みついた。きなこによるこの手の嫌がらせは、この猫がここに来た時からずっと続いている。拾ってくれた圭一や、この事務所の所長であるケレス、たまに顔を出すオーナーの息子の炎而には懐いている様子なのだが、拓海にはさっぱり懐く気配がない。丸くなって寝ている時にたまの気まぐれで撫でてやろうと思っても、拓海が手を伸ばした瞬間に気配を察して飛び起きるのだ。運が悪いと引っかかれることすらある。
 「こら」と圭一がまた声をかけると、きなこはころりと態度を変え、圭一に歩み寄った。右手で猫の首根っこを掴んだ圭一は、残った左手でコートを掴んで差し出してくる。差し出されたから受け取ったが、正直、窓の外の陽気を見るに、邪魔である。

『かさばる』
『帰りは着るんですからいいじゃないですか』
『木刀持ってくんだが』
『いつものデフォルトの装備なんですからわざわざ考慮するもんでもないでしょう。とにかく、帰りはそれ着てくださいよ。まあ暴力団関係者にしか見えないのはいつものことなんで今更ですし』

 同意するようにきなこが圭一の腕の中でにゃあと鳴いた。わざわざ突っ返したり置いていくのも面倒で、結局コートは腕に掛けたまま出かけた。日中は日差しのおかげで十分暖かかったのだ。木刀を隠すための図面ケースも肩にかけ、そのほかに軽いとはいえビジネスバッグを持って歩くのだからそこそこ荷物があって、かさばるというのは冗談ではなく本音だったのだが、今こうして防寒に役立っているのだから圭一のまめさに地味に感謝をしなければならないかもしれない。多分しないだろうが。
 初冬の風吹きすさぶ中を、駅を出て数分川沿いの道を歩くとある、寂れたバーの扉の前で拓海は立ち止まった。腕時計で時間を確認すると、その扉を開く。

「おう、よく来たな」

 カウンターでいつものようにグラスを磨きながら、店主が声を掛けてきた。薄暗い店内には店主の他は誰もいない。
 風で随分冷えたコートを脱ぎながらカウンターテーブルに着き、隣の席に荷物とコートをまとめて置いた。

「相変わらず閑古鳥だな、商売する気あんのか?」
「うるせえな、いいんだよ道楽だから」
「そのうち道楽で破産しそうだな」
「そしたら情報のツケでお前から金もぎ取ってやるさ」
「何だ情報のツケって。人でなし」
「人のトラウマ抉って情報引き出した男に言われてもなあ」

 薄く笑いながら男が手際よく差し出したハイボールのグラスに口を付ける。ほどよい苦みと炭酸の刺激が口の中に広がる。
 このバー『無礼』は最近の拓海の行きつけとなっている。それまではどこへ行くにも車移動が多かった拓海だが、仕事帰りにここへ寄るために電車移動をすることも増えてきていた。今では気安く話せる店主の坂場は元刑事ということもあり、何かと共通の話題も多い。一杯目が注文無しで出てくる程度には親交を深めていた。

「で、なんだ今日は。仕事だったのか? 変な服着て」
「どう見てもやり手の外交官だろ?」
「俺が交番勤務なら確実に職質だな」
「……そりゃ俺も否定しないが、白金の交番が平和ボケしてたからか何のお咎めもなかった」
「白金? また何でそんな場違いな場所に」
「分かってたが、いちいち失礼だなあんた」

 拓海がため息をついて肩を落とすと、坂場はがははと笑って見せた。悪気は一切ないらしい。
 
「シロガネーゼのババアの護衛」
「ほう、んな仕事もやってんのか」
「まあ触手の異形と戦うよりはこっちのが本業に近いな。でも結局ババアの護衛じゃなくて、ババアが数時間留守にする間ババアの猫をお守りする仕事だった」
「猫!?」
「ああ。白くて毛が長い、いかにも高そうで性格悪そうな猫だった」
「はあ、まあ、それで払うモン払ってもらえんなら儲けもんだろ。少なくとも命の危機はない。今んとこお前しか頭数いねえんだろ。動けるうちに働きな」
「へいへい、先人の言葉には重みがあらァ」

 先日の事件があってから数度、拓海はここに足を運んでいる。その足が義足であることを知ったのもつい先日のことだ。動けるうちに働けというのは、坂場からすれば本当に文字通りの意味なのだろう。警察に在籍しているとかいないとか、そういう次元の話でないことは拓海もよくわかっていた。拓海自身、自分の性格上、単に捜査上に上がっただけの重要人物に、事件後も関わるなんてことは珍しいのはわかっている。それでもここに赴いたのは、坂場が自分と同じ境遇に過去あったことを知っていたからだ。
 あの気味の悪い本を読んでからというもの、ケレスは精神的に疲弊している。医者は静養するしかないと言っているようだが、実際その中身が何だったのかは拓海にはよくわからないでいる。わからなかったのはケレスが内容をぼやかして伝えたからではあるが、それゆえその忌まわしさの本質を、彼はひとりで引き受けることになってしまった。聞けば、幻聴の類に悩まされているらしい。あまり大きく動けないとなれば彼は事務所でデスクワークにしばらく専念するしかない。本部機能のように安楽椅子探偵をすることはできるかもしれないが、日常的にそんな必要性のある仕事が舞い込むかと言えばそうではない。動ける自分が力仕事を任されるのは問題ないが、拓海の気がかりはひとえに所長の精神状態なのであった。つまり、柄にもなく相談相手を求めてここに来たということになる。
 坂場の境遇は本人から聞いた通り、把握している。“相棒”のことはきっと蒸し返されたくないだろうということもわかっていた。お互い元警察官だったということ以外の共通項を持たなくても、拓海のような人間が相談めいた話をするのは余程のことだと気付いたらしい坂場は自分の経験を交えて拓海の話を聞いた。


『あの類のものは一般人が触るべきじゃねえよ。できるなら今すぐ焼いちまう方がいい。人ひとり自殺に追い込むような本が必要な奴なんてロクな奴じゃねえ』


『だが、危険だからこそできねえのも分かる。だからな拓海、今更手放せねえなら抱えさせるな。お前ができるのが一番なんだろうが、お前も俺と一緒で学はさっぱりねえだろう。お前にできるのは、金髪のあんちゃんにそれを触らせねえことだ』


『あのあんちゃんみたいな論理型の奴は、病状に目途がついたらまたチャレンジするからな。それもなまじ頭が回るから、“支障のないペースで”進めようとする。俺は中身のことはよくわからんが、人を死に追い込む内容にペースもクソもねえってことくらいはわかる。言い方は悪いが、あんちゃんが消耗してんなら今しかねえ』


『ここまでしてやったお前に同じ轍踏まれちゃ困るからな。無い頭使って賢く動けよ』


 これまであまり他人を信用してこなかった拓海ではあるが、この回答にはとにかく救われた気分になった。見抜きの仙、とはよく言われたものだ。ネーミングセンスは若干アレだが、と思わないではないし口に出すには恥ずかしい通り名なので、茶化すときにしか言いはしないが、まったくもって洞察に長けているオヤジだ、と思う。
 拓海が学のない頭を使って作った場が今日のこの場である。坂場にも伝えてはいないが、一応ここで待ち合わせをしているのだ。待ち合わせは午後七時半。拓海が店に入ったのが七時半少し前、今再び拓海が腕時計を確認すると時刻は八時になろうとしていた。連絡もないのはおかしい、とスマートフォンの画面を確認すると。

「……あ」
「どうした」
「いや」

 画面には拓海が店に入った直後くらいから現在に至るまで、一分間隔で電話があったことを知らせる履歴が実に三十件ほど。業務に支障が出ると困るのでサイレントモードにしていた上、時間の確認はすべて腕時計でしていたから気づくのが大幅に遅れてしまった。バーのドアベルが、ドアの開かれる音とともにけたたましく鳴ったのは、折り返しの電話をしようと拓海がスマートフォンを耳に当てた直後だった。高いヒールをいっそガツガツと聞こえそうなほど強く鳴らして歩く彼女の羽織ったコートから、おそらく電話の着信音がピロリロと響いている。無事に着けたのならそれで、と拓海が自分の通話を切ると彼女の着信音も消えた。
 肩より少し短く切り揃えられた髪はきつめのパーマがかかっており、彼女の少しきつめの眼差しによく似合っている。彼女がベージュのトレンチコートを脱げば、黒のスーツ姿が露になった。体のラインを強調するような開襟の白いシャツに、少し短めのスカートが性格やらスタイルへの自信やら何やらをすべて物語っている。

「拓海、あんたねえ、あんな説明でわかるわけないだろうがっ!! 何だ“川沿いのバー”って!!」
「俺に聞きゃいいだろ」
「だから電話したのに出ねえのはどこのどいつだ? ああ?」
「着けたんだからいいだろ、細かいこと気にすると白髪増えんぞ」
「死ねこの馬鹿熊がッ」
「痛えッ、ヒールで蹴るんじゃねえよ暴力女!」

 他に客がいないとはいえ、入店直後からのドタバタに坂場が息をついた。いらっしゃい姉ちゃん、と坂場が声を掛けると、女――佐伯 みやびは我に返って拓海の隣のカウンターチェアに腰掛ける。

「姉ちゃんは何にする」
「んー、こういうとこ詳しくないんだよな。こいつがバーなんて入り浸ってんのも初めて聞いたし。ま、いいや。こいつと同じので」
「あいよ。飲める姉ちゃんなんだな」
「伊達に男社会で働いてないってことで!」

 にかっと笑ってみやびがピースをしてみせると、大体の人となりが読めたらしい。害はないという判断だ。
 拓海に渡したものと同じグラスをみやびに渡すと、一応二人は乾杯の真似事をした。

「で? この気が強くて綺麗な姉ちゃんはなんだ? 彼女か?」
「「近くて遠いものです」」
「……ああ、なるほどな。彼女ってほど甲斐甲斐しくは見えねえからな……」
「心外だなマスター、あたしはこれでも“ちゃんとした”恋人には尽くすタイプなんだ」
「それを拓海が拝んだことはないってこった。まあ確かに尽くしてやりたくなる男ではないわな」
「だろ? わかってるねー、いいじゃん拓海、あたしこの店気に入ったよ」

 上機嫌でハイボールを飲み下すみやびを見ながら、坂場がにやにやしながら拓海に顔を近づけ、小声で話し始める。

「同僚か」
「同い年の後輩だ。俺は高卒、こいつは大卒。俺が4期上」
「なるほどな。……しっかし、わかりやすい好みしてんなお前も。俺もこういうタイプは嫌いじゃねえよ」
「有馬祥子が最初に着任した署で先輩だったのがこいつだ。じゃなきゃ呼ばねえ」
「なら、聞いてて気分のいいもんじゃねえな。俺は外すぞ、拓海」
「ああ、構わねェ」

 坂場がもうああいった事件に関わりたくないという認識は変わっていないことは拓海もわかっている。場所を変えればよかったのかもしれないが、気兼ねせず話せると言う面ではここが最適だと考えたのだ。
 出ていけと言われないのだから十分だ、と拓海は思う。しかし席を外すというのは、他に客が来ると言う想定を一切していないのだろうか。

「それじゃ、俺は少し外すから、ゆっくり話せ。注文があったら呼べば聞こえるから」
「あ、じゃあマスター、もう一杯少し濃いめでお願い」
「居酒屋じゃねえんだからあんま飛ばすなよ、姉ちゃん」

 坂場は手早く次のハイボールを作るとみやびに手渡し、勝手口の向こうへと消える。その背を確認してから、拓海は改めてみやびに向き直った。
 みやびもその空気を察して、グラスに口を付けながら横目で拓海の様子を確認している様子だ。

「……有馬の話聞いただけで驚いたってのに、辞めたあんたが関わってるってどーゆーこと?」
「探偵稼業だ、何に巻き込まれるかわかんねェな。“見抜きの仙”って聞いたことねえか? さっきのマスターだ」
「あー、都市伝説みたいなもんだと思ってたけどほんとにいたのか。残ってる逸話がファンタジーすぎてついてけなかったんだよなあ」

 そう言われてみれば確かに、と拓海は思う。やり手の刑事が、盟友であった精神科医が爆発事故をきっかけに引退なんてストーリーはドラマチックではあるが現実味には欠けている。
 それで? と今度は拓海が切り出す。元々有馬祥子の話を改まってするつもりはなかったのだ。品川の署に勤めていた後輩を酷使して、みやびが有馬と先輩後輩の関係にあることは事件後突き止めたが、だからといって終わった事件がどうなるというわけでもない。世間話のひとつとして有馬の話と、訳あってプレアデス劇場の爆発事故について調べているから当時回収された遺留品で何か特徴的なものがあれば教えてほしいとみやびに電話してみたところ、したい話もあるから久々に会って飲まないかと持ち掛けたのは実のところ彼女の方だった。拓海は落ち着いて話せる場所を提案したにすぎない。プレアデス劇場の話は突っ込むべきではないとは分かっているが、自分であの資料を読み解けない以上は他の切り口から劇のことを知るよりほかなかったためだ。口実ではあるが、収穫があれば儲けもの、程度の認識だった。

「ああ、まあ大した話じゃないんだけどね。引っかかるから、誰かに話したいだけだったんだ」
「何に引っかかった?」
「プレアデス劇場の爆発事故」

 みやびの指がつう、とグラスの縁をなぞる。

「あたし、大学の後輩にすげえアクティブな奴がいんだよ。あ、女だよ女」
「お前にそんな賢そうな後輩がいたとはな」
「うるせえ! それでまあ、そいつ大学出てからイギリスの院に留学して博士号とってさ、帰国したのが去年。分野的にそこまで関わりはなかったんだけど、去年そいつから連絡があって会うことになって、会ってみたらびっくりなんだけど、帰国したその足でスーツケース転がしてきたわけ。普通じゃないだろ?」
「私留学してたんですイギリスの風に当たってきたんです自慢するにはいいんじゃねえか?」
「……まあ、そういう節がないわけじゃない奴だから深くはつっこまなかったけどさ」

 しかし、みやびは後輩を確実に“普通ではない”と感じたという。雰囲気自体はそう変わっていなかったが、どこか凛と張り詰めたような印象があったと言うのだ。

「それでさ、思い出話もそこそこにいきなり切り出されたのがプレアデス劇場の話だよ。しかも事故そのものの話じゃなくて、事故当時上演されていた演目が知りたいってピンポイント具合で」
「……それで? お前はなんて答えた」
「あいつもあたしが警察だから頼ってきたんだろうけど、所管の署でもないしさ、でもでかい事故だったから調べれば演目くらいわかるかなとは思って、調べてみるって答えた。……ま、なんにも出てこなかったんだけどさ。わかんなかったって連絡した時の落ち込みようったらなかったな。“こういのおう、っていう劇のはずなんですけど”とか呟いてたけど、そんな言葉欠片も出てこなかったし」

 久しく聞いていなかったその単語に鼓膜が震えた。おぞましいその文字の羅列。
 そんなものを自分たちや坂場のほかに知っている一般人がいるなんて考えたこともなかった。

「……そいつ、こういのおう、って言ったのか。それが劇ってことまで知って、そう言ったんだな」
「? ああ、劇場で演じられてたって流れだから劇だってことは知ってるだろうな。そいつが連絡してきたのは去年のことだけど、あんたも劇場のこと嗅ぎまわってるみたいだし、何かあるのかなと思って」
「……イギリスに留学してたって言ったな。なら英語はできるんだな」
「そりゃあもう。日本語・英語・ドイツ語の読み書き日常会話には不自由しないって触れ回ってたよ。あとは学問上ラテン語も勉強してたみたいだったな、あたしにはさっぱりだけど」

 ――ラテン語。
 拓海は事務所の金庫の奥で眠る二冊の古びた本のことを思った。一冊は英語だと言っていたが、ケレスには読む時間がなかった。別の本を読み解くのでかなりの時間を消費したからだ。もう一冊は確かラテン語。それは時間的にも能力的にもケレスには難しいものだっただろう。手つかずの二冊の本。内容はわからなくても、ろくでもないものだとは坂場も言っていた。拓海自身もそう思う。あれは、ろくでもないものだ。一般人が手にするべきでないものだ。関わるべきではないものだ。
 ……それでも。

「……みやび、そいつの連絡先教えてくれ」

 みやびが目を見開いた。余程今の話の流れが異様だったのだろう。

「才女ってあんたの嫌いなタイプじゃない? 見てくれは結構いい奴だけど。それともラテン語教わりたいわけ?」
「似たようなもんだ」
「ふうん。まあいいけど。あたしも繋がりが気になって喋りにきたわけだし。んー、そうだなあ、いい店教えてもらったし、ちょうど切らしてるから煙草一箱でいいや」
「その文脈なら普通一本とかだろうが……」

 鞄をごそごそ漁ると、昼間依頼人の家へ行く前に三箱まとめて買った煙草があった。そのうち二箱を手に取ると、みやびの目の前に置く。

「お? 気前がいいな。さんきゅー」
「貸しだ貸し。警察に恩売っとくと仕事が楽になるもんでな」
「あたしに売っても何も出ねえぞ、品川のアイツがポンコツなんだよ」
「否定はしねェ」

 酷いっス先輩!!!と嘆くポンコツ巡査の声が聞こえたような気がしたが気のせいにすることにした。
 みやびは早速箱を開けると中身を一本咥え、お裾分け、と拓海に箱を差し出す。そこから一本を抜き取ると、それぞれ自分のライターで先端に火を点けた。ライターをジャケットのポケットにしまったみやびはスマートフォンを操作して電話帳の番号を表示させる。その名前と番号が、みやびの言う後輩のものなのだろう。

「――照井 瑶子。今は空木大学で古代西洋史の講師をしてる奴だ」





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2015.11.05(Thu) | IF世界 | cm(0) | tb(0) |

女の子の樹理はかわいい



 初めて何日もケレスと離れたのは、わたしがケレスと暮らすようになってすぐのことだった。たまたまその時ケレスは二年生の担任をしていて、その他のことではいつも一緒にいてくれたけど、修学旅行の引率ばかりは断ることができなかったみたい。センヤの家に預けるからな、と言われて、わたしはいっしょうけんめい考えて、にっこり頷いた。多分、そうするしかなかった。今でも多分、わたしはそうすると思う。修学旅行、も、引率、も、留守、も、難しい言葉はわからなかったけど、ケレスがわたしから離れるんだということは理解できたから。ずっと離れるわけじゃない、ということも大丈夫、わかっていた。ちゃんと毎日わかるようにしていた。それを考えていなかったら、不安で悲しくて、きっと泣き出して止まらなかったと思う。
 修学旅行の最初の日は朝が早いから、わたしはその前の日の夜からセンヤの家に預けられた。わたしの服とか、おもちゃとか、絵本とかが一式入った鞄をタカヒサに渡したケレスは、膝を折り曲げて屈んで、わたしの頭を撫でた。今でも覚えてる。胸の中がひゅっとするような、ぞっとするような、おそろしさ。ケレスに縋り付きたくて、泣き出してしまいそうで、でも、それをやっちゃいけないってわかっていて、わたしはじっとケレスを見ていることしかできなかった。
 ケレスの顔はいつも怒るばっかりが目立っていて、うれしいも、かなしいも、たのしいも、くるしいも、よくわからない。いつも、眉の間にシワを寄せる。わたしは未だにケレスの“心配そうな顔”なんて見たことはないけれど、今思えば、あれがその表情だったのかもしれないと思う。
 預けられている間、わたしはまともに眠ることができなかった。センヤの家には、サクラも、ヒサヤも、アキヒトもいたけど、いつもと違う部屋で眠ることには慣れていないし、何よりもケレスのいない毎日が不安で、不安で、ひとりで布団の中で丸くなって泣いていた。ケレスの前で泣いたらダメ。わたしにはこの人しかいないから、困らせちゃだめ。おとうさんじゃないけど、こまらせたら、だめ。またいなくなっちゃうかもしれないから。また大人たちの中でいろんなところに行かされて、今度はずっとひとりになってしまうかもしれないから。
 眠っていないわたしのことはすぐタカヒサもシラギクも気付いたみたいで、預けられて三日目の夜には、センヤの子供たちと一緒に夜の散歩に出かけた。センヤの家のお庭は広くって、夜なんかに歩いたらどこかに引きずり込まれてしまいそうなのに、みんな一緒だと全然怖くなかった。タカヒサがわたしの手を引いてくれたことも、よく覚えてる。タカヒサもケレスと同じくらい表情がタンパクだけど、でも、ケレスとおんなじくらいやさしい人だと思う。わたしがタカヒサと手を繋いでいると、ずるいずるいとアキヒトがわたしの手をとって、その隣にヒサヤがいて、サクラが一番はじっこで、空はきらきら綺麗な星が輝いていて、流れ星がいくつか流れたのも見た。
 その次の日は、ヒサヤやアキヒトと同じ部屋に布団を並べて、シラギクが枕元で本を読んでくれた。うちにあるのは外国のおはなしばかりだけど、センヤの家にくると日本の昔話を教えてくれる。わたしがうとうとすると、シラギクがにっこり笑って布団を掛け直して、おなかの上をぽんぽんと軽く叩いてくれるのが心地よくて、そんなふうに、センヤのみんなはわたしにすごく優しくしてくれる。だから、今でもずっと、大好き。
 ケレスが帰ってきたのはその次の日だった。みんなにすごくよくしてもらったから、あんまり寂しくなかった。大丈夫だった。なのにケレスが帰ってきたとき、わたしは大泣きしてしまった。お世話になったのに、すごくヒジョウシキだと思う。ケレスが帰ってきた。帰ってきた。大丈夫、この人は帰ってきてくれる。わたしはひとりにならない。ケレスはため息をついてわたしを抱き上げる。あやすみたいに背中をぽんぽんするのは、つい最近までわたしが何かで大泣きしたときはいつもしてくれていたこと。





 わたしがいろんなことをため込んだ状態で開けたクリニックの扉の向こうで、ここのクリニックの院長先生は「もう来たのか」と言った。アポなしの突撃だったからその発言はよくわからなかったけれど、そんなことは今のわたしには知ったこっちゃないのですよ。
 診察室でカルテの整理をするカナメを見ながら、わたしは診察台に腰かけて、ため込んだ愚痴を一気に吐き出した。
 ごめんなさい、さっきまでの回想でにっこり笑って頷くなんて言ったけど、わたし我慢できなかった。

「でねでねっ、カナメ聞いてよ! ケレスはね、わたしが何回も行っちゃやだって言ってるのに聞いてくれないのよ!!」
「二年に一回繰り返す問答ならそうもなるだろう」
「わたしがちっちゃい頃はもっと心配してくれてたのに」
「今も十分過保護だと思うが」
「……カナメもいじわる」
「先生の苦労は知っているからな、お前が来た頃から」

 カルテの整理をしながら、カナメはわたしの方なんか見ないでそう言う。カナメはわたしをちいさい頃から診てくれているお医者さん。わたしとケレスのことをタカヒサと同じくらいよく知ってくれている。シラギクがいて、サクラやヒサヤ、アキヒトがいるタカヒサと違って、カナメは一人暮らしだ。だからたまにこうしてクリニックに遊びにきては話し相手になってもらう。ちょっとはかわいがってもらっているんだろうとは思う。
 でも親身になってくれないカナメの意見はわたしの心を満足させてはくれない。ソファーの上でむすっと頬をふくらませると、「戻らなくなるぞ」とカナメが言うので慌ててやめた。お医者さんの言うことは、シンピョウセイが高くてちょっと怖い。
 わたしだってケレスと修学旅行行きたい、と駄々をこねて、もちろんそれだけが理由じゃないけど、わたしはツキ高を受験した。ツキ高の試験は難しいと評判だったけれど、勉強は好きだったから苦ではなかった。でも、せっかく入学したのにケレスはわたしの担任じゃないし、二年生の担任になっちゃうし、だからまた修学旅行に引率で行く。わたしをひとり残して。
 ……わたしだって知らないわけじゃない。わたしを引き取ってから数年は、どうしようもない年以外は担任を引き受けなかったってこと。ずっと副担任だったってこと。担任をまたちゃんと持つようになったのは、わたしが小学校の高学年になる頃だった。それでも三年生の担任は持たない。一応付属大学があるけれど、外部進学も少なくないから、進路指導に時間がとられてしまう。一年生は一年生でまだ手がかかる。ケレスが二年生を受け持つ回数が多いのは、そういうことだった。多分、きっと、わたしのためだ。ケレスはそんなこと口に出さないし、ケレスの周りの誰もそんなこと教えてはくれないけど、これがオシテシルベシということなんだというのは、わかる。

「……ケレスがわたし以外の子におやすみ言ってるのなんていやなんだもん」
「修学旅行でそんな優しい消灯はないと思うが」
「わたしはひとりで寂しいのに」
「今年も扇谷の家に行くんだろう? ひとりじゃない」

 カナメは当たり前のようにそう言う。わたしはいっそう不機嫌になった。

「……腹が立ったので、今年はひとりで留守番する! って言ったら、勝手にしろって言われちゃった」

 わたしだってケレスと一緒に修学旅行行きたいっ、といくら言っても聞いてくれなかった。当たり前かもしれないけど。
 さみしいから一緒にいて、というのも聞いてくれなかった。当たり前かもしれないけど。
 わたしが「今年はひとりで留守番する!」ってやけになって叫んだ時、ケレスは新聞から目を離さずに、勝手にしろ、ってそう言ったのだ。冷たい。いじわる。ケレスはわたしに何があってもいいんだ。大事に育てたわたしに何があってもいいって言うんだあ! そう思って部屋を飛び出した。後ろを振り返っても追いかけてきてくれてるはずなくて、怒りも半分、さみしさも半分。さみしい方がちょっと大きいかも。

「……なるほどな、先生にはお前の行動パターンなどお見通しだというわけだ」
「? どういうこと?」

 カナメがふっと薄く笑う。カナメはケレスと仲がいい。
 カナメのこの口振りからすると、きっとケレスはあの喧嘩のあと、カナメに連絡を取ったんだろう。ケレスにとっては喧嘩ですらなかったに違いない。これもきっと、オシテシルベシというやつなのだ。
 ケレスにはどうせわたしの考えてることなんてぜんぶお見通しなんだ。だからカナメは、わたしが今日このクリニックに来た時「もう来たのか」なんて、言ったんだ。ケレスのばか。むかつく。大好き。

「やっぱ言わなくていい。……くやしいけど、留守番はやめて、ここに泊まるっ」
「ならよかった。料理が上達したとも聞いていたからな」

 とんとんとカルテを束ねて棚にしまいながら言ったカナメの言葉に、わたしは大きく反応する。ケレスは本当にずるい。そんなことをカナメから聞いたら、どうしたってにこにこしてしまうのを止められない。
 ケレスはずるくてかっこいい男だから、ぜったいナイスバディなビューティーをたくさんはべらせることができるんだ。でもそれをしないのはわたしのため。それは少しどころじゃなく、とってもとってもうれしくて、誇らしい。学校のみんなが、かっこいいなあと思いつつも恐れているケレスセンセイは、何よりもわたしを優先してくれて、わたしのことを一番に見てくれてるのよ!

「ケレスの好みの味付けの料理なら、わたしはなんだっておいしくつくれるの」

 わたしの言葉に、カナメは「そうか」と返事をしてから、わたしの目の前まで来て、ぽんぽんと頭を撫でてくれた。
 ケレスのおともだちは優しいひとばっかり。ルイは友を呼ぶ、ってこういうことなんだとわたしはひそかに実感している。
 その後クリニックの待合室でコーヒーを飲みながら、カナメと話をした。来た時に全部話そうと思っていた愚痴の八割はどこかへ消えてしまって、先生しているケレスの話とか、家にいるときのケレスの話とか、ほんのちょっとだけわたしの話とか。カナメはわたしの話をいつも聞いてくれる。「そうか」って相槌を打ちながら。ただ聞いてくれているだけだけど、それだけで十分。
 ふと壁の掛け時計を見ると、六時半を回っていた。わたしがここに来て、二時間近くが経つ。そろそろ帰ろうかなと思っていた頃、クリニックの扉が開いた。わたしが来た時にはもう診療時間は終わっていたから、ここを開けて入ってくるのはカナメの知り合い以外にない。

「先生っ、遅くなりました!」

 ばたばたと駆け込んできたのは、わたしと同じクラスの男の子。背が高くて、優しくて賢い。わたしが一度もテストで勝てたことのない人。ソラ先生の子供で、今度の選挙に副会長で立候補をするらしい。たしか選挙は来週だから、もう大詰めのところだと思う。
 襟元をぱたぱたさせて風を送り込みながら視線をすこしずらした彼と、わたしと、視線が合う。

「カゲヒロ!」
「あ、樹理か。来てたんだな」
「うん。カゲヒロはまたカナメとお勉強?」
「そう」

 カゲヒロの将来の夢はお医者さんになること。カナメに憧れて、カナメみたいなお医者さんになりたいんだと言っていた。わたしはよくカナメのところに遊びに来るし、カゲヒロは中学の頃からこうして週一回カナメに勉強を見てもらっている。だから、ツキ高に入る前から何度か顔を合わせていた。カゲヒロは学校からすごく急いできたみたいで、肩で息をしながらソファーに腰かけた。

「そんなに根を詰めなくても、学校が忙しい時は休めばいい」
「いえ、先生のご都合なら仕方ないですけど、俺の都合で手を抜きたくないんです。だから頑張ります」
「そうか。疲れているだろう、何か飲むか?」
「あ、俺自分で淹れるんで先生は座っててください! 先生は何か飲みますか? 樹理は?」
「俺たちは今まで飲んでいたところだからな。いいから座って、準備していろ」

 カゲヒロが立ち上がろうとしたところをカナメが止めて、コーヒーを淹れに行く。カナメは普段コーヒーばっかりだから、わたしに出すのもいつもコーヒー。わたしは家でケレスに出すのがコーヒーばっかりで、ついでに自分でも飲むからすっかりコーヒー好きになってしまった。ケレスやカナメが飲むみたいにブラックで飲むのも好きだけど、砂糖やミルクをたっぷり入れて飲むのも好き。まあそれは今関係ないけど。
 カゲヒロはカナメが飲み物を淹れてくれることにキョウシュクしてる様子で、でも言われた通りてきぱきと問題集とノートを用意している。カナメはすぐにマグをもって戻ってきた。中身はきっとカフェオレだ。カゲヒロはすごーく大人に見えるけど、コーヒーのブラックは苦手みたい。だからカゲヒロはここにくると大抵カフェオレだ。マグを受け取って、カゲヒロはにこにこ笑って頭を下げる。

「すいません、ありがとうございます」
「ああ」
「じゃあ早速見てほしいんですけど、あ、樹理も一緒にやってくか? 今日は数学を見てもらうんだ」
「んー、ミリョクテキだけど、今日はもう帰るね」

 ぱたぱたと手を横に振って、そのお誘いを断る。
 もう随分暗くなってしまったし、帰って夕ご飯の準備をしないと。今はいつも以上に、早くケレスの顔が見たい気分なのです。
 わたしが立ち上がって帰り支度を始めると、カゲヒロが「送って行こうか」と声をかけてくれる。わたしは首を横に振る。カゲヒロの勉強の邪魔はしたくない。

「先生には俺から連絡を入れておく。気を付けて帰れよ」

 未だに旧式の携帯電話を手に、カナメがそう言ってくれる。うん、とにっこり頷くと、わたしは鞄を肩にかけてクリニックを飛び出した。
 夏休みの間はもっと長い間明るかったのに、今はもう真っ暗だ。帰り道を急ぎながら空を見上げると、きらきらと星が輝いているのが見える。いつかセンヤのおうちでタカヒサやみんなと見たような、そんな綺麗な星空。
 家へ行くには駅に向かって電車に乗らないといけない。駅前近くの大通りで横断歩道の信号が青になるのを待っていると、よく見慣れたバイクが歩道に寄って来て、止まった。わたしは小走りで駆け寄って、フルフェイスのヘルメットをかぶったそのドライバーにぎゅっと抱き着く。風を切って走るから、わたしの肌に当たるジャケットがひんやりと冷たい。

「遅くなるなら連絡入れろっつったろうが。何時だと思ってんだ」
「はあい、ごめんなさい」

 笑って謝りながらわたしは手首にかけたヘアゴムで髪をくくる。それから、バイクの後ろに収納されてるオープンフェイスのヘルメットを取り出して、自分の鞄を無理矢理そこに押し込んだ。ケレスが来たのは偶然じゃない。わたしを迎えに来てくれたんだ。

「どっかで適当にメシ食って帰るか」
「あ、じゃあね、マックでハンバーガー食べたいっ」
「食事もらってねえガキみたいなこと言うんじゃねえよ」
「え、でもでもあんまり食べたことないんだもん、いいじゃんたまにはー! ケレスと一緒にハンバーガー食べたいー!」

 ケレスの後ろに跨って、腰に腕を回してぎゅうっとすると、ケレスの肺が大きくなって、しぼんだのがわかる。これはため息。諦めてわたしの言い分を飲んでくれる時。
 ケレスがぱしんとヘルメットのシールドを下ろす。

「寝たら落とすからな」

 わたしをバイクに乗せると、ケレスは決まってそう言う。すっごく小さい頃わたしが一緒に乗った時、一度寝てしまったことがあるからだ。その時はわたしはケレスの前に乗せてもらってたから、ずるっとわたしがずれたことにもケレスはすぐ気付けたみたいだけど、後ろだとすぐにはわからないかもしれない。かといって前に乗せられるほど小さくもないし。ということで、嫌味っぽくいつも言うのだ。でももうわたしは小さくないし、寝たりしないし、ケレスにぎゅってしてれば安心だってわかってるもん。
 ウインカーがカチカチと鳴る。流れを見計らってバイクが動き出す。ケレスの腰に回した腕に力を込める。
 わたしはケレスがだいすきなんだよ。パパもママも、みんないなくなっちゃって、わたしにはケレスしかいないんだもの。タカヒサもカナメもエンジもみんな優しいけど、傍にいてくれるのはケレスだけってわたし知ってるんだから。だから修学旅行のほんの短い間でも離れるのは嫌なんだよ。ケレスにとってわたしは娘でしかないかもしれないけどね。
 今のうちに少しでも充電充電。そう思ってわたしはケレスのつめたいジャケットを堪能することに集中するのでした。




2013.12.11(Wed) | IF世界 | cm(0) | tb(0) |

きみに遺す物語

『これからフライトか。体平気なのかよ』

 旧友――芹沢 大和は電話の向こうで、珍しく心配そうな声を出している。それがなんとなく気色悪くて、俺は笑った。

「平気だよ。そっち着いたらとことん寝るから。面倒よろしく」
『ガキの面倒はついでみたいなモンだからな、任せとけ。俺はやらないけどな』
「はは。葉山後ろで怒ってんだろ」
『心配無用。お前のガキの話、あいつには通してないから』
「お前なあ……。簡単な話くらい通してやれよ。可哀想だろ」
『サプライズって奴だろ。そっちのが面白そうだしな』
「へーへー、然様でございますか」

 ヤマトは相変わらずだ。葉山との夫婦生活も、随分板についている。そりゃもう子供がいるんだから板についていないと困るわけだが。
 
「――それじゃ、もう切るぞ。着いたらまた連絡すっから」
『了解。気ぃつけてな』
「ん、さんきゅ」

 携帯の通話を切る。その瞬間にくらりと眩暈に襲われて、膝の力がかくんと抜ける。
 俺の右手を弱い力で握る樹理が、不安そうな瞳でこちらを見上げる。金色の髪、淡い緑色の瞳。彼女の忘れ形見。彼女の面影を宿した小さな命。俺はこの子にもう二度と不安な思いをさせてはいけないのだ。今だって樹理はきっと、今にも俺がこの手を離して一人で国へ帰るんじゃないかと思っているはずだ。幼かったはずの彼女が、少しだけ大人になって、樹理に呪いを与えた。恐ろしく純粋な呪い。湧き上がる思いに、彼女は正しい言葉を選べなかった。知っている言葉で、樹理に伝えた。お父さんの困ることはしちゃダメよ、と。それが樹理の小さな心にどう響いたのかは、わからない。弱っていく母親が、最後に自分に託した言葉。それをこの小さな子供が、どう噛み砕いたというのだろう。
 
「……だいじょうぶだよ、樹理」
「ほんとに? だいじょうぶ、おとうさん?」
「大丈夫だから。ごめんな」

 ふわふわの髪を軽く撫でてやる。今にも泣きそうなくせに、その若草色の瞳は頑なに涙を流そうとはしない。樹理の手を握り直して、取りあえず近くのベンチまで移動することにした。大丈夫と口では言うものの、こうも頭痛と眩暈が酷くてはかなわない。電話をする数分前にタクシーで空港についたばかりだった。空港の中でもいいのだが、中は中で人が多くて頭痛がひどくなりそうだった。外ならまだ人の煩わしさは解消されるだろう。
 ここ数年で、立て続けに人が死んだ。まず、俺の両親。旅行先で事故に遭ったということで、俺に知らせが届いたのは随分後になってからだった。彼女より先に親が逝くとは思っていなかったから、そりゃあまあ、かなりのショックがあった。相続だとか、諸々の手続きのために帰国して、なんだかんだと面倒な法手続を終わらせてこっちに戻った頃には、もう論文を仕上げに掛からないとまずい時期に差し掛かっていて、ほとんど寝ないで研究やら論文やらに勤しんでいた。それでも彼女と樹理を放っておくわけにもいかないから、できるだけ時間を作って会いに行って。
 彼女が亡くなったのは、論文を提出する一か月前のことだった。彼女については分かっていたことだったが、それでも、胸がきりきりと、未だに痛む。彼女に何をしてやれたか、何を与えてやれたのか、思いは尽きない。そこからがまた怒涛の日々だった。論文と並行して、樹理を日本人にする手続きを済ませなければならなかった。俺は留学生という身分で、その上国にいた両親は他界している。書類の手続きと論文とに追われて、論文は無事提出できたが、手続きが無事完了したのはほんの数日前のことだ。
 いくら寝ても疲れはとれないし、頭痛も酷い。以前は勉強に加えてバイトもしていたが、両親が遺してくれたものもあって、バイトをしなくてもよくなったのはいいが、それでも精神的な疲労は段違いに増えていた。だからってそんな姿を樹理に見せていい理由にはならない。
 空港の建物から少し離れたところにあるベンチに樹理を座らせ、隣に腰を下ろす。必要な荷物は全部芹沢の屋敷に送ってあるから手荷物自体は少ない。眉間に手を押し当ててみるけれど、そんなことで解消される頭痛なら今こんなに煩わされてはいないだろう。ここまでの体調の変化は珍しい。高校の頃は何でもかんでもやりすぎてすぐぶっ倒れていたが、こっちに来てからはそれじゃ本末転倒なのだと理解した。無茶なこととはしばらく距離をおいていたからその反動かもしれないし、もしかすると過労で何かの病気に罹っているのかもしれない。医者に診てもらっていないから何とも言えないが、全部向こうに着いてからだ。樹理は体が弱いから、俺が臥せっていてはまずい。向こうに着いたら早いところ医者に診てもらおう。これまでの疲れは回避しようがなかった。仕方ないものだった。

「……樹理」

 ふわふわとやわらかい金糸の髪を梳くように、小さな頭を撫でる。ベンチに座って足をぶらぶらさせながら、樹理は大きなペリドットの瞳を俺に向けた。
 これからはふたりだけで生きていく。たったふたりだ。俺が望んだ、彼女が望んだ、家族になることを選んだ、この小さな命を何があっても守り抜く。それしか俺が彼女にしてやれる恩返しはないのだから。何があっても樹理の傍には俺がいる。樹理をひとりきりにすることだけは、絶対にしない。

「まだ時間あるからな。そこで飲み物買ってくるよ」

 ベンチの前、そこそこ車通りのある道路の向こうに見える自販機を指差した。
 わざわざ樹理を連れて行くほどの距離ではない。充分目に入る距離だ。

「樹理、ここで少し待っててな」

 ぽん、とまた樹理の小さな頭に手を置いた。樹理は、うん、と頷く。
 少し離れた横断歩道を渡って、通りの向こうの自販機で適当な飲み物を二つ買う。
 後は今辿った道を同じように辿るだけだった。
 歩道の信号が青に変わったのを確認して、歩き出す。

(―――あれ……?)

 地面がぐにゃりと曲がった気がした。地面はアスファルトのはずなのに、ずぶずぶと泥のように吸い込まれていきそうで、ぐっと目を瞑って開くと、視界までもがぐるりと渦を巻いて見えた。とても立っていられなくて、がくりとその場に片膝をつく。手から力が抜けてさっき買ったばかりの缶がふたつ、ころころと道路を転がっていった。でも、そんなものを追いかけている余裕すらなかった。冷や汗とも脂汗ともつかない、嫌な感じが全身を襲う。樹理のいる方向を見ると、樹理はさっきまでと同じように、ベンチに座ってぶらぶらと足を揺らしている。ああ、早く戻らないと、樹理が待ってる。
 ゆっくりと立ち上がる。黒いコートが汚れてしまったが、そんなことはどうだっていい。またずきずきと頭が痛む。樹理のもとへ戻るために一歩踏み出した時、さっきとはまた違う衝撃が全身を襲った。
 何の音も聞こえなかった。ただ、全身が強い力で何かに弾かれた。体が宙に浮くのがわかった。次に地面にたたき落とされて、がつんとまた頭を打った。痛みは感じない。



(―――あ、れ、……)



 でっかいワゴンがすげえスピードで走り抜けていく。歩道用の信号はちょうど赤に切り替わった。
 信号無視されて突っ込まれたのか。事実は認識できるが、だんだん理論的な思考ができなくなる。
 液体の中にいる。
 さっき買った飲み物の中にいる。
 飲み物はさっき落として転がした。
 でも液体の中にいる。
 俺から流れた、液体の中にいる。
 動けない。
 動かない。
 眠い。




 目の前で、樹理が待ってる。




「ッ、づ、う、あ、あぁああ……」

 弾けた。
 もう何も考えようとしなかった脳がフル回転を始める。樹理が待ってる。目の前で待ってる。死ねない、死ねない死ねない死ねない死ねない死ねない死ねない死ねない死ねない死ねない死ねない死ねない、樹理をひとりにさせるわけにはいかない、でも、体が動かない、樹理の名前を呼びたくても、もうこれ以上溢れなくていい血液が喉から出てきて声にならない、死ねない、俺は樹理を残しては死ねないんだよ畜生ッ、なんで俺、こんな所で、樹理の目の前でくたばろうとしてんだよ、俺は樹理に、嘘しか教えてやれねえのかよ……!!!
 
 樹理を一人にはできない、俺が、傍にいてやらないと。俺しかいないんだ、俺しか、あの子の味方をしてやれる奴はいないんだ。
 他の思考は全部切り捨てた。ただそれだけの思いで、動かない体を樹理に向かって這わせた。どんな、恐ろしい光景だったろう。血まみれの、全身強打で動けないはずの男が、金髪の子供に向かって這いずっていくというのは。 

 俺しかいないんだ、俺がこれから母親の分も愛してやるって決めたんだ。俺はあいつとこの子を見つけるためにこっちに来て、探してたものを得たんだって本気で思ったんだ。
 なのに俺は、俺は、俺は、

「…………おと、さん?」

 きょとんとした声が俺を呼び、彼女によく似た、ペリドットの大きな瞳が俺を見下ろす。
 樹理、と何度も何度も呼んでいるつもりなのに、掠れた声にすらならない。伸ばしているつもりの腕も地面から1mmも動いていない。
 目がまだ開いているのはわかる。
 でも、閉じる力もなさそうだ。そんな余力があるなら、樹理の名前を呼んでやりたい。もう一度頭を撫でて、抱きしめて、俺は、ローラはちゃんとお前を心の底から望んで、本当に本当に愛してると伝えて、それから、それから。
 何度も考えて、何度も「じゅり」と呟いて、声にならなくて、全身が冷えていくのが、ありありとわかる。足掻いたって無駄だってわかっている。あの衝撃で痛みを感じなかった時点で、俺の身体はあの時死ぬ準備を一瞬で整えたんだろう。もうこの体は死んでいる。生きているのは思考だけだ。樹理をひとりにできない、俺の執念だけがほんの少しだけこの頭を長らえさせている。
 俺なんでこんなところで死ぬんだよ、なあ、俺死んじまうのかよ、教えてくれよ、あんただったらどうする? 目の前で親父がくたばるとこ、ガキが見てんだよ。あんただったらどうする? あんただったらきっともっとずっと鮮やかに、救ってくれるんだろうなあ。ガキだった俺に夢見させたみたいに、あの満月の夜みたいに。返事なんて誰もくれないことは、樹理が生まれたときからわかっていたことなのにな。

「………じゅ、ぃ、……」

 樹理、ごめんな。ここでお前をひとりにしちまう。本当の本当に、お前をひとりきりにさせちまう。
 どれだけ俺を恨んでくれてもいい。呪ってくれていい。憎んでくれていい。それはこれまでお前に本当に何一つしてやれなかった俺が父親としてできる最後の、たったひとつのことだと思う。
 ローラが残りの命をすべて託して、俺がガキの頃からの夢と願いと、全部込めて、お前を育てていこうと決めた。だからお前には、どんな感情を俺たちに抱いてでも、生きてほしいよ。辛いこと全部忘れて、その方がお前が生きやすいならそうすればいい。本当は負の感情を媒体にしてでも、俺たちのことを覚えていてほしいけど、お前が生きて、ローラが見れなかったものを見て、俺が見せてやりたかったいろんなものを自分で見てくれるなら、それでいいよ。
 愛してる。この世にこんなに大切なものができるのかって本当に本当に思ったんだ。俺たちはどこにいたって、誰よりもお前を愛してるよ、樹理。
 どうしてこんな大事な言葉を、声にして伝えてやれないのか、もどかしくて、悔しくて、悔しくて悔しくて、涙が頬を伝ってアスファルトに流れたのがわかった。
 


 目を閉じることができないまま、世界が暗闇に沈んだ。
 



2012.05.12(Sat) | IF世界 | cm(0) | tb(0) |

ぽちっとな


「ねーケレス君、一年の理央ちゃんて子知ってる?」
「あ?」

 スタンド灰皿に灰を落としながら、ケレスの目の前の青年が訊ねてくる。ケレスは一応記憶の中から該当する名前がないか考えてみたが、ヒットはしない。当然だろう、一年と言えばまだ入学して一か月ほどしか経っていない。他学年との関わりをほとんど持っていないケレスが下級生の名前を覚えているはずもなかった。

「なになに? 女の子? 水くさいなあ、俺にも紹介してよ」

 首を突っ込んできたのはケレスの右隣で同じく煙草を吸っていた茶髪の青年だった。狭い喫煙コーナーだが、今はこの三人しかいない。この喫煙所はあまり利用者が多くない。大教室のある棟や部室棟から結構な距離があるためだろうが、授業中ともなれば誰も近寄らないようなこのエリアは空きコマやサボりの時の暇つぶしには最適な場所だった。
 三人は気が付けばよくここで話をするようになっていた。ケレスの右隣の青年、シーマスはケレスと同じく外国人で、体躯を生かして始めた引っ越し屋のアルバイト先の喫煙所で知り合った。目の前にいる青年、瑶司と知り合ったのはつい半年ほど前のことで、この喫煙所でたまたま三人で居合わせたからなんとなく話すようになっただけのことだった。日本人は相手が外国人というだけで同じ大学の学生であっても敬遠することが多いが瑶司はそんな日本人とは一線を画していたらしく、やたらフランクに話しかけてきたから、打ち解けるのも早かったのだ。

「えー、シーマス君に紹介するとあの手この手でお持ち帰りしそうだからなあ」
「俺が気に入るとは限らないでしょ? いーじゃん」
「一目見たら気に入っちゃうでしょあれは。断言するね」
「そんな断言されちゃあお目にかからないわけにいかないねえ」

 瑶司はいやににやにやした表情で、すっかり短くなった煙草を灰皿に落とす。日本人にしては割と遊び性な瑶司にしては珍しく、気になる女ができたということなのだろう。しかし、他人の恋愛事情に首を突っ込むと面倒しかないということを自分の身で実感しているケレスは、壁に寄りかかって煙草を吸う行為に徹した。

「なんていうかね、大和撫子って感じ? 気強そうに見えるけど優しい子でさあ、おまけに美人とくれば」
「ヨージはてっきりアメリカ人女性の精神性と結婚するもんだと思ってたけど。そんないい子とどこで出会ったのよ」

 シーマスも吸殻を灰皿に捨て、話をすることに集中し始めた。

「図書館。いつもは法学部の方行くんだけど、空きコマの次の授業の教室に近いとこで暇潰してたんだ。したらさあ、財布忘れて授業行っちゃって」
「馬鹿だねえ」
「うっさいな、僕だってそう思ったよ! で、まあきっと財布ごと取られたか中身抜かれてんだろうなと思いつつ図書館に問い合わせたら、まるまるちゃんと届いてんの」
「ははあ、それ届けてくれたのがそのリオちゃん? なわけね」
「そゆこと。理学部の新入生でさあ、真っ黒なロングヘアで、綺麗で賢そうな感じなのよ。んで、いまロックオンしてんの」
「ふうん、じゃあ今度一緒にご飯行こうよ。そんな美人ならご挨拶して、ヨージがいかに危ないか忠告してあげないと」
「危ないのはどっちだよ。シーマス君のがよっぽど狼じゃん。ねえケレス君?」
「あ? あー、」

 話を振られたので返事を考えようとした時に、ジーンズのポケットの中の携帯が震えた。メールなら後で確認すればよかったのだが、これは電話の着信だ。相手にはおよそ見当がついている。画面を確認して、やはりかと小さく嘆息したのを目の前の二人は見逃さなかった。

「ま、学内一の美人とお付き合いしてるケレス君には用のない話か」
「いいねえ、電話彼女からでしょ? 早く出てやんなよー」
「うるせえ、黙ってろ」

 とは言ったものの、間違ってはいないため否定はできなかった。ディスプレイに表示された名前は、相川 千鶴という女のものなのだから。




『ごめんね、今大丈夫?』
「大丈夫じゃなきゃ出ねぇよ」
『ケレス君は、私からって分かったら大丈夫じゃなくても出てくれるかな、と思って』
「寝言は寝て言え」
『ふふ、そうする。じゃあ寝言はまた後ね』

 嫌な女であることは出会った頃から何の変わりもないのだが、当初の初心さをどこに置いてきたのか首を傾げるほどの開き直りようだ。
 電話の相手、相川 千鶴は確かに学内一の美人だろう。有名雑誌にモデルとして載っているのだから、学内という言葉では範囲が狭いかもしれないくらいだ。
 喫煙スペースを出てすぐの電灯の柱に背を預けたまま、会話を続ける。
 
「で? お前、用件は」
『うん? あ、忘れてた、今日仕事早く終わりそうなの! 帰りに部屋寄ってもいい? サークル顔出す?』
「別に。予定はない」
『そっか、よかった。じゃあお夕飯の材料買って行くからね。ドアの前で待たせるなんてことのないように!』

 それだけ言い終えると彼女は一方的に通話を切った。明らかに押しかける側のものではない捨て台詞だ。
 相川 千鶴という女は、美人であり、トップモデルとして活躍する傍ら勉学にも励み、さすがにトップクラスとはいかないがそれなりの成績を維持している。おまけにサークルにも加入していて、マネージャー業務をこなしているのだ。人当りもよく、女性にも男性にも好かれる。そんな表の顔をつくるのが、とても上手い。広く浅くいい顔をすることに長けているのだ。
 彼女には恋人がいる。彼女と同じくモデル業をしていて、この大学の法学部に通い、千鶴と同じサークルに所属する、水城 陸。完璧に息の合った恋人同士。羨む隙すら見当たらない二人。完璧な彼女は、彼の前でも弱さを見せることなく、表と同じ顔をつくろい続ける。陸が突然仕事を極端に減らし、大学にもサークルにも顔を出さなくなってから、彼女の日常が歪んでしまった。
 結局のところを言えば、千鶴は陸を道具としてしか見ていない。完璧に美しく、整った自分の隣に一番相応しいアクセサリー。少し無茶をして人の言う事を聞かない陸、それを窘める母のように広く美しい心を持った千鶴。陸に多少の欠点があることが、より千鶴の美しさを際立たせた。陸は千鶴を美しく見せるために必要な道具で、それが突如いなくなったことで自分を保つことが難しくなってきたようだった。仕事のことについて問い詰めたとき、陸は千鶴に「お前には関係ない」と言い放ったらしい。それを別れの文句と捉えた千鶴は更に動揺した。ケレスが彼女と関係を持つハメになったのは、その頃からである。

「デートの予約が入った感じ?」

 気づけばシーマスと瑶司の二人も喫煙スペースから出てきていて、彼女と通話するケレスをにやにやしながら見ていたらしい。
 携帯をまたポケットに仕舞って、ケレスはひとつ息をついてから答える。

「部屋に来るんだと」
「おー、そんじゃお泊まりだ?」

 瑶司の言葉には両手を上げて、さあ? と首を捻った。

「これから部屋来て日帰りってことはないでしょー。他の子ならともかく、相手はご多忙のトップモデルさんなんだし」
「いやあおにーさん、パーフェクトな彼女がご奉仕してくれる日常なんてすごいですねえ」
「茶化すんじゃねぇよ」

 釘は刺したものの、シーマスと瑶司は顔を見合わせて吹き出した。返答はわかりきっている。自分がそちら側ならおそらく同じ反応をするだろうとケレス自身が思うのだ。
 二人は全くその気のない顔で、「はいはい」と軽く同意してみせる。

「ま、性格重視の僕に言わせるとそんなに羨ましい相手でもないけど、一応男としては羨んでおこうと思って」
「またまたあ、ヨージのは性格重視という名のガチ面食いでしょ? 詐欺しちゃ女の子に怒られるよ」
「いっや心外だなあ、来る者拒まずどころか吸い込み型のシーマス君に言われるとは」
「俺は女性に対して紳士なの。誠実なんです」
「お前らどっちも似たようなもんだろ」

 終わりの見えないどんぐりの背くらべに一石を投じれば、「これこそ正にあなたとは違うんですだよねー」と瑶司が政治専攻らしいのかそうでもないのかわからない返答をした。
 他人の恋愛をとりまく環境などというものは雑談のネタくらいにしかならない。もっとも、ケレスが今直面しているものを恋愛と言い切っていいものかどうかという疑問はもちろんあるのだが。
 まだたっぷりこのコマの授業時間はあるはずだが、「よーじぃ」という甲高い声がこちらにかけられ、三人揃ってそちらに目をやった。女子学生三人ほどがクラッチバッグを抱えてこちらへ小走りで駆け寄ってくる。

「お、そんじゃ僕これからあの子たちとお茶するんで失礼」
「いいねえ、俺も同席させてよ」
「シーマス君に女の子紹介すると(略)」
「君は俺をなんだと思ってんのさ……。じゃあ、おにーさんは可愛い彼女のお出迎えの準備でもするといいよ」

 喫煙スペースで話してた後輩の女はどうしたという疑問が浮かばないでもないが、それはそれ、これはこれであって、瑶司があれだけ言うのだからあちらは割と熱を入れて、こちらは本当にただのコミュニケーションということなのだろう。ケレスにはそこまで突っ込んで聞くようなつもりは元々ない。
 シーマスと瑶司が女子学生を連れてカフェテリアの方向へ向かったのをぼんやり眺めてから、手持無沙汰になったケレスは元いた喫煙スペースへと戻った。




2012.04.22(Sun) | IF世界 | cm(0) | tb(0) |

もういっちょ

暇だったのでノートにまとめた疑似親子シュタゲルートwww
ケレス樹理組とか叡一みのり組はとりあえず置いておくwww


一番最初は拓海が炎而くんを誘拐して警備員やりながら育てるルート。
炎而くんが高2くらいの時期。
・拓海が仕事終わって部屋に帰ると鍵が開いている
・玄関、部屋が荒らされている
・部屋の奥で炎而くんが血まみれで倒れている、虫の息の状態
・強盗から紗央の写真を死守していた、その後死亡
子供嫌いのタっくんなりに炎而くんのことは本当に大切に愛して育ててたと思うので、悲しいとかそういう気持ちじゃ測れない。そいで慟哭。
ここで死神みたいのと契約するといい。死神みたいのはシーマスさんみたいなタイプ希望。聖さんみたいな感じでもいい。過去をやり直す力をもらう代わりに、一回のやり直しにつき一年寿命が縮む。ただし自分の寿命が何歳で終わるのかはわからないので、突然死ぬ可能性もある。
でもそこはよろこんで能力を受け取る。

シュタゲと違って、必ずこの日この時間、とはわからないのが面倒。

①炎而を誘拐して育てるパターン
紗央とは別れる。最初のやり直し。できるだけ早い時間に帰るとか、炎而と一緒にいる時間を増やして守ってやろうとする。
②紗央と結婚して、養子として育てるパターン
炎而は誘拐して手元におく。母代わりもつくることで、より守りやすい環境に置く。
⇒どうやっても助けられない。
事故、都筑家による暗殺、紗央の育児拒否、最初のパターンの強盗などなど、高校卒業まで生きてることがない。
最悪のパターンは、紗央が炎而を受け入れ、みのりを身ごもった状態で強盗殺人でみんな殺されるパターン。
紗央が炎而を必死に守った跡が見られ、このパターンを経験してから拓海は紗央を守って生かすことも眼中に入れてやり直しをするようになる。
それまでは炎而をいかに生かすかだけしか考えてなかった。

③炎而を都筑家から出さない
⇒危険ではあるが、本当の母親もいることから、都筑家から誘拐などせず、拓海自身が京都に住むことで見守ろうとする。
これで解決するかと思ったが、都筑家の内部で必ず消されてしまうことがわかる。
風哉が既に他界していることが原因で、反風哉の勢力が炎而を消すことで流れを断絶させようとしている。

④拓海が18の時点からやり直し、芹沢の当主となる
⇒何度試みても、風哉の死に拓海が干渉して食い止めることは不可能であった。
なので、これまでより長く時間を巻き戻すことで、これまでと全く違うシナリオを作り出すが、この世界では風哉は死なないものの、風哉と大和が出会わないため、根本的に炎而が生まれない世界になる

⑤18からやり直し、芹沢を出て警察官となる
⇒職業は最初から警察官と決めていたと思われる。(警備員やってた頃に、炎而に「父さんおまわりさんなんだー!」とか言われてたのを気に留めていたため)
最初は京都府警を受けていたが、拓海が京都にいると風哉が生きていても炎而は何らかの要因で死んでしまうということが判明したため、地元警察を受ける。

*基本的に炎而は本筋ルート一本でしか生存できないため、拓海が警官になってもイレギュラーが発生すると必ず死んでしまう。(紗央がアンドゥーとくっついたりとか、誰かが死んだりとか)
*真紘が生まれるのは本筋ルートのみの完全イレギュラー。
*本筋ルートで拓海が炎而と会うのは、炎而が月見ヶ丘に越してきて、真紘の家に遊びに来たとき。15とか16まで無事に成長できた例は回数が多くないので、対面できた時拓海は内心すごく喜んでる。
*離れていると生存確認は難しいが、炎而が死んだ時に死神がお知らせしてくれるシステム。
*ハッピーエンドを迎えた後、拓海の寿命は残り十年を切っていると宣言される。割と長生きな方だと思われる。でも炎而と椿が結婚する頃には真紘と水希もくっついてるため、「それだけありゃ孫の顔も拝めるだろうから十分だ」って感じ。


メモにくん付けしてなかったから、炎而くんとか風哉くんとか敬称略なwww
個人的には身重の紗央と炎而くんが互いに庇い合いながら頑張ったところとかぜひ見たいが。
いやあ、こう見ると炎而くんすごく死んでるんですね、とか思いました。想像するのがすごく楽しかった。
タっくん絶対途中トチ狂って軟禁とかやってるよな。怯えた炎而くんが逃げ出して、そのままトラックに轢かれるとかありそうだ。
それまで長いこと炎而くんのことばっかり考えて生きてきたから、炎而くんが誰を選んで結婚しようとしなかろうとその選択は全力で応援するだろうし、妨げになる奴は全力で排除すると思うよ。


ノートがだんだんカオスになってきました。
双子姉弟設定とか、反転とかも書いてるwww
反転紗央と反転瑶子さんとかきっと絵になるよなwww
あとは、月穂ちゃんの話を早いとこ書きたいwww でもユリ高も書きたいwww


そいでもう寝る。

2012.04.04(Wed) | IF世界 | cm(0) | tb(0) |

時間がない!


「はあ!? 私立う!?」

 その申し出があまりにも突飛なものだったから、俺はカレーを食べていたスプーンを危うく取り落とすところだった。間一髪のところでそれは防いだが、だからといって目の前のガキの発言がなかったことになるわけではない。いや、でも、とりあえず落ち着け俺。そう思って一口カレーを食べる。うちのカレーは、いつからか、しっかりと辛い。

「お前がうちの財布の事情も理解できてねェたあ、俺も予想外だった」
「うるせえよ、財布の事情なんてアンタよりよっぽどわかってるっての」
「わかってる奴がんな発言すっかね、普通」
「いいから最後まで聞けよ」

 ガキは俺を睨みつける。最近目つきが鋭くなった気がする。特に俺が外で飲んで帰ってきた日なんかにゃ、そりゃあ眼光がすげえもんだ。この性格は一体誰に似たのやら。俺も知らないこいつの母親だろうか、それとも父親だろうか。俺、ってことはねえな、100%。
 ガキ、には名前がある。エンジ、それがこいつの元々の名前。それに俺の苗字をくっつけて、桜井炎而。それが今のこいつの名前。
 エンジは卓袱台の下で胡坐をかいていた足を組み替えると、わざわざ咳払いなんぞをして見せた。

「そりゃあ、父さんの稼ぎだけじゃ私立なんて厳しいっつーか無理ってわかってる」
「そうだな」
「だから公立へ行きたくないってわけじゃないんだ。でもせっかく進学率もいいから狙ってみたら、って担任に言ってもらえたんだ」

 なるほどその担任はうちの財政事情も知らないでそんなお気楽な台詞を吐いたわけか。頭が痛くなる。
 話に聞く限りじゃエンジは学校でもそれなりの成績で、所謂優等生に属すタイプのようだ。こいつの学生生活とはほとんど縁がないから確かめようもないが、多分、おそらく、そうなのだろう。
 だから担任も、優等生に見合うレベルの学校を紹介した。それだけの話だ。そしてエンジは馬鹿ではないから、我が家の状況からして私立校なんかに通うのは到底無理だということも分かっているはず。

「……お前、馬鹿じゃねぇのに今日は珍しく食い下がるな」
「考えがあるからさ。その学校、特待制度がある。A特待取れれば、入学金も、三年分の授業料も設備費も免除。返還義務なし」

 昔から変に切れるガキだなとは思っていたが、考えたな。学費がネックなのだから、それがすべて免除になるのなら俺の考えも変わる、と思っているのだろう。「それで?」と俺は先を促す。

「もちろん制服代とかはかかってきちまうけど、その辺は高校入ったらバイトするつもりだし、追々返す。だから、特待の枠に入れたら通わせてほしい」

 進学校の特待ねえ。俺にはさっぱり縁がなかったから実感なんてあったもんじゃねぇな。
 カレーを食べ終え、口の中いっぱいに広がった辛みをグラスの中の水を飲みほして押さえる。エンジは俺の様子を窺っている。こればかりはいくら普段態度がでかくても自分の一存では決められないことだ。一応意見を求められているらしい。

「で? 取れんの、特待」
「へ? あー、無理じゃないと思うけど」
「んな半端なこと言ってんじゃねェよ。交換条件だ」
「交換条件?」

 エンジが首を傾げて目を丸くする。

「必ずその枠に入れ。それなら残りの制服代だの何だのは仕方ねェから工面してやる。返さなくていい。ただ、落ちて公立行くってなったら俺は一銭も出さねぇからな」
「言ったな! 後でナシとか言うんじゃねぇぞ! 今聞いたからな、返さなくていいって!」
「おう、男に二言はない!」

 表情は一変。エンジはにやりと笑って皿の中のカレーを平らげた。俺の皿もついでに持って流しへと向かう。腕まくりをして洗い物を始めるその背中を見て、多分こいつはやる、と確信めいたものを感じる。まあでも、これくらいの方が張り合いが出ていいだろう。
 しかし、いつからこんなに辛くなったんだ、こいつの作るカレーは。





 エンジは最初、とかく気持ち悪いガキだった。
 妙に聞き分けはいいし、大人を困らせることを知らない、子供らしくない子供。こいつの出自を考えりゃ当然だ。でかいお屋敷の跡継ぎだったんだから。
 金目当てでエンジを攫ったのに、エンジは屋敷に見放され、なんだかんだで俺が面倒を見ている。父親を始めて早十年。早い、早すぎる。
 そして、そんなエンジを見ているとふと思うこともある。生まれているのならエンジとそう年齢の変わらないだろう、俺の本当のガキのことを、思い出す。
 その女とはかなり長いこと付き合っていた。女は家庭的で料理も上手かった。何よりも、俺の好みの女だった。気が強くて、とびきりの美人だった。ただ、運悪く妊娠したというので捨てた。
 十年以上も前のことだ、俺もそれなりに若かった。お互い楽しめりゃそれでいいだろうと考えていた俺にとって、ガキなんてのは騒音をまき散らすただの荷物でしかない。相手が好みの女であることと、その荷物とを秤にかけて、結局荷物を受け入れることは俺にはできなかった。
 最初にその荷物の存在を思い浮かべたのは、いつだったろう。

『とう、さん』

 と、物分りの良すぎるガキが、言い出した頃だったか。それになることが嫌で女と子供を捨てたのに、エンジにそう呼ばれてもそんなに悪い気はしなかった。
 ああ、俺は今こいつの父親なのか。と。そんな当たり前のようで、そうじゃないことを、俺はひどく自然に受け止めた。
 あの山道をひとりで下りて、家まで帰ろうとしたガキだ。物分りが良くて聞き分けがよくて、あの公衆電話に置き去りにした俺の言う事を素直に聞きやがったガキだ。俺がこう思う資格なんてないんだろうが、思ってしまった。
 ――どうしてこいつに誰もいないんだ、と。
 そう考えるようになってわかった。俺はガキを許容できるようになったわけではないと。あくまでも、エンジだったから生活を維持できているのであって、他の誰かの頼みなら断るし、他のガキなら首を絞めて殺していたかもしれない。俺にはエンジの父親もどきはできても、他の子供の父親になんてきっとなれなかった。
 エンジはあの約束以来かなり勉強時間を多く取っているらしく、勉強している姿を見かけることが多くなった。これまでそうお目にかかる機会のなかったものだ。少し新鮮でもある。

「エンジー、腹減ったー」
「それが仮にも父親の発言かよ……」
「ほう、俺に料理をさせたい、と。よしわかった、これまで封印されていた親父の料理をご披露しよう」
「結構です!」

 俺が家事をまるでできないことは、一緒に暮らしてきたのだから誰よりもわかっているはずだ。
 だからこそエンジはため息交じりで立ち上がる。どうやらある程度できているらしく、あとは温めるだけなのだという。
 でかい鍋を火にかける。

「今日はハヤシライスにした」
「何でもいいけど、代わる代わる煮込むのな」
「安上がりで大量に作れて味もそこそこなんだからうちには必要な料理だろ。米の消費量は多いんだし」
「そうですねえ」

 あと作るの楽だし、とエンジは付け加えた。やってもらっている以上文句は言わないが、十年俺と暮らしてきて、いったいどこでこのしっかりした思考を培ったのやら。
 意外と俺がしっかりしているのかもしれない。むしろその線が濃厚か。

「あ」

 鍋の中身が焦げ付かないようかき回しながら、エンジが声を上げた。俺はちょうどテレビの電源を入れたところだった。

「父さん、三者面談の案内来てんだけど」
「無理。つーか嫌」
「だよなあ。言っとく」

 エンジはこういう境遇のガキだが、保護者会だの授業参観だのを俺に黙っているガキではない。一応俺にお伺いを立てる。
 俺は一度もそんなものに顔を出したことはないが、親子の会話は一応成立してんだしいいだろう。

「勝手に二者面談やれよ。親の了承得て志望校決めたって言っとけ」
「わかった」

 下手に俺なんかが口出しするより、勝手にいろいろ決めてもらった方がエンジも気が楽だろう。俺は一応話を聞くだけでいい。
 できるガキは育てるのが楽でいい。ただ、できるガキには金がかかるというのが鉄板みたいだが。

「勉強、捗ってるのか?」

 ふと思い立って、たまにはそれらしい会話もしてみるか、と言葉を投げかける。
 鍋の前に立っていたエンジは目を丸くして一度こちらを見て、それから嫌な笑顔を浮かべた。

「入試の費用と制服代、調べて教える」
「……お前、その性格の悪さはどこで拾ってきやがった。拾い食いすんなっつったろ」
「何が拾い食いだよ。アンタに似たんじゃねぇの」
「俺はそんな性格してない」
「自分の胸に手ぇ当ててみろ。嘘っぱちもいいとこだ」

 ……腹が立つが、そろそろ本当に金の問題を考えなければならないらしい。
 金を手に入れるために攫ったガキが金食い虫になるなんて誰が想像する? こいつを引き取って育てようと思った当時の俺はどうかしていたらしい。
 溜息交じりでテレビのチャンネルを変える。温まってきたハヤシライスの香りで腹が鳴った。



2012.01.09(Mon) | IF世界 | cm(0) | tb(0) |

大切なものはひとつでいい




 この生活は何なんだろう、と考えたことが何度もある。
 考えはするけれど、この疑問に答えが出ることはない。明確な答えを出してくれる人がいるのなら俺は今ここにいないだろうし、この空間を共有している男が答えを知っているのなら、そもそも最初から俺はこんな疑問など抱いたりしないだろう。だから、これは永遠に謎のままだ。
 机の上を片づけるために、普段あまり開けない段の引き出しを開けた。そこに入っていた写真立てに自然と目が落ちた。けれど、物をしまい終えて用事が済めばすぐに閉じる。その写真立ては、俺には何の思い出もない。その写真が俺に訴えているだけのこと。映っているのは、線の細い、黒髪の男。その隣に、俺とそう年の変わらないように見える、長い金髪の女。色が白くて、俺と同じ薄緑色の瞳。その二人の間に映る、くせのある金髪、緑色の瞳のガキ。一目見てわかるのは家族写真という事実。だが、それが自分のモンだとは露ほども思えない。このガキが、俺と同じくせのある金髪で、俺と同じ緑色の瞳でも、黒髪の男に対して微かな記憶があったとしても、これはきっと、俺じゃない。








『樹理、ここで少し待っててな』



 覚えているのはその言葉だけだ。待っていろと言われたから待っていた。その相手がどんな奴だったかも、もう十年以上前のことだからよく覚えていない。気が付いた時には見知らぬ爺さんに手を引かれていた。今でも意味がわからん。他に人間なんていくらでもいるだろうに、最悪施設に入れたってよかったろうに、何をどう考えると何もわからないガキをダメ人間に預けるという結論に達するのだろう。
 携帯のアラームが鳴り、止め、十数分後また鳴り出す。そいつも止めてようやく起き出す。がしがし頭を掻きながら床に足を下ろすと、初冬の寒さを足の裏から地味に感じる。
 洗面所で顔を洗ってから、歯ブラシを咥え、カップ片手にリビングへ。電気ポットをセットしてから、自分の部屋の隣の部屋のドアを開ける。遮光カーテンも閉め切って真っ暗の部屋の中、ベッドで蠢く一際大きな影。

「おいオッサン、起きねぇとアンタも遅刻だろ」

 正確には、オッサンの遅刻なんざどうだっていいが取りあえず俺を学校まで送ってけ、なのだが、その辺は分かっていると思うので深くは言わない。俺も、これ言ったところで起きないのは分かっている。この男は大概いつだって寝起きが悪い。朝方まで起きて仕事して頭が働いてないって時はいいけど、そうじゃないときは機嫌が悪い。朝が来るのは俺のせいじゃないっての。同居人がこうなので、俺も朝が得意な方ではない。それでもアラーム二回鳴りゃ起きるし、いくら面倒で滅びりゃいいと思う学校だって一応行かなきゃいけないのはわかってる。
 歯を磨きながらこの男を起こすのもいい加減慣れた。昔は格闘するくらいの気概があったもんだが、毎朝そんなことしてたら身が持たねぇとわかったのが中学入ってからだ。部屋に入ったらまず遮光カーテンを開ける。これくらいのダメージはこいつには屁でもないので、容赦なくその体に蹴りを食らわす。限度は特に決めてない。力加減も決めてない。俺が機嫌悪いときは当然力入るし、まあ大の大人を起こしてやるのに手加減っつーのも変だから手を抜くと言うことはないかもしれない。ただ、こいつはこいつで黙って蹴りを食らっているような男ではないので、ガキ相手だろうと起こしてくれている相手だろうとお構いなしに容赦ない反撃をしてくる。体格差と年齢差から力は当然向こうが上だが、屈することがあってはならない。

「起きろっつってんだろオッサン!! 毎朝同じこと言わせんじゃねぇよ!!」

 足での攻防にかまけている隙をついて掛布団をはぎ取るが、奪取される。で、これがいつ終わるのかといえば、俺がこいつの蹴りを食らって噎せた時。歯を磨きながら起こすようになる前もそうだった。だから昔はもうちょい早く起きてたはずだが、……絶対わかっててやってんだろこのオッサン。
 最初から食らってしまえば済む話だと言われるのかもしれないが、ささやかなプライドがそんなことは許さない。でも結局今日も俺が蹴りを食らって負ける。ちょっとした朝の頭の体操くらいに考えている気がする。その証拠に、この攻防の後の機嫌は、割といい。
 やっと起きた男はあくびをかみ殺すということもなく盛大にしながらリビングへと向かった。
 
「あーあ、誰かさんの所為で余計な洗濯物が増えた」

 噎せた時に歯磨き粉の泡で汚してしまったスウェットの上着を脱ぎつつ俺もその後に続く。黒のスウェットには見事に泡が付着している。

「自業自得だろ」
「意味分かってねぇ言葉使ってんじゃねえよ。それとももう脳衰えてんの?」
「最大限衰えてもお前より賢い自信がある」
「ああ、然様で御座いますか。そりゃよかった。さすが自称博士号は口がでかくていらっしゃる」

 男は玄関へ新聞を取りに行った。うちで取っているのは英字新聞。暇なときは俺も目を通すから、英語は結構、いや、かなり? 得意になった。というより、この見た目で英語できないとか詐欺だろ。
 男の名前はケレス=ウィールネスという。年齢的にも見た目的にも俺の父親と言って疑われることなんてまずないが、血の繋がりは一切ない。俺の保護者代理というか、後見人というか、とにかくそんな感じのポジションにいる。自称博士号持ち。みんな言ってるから多分本当なんだろうが、俺は博士号取った論文だか何かを見ないと納得しない、と心に決めている。けれど、本人にこれを言うとあっさり出してきそうなので、言っていない。俺の中ではずっと自称博士号でいてもらいたい。
 スウェットは軽く水洗いしてから他の洗濯物と一緒に洗濯機に放り込む。自動で乾燥までやってくれるなんて男の生活にはありがたい代物だ。
 制服の学ランを着て、キッチンへ行く。俺が着替えている間に向こうも着替えを済ませていて、椅子に座って新聞を読んでいる。ポットの湯はちょうど沸騰したところで、用意したコーヒーメーカーに湯を注ぎいれる。なんてことない、インスタントのコーヒーだ。まだ自分じゃメシも作れねえガキの頃から、これだけは毎日やっていたから今更「自分で淹れやがれ」とは言いにくい気分がある。いや、もちろん言おうと思えばなんてことはない、すぐ言えるのだが。
 小学校通ってた頃は朝飯も一応食っていたが、この生活サイクルの男と十年も暮らしていれば嫌でもそのリズムに慣れる。今じゃ俺もほとんど朝は食わない。この男のコーヒーを淹れて、付き合いのように自分も一杯飲むだけだ。
 自分のマグと男のマグにコーヒーを注ぐ。片方のマグを男の目の前に置くと、当たり前のように飲み始める。当たり前のことだと思ってるんだろうが、やっぱり腹が立つ。
 会話は特にない。新聞をめくる軽い音と、熱いコーヒーを啜る音が時折響くばかりで、テレビも電源を入れていないリビングは毎日静かなもんだ。

「今日帰り遅くなるから飯適当に食っとけ」

 そういう連絡はいつも唐突だ。気にしちゃいないが。

「ふうん」
「道に迷って余計な連絡入れやがったらぶっ飛ばすからな」
「俺がいつそんなことした」
「月イチで今でもやってるだろうが」
「記憶にございませんねえ」

 月イチくらいの頻度で帰れないレベルの迷い方は確かにしているが、自分からこの男に連絡を入れたことはない。交番で道を聞いただけなのに勝手に連絡を入れられてしまうのだ。
 遺伝なんだか何なんだか知らないが、俺はよく道に迷う。俗に言う方向音痴という奴で、この男も俺がどうしようもないレベルの方向音痴だとわかってからは、ある程度まとまった金と連絡先の書いてある紙を持たせるようになった。何かあったら車つかまえて帰れるように今でも金は貰っているが、さすがに連絡先一覧はもう必要ない、と思っているのはどうやら俺だけのようで、俺がまだ中学生だと分かると親に連絡したがる奴が多い。
 連絡先には優先順位があって、最初は取りあえず保護者であるこのオッサン、次いで扇谷邸、その次が鈴城家だ。

「別に、どこも寄る予定ねぇし。真っ直ぐ帰りゃいいんだろ」

 どこに寄る予定もなければ迷う予定も皆無だ。学校から家までは最近やっと真っ直ぐ帰れるようになった。
 夕飯は冷蔵庫の中のものを適当に調理すれば食べられるだろう。男所帯に繊細な調理法など無縁だ。特にこだわりもないし、食べられればそれでいいと思っている。
 自分用の緑色のマグに口を付ける。中に何もいれないブラックのコーヒーにはまだ慣れない。この男の前ではブラックで飲まないと負ける気がしてこうしているが、一人でいるときはミルクを入れている。……秘密だけど。



 俺の通う中学は、男の勤める高校の付属校だ。敷地もそう離れていない。特別なことがなければ朝は男のバイクに乗っけてもらって、中学の正門前で降ろしてもらう。中学の生徒の俺が登校するにはまあ問題のない時間だが、教員がこの時間って怒られないんだろうかとよく思う。実際怒られたところで何も変わらないだろうことは分かってるんだけどな。あの性格だし。
 男の周囲の人間には、俺の父親のことを知っている奴が多い。それってのも、俺の父親があの男の教え子だったからだ。ついでに言うと、大学も同じところに進んで、同じ肩書きを目指して勉強して、本当にその肩書きを手にして。俺は父親のことなんかほとんど覚えてないし知らないが、おそらく、憧れていたんだろう。言わせてもらえば、あの男の何を知ってそこまでしようと思ったんだが知れない。あの性格であの生活をするあの男の何を見て、何を感じて、わざわざアメリカまで行こうと思ったのか、俺には理解できない。
 校門を潜ろうとした時、正面から歩いてくる影に気づいて、そちらに意識を向けた。そいつも俺に気づいて顔を上げる。

「あら樹理さん。おはようございます」
「優等生がこんな時間でいいのかよ、椿」
「登校時間と成績は関係ありませんもの。余計なお世話ですわ」

 二個年下の芹沢 椿は、この近くの屋敷に住んでいる。昔から知っているが、扇谷の双子と比べても性格が悪い。金持ちって性格がひん曲がる法則でもあるのかもしれない。それにしたって椿は際立って可愛くない。

「毎朝お父上に送っていただけるなんて、優雅なことですわね」
「うるせぇ、そいつを毎朝叩き起こしてんのは誰だと思ってんだ」
「貴方に起こされなくとも、あの方はご自分で起きられるでしょう。自意識過剰もいいところですわ」

 母親譲りの、緩く波打つ長い黒髪。憎まれ口を叩きつつそいつを更に揺らして、椿は校舎へと歩く。俺もその後に続く。
 
「ならお前が起こしてみろっての。蹴り食らって悶絶しろ」
「私の知る限り、お父上は紳士的な方ではないですか。女性には優しい方だと記憶しておりますけれど」
「優しいんじゃなくて無関心なだけだろ。あとお父上じゃねぇし」
「今更その否定は遅すぎかと」

 俺は人づきあいがあまり好きではない。あの男の知り合いの子供とは多少話すが、それ以外の奴とはさっぱりだ。だから、多少話すだけのそいつらとの繋がりが嫌でも濃くなる。椿もそうだ。あとは扇谷の双子。俺とあの男の関係についてちゃんと分かっている奴は、本当に限られている。
 大抵の人は、俺とあの男が親子だと疑わない。そりゃあ俺はどう見たって外人の血が濃いし、あいつは見ての通り白人だし、言いたい放題言わせておけば顔つきまで似てるとか言われる。目つき以外まで似てるとか、正直御免だ。

「ああ、父様が仰ってましたわ」

 昇降口へ向かう途中、椿が横目で俺を見ながら呟く。
 俺は隣で、同じように横目で視線を合わせて続きを促した。

「お父上と生活する樹理さんは、似ているというよりも父親そのものだって」
「……お前、俺が嫌がんの分かってて言ってんだろ」
「あら、その発言の意図は分かりかねますわ。それでは私はこちらですので。ご機嫌よう」

 旧家の長女らしい、優雅な仕草でお辞儀をすると、椿は自分のクラスの下駄箱へと向かう。
 椿は俺が嫌がることを知っている。椿の父親が俺の父親のことをよく知っているのがその原因だ。ことあるごとに椿は、父親から聞いたのであろう俺の父親の話を出す。
 そっくりだと言われることも嫌なら、想像することも嫌だ。だって解せないじゃないか、俺に似ているなら、そのものだと言うのなら、ならどうして、あんな男に憧れたんだ。




「冬休み、なんか予定あんのか」

 帰宅した男は開口一番そう言った。いつだって唐突だ。

「別に」

 特に予定はない。高等部には問題なく上がれるし、年末年始を一緒に過ごすような友達もいなければ恋人もいない。どちらもいたって面倒なだけだ。
 テレビをつけないリビングは静かなままで、俺はソファーに腰かけて今朝の新聞を読んでいた。男は上着を脱ぎながら一度部屋に戻ると、すぐに部屋着に着替えて出てきた。

「年末帰るぞ」
「あ? 俺も?」
「嫌なら残ってろ。扇谷の屋敷に預ける」

 向こう、というのは、文字通り、向こう、だ。日本じゃなく、アメリカ。幼稚園の時と小学校の頃と二回行ったことがある。数年振りだ。
 留守番自体はどうだっていいが、人の家に預けられることが一番嫌いだ。居心地悪いし、いいことは何もない。俺の方向音痴はそんなに重症か。

「嫌ってわけじゃないけどさ。今からチケット取れんの」
「取れるだろ、ピーク外しときゃ」
「冬期講習とかねぇの、アンタ」
「ないから言ってんだろ」
「あ、そ」

 これまで向こうに行った時も、この時期だった。単にこの男は春休みに新年度の準備が忙しかったりしてまとまった休みが取れないというだけなのだが、奇しくも俺の誕生日も男の誕生日もこの年末の期間に含まれている。前の二回は、まだ俺がこいつに懐いてた頃の話だ。こんな男でも父親だと思いたかったし、子供として接してほしかった。年齢を考えりゃ仕方ないが、それにしたって過度に依存していたように思う。向こうに行けば、必ず墓参りをする。同じ墓に入っている両親。墓標を見て、ガキだった俺は痛いほど実感する。今この手を引いている男と自分とは、本当は何の繋がりもないんだと。
 待ってても来なかったくせに、そのままいなくなったくせに、それでも血で繋がっていると主張する。俺はそんなの、求めてなかった。目の前にあるものを確かなものだと思いたかった。たったそれだけのものも与えられることはなくて、だから俺は、与えられない生活が当たり前になった。完璧に無欲というわけではないけれど、欲することに価値があるとは思えない。

「行くなら着いてく。何、仕事?」
「一応な」
「ふうん」

 自称博士号のセンセイだからか、大きな学会に行くこともたまにある。国内で行われる、行ける範囲のものは出席しているみたいだが、国外に行くことは多くない。仕事ついでに俺を墓場に置いてこうってか。いいけどさ、別に。
 あの墓石からは何も伝わらない。俺は嫌だというほど思い知った。もうあの墓石を見ても、絶望以上の新しい感情は生まれたりしない。あの墓には俺も入っている。あの写真に写っていた頃の俺は、両親が墓の中に閉じ込めたのだろう。それなら今の俺が何の感慨もなくたって、それは間違いなんかじゃない。
 新聞を閉じる。沈黙が苦痛で、テレビを点けた。画面の向こうの品のない笑いが、少しだけ心を落ち着かせた。




2011.11.18(Fri) | IF世界 | cm(0) | tb(0) |

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