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軽石へちま

Author:軽石へちま
基本自キャラで凄まじく妄想してみる。
隠れ家なのでBLとか黒とか暗とか主。
キャラ崩壊必至。何とも思わないけども。
妄想についてこれる人だけどうぞ。

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花が咲いたその先で




 幼い娘の手を引きながら、商店街を歩く。夕暮れの賑やかさに娘のみのりは色の違う両目を輝かせてきょろきょろしている。娘のそんな元気な様子を間近で見るのが、母である紗央にとって唯一の生きがいとなっていた。
 実家は元々宝飾店を営んでいた。それなりに大きな会社で、両親はいつも海外で仕事をしていた。顔を合わせることがほとんどなかった両親を顧みることなど、若く思慮に欠けた紗央ができるはずもなく、学生の頃はろくに勉強もせず夜は出歩いてばかり、本当にろくな娘ではなかったなと自分でも思うほどだ。もしみのりがあの頃の自分と同じ生活をしていたなら、間違いなく頬を叩いて矯正させる。そうするのが親の仕事だ。

「おかーさん、きょうはね、ねんどあそびした」
「そうなんだ。何作ったの?」
「ねこ! せんせいにもね、ほめられたの。かわいいねって」
「そっか。みのりはねんどあそび上手だもんね」
「うんっ」

 夕飯はシチューにしよう、と冷蔵庫の中身を思い出しながら紗央は考える。確か鶏肉がまだあったはずだ。にんじんも野菜室にまだある。

「みのり、夕ご飯シチューでもいい?」
「うん! おかーさんのごはんおいしいからなんでもいい! みのり、すききらいしないよ」
「そうだよね、みのりはぜーんぶ食べてくれるもんね。えらいえらい」

 えへんと胸を張って誇らしげな娘を、心の底から愛おしいと思う。
 こうして母子ふたりだけの生活になったとしても、この子を産んだことだけは後悔しない。するわけがない。






 この六畳一間のアパートは、一人で暮らし始めてすぐ借りた場所だ。家賃は安く、今のところ騒音もなく、不便はない。
 キッチンでシチューの用意をしている間、みのりは部屋の隅に置いているテレビを見て大人しくしている。人並みにぐずることはあるけれど、聞き分けは良い子だ。それに、空気を読むのが上手い。紗央がストレスで苛立っているときは更に苛つかせるようなことは絶対しない。偶然かもしれなかったが、そんなみのりに紗央は感謝している。
 高校在学中の頃からだ、親の目がないのをいいことに、男と同棲していた。料理は得意だったし、家事も嫌いではなかった。反面、相手の男は家事が壊滅的だったから、ちょうどいい関係が成り立っていた。それがみのりの父親で、妊娠がわかったのは高校の卒業式目前のことだった。紗央なりに男のことは心から愛していたし、欠点も多々ありはするけれど、それすら大事だと思えるほどの相手だった。相手からも、嫌われていたとは思えない。愛情表現は過多なくらいだったし、とてもいい関係が築けていたと思ったのに、子供ができたとわかった途端に男は掌を返して紗央を部屋から追い出した。その時のことは今でも忘れない。二月も下旬のまだ寒い日だった。手近な鞄に紗央の服を手あたり次第詰めて、紗央に押し付けて扉の外へ追い出し、「めんどくせェもん作りやがって」と吐き捨て、目の前で扉を閉めた。
 ――あたしひとりでつくったものじゃないのに。
 そう思って唇を噛みしめ男のアパートを離れ、歩きながらどれだけの涙をこぼしただろう。道行くひとには奇異の目で見られ、それでも止めることなどできなかった。作りたくてつくったわけじゃない、とはどうしても思えなかった。腹の中に宿る、この子の存在を知って自分は心の底から嬉しかったのだ。一緒にいる家族ができるんだと。

「おかーさん、おてつだいする?」

 見ていた番組が終わったのか、黒髪を揺らしながらみのりがこちらにやって来る。その頭を軽く撫でてやりながら、そうねえ、と紗央は思案する。何を手伝わせるにもまだ幼い。

「じゃあテーブル拭いてくれる?」
「はあい! あ、ちがう、がってん!」
「ふふ、なにそれ」
「ほいくえんでね、おとこのこが言うの。がってん! って」

 思ったよりボーイッシュに育っている娘は、一体どんな風に成長していくのか、今後が楽しみだ。濡れぶきんを手にぱたぱた忙しそうな娘のために、急いでシチューを煮込んでいく。
 男の部屋を追い出された紗央が行く場所など、あとは実家しかなかったが、本当に運の悪いことに紗央の不在の間に帰国していた両親が、何故不在にしていたのか理由を問いただした。学校はどうしていたのか、食事は、寝場所は、などなど。詰問されるままに答え、ついには妊娠していることも告白した。両親は激怒し、未成年に手を出すような男の子供など産むなと怒鳴った。それだけはできないと抗えば、今度は実家さえ追い出された。勘当というやつだ。幸い高校の卒業資格はもらえたので、選ばなければ働き口はある。――身重の体でできることなどたかが知れてはいるだろうが、それでもやらないわけにはいかなかった。子供を死なせることだけはしたくなかった。
 高校を卒業したとはいえ、お世辞にも賢くはなかった紗央ができる仕事などたかが知れていた。一時期は調理師の資格も取ろうと思っていたけれど、金銭的にも時間的にもそんな余裕はなかった。ファミリーレストランのホールの仕事をいくつか掛け持ちして、昼も夜も働いた。いくらか補助が出るにしても、自分のこれまでの貯金だけでは心もとなすぎる。
 このアパートはその頃から借りている。大家も理解がある人で、とても助かった。病院で無事みのりを出産し、退院してもすぐに仕事をせねばならず、みのりを預ける保育園も探さなければならなかった。仕事をしないと育てていけないし、家賃も払えなくなる。お金がないからといって生まれたばかりのみのりを放置していけるはずもない。みのりが乳児のうちは、正直何度も何度も頭を抱えた。
 もっと、この子を産んで育てていくのに、上手いやり方があったのではないだろうか。彼に捨てられることがなければ、父親のいない生活を強いることもなかったんじゃないか。両親ともっと真面目に話し合っていれば、少なくとも今ほどの寂しい思いも肩身の狭い思いもさせなかったのではないだろうか。自分の考えの浅さがみのりをどんどん不幸にする気がして、それでもみのりを手放すことだけは考えられなくて、みのりをきちんと育てていくためだけに、本当にがむしゃらになって働いてきた。食費に裂ける金額は多くないけれど、その中でもできるだけおいしいものを食べてもらえるように、家でもたくさん工夫をした。紗央がすることを全部みのりは喜んでくれて、辛い時は助けてくれて、そばにいてくれて、ああそうだ、こんな家族がほしかったんだとひとり嬉し涙を零したこともある。

「おかーさん、テーブルふけた!」
「うん、ありがとう……」

 嬉しそうにこちらに戻って来るみのりに微笑みかけて、またその頭を撫でようと腕を上げた時、すうっと膝から力が抜け、気が付くと床にうつぶせになっていた。呼吸がしづらい。あ、鍋火にかけたままなのに。

「おかーさん!? おかあさんっ」

 心底驚いた顔で屈んで紗央の顔を覗き込むみのりが、あ、と気づいてコンロの火を消したことに、場違いながら紗央は驚いた。そんなこともできるようになっていたのか。
 かろうじて動く右腕でみのりの頬を撫でる。おかあさん、おかあさん、と涙交じりで叫ぶ娘の声に、大丈夫だよ、と返したいのに声が出ない。
 
(あたしここで死んじゃうのかなあ)

 まだ、みのりにしてあげてないこといっぱいあるのに。ランドセル買ってあげて、入学式に出て、写真撮って、算数の宿題一緒にやって、夏休みの絵日記も、あさがおの栽培も、自由研究も、もっと、もっと、たくさん。あたしにしかしてあげられないこと、たくさんあるのに。父親はいないけど、でも、あたしだけでも、ずっとずっとそばにいてあげなきゃいけないのに。
 ぼろぼろ涙をこぼして泣いていた目の前の娘が、急にぐしぐしと涙を服の袖で拭うと、立ち上がって駆けだした。向かったのは紗央がいつも使っているバッグのところだ。鞄の中を漁って、紗央の携帯電話を取り出すと、ぱたぱたと走って部屋の外へ出ていく。
 何をしようとしているのか、倒れたままの紗央には見えないが、ドンドンと扉を叩く音は耳に入って来る。お隣は一人暮らしの学生だ。あまり顔を合わせることはないけど、真面目そうな。

「おかあさん、たすけてください、おかあさん、いちいちきゅう、してください」

「おかあさんたすけてください、おかあさんが、おかあさんが、みのりの、おかあさんが、」 

 ついに堪え切れずに再び泣き出したらしい娘の声を聞きながら、ゆっくりと紗央の視界は暗闇に沈んでいった。




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2014.01.16(Thu) | 擬似親子 | cm(0) | tb(0) |

生徒会予備軍




 芹沢家の朝は早い。使用人は皆朝五時には仕事を始めているし、炎而の父である拓海も母の紗央もそれと同じくらいの時間には起床する。父のあの性格で寝起きの時間は割としっかりしているのが炎而としては未だに疑問である。逆に朝が弱いのは妹のみのりだ。あの高飛車な物言いの少女が実は朝が弱く、炎而が何度声を掛けてもギリギリまで起きられないなどみのりの学校の生徒は想像もできないだろう。
 かく言う炎而はと言うと、朝は苦手ではない。朝の五時過ぎには起きて、三十分ほどランニングに出るのが日課だ。父の指示で、週に二度剣道を習いに出かけている。その体力づくりもあって、走り込みは中学の頃から欠かさずに続けていた。今日も今日とてロードワークに勤しみ、たった今帰ってきたところだ。初秋の朝は少しずつ気温が下がっており、Tシャツで走るにはちょうどいい気温だった。汗ばんだ肌を首にかけたタオルで拭いながら門をくぐると、庭の掃き掃除をしていた使用人の女性に声をかけられた。

「おはようございます、炎而ぼっちゃん」
「ああ、おはよう」
「十分ほど前ですが、奥様が探しておられましたよ」
「母さんが? なんだろう」

 紗央が朝から炎而を探すことなどまずない。怒られるようなことなんてしていないし、わざわざ探すような緊急事態などそれはそれで何事なのか見当もつかない。首を捻る炎而に、使用人は笑って付け加えた。

「お電話だったようです」
「電話ぁ!? こんな時間に!?」

 まだ朝の六時前だ。そんな早朝からの電話など常識的ではない。学校の連絡網にしたって確か六時以降という決まりがあったはずだ。

「京都からのご連絡だったようで、後で折り返すと伝えたみたいですけど」
「京都、……なんだ、真紘か。ありがとう、折り返してみるよ」

 この非常識な時間の電話。母が自分を探すということ。相手はひとりしか考えられなかった。
 使用人に礼を言うと、炎而は小走りで母屋に向かった。




『遅ェんだよ馬鹿が』
「誰が馬鹿だ。こんな時間に掛けてくるのが非常識だ」
『こんな時間に掛けてんのにいねェ方が常識から外れてんだろ』
「なんでそう揚げ足取るんだよ、普段深夜にしか掛けてこないくせに」

 電話の向こうの相手は京都にいる。傲慢、不遜、傍若無人。およそ長所が見当たらない相手で、しかも炎而はその相手に会ったことは一度もない。写真も見たことはない。ただたまに電話をするだけの相手。親戚でもないので血も繋がっていない。
 相手は都筑 真紘という名前で、炎而と同い年だという。向こうももちろん、炎而と会ったことはない。親同士は知り合いだということで、炎而なり真紘の姿は見ているらしいが、子供の頃といっても赤ん坊の頃の一時だけで、それ以来顔は見ていない。親同士の交流だけにとどめているらしい。しかし何故か物心ついたころから電話での交流だけがあり、こうして今でも続いている。電話は必ず家にかかってくる。携帯電話の番号の交換も、メールアドレスの交換も、手紙のやり取りも、なぜか親によって禁止されている。疑問に思った時期もあるにはあったが、何せこのやり取りが始まったのが昔のことすぎて、今では当たり前にこうして電話でのやり取りを続けている。全く会いたくないわけではないが、直接会ってうまくやれる自信もない。話は全く合わないわけではないけれど、向こうはあの傲慢な性格である。炎而のごく身近に似たような人物がいるため、直接会話するのは骨が折れそうだとよく思うのだ。

「で? 何の用」
『特にない。珍しく早くに目ェ覚めたからな、することもねェし』
「特にないって、……そんなんで馬鹿呼ばわりされたらたまんないな」
『まーそう言うなって!』

 電話の向こうの相手はからからと笑う。よく響く低音といい、この物言いといい、真紘は炎而のよく知る――父にどこか似ているところがある。姿を想像しても、なぜか父の顔が浮かぶ。そりゃさすがに真紘に失礼だ、と思い直すのだがどうも一度浮かんだ面影は消えそうにない。
 何の用もないからと言って、あっそ、じゃあ切るわ、とあっさり終わらせるのも微妙なので、それから数分当たりさわりのない話をした。まずは家族のこと。向こうも妹がいる。そして父親も炎而の父に負けず劣らずの曲者だ。電話をすればその曲者エピソードをお互いに披露することになっている。あとは学校のこと。真紘はこの性格だが成績はそれなりらしい。しかしガリ勉というわけでも、学年トップというわけでもない。学力勝負をすれば炎而は自分が勝つ自信がある。
 そんな取り留めない話を続けていた途中、「あ」と真紘が言葉を切った。なんだよ、と問い返せば、電話の向こうの声はまた可笑しそうに笑う。

『そーだ炎而、俺年末そっち行くわ』
「……は!?」
『だァから、年末にそっち行くって。お前の学校何か変わったイベントあんだろ? それ見に行くからついて来いって親父に言われてさ』
「ちょ、ちょっと待った、それ一番重要だろ!! 電話する用事何もないとか嘘つくな!!」
『あ? 別にいちいち報告することじゃねェだろ、報告してお前が何つっても俺はそっち行くし』

 そりゃあそうだろうが、そういうこっちゃねえよ――という台詞はすんでのところで飲み込んだ。
 十年以上声だけを聴いてきた相手だ、その相手があと数か月で目の前に現れる。直接会っては対応が面倒そう、というのは事実だが、実際会えるとなればそれなりに楽しみでもある。

「そ、っか。もちろんうちに泊まるんだよな」
『ははっ、んなのまだ分かんねえよ。でもそーなるんじゃね?』
「初めて会うんだよな。俺の顔知ってるとかないよな?」
『ねえよ。お前は知らねェだろうが、芹沢からの郵便物って検閲すげえの!』
「そりゃうちもだって。都筑からなんか届いたってなると絶対父さん直々にチェックだし」
『だよなあ! うちもだ!!』

 舞踏会の時期には会える、ということは、そこを機にいろいろ解禁になるのだろう。これまで何故こんなにも隔たりを持たされていたのかはわからないが、今となってはどうでもいい。

「楽しみだな」
『多少な』

 お互いこれから学校があるということで、その日の電話はそこで終えた。




 朝食の席で父とは顔を合わせたが、何か伝えられる素振りはなかった。親同士で話は通っているはずだし、それならばこちらから特に言い出す必要もないだろうと炎而は電話の内容は特に告げずに家を出た。
 家は八時前には必ず着くように出る。課題などは家で済ませているが、面倒な授業に合わせて朝のうちに軽く予習をするためだ。
 校門に近づくと、数名の生徒が立って登校中の生徒たちに何やら声を掛けている。彼らの服装は、制服にたすき。ああ、そういえば。

「おはよう景央。いよいよ追い込みか」

 炎而はひとりの長身の男子生徒に声をかける。声をかけられた生徒は振り向いて、ぱあっとその表情を綻ばせた。

「おはよう芹沢! 信任投票ではあるが、手を抜くのは間違ってるからな」
「大変だな、次期会長も」
「やりたくてやってるんだ、苦ではないよ」

 今週の金曜の六限は全校生徒が体育館に集結しての生徒会選挙だ。といってもやりたがる人間がそんなにいるわけもなく、会長をはじめすべての役職は今回信任投票となるらしい。各役職にひとりずつしか立候補がいないのだから、余程悪名高くなければ決まりの選挙となる。それでも手を抜かないのだと宣言できるのならば、信任投票といえど会長を任せてやろうという気にもなる。
 すらりとした長身は炎而よりも数センチ高い。それでいてきっちりと着こなした黒の制服がよく似合う。肩から下げるたすきには『会長立候補』の文字。彼こそ、月見ヶ丘高校生徒会現任副会長、そしてこの度の選挙でおそらく会長となるだろう瀬川 景央だ。人当りがよく、怒ったところなど見たことがない。それでいて正義感が強く、筋の通らないことは言わないし、大嫌いだときた。熱血少年漫画の主人公みたいな男だが、それもそのはず元祖少年漫画主人公っぽさツキ高ナンバーワンを誇る瀬川 空教諭の愛息子である。先生が親だからといって驕っているわけでもないし、それどころか彼はおそらく親よりも賢い。将来の夢は医者ですと公言できるだけのことはある。

「これで全員か? ちょっと少ない気がするけど」
「いや、半々だ。今日は俺と二年書記、一年会計だけで、残りは明日になる。立候補者だけで二年で四人、一年三人いるんだ。それプラス応援者まで来たら校門がごったがえすだろ? 日を分けるよう指示があった」
「それが妥当だな。お前の応援って今年もあいつか?」
「残念ながら、その通りだ」

 景央はにこりと笑うと、坂を上って登校してくる生徒たちに向かって声を張り上げチラシを配る男子生徒に向かって声を掛けた。

「とーや、あんまりうるさいと得票率下がる」
「あー!? おっ前、この人気者起用しといてその言いぐさアリか!? お、エンジはよー」
「おはよう琴也。お前ライブの練習はいいのかよ」
「そーなんだよ、それなのに次期会長サマってばこの物言いよ? ライブ前のボーカル捕まえといてこの言い草はひどくない?」
「フォーマルなイベントで全校生徒の前に出れば普段とのギャップでモテること確実ですよね副会長先生、と大真面目にのたまったのはどこのどいつだ」
「いやんカゲってば耳年増なんだからぁ」

 身長の高い景央と並ぶと少し低いけれど、彼も炎而とそう背は変わらない。制服はきっちり着る景央とは対照的に、ネクタイやシャツのボタンは見苦しくない範囲で崩していてそれが彼のスタイルによく似合っている。軽音部で組んでいるバンドのボーカル、花形を飾るだけあって見た目はそこそこで、それなりに女子からの人気もあるらしい。炎而も去年から何度か彼のライブは聞いているが、歌唱力は非常に高く、これだけ歌えればさぞ楽しいだろうと何度思ったかしれない。景央が「とーや」と呼ぶ人物、それが鈴城 琴也だ。琴也の父親と景央の母親は双子の兄妹で、ふたりはいとこ同士にあたる。それにしたって性格が違いすぎるような気もするが、それを言ったら自分やみのりと椿もまたまるで違うということを思い出さないわけにはいかない。
 
「お、そーだこれやるよエンジい! うちのカゲに清き一票を」

 ぺらりと渡されたのはわら半紙に印刷された立候補者のPRポスターだ。立候補に向ける思いやら応援メッセージがいっぱいに載っている。
 正直、信任投票なのだからここまで金をかけなくても、とは思うのだが。

「こんな大層なモン貰わなくても投票するって。友達なんだしさ」
「いや芹沢。そんな理由で投票されては困る」
「そーよエンジ。だから俺たち頑張ってんの」
「信任投票なんて投票する側もされる側も手を抜こうと思えば抜き放題だ。だからこそ、本気をアピールするなら活動するしかない。幸い、今期は皆やる気のようだからしっかり期待に応えられると思うよ」
「カゲはガチでカタブツだからさ。選挙も真面目に投票してやってよ」

 景央の人となりは、今年同じクラスになってからよくわかっていたつもりだ。去年は違うクラスだったが、隣のクラスだったため英語や数学、体育の時間に一緒になることが多かった。真面目で堅くて、しかし理不尽ではないその性格。勉強にも生徒会活動にも真っ直ぐ向かう態度も、こういった仕事を任せるに相応しい人間だと思う。だからこそ琴也も自分の部活のライブがあっても景央を手伝うのだろう。そこにはいとこ同士という繋がりを超えて、景央の人間性のなせる業といっていいものだ。

「言い方が悪かったよ。景央なら安心して任せられるって思ってる」
「そう言ってくれるとありがたい。とーやもせっかく手伝ってくれてることだしな」
「選挙終わったら俺のライブもよろしくな、エンジ」
「もちろん。あれ、そういや景央は一緒に行くって言ってなかったよな。樹理とか塩見とか一緒に行くけど、来るか?」
「いや、俺は遠慮しておく。聞きに行きたいのは山々なんだが、何せ選挙の次の日だからな。授業が終わったら顔合わせがある。終わり次第余裕があったら顔を出すよ」

 この堅さこそが人望を集めている。こんな彼だから、彼を慕う生徒は多いし、彼自身もその期待に応えようと頑張っているのだ。友人としてこの選挙は応援しなければ。まず炎而にできることは、今この場で行われている活動を邪魔しないこと。それに尽きると判断した。

「じゃあ俺は邪魔になるから教室行ってるわ。頑張れよふたりとも」
「おう、またなエンジ!」
「また後でな、芹沢」

 どうせ二人ともクラスメイトだ。始業前のチャイムで戻ってくるだろう。
 校舎へ向かって歩き始めた炎而の後ろで、琴也のPRが響く。「生徒会長に瀬川景央はいかがっすかー」などと売り込みの様相を呈してきたようで、景央が持っていたチラシの束で琴也の頭を叩いて笑いを誘っていた。ラジオのように、二人のやり取りは声だけで十分状況がわかる。これは得票率も信任投票とはいえかなり伸びるだろう。
 週末の選挙当日が少し楽しみになった。




2013.04.23(Tue) | 擬似親子 | cm(0) | tb(0) |

ごしゅじんさま と げぼく




 樹崎 ミナトの持つ革のキーケースには、いくつかの鍵がついている。職員室の机の鍵、英語科教員室の机の鍵、更衣室のロッカーの鍵、自分の住む部屋の鍵、そしてもう一つ。全部で5つだ。机の鍵はどれもメーカーが同じため見分けづらいが、赤いシールを貼っている方が職員室、青いシールが教科教員室、と分けて管理することにした。ロッカーの鍵はひとつだけ形が違うので、間違えることはない。残るふたつ、自分の部屋、そして彼女の部屋。同じマンションに住んでいるため、鍵の形はどちらも同じだ。それでもこちらは、シールで分けずともミナトはすぐに判別することができる。――いちばん右につけた鍵しか、使わないからだ。
 チン、と音を鳴らして、エレベーターが目的の階へ着く。月見ヶ丘の駅から上り電車に乗って三駅ほどの場所。駅からはほど近いマンションにミナトは住んでいた。扉が開き、四階に足を踏み入れる。革の鞄は左手に、右手でジャケットのポケットをまさぐり、いつものキーケースを取り出した。いつも使う、一番右の鍵を目当ての部屋の鍵穴に差し込み、回す。扉の向こうは電気がついていて、玄関にはヒールのある黒い靴が揃えられず脱ぎ散らかされている。それはいつものことだし、ミナトが帰宅するとそのヒールの靴を綺麗に揃えてから部屋に上がる。内側から鍵をかけることも忘れない。
 そこそこ広い3LDKの部屋。廊下を真っ直ぐ歩いてリビングの扉を開くと、香ばしい匂いとじゅうじゅうと小気味いい音が飛び込んでくる。

「お、ミナトおっかえりー」
「ただいま帰りました」

 部屋の中にはひとりの女性。肩より少し短いくらいの黒髪はゆるくパーマがかかっており、背は160半ばほどだ。アイボリーのニットに黒いパンツ姿で、IHコンロとにらめっこしている。部屋の主のミナトが帰ってきてジャケットを脱いでいても気にも留めないくらいには大和撫子とは縁のない女性だ。彼女がキッチンで動くさまを横目で見ながら、ミナトはグレーのジャケットを脱いでクローゼットに掛け、次いでネクタイを緩めた。

「ミナトぉ、日本酒にする? ウイスキーにする? それとも、ビ・イ・ル?」

 新妻のあの定型句のノリで彼女は酒を三種類にこにこと挙げる。色気も何もあったもんじゃないが、そんなことは出会ったころからわかりきっていることなので今さらどう思うことでもない。
 ネクタイを外してクローゼットにしまうと、スリッパの底を鳴らしてミナトはリビングに戻った。

「全部アルコールじゃないですか。選択の余地ないですよ」
「なにー? 焼酎もあるけど?」
「そういう問題じゃないです。お茶にしてくださいよ、お茶」
「なんだミナト、あたしの酒が飲めないっての? あーん?」
「うわ、現役警察官が飲酒強要っていいんですか」
「強要じゃねーよ、コイビト同士のスキンシップだろ? ほれ、嬉しいよなあミナトくん」

 どう聞いたって恐喝だ――とは、言えばおそらく更なるスキンシップが待っているはずなので飲み込んでおくことにした。ここは大人しく、彼女の提示する三択から選ぶべきだ。じゃあビールで、と返すと「わかってるねえ」と彼女は上機嫌で冷蔵庫を開けた。テーブルの定位置についたミナトの目の前に、ドン、とビールの500ml缶が置かれる。キンキンによく冷えたそれを握って、プルタブを開ける。ぐっと呷って喉に流し込むと、程よい苦みと炭酸が喉を刺激する。ビールもウイスキーも、二人の趣味があったものしか揃えていない。酒の趣味以外に合うところなどほとんどないというのが現状だ。
 彼女はコンロからフライパンを上げると、大皿に料理を盛り付けた。その大皿をテーブルの中央へ、フライパンには水を少し入れてシンクに置いておく。あとはまた冷蔵庫を開け、ザルに盛られた枝豆をまたテーブルの中央に置き、ついでに冷えたビールを二本自分の目の前に置いた。これで彼女としては夕飯の準備が整ったということらしい。毎度のことなのでもう突っ込む気にもならないが、お約束までスルーするのはツッコミ役として問題があると思うので、一応声をかける。

「みやびさん、主食ないってどうなんですかね」
「あん? あんだろビール」
「液体ですよ」
「原料は麦だろ」
「麦じゃないです麦芽です」
「おんなじよーなモンじゃん」

 大皿に盛られたのは、砂肝とニンニクの芽を塩麹で炒めたものだ。酒のつまみには申し分ない。ついでに枝豆とくれば酒は進み放題だ。彼女はミナトの言い分など相変わらず少しも気にせずにリモコンをテレビに向け、適当なバラエティ番組に合わせる。
 彼女は佐伯 みやび。理事長の勧めで断り切れなかった見合いの場で出会った彼女とは、酒の趣味だけが合う。年はミナトの四つ上。彼女も上司の絡みがあるらしく、体裁を保つために付き合い始めたのだが、なんやかやで今まで続いているので相性はおそらく悪くないのだろうと思う。酒豪でヘビースモーカーで強烈に口が悪い。これが警察官なのだから随分前から世は末だったのだなと実感する毎日だ。黙っていれば見れなくもないのに、という言葉は彼女と付き合った男なら誰だって思うだろう。
 付き合い自体はもう五年になる。自分たちの年齢を考えればそろそろ結婚してもよい頃だろう。というか、結婚のための見合いだ。しかし以前彼女に結婚について聞いてみると、「樹崎みやびって、苗字と名前が同じ母音になるから嫌だ」と謎の拒否をされた。だからといって自分が佐伯ミナトになるつもりがあるかというとそうではないので、ならばこのままでもいいだろうとだらだらこの関係を続けている。

「あー、どっこも面白くねえなあ」

 缶ビールを右手に、左手でリモコンを操作するみやびは苦々しい顔をしてそう言った。最後に赤いボタンを押して、テレビの電源を切る。

「みやびさん、僕今度の日曜まるまるいないんで」
「おー、そっか。バスケ部?」
「そうです。遠征で」
「センセイも大変だねえ。遠征ってどこまで?」
「山梨ですよ」
「甲州ワインよろしく! あ、でもほうとうもいいよな、最悪信玄餅で手を打つ」
「聴覚ちゃんと機能してます? 仕事だって言ってるでしょう」

 大皿に盛りつけられた砂肝の炒め物を小皿に少し取り分けて、一口つまむ。味付けはよく言えば大胆、悪く言えば大雑把だが、慣れているのか味が悪かったことはない。反面、細々した料理が得意なのはミナトの方で、そこも自分たちはバランスがとれているなと思っている。今の関係に文句はない。この状態に慣れてしまうと、ステップアップが面倒で仕方ないのだ。
 日曜に行われるのは山梨の高校との試合だ。現地まで赴くなんてそうそうない機会だからか、生徒たちは面倒という気持ちより遠足気分の者が多い。それはそれでとやかく言うつもりはないが、野島恒輝が目を輝かせて「俺富士急ハイランド行きたい!」とか言い出したのはいただけなかった。レギュラー外してやるから勝手に行け、と言うと同級生の渡会穂高が大笑いし、当の本人は泣きそうな顔になっていた。バスケ馬鹿のくせにふざけるんじゃない、とミナトは思う。バレー部で外部コーチを務めている芹沢 大和に言わせれば、恒輝の父親の高校時代にそっくりだと言う。今の野島慎吾の姿を見ていても、それは容易に想像がつく。
 食事というよりも間食に近かった夕食を終えると、みやびがソファーに寝転がった。それを横目で見ながらミナトは食器を洗う。食事を作らなかった方が片づけをやるのは当たり前のことだと思っているし、わざわざ口に出してルール化せずともふたりはやってこれた。言葉にする必要がないというのも、一緒に暮らしていてやりやすい。
 この部屋を借りたのはミナトで、みやびとは半同棲の間柄だ。みやびはみやびで、このマンションの8階に自分の部屋がある。階が低くて楽だからとみやびがここに入り浸った形だが、部屋はひとりにしては持て余すしふたりでちょうどいいくらいだ。あまり回数は多くないが、喧嘩するとみやびは散々ミナトの部屋を荒らし、自分の部屋へ帰っていく。ミナトはこれで割と粘着質な自覚もあるので、その時は許すつもりも許したつもりもないのだが、大概部屋を出ていった数時間後にみやびが何事もなかったかのように戻ってきて居座っている。蒸し返すのも大人らしくないとミナトもわざわざ蒸し返すことはしない。けじめをつけない大人のつきあいはこうなるのだ。

「今日さあ」
「はい」
「天使みたいな子が道聞きにきたんだあ」
「みやびさんからそんな可愛い言葉が出るとは」
「るせえ」
「小さい子ですか?」
「いいや、高校生」

 みやびはソファーでごろごろしながら、自分のスマートフォンを操作している。ミナトは洗い終えた食器をふきんで拭きながらその話を聞く。食器自体はそうたくさん使っていたわけではないから、すぐに仕事は終わってしまった。流しの電気を消して、L字型のソファーの空いている席に腰かける。
 みやびはこんな口の悪さで、警察官だ。勤務地は半年前から月見ヶ丘の駅前だ。場所柄、ツキ高生を目にすることも多いためガラの悪い生徒を見かけるとちょいちょいミナトにネタとして話してくれる。

「商店街の方から来てさ、パン屋の袋抱えてて、駅どこですかとか言いやんの。目の前だっつーの」
「ずいぶん抜けた子ですね」
「ハーフっぽくて、金髪に緑の目なんだよ。いやあ可愛くてびっくりした。しかもオマエんとこの制服。これで頭もいいのかよ爆ぜろと思ったね」
「自分が頭悪いからって僻まないでくださいよ」
「オマエは一言多いんだよ! あんまり可愛いから写真撮らせろっつって、所長にツーショット撮ってもらった。どーよこれ」

 満面の笑みで差し出された、彼女の真っ赤なスマートフォンを手に取る。画面いっぱいに映し出される、天使と呼ばれた少女と、相変わらず子供じみた笑顔のみやび。少女はミナトも見知った顔だった。この界隈にそれだけ目立つ見た目の少女など、そうそういるはずはない。手にした紙袋から除くバゲットが彼女の日本人離れした容姿を際立たせているが、惜しくも隣に写っている人物が写真の完成度を落としている気がする。

「この子、極度の方向音痴なんですよ。校内でもよく迷うみたいで、お目付け役みたいのがいます」
「ふーん、女?」
「いえ、男子です」
「そいつは役得だな。女同士だと面倒くせえ僻みだのなんだのあるけど、男ならスキンシップ取りたい放題だし噂なんて勲章みたいなモンだろ」
「男がみんなみやびさんみたいなオヤジ思考してると思わないでください」
「あー? そいつ鼻高々じゃねえの」
「芹沢の嫡男ですよ、生まれつき天狗鼻なのにそれ以上伸びるわけないです」
「ミナトはほんっとに芹沢嫌いな! まああたしも大和は金持ちでうぜえし嫌いだわ」

 ルミは可愛いんだけどなー、と話すみやびは本気になったら両刀なのではないだろうかとミナトはよく考える。それくらいみやびは女性によく好かれるし、女性に対しては好意的に接する。それ口説いてんだろ、と思うこともしばしばである。現にミナトとの間に恋人同士らしい会話はほとんどないし(年齢的な面ももちろんあるだろうが)、みやび自身ミナトのことは下僕と公言して憚らない。突っ込むのも訂正させるのも面倒になってきた最近は、もうそれでいいやとミナトが折れているので何の衝突も起きない。

「そっか、芹沢の嫡男って、あのブアイソ当主にも奥方サマにも大和にもぜんっぜん似てねえ子な」
「よく覚えてましたね、顔つきまで」
「まあ似てなくて正解だと思うけどな。あんなのが何人もいてたまるかってんだ」
「みやびさんの金持ち嫌いも相当ですよね」
「あたしは金持ちが嫌なんじゃなくてあいつらが嫌いなんだ」

 ミナトは芹沢の次男である大和の妻、ルミと幼馴染のため、ルミの愚痴を聞きによく芹沢邸に出入りしている。当主や当主夫人、嫡男を見るのはその時のことだ。芹沢の当主と次男の兄弟はよく似ている。それをみやびはよく『鼻持ちならない』と発言してはルミの共感を得ていた。ルミもさばさばした性格だから、みやびとは相性が良いのだろう。

「あれの相手するルミを思うと、あたしは恵まれた下僕を手に入れたなあと思うね」

 例の下僕発言だ。それも恵まれた下僕とはどんな形容だ。
 折れてはいるし諦めてもいるけれど、ミナトはため息をつくことは忘れない。一般のマンションの一室よりも、この部屋は若干、二酸化炭素濃度が高い。




2013.04.09(Tue) | 擬似親子 | cm(0) | tb(0) |

4の残像



 水城 流風という男は天才であったと、慎吾は思う。この母校の体育館の床がバッシュでキュ、と鳴る度に、そう思う。彼のことを忘れた日は一日としてなかった。
 慎吾が初めてバスケに向き合ったのは、中学二年のことだった。それまでは体育は嫌いではなかったが部活には入っていなかったし、バスケは授業でやるもので、短い間に何度もコートを往復するからシャトルランのようなものだと思っていた。授業でのバスケなど真面目にやる生徒がいなかったこともあり、そこまで魅力あるスポーツとは思えなかった。サッカーもコートが広いので授業でやるだけで疲れる。どちらかといえば個人種目である陸上競技や、動きなども役割が決まっていてわかりやすい野球の方が好きだった。その認識が変わったのが、中学二年の春だ。バスケ部の友人が、練習試合をやるからぜひ見に来いというので土曜にも関わらず学校へ行った。その時の対戦相手が、流風の学校だった。友人の応援に行ったはずなのに、慎吾の目は敵方の司令塔の姿に釘付けになった。軽やかで素早い身のこなし。彼の掌に吸い付いたかのようなボールの動き。ゲームの流れを読んだパスさばき。男子生徒にしては少し長めの黒い髪を汗で湿らせながらも、確実にその男子生徒はゲームの流れを握っていた。得点源となるシューターはもちろん存在していたけれど、いざとなれば彼が自分で決めに行く。背は慎吾ほど高くはないけれど、ジャンプ力はそこそこだし何よりもシュートは的確だ。チームのメンバーから信頼を寄せられていることも、わかる。彼にボールを任せれば負けない、とメンバーが信じているのが、見ている慎吾にも伝わってくる。チームを率いるということが彼の個人技なのだろう。
 観戦から帰った後も試合の熱気がまだ残る。あんなバスケなら、してみたい。あんな人と一緒のコートに立ってみたい。俺じゃああはなれないだろうけどあの人と一緒のチームに入ってみたい――。その思いから、翌週の月曜にはバスケ部に入部していた。その時点で身長が170後半あった慎吾は、高さ不足だったそのチームではすぐに重宝された。元々の生真面目な性格で練習も欠かさなかったし、実力を伸ばしていくのも、本当に早かった。そうこうしているうちに当時の三年は引退し、受験、そして卒業していく。慎吾の憧れたその生徒は一体どこの強豪へ進学したのか。顧問に頼み込んで進学先を調べてもらうと、文武両道を謳いながらもその実スポーツではほぼ実績を残せていない私立高に行ったことがわかった。なぜ、どうして。そう思わなかったわけではないが、それでも、その人がまだバスケを続けていることを信じて、偏差値の低くないその高校に入るため練習と並行して勉強も頑張った。おかげで、この月見ヶ丘高校を母校とすることができたわけだ。

「何浸ってるんの、野島コーチ。気色悪い」
「……遅れてきて第一声がソレって感じ悪いっス」
「遅れたんじゃなくて職員会議だし」
「さすが横暴腹黒眼鏡で生徒に定評のある樹崎先生! さすがです!」

 職員会議で遅れてやってきた、バスケ部顧問の樹崎ミナトが持っていたボードでばしんと慎吾の頭を殴る。二十センチ以上ある身長差をもろともしない攻撃であった。
 ミナトはホイッスルを吹き、部員たちに十五分の休憩を言い渡す。休憩の後は試合形式の練習をする予定だ。来週末から冬の大会の予選が始まる。こうして慎吾が練習を見に来れる時にはしっかり試合のイメージ作りをするのがこの部のスタイルとなっていた。

「流風先輩のこと思い出してました。夏のインハイとか冬近くなるとやっぱ思い出しちゃって」
「まあ、水城は冬出なかったもんな」
「ほんと、俺に4番任せて夏で引退とかどーかしてますよね」

 水城 流風は会って話してみると顔は綺麗でクールを気取っているが中身は結構な体育会系で、ちょっと引くほどの努力家だった。自分は天才ではないから努力しないと一番になれない、と一番にこだわり続けた。さすがにこの学校で日本一になるのは無理だったが、それでも、無名の高校が名を馳せるには十分な成績だった。
 蒸し暑い初夏の体育館。部員全員で円陣を組んだ、インターハイ本選の試合前日。流風は進学先を海外と決めていたから、冬の大会には出られない。夏で引退して、主将は慎吾に譲ることも、もう決定事項だった。流風の背中を追いかけて、追いついたら追い越したくて、そうして一緒に練習に励んできた流風がバスケから離れるというのは慎吾にとっては苦痛以外の何物でもなかったが、流風は頑固だから、こうと決めたことはどれだけの努力をしてでも必ず成し遂げる。膝を折っても、吐くほど辛くても、絶対にやり遂げる。それを一番よく知っている慎吾だからこそ、その時できることは少しでも長く流風とバスケをしていられるように、ひとつでも多く勝つこと。それだけだった。
 試合中、盗むように奪うように流風の動きを見ていた。一挙一動忘れるまいと網膜に焼き付けた。流風は、自分は天才ではないと言った。慎吾の才能を羨ましいと言ったこともあった。けれど、本当にそうだろうか。いつも慎吾にはそれが疑問だった。これだけの信頼と実力を勝ち取る人が、才能がないなんて嘘だ。流風の血を吐くような努力すべてを才能の一言で片づけるつもりは毛頭ない。でも、単に努力の一言で片づけられるレベルでなかったこともまた、慎吾はよく知っている。慎吾だって流風を信じている。他のレギュラーメンバーも、流風を信じている。頑固で、クールぶっているくせにいやに熱血で、馬鹿みたいに努力家なのにそんな素振りは慎吾以外には見せなくて。誰もが認めざるを得ない実力を手にしているからこそ、信頼せざるを得ない。流風がコートにいれば、必ず得点に繋がることを信じていた。
 結果的に、大会は四位という十分すぎる好成績を残すこととなった。流風は一番が大好きだったから不服そうな顔をしていた。負けた試合も三点差で、大差と言えなかっただけ悔しい思いをした。

『……やっぱ日本一は望みすぎたか。悪かったな、力不足で』

 ロッカールームで悔しそうに流風は、そう言った。千切れそうなほど首を横に振った自分を、慎吾はよく覚えている。

『っお、俺、俺が、俺がもっと、』

 流風の言葉を否定したい気持ちと、自分に対する不甲斐なさと、謝罪と、感謝と、いろいろな気持ちが混ざって声にならなかった。出てくるのは涙と嗚咽ばかりで、四位で終われたのはこの学校では快挙だというのもわかっているけれど、そんなことよりも、もう流風と一緒にコートに立てないのだという残念な気持ちの方が大きかった。流風よりも二十センチ近く大きな体を折り曲げて、顔を汗と涙でぐしゃぐしゃにして慎吾は泣いた。流風の同級生のチームメイトも、慎吾と同学年のチームメイトも、みんな涙ぐんでいた。
 俺がもっと頑張れば、もっと先輩のサポートができれば、もっと上手かったら。そうは思うけれど、慎吾は自分の今の感情は、たとえ日本一になったとしても変わらなかっただろうことも、わかっている。流風は、もうバスケから離れるのだから。優勝できたとしたってその事実は変わらない。
 大泣きする慎吾と、涙ぐむチームメイトを見て、流風自身は涙するタイミングを失ったのか、笑っていた。

『……慎吾』

 力強く名前を呼ぶその声に、慎吾はぐしゃぐしゃの顔を上げた。

『あとは頼んだからな、キャプテン』




「げ、今日コーチ来る日でした、っけ?」

 恐る恐る入口から入ってきた生徒はバスケ部の部員だった。ミーハーな性格で高校からバスケを始めたおちゃらけ者。しかし運動神経は悪くなく、しっかり練習すればそれなりに伸びるだろうと慎吾も目をつけていた一年生。いかんせん、やる気の方はない。真面目の真の字もまともに書けないかもしれない。やればできるんですけどね! が常套句のしょうもないガキだ。ミナトは笑顔を張り付けたまま生徒の元へ向かう。それに慎吾も続いた。
 するとちょうど外周に行っていた一年生部員がぞろぞろと帰ってきた。先頭にいるのは慎吾最愛の一人息子、恒輝である。恒輝は軽く肩で息をしながら、入口の生徒を見つけると堂々を指をさす。

「うおい穂高ぁ!!! おっ前何練習サボってんだよ!!」
「悪ィ悪ィ、ちょっと屋上で青春してたらこんな時間に☆」
「部室までは俺と一緒に来たじゃねえか!! どこで消えた!」
「俺の仕事の速さを甘く見ると痛い目見るぜ!」

 とまあこの軽さである。元から真面目な性格な慎吾とミナトはこの生徒に手を焼いていた。恒輝は賢くははないが、バスケに関しては真っ直ぐだ。曲がったことが嫌いな性格は慎吾譲りだろう。
 次に動いたのはミナトだった。にこにこと満面の笑みを顔に張り付けたまま、ぽんと生徒の肩に手を置く。

「渡会君、いくらお母さんがいるからって言っても僕は手抜かないからね? ――外周20行ってこい」

 それを部員たちは絶対零度の微笑みと呼ぶ。そして本当に手を抜いてはくれない。ミナトが20と言ったら20だ。それ以上はあってもそれ以下は絶対にない。
 月見ヶ丘高校男子バスケ部員たちに一番恐れられているのは顧問であるミナトだ。自分が在籍していた頃の流風レベルの厳しさに、慎吾は寒気すら覚える。

「恒輝、穂高だけじゃ可哀想だからお前も一緒に行ってこい」
「はぁああああああ!? なんで俺がっ、今行ってきたばっかなのに!!」
「お前っ、尊敬する野島慎吾の言うことを無視するのか! 無礼者!」
「穂高お前もう死ねよ……」

 試合形式の練習といってもまずは二年と三年の調整からだ。レギュラーである恒輝が減るのは痛いが、レギュラーとの調整は後回しにすればいい。足腰を鍛えるのは悪いことではないし、息子だからといってここで甘く見るわけにはいかない。恒輝には天性のものがあると父である慎吾も感じているが、それを親の甘やかしで殺してしまうのは本当に勿体ない。幸い恒輝はバスケが好きで、これからも続けていこうと思ってくれているようだし、自分は元プロ選手だ。先輩として、指導者として、親として、恒輝の才能を伸ばすためにできる限りのことをしてやりたい。
 渋々穂高と追加の外周に行った恒輝の背を見つめていると、ミナトが意外そうな顔でこちらを見ていた。

「野島は息子溺愛しすぎで気色悪い、ととある大金持ちから聞いたけど」
「それどこの芹沢 大和ですか」
「残念、ご夫妻からでした」 
「嫁さんも一緒になって俺の悪口言ってんスか」

 慎吾と同じように、この学校で男子バレー部のコーチをしている大金持ちの道楽者の顔を思い浮かべた。その名も芹沢 大和。その妻であるルミ。二人ともこの学校の卒業生で、慎吾のひとつ上の先輩。そして流風の理解者でもあった。

「まあ、そんなのは冗談だし、芹沢も人のこと言えないくらい椿くんには甘いじゃん」
「そーですね。ああいうのをダメ親ってんですよ」
「お前も言うねえ」

 スーツ姿のミナトは体育館の壁に寄りかかって、眼鏡のブリッジを中指で軽く上げた。メタルフレームの眼鏡は彼によく似合っている。横暴腹黒眼鏡の異名にぴったりの眼鏡だ、と口には出さず慎吾は思っている。

「……けど、意外には思ってたよ。プロ引退して指導者になるだろうとは思ってたけどさ、まさかうちのコーチ買って出てくれるなんて」

 水城が生きてたら、それもアリかとは思ったんだけどね。
 少しだけ寂しそうにミナトがそう言うから、慎吾にもどこか物寂しい感情がぶり返してきた。ロッカールームで聞いた、流風の声が、記憶に脚色されて、いやに切なく響く。

「……ん、まあ、俺もいろいろ考えたんスけど。……流風先輩が引退した後の俺のプレーは、絶対先輩がベースになってるんで。ポジションもセンターから流風先輩と同じポジションやるようになって、流風先輩がいた頃には自分がそこに立つなんて想像もできなかったのに、実際やってみると違和感もあんまりなくてしっくり来てて。だから、俺が世間に成功したプレーヤーって思ってんなら、その基盤を作ってくれたこの学校にはやっぱ恩返ししないとって。まさかまさか自分のガキまでここにくるとは思ってなかったですけど」
「水城がいなくても?」
「先輩がいなくても。いてもいなくても、俺の感謝の気持ちは変わらないんで」

 慎吾が、流風がアメリカで事故に遭って死んだということを聞いたのは、自分がアメリカでのプロ生活を終えて帰国した後、流風の死から実に一年は経過してからだった。
 ミナトや芹沢の二人をはじめ、日本にいた知り合いは全員リアルタイムでその情報を耳に入れていた。一番懐いていた後輩の慎吾には、誰もその情報を与えることができなかった。
 帰国してすぐにそれを知らされた慎吾は、はじめに妻を責めた。それがお門違いであることは重々承知していた。けれど言わずにはいられなかった。自分のことを誰より知っていながら、どうして教えてくれなかったのかと。
 幼い恒輝を育てながら慎吾の帰りを待っていた妻の千咲は、きゅっと唇を噛んだ。波に乗り始めた慎吾の調子を崩すことだけはしたくなかったのだと、彼女は妻として、相棒として答えた。その優しさと、確かに流風の死を告げられたら調子を崩しかねなかった自分の不甲斐なさにも苛立ちを隠せなかった。
 忘れようと思っても、忘れることなどできない。今の自分を作ってくれた大切な人だ。千咲や恒輝とは別次元で、本当に大切な人だった。今はもういないけれど、彼の姿はいつまでも脳裏に焼き付いて離れない。

「……ほんとお前水城大好きな。治んないの?」
「治るわけないですよ。俺、一生先輩に憧れつづけますから」

 追いついて、追い越したと思ったのに、まだまだ瞼の裏の消えないユニフォーム姿に苦笑せざるをえない。




2013.03.23(Sat) | 擬似親子 | cm(0) | tb(0) |

おやこごっこ



「今日はボロネーゼを作ります!」

 樹理が若草色のエプロンを身に着けながら上機嫌にそう言うのを聞いて、ケレスは「そうか」とだけ返して新聞を捲った。樹理が中学に上がってしばらくした頃から、食事作りは樹理の担当になった。最初は任せるつもりなどなかったし、見た目通りの抜けっぷりを普段から披露しているから刃物なんて危険すぎてとても任せられないと思っていた。しかし樹理は、これでしっかり父親の血を引いているらしい。『学べばできること』への執着力と成長度合いは目を見張るものがあった。とんでもない方向音痴だけは教えたところでどうにもならないようではあったが、これに関してはもう諦めている。
 樹理は幼い頃から、飲み込みが早い。見た目は春の妖精のような、脳の中までお花畑ですと主張しているような華やかなものだが、これで意外と強かだし、しつこいし、負けず嫌いだ。十年以上一緒に暮らしていればそんなものも嫌でも理解してしまっている。その片鱗を見せつけられる度に、もうこの世にいない樹理の父親が脳裏をふと過ぎり、ケレスの眉間に皺を刻ませる。亡き父親の性質を深く受け継いでいるけれど、それでも見た目通りの穏やかさも兼ね備えている。少なくとも無理や無茶は好まないようで、そこはおそらく母親に似たのだろう。
 料理に興味を持ち始めたのは小学校の高学年になった頃だった。ちょうど家庭科の授業が始まったのがきっかけだったのだろう。ケレス自身は教えてやれるほど料理が上手いとは自分でも思っていないし、身近にプロがいるのだから、と休日に扇谷家に赴き、大した事情の説明もしないまま、樹理に料理を習わせた。おかげで和食は相当上手いのだが、「和食じゃシラギクに敵わないから」と家で作るのはもっぱら洋食だ。
 たまねぎ、にんじん、セロリなどの野菜をみじん切りにしながら、「ケレス」と樹理が声を掛ける。

「トマトあけて」
「どこだよ」
「そこ。買い物袋の中。ふたつとも開けて」

 席から立ち上がって言われた通りに買い物袋を見ると、トマトの水煮缶がふたつ入っていた。プルタブのないタイプの缶だったので、台所の引き出しから缶切りを取り出すとそれを使って開けてやる。大した労働ではない。中身はボウルに移してから、樹理のそばに置いておく。中身が空になった缶は軽くゆすいで、缶専用のごみ袋に入れておく。その一仕事が終わるとケレスはまた席に戻って新聞を開く。
 樹理は、缶がダメだ。ジュースなどは極力ペットボトルや紙パックのもの。缶の場合は一度グラスに移せば平気。しかしできれば触りたくないので、移す作業は誰か別の人間がやる必要がある。料理に使う缶も同じだ。今日のようなトマト缶や果物の缶も苦手だ。ホワイトソースやデミグラスソースは缶のものを使えば楽だと本人も分かっているようだが、料理するときにいつもケレスがいるとは限らないので、自分でルウから作った方がいいと思っているらしい。トマトの水煮はさすがに面倒なのでやらないようだが。
 何故ダメなのか、と聞いても樹理は首を傾げる。何でかわかんないけどダメなの、という。幼い頃は見ることさえダメで、泣いて嫌がったほどだ。わからない、という樹理の心の中にどんな映像が焼き付いているのか、それは今や、ケレスしか知らない。といっても、ケレスもその映像を見たわけではない。その状況を伝え聞いただけだ。
 樹理の父親は元々ケレスの教え子だった。何の因果かケレスと同じ大学を目指して渡米し、ケレスと同じ肩書を背負って帰国する直前に、空港で車に轢かれて亡くなった。樹理が生まれたのは学生時代真っ只中の頃のようだった。教え子の性格を考えれば意外すぎるものではあったが、彼は馬鹿ではないこともまた知っているからこそ、何か理由があって樹理が望まれたのだということはわかっている。彼は帰国前から頭痛やめまいを訴えていたらしい。忙しさの中で医者にかかる時間もなかったのだろう。あるいは、帰ってから、という思いがあったのかもしれない。人ごみの中では頭痛が激しくなるからなのか、彼は空港の外のベンチに樹理を座らせ、その目の前の横断歩道を横切ったところにある自販機で樹理に缶ジュースを買ってやって、また横断歩道を渡ろうとした。歩行者用の信号は青。他に通行人もいた。しかし歩道の途中で足を止めたのは彼だけだった。その理由はわからないが、おそらくめまいか強い頭痛が襲ったのだろう。それでもまだ歩行者用の信号は青だった。信号を無視したワゴン車が彼の体に激突しても、まだ、青かった。即死だったらしいが、目撃者の話によると血まみれの体で子供に向かって這って行ったらしい。彼が力尽きたのはあろうことか、樹理の目の前だった。血まみれの父親、その周りに血だまりが広がって、すぐそばに、中身がこぼれ出した血まみれの缶が転がっていた。そんな光景が樹理の心の奥深くに焼き付いている。後日の解剖の結果、樹理の父親の脳には腫瘍が見つかったようだ。初期のものであったらしく、少し早く医者にかかっていれば、との声も聞かれた。大人になっても父親になっても変わらなかった彼の詰めの甘さに舌打ちしたのはいつのことだったか。彼はいつもやりすぎる。肝心なところでいつも、それをわかっていなかった。だからこうして、大事なものを手放さざるをえなくなってしまう。
 野菜とひき肉をトマト缶で煮詰めるいい香りがリビングに広がった。





 シャワーを浴び終えてリビングに出ると、ソファーで小さく膝を抱えながら最新号のニュートンを捲る樹理が顔を上げた。樹理の方が先に入浴を済ませていたから、肩にタオルを掛けてパジャマが濡れるのを防いでいる。樹理は雑誌はそのままに立ち上がると冷蔵庫へ向かう。

「ビール飲む? お水? フルーツ牛乳?」
「ビール」
「はーいっ」

 フルーツ牛乳はお前だろ、という突っ込みは飲み込んでおいた。フルーツ牛乳は樹理が風呂上りに必ず飲む一品だ。
 樹理が冷蔵庫からビールと、グラスをひとつ棚から出してテーブルに置く。樹理は缶がダメだが棚や冷蔵庫から取り出したり、買い物をするくらいならできる。しかしあまり眺めていたいものでもないらしいということもわかっているので、ケレスは缶を開けると中身をグラスに移す。この作業は確かに面倒だが、十年以上続けていれば気にならなくなる。洗い物がひとつ増える程度だ。その洗い物はいつも樹理がしているから、特に文句を言う立場でもない。グラス一杯のビールを一気に飲み干すと、再びソファーで雑誌を読み始めた樹理の金色の頭に手を置く。

「お前、ちゃんとタオルで拭けっつったろ」
「だって長いんだもん」
「じゃあ切りゃいいじゃねえか」
「ケレスは髪の長い女の子が好きと聞いて」
「誰が言った」
「わたし調べです!」

 これほど頼りにならないものはない。
 樹理が小さい頃は長い髪がとにかく面倒で、いっそ切ってやろうかとは何度も思ったが、今となってはここまで伸ばしたのだから、と思わないでもない。自分が不精なせいもあるかもしれないが、樹理を美容室に突っ込んでも大概切りそろえるだけで樹理自身もあまりこのヘアスタイルを変えるつもりはないらしい。ため息交じりに洗面所に戻ると、ドライヤーを手にリビングへまた戻る。パソコンを使うために延長したコードにコンセントを差し込んで、樹理の隣に腰かけた。

「おら、乾かすから」
「はーい」

 樹理は体勢を変えて膝をソファーの上で抱え直し、ケレスに背を向けて座った。不十分なタオルドライでまだ湿っている髪を乾かしていく。髪は長いが量は多くない。ドライヤーの熱風で乾いた髪からふわふわと舞っていく。できるだけ地肌から乾かすように、軽く髪を梳かしながら髪の間に空気を入れる。
 小さい頃は風呂に入るのも乾くのも早かったからこうして乾かすこともなかったけれど、小学校高学年くらいからはこうして乾かしてやるようになった。濡れた髪のまま寝かせるとよく風邪を引くという統計がとれたためだ。自分ではまったく気を使わないところだが、あまりかけ方が上手くないと枝毛が増えるということも分かってしまった。

「ケレス、これもう読んだ?」
「ああ」
「じゃあ部屋持ってっていい?」
「好きにしろ」
「やたっ」

 誰の影響か、興味は理数系に向けられているらしい。英語は仕込んだからネイティヴの読み書きも受験英語も十分できる。反面国語はさっぱりだが、それにしたって平均以上だ。雑誌は部屋で読む方が集中できると考えたのか閉じた状態で置かれている。

「あのね、次の土曜日の午後にコトヤの軽音部がライブやるんだって」
「知ってる」
「だからエンジとオリカとコーキと見に行くの! その後ね、みんなでご飯食べに行こうって言ってるんだけど、いい?」

 樹理が男だったなら、好きにしろの一言で十分なのだろうが、一応女の子だ。親馬鹿とは違うが、平均よりは可愛いだろうとも思っている。好きに遅くまで遊びに出すわけにはいかない。それは樹理に対してもそうだし、同行するという子供たちも全員ケレスの務める学校の生徒なのだから当然だ。

「帰る前に連絡入れろよ」
「はい!」
「ひとりで行動すんじゃねえぞ、迷うんだから」
「はーい!」

 これはもう毎回言っていることなので樹理も破ったりはしないだろう。迷って困るのは自分だということも分かっているらしい。樹理の周りも、樹理が道に迷うと面倒だということは炎而を中心によく理解している。よく知っている面子だし、心配はそうないだろう。
 粗方髪が乾くと、今度はあまり熱を与えても仕方ないのでドライヤーを止める。終わったぞ、と声を掛けると樹理は立ち上がって、リビングの隅の棚へ向かった。腰くらいの高さの棚だが、その上には写真立てが一つと、冊子が一部置いてある。

「パパ、ママ、今度コトヤのライブに行くの! コトヤ、今度のライブの曲は自分たちで作ったんだって! 英語の曲だって!」

 樹理は写真の人物をママと呼び、冊子に向かってパパと呼ぶ。写真には長い金糸の髪とペリドットの瞳を持つ女性、樹理の母親の姿。父親の姿はなく、彼女が幼い樹理を抱えている写真だ。冊子は一通の論文だった。樹理の父親がケレスと同じ肩書を得た時の論文。
 樹理の父の遺品を整理した時に、三人で写っているものもあったのだが、樹理が拒否したのだ。この男はパパではない、と。ケレスも何度か写真を見せたことがあったが、その度に「違う」と拒否された。高校時代のものを見ても、確実に樹理が生まれてから一緒に撮ったものであっても、樹理は認めない。その姿の男が父親だとは、絶対に認めない。しかし父親の存在自体を否定しているわけではなく、彼が水城 流風という名前であったことや、この論文を書いた博士であることもわかっている。幼い頃は父親の膝に乗って、一緒にインターネット中継でバスケを見たことも、簡単な日本語を教えてくれていたことも覚えている。樹理に聞けば、父親の顔は覚えていないという。目の前で息絶えた血まみれの肉塊は、見せられる写真の顔であっただろう。樹理は、優しかった父があの恐ろしいものと同じとは思いたくないのだろう。だから認めないし、覚えていないという。樹理の父の姿は今や、論文と樹理の記憶の中にしかない。
 何かあると樹理はいつも写真と論文に報告する。今日はこんなことがあった、明日は何をする、嬉しかったことも辛かったことも、ケレスに話したあと必ず両親に報告する。今日も一通りのことを写真と冊子に語り終えると、満足したようにソファーに戻ってきた。

「ドライヤーわたし片づけるね。ありがと」
「片づけたらとっとと寝ろよ」
「はあい。おやすみなさい、ケレス」

 立ち上がると樹理は軽く腰を屈めてケレスの頬に唇を寄せる。それを受けてケレスも樹理の頬に口づけた。

「Sweet dreams.」
「Thanks, I will.」

 にこりと笑う樹理は本体にコードを巻き付けたドライヤーを手に、スリッパでぱたぱたと音をさせながら洗面所へと向かっていった。このやり取りも毎日の繰り返しだが、傍から見れば犯罪めいているのかもしれないとケレスは思う。樹理自身は「大人になったらケレスのお嫁さんになる!」と昔から今まで豪語しているが、その戯言も何年持つことやら。
 缶の中に残ったビールをグラスに移し、またそれを一気に呷ると息をついた。一日は、こうして終わっていく。





2013.03.12(Tue) | 擬似親子 | cm(0) | tb(0) |

1年生組


「親父、マジで!?」
「おう!」
「マジで!? いいの!? ほんとにいいの!?」
「ったりめーだろ!! つーか毎回やってるだろーが」

 野島 恒輝は自宅のリビングで狂喜していた。
 手には二枚のチケット。来月開催される、プロバスケ振興のための交流試合。その入場券だ。隣県にある大きなアリーナで行われるため、客席は多いだろうがそれでも一般発売が始まれば殺到するだろう。恒輝の手元にあるのは、試合が一番よく見えるであろう手前の席。テンションが上がりすぎて手汗でチケットがふやけそうなくらいだ。

「毎回もらってっけどさ、これはやっぱちげーよ。持ってるだけでプレミアもんだろ!」

 何せ、野島慎吾が出場するのだ。指導者になってからはもちろん公式の試合に出ることはなくなった。こういう機会でなければ見られるものではない。
 恒輝の父、慎吾は高校の時に実力を伸ばしたプレーヤーだった。高校の頃に、無名だった私立高校を全国レベルに引き上げたそれまでの成績を買われて協会主催の強化合宿に参加したし、三年の時にはU-19の日本代表に選出され、大学に入ってからも何度か国際試合に出場、インカレにも二度出場して二年次には優勝している。まあ何だかんだとプレーヤーとして赤絨毯レベルの道を歩んできた彼は、大学三年でアメリカ留学、現地の大学リーグでの活躍を認められて、二年間NBAに身を置いて実力を試し、日本人としての限界を感じたとして帰国した。帰国してから数年はプロバスケに身を置いていたが、32歳の時に指導者に方向転換する。今は国内リーグで最多優勝を誇るチームの監督である。
 ちなみに恒輝が生まれたのは父が渡米した翌年のことだった。とはいっても母は日本に残っていたから、アメリカには数える程度しか行ったことがない。
 第一線から退いた野島慎吾が、交流試合とはいえ選手として公の場に姿を現すのだ。恒輝は自分と母こそが父の一番のファンであると自負している。恒輝がバスケにしっかり興味を持ち始めた頃に父は引退したから、プレーヤーとして、現役の父の試合をちゃんと見たことはない。代わりに父の出た試合の映像は、ディスクが擦り切れるのではないかと思うほど何度も何度も見直した。惜しむらくは高校時代の映像が残っていないことだったが、それでもきっと高校生離れしたプレイをしていたのだということは想像できる。バスケをする父を恒輝はこの世の誰よりも尊敬している。選手として、人間として、彼を父に持つことができることを誇りに思っている。そして父が自分を甘やかしてくれることもまた嬉しい。練習を見てくれる時は厳しすぎるくらいだが、そのほかの面では親バカ丸出しだ。野島慎吾の名が泣いている、とはよく母が口にしていた言葉だ。

「本当はバスケ部の分くらいはもらってきてやりたかったんだけど、観客の入りも結構良さそうなイベントだからってんであんま強く言えなかった。悪いな」
「いいって! 部員みんなに白い眼で見られても、野島慎吾の試合見れんなら俺そんなの気にしねーし!」
「んなこと大声で言うんじゃねーぞ。チームは結束が第一だからな」
「大丈夫、俺が野島慎吾尊敬してんの皆知ってるし! いざとなったら俺が再現する!」

 ぐっと拳を握って見せる恒輝に、父は心底可笑しそうに笑って、それからごつごつした太い人差し指をびっと恒輝に突き付けて言った。

「再現なんかさせねーよ」





「とっとと起きなさいよウド!!」

 非常に固いものの角で頭をぶん殴られた恒輝は、声にならない声をあげて呻きながら顔を上げた。寝ていたことは否定しない。というか熟睡だったので否定の余地がない。
 さっきまでは英語の授業だったはずだが、時計を見れば授業時間は終わってしまったらしい。クラスメイトたちは次の授業の準備をしたり友達同士喋ったりと思い思いの時間を過ごしている。
 恒輝がじんじんと痛む頭を摩りながら、この殴打の犯人を捜す。その人物は恒輝のすぐ後ろに立っていた。

「ッてええ!! もうちょっと手加減くらいしろよ!!」
「はぁああ!? あんた英語の時間まるまる爆睡しといてよくそんなこと言えるね!」
「だからってお前に殴られる覚えはない!」
「あるっつーのよ馬鹿!」

 その言葉とともに恒輝はもう一度殴られた。おかげで恒輝はもう一度呻くことになり、一応凶器が何なのか確認すると、世界史の資料集だった。そりゃあ痛いわけである。
 また頭を摩っていると、恒輝の左斜め前の席から声がかかる。

「野島くんが寝てるもんだから、樹崎先生隣の席のかぐやちゃんをずーっと指名してたんだよ。授業終わったら何発でも野島殴るといいよ、って」
「そういうこと! あたしがあんたを殴るのは正当な権利なの!」

 ふんっ、と鼻を鳴らす少女は、このクラスで女子クラス委員を務める鈴城 月穂。身長は恒輝より三十センチくらいは小さいが、態度は見合わないほど大きい。二つに結った髪についている月型のヘアアクセサリーがよく目を引く。そして、月穂を「かぐやちゃん」と呼ぶのはおそらくこの男子だけであろう。フレームなしの眼鏡のよく似合う、穏やかな男子生徒。名前は遠藤 観星。彼は男子クラス委員を務めている。月と星で揃って天体コンビなどと呼ばれたりしているが、観星と一緒くたにされると月穂はすごく怒る。その割に「かぐやちゃん」というふざけてるとしか思えない呼び名は訂正しない様子だ。もしかして気に入ってんのか? 確かめるつもりはないが恒輝は邪推する。

「だってさー、親父が試合のチケットくれたんだぜ? 昨日一睡もできなかったんだよテンション上がりすぎて!」
「試合? バスケの?」
「そ!」

 最上の笑顔で懐に入れたチケットを月穂に見せつける恒輝だったが、理解できないという表情の月穂は呆れ顔でため息をつくだけだった。それこそ恒輝には理解ができない。男と女の考え方というのはかくも異なるものなのだろうか。

「試合のチケットって毎回もらってるって言ってなかった? お父さんのチームの試合でしょ?」

 もっともな指摘をしたのは観星だった。観星はお世辞にも体育会系とは言えないが、恒輝が自慢話を長々するため、恒輝の父である野島慎吾という人間がそれなりにすごいプレーヤーなのだとは認識している。
 ついでに、父が監督をしているチームの試合チケットは毎回もらっていると以前聞いていた。

「ちっげーんだよ! これは! 野島慎吾が出る試合なの! 引退して初めてなの! もう俺テンションだだ上がりなわけ!」
「お父さんからちょっとだけ聞いたことあるけど、そーんなにすごい人なの? 野島のお父さん」

 月穂のその質問は恒輝自身これまで何度もされたことだ。そりゃあアメリカにまで渡ってプレイしているのだから、それなりにニュースで名を呼ばれていたけれど、それでもプロバスケ自体の認知度が野球やサッカーに比べると遥かに劣る。父と同世代の女性ならともかく、子供で女子の月穂がよくわからないことも無理はない。なのでそんなことでは恒輝は怒らない。ファザコンと言われることも否定はしない。

「かぐやちゃん、野島くんのお父さんはここの卒業生なんだよ。今でも名門とまではいかないこんな私立高のバスケ部にいて、世界レベルのプレーヤーになったんだ。すごいと思わない?」

 恒輝に代わってフォローを入れたのは観星だった。次の授業の教科書一式を揃えながら、にこにこと穏やかな表情で月穂に問う。

「そういえばそうか。確かにすごいかも」
「しかもバスケ始めたのは中学の途中から。アメリカから帰ったあと日本のプロバスケで数年やってたけど、まだ若いのに引退」
「あ、その話もお父さんから聞いた。辞めないでって嘆願の署名がすごかったって。この学校でも署名集めてる生徒がいたって」
「そんな署名も全部蹴っ飛ばして引退だよ。その引退理由が、息子が大きくなったから一緒にバスケがしたい、なんだってさ」
「そしてできあがったのがこちらでございます、ってことね」
「そーいうこと」

 観星は要点をかいつまんで伝えるのが上手い。月穂は観星からの情報をちょうどよく広げて解釈するのが上手い。どちらも賢くなければできないことだろう。さすがクラス委員に選出されるだけのことはあるな、と他人事のように恒輝は感心した。
 まさしく、そうしてできあがってのがこの野島恒輝なのだ。父は自分が渡米している間の育児を母任せにしてしまっていたことをひどく後悔していた。だから、子供が大きくなったらできるだけ自分が関わって育てたいと昔から言っていたらしい。引退してからはもちろん恒輝とバスケで触れ合う時間が増えたし、指導する側になったことで新しいものの見方ができるようになったという。

「ま、それと授業中の大爆睡は関係ないでしょ。あたしに迷惑かけた責任どー取ってくれんのよ」
「観星を嫁にやるから許してくれ」
「要らない!」
「えー、かぐやちゃん酷いなあ」
「あんたも何で感想がそこなのよ!! もうっ、ボケ二人も相手してらんないっ」

 子供っぽく、べーっと舌を出すと月穂は教科書一式を手に教室を出ていった。次は生物室での授業だから、そこに向かったのだろう。
 休み時間は長くない。恒輝もがさがさと机の中をあさり、持って帰っていない生物の教科書と適当にノートを出して、立ち上がった。

「けど野島くん、試合なんて明日とか明後日のもんじゃないでしょ?」
「ん? あー、来月の末」
「なら今からテンション上げてちゃエネルギーの浪費だよ。かぐやちゃん怒らせても良いことないよ?」
「確かにな」

 この調子でいくといつか頭蓋骨陥没しかねない。自分の身は自分で守らねば。
 教室移動しよー、とのんびり言う観星に返事をして、恒輝も席を立った。




2013.03.05(Tue) | 擬似親子 | cm(0) | tb(0) |

つづいた


「すごいなあ、樹理」

 職員室前に貼り出された実力テストの結果。各学年上位三十名が名前をそこに連ねている。
 軽い人だかりができる中、少し離れたところから炎而が呟くと、隣にいた金髪の少女が「見えないっ」とぴょんぴょん小さく跳ねた。その様子を見て、「樹理は三位だよ」と追加情報を与えてやる。

「エンジは何番?」

 少女が首を傾げつつ炎而を見上げる。んー、と一呼吸置いてもう一度自分の順位を確認する。――五位だ。

「俺は五番。これでも上がった方だな」
「そっか! わたしもエンジもすごい!」

 子供じみた結論、と言ってしまえばそれまでだが、大真面目にこう締めくくれる女子高生はなかなかいないだろう。水城 樹理という少女は、にっこり笑って順位なんて気にしてない、と言う。普通自分より順位の良い相手にこんなことを言われたら腹を立てるのが筋なのだろうが、彼女相手だとそう思えないのは彼女が本気でそう思っているのが分かるからだ。順位なんて『個人の結果』を集団で表すときに見えやすくしているだけなのだと。他人と争って自分を高める人もいるだろうが、成績なんて結局は個人技のスコアでしかない。悔しいなら勉強して満点をとればいいし、そうしたくないのなら0点だろうが棄権だろうがなんでもすればいい。炎而としては順位が出ることで次へのやる気が出てくるから、要らないとは思わないし過剰に気にするものではないとも思っている。
 次の試験は二学期の期末だ。これくらいの得点はキープしたいものである。

「エンジっ、次のテストも競争ね! 数学と理科!」
「なんか最近理科科目は敵わないんじゃないかと思い始めてきたんだけど。ま、太刀打ちできるように今から勉強頑張るよ」
「わたしも今から古文がんばる!」
「おいおい、数学と理科はやんなくても勝てるって?」
「わ、そーいうつもりじゃないのに!」

 少女は炎而と同じクラスの、水城 樹理と言う。去年入学した時から同じクラスで、進級した今でも縁あってか同じクラスにいる。
 去年校舎内で迷子になった樹理をたまたま見つけてしまってから懐かれてしまい、何かと迷って迷子になる樹理のお守り役を任されてしまっている。もちろん、そこに炎而の意思はない。
 背中の中ほどまである長い金糸の髪は遺伝なのか緩く波打っている。白人とのハーフだということで、肌の色も白い。両目は若草色。小柄な体にそれらの目立つパーツを纏い、顔はいつも表情豊かで、可愛い系という部類に入るだろう。スタイルも欧米の血の影響なのか、なかなかよろしい。性格は人懐っこいし、好き嫌いもしない、そして成績も抜群に良い。
 小説の登場人物みたいだ、と炎而はよく思う。それも、中高生向けの理想がめいっぱい詰まった小説。
 これで彼女がただの天才で、テスト受けました、点とれちゃいました、な態度をしていたのなら炎而も相応の距離を置いて接していただろうが、彼女は生まれ持った容量の良さをひけらかさず、努力を決して怠らない人間だった。自分の力を過信することは一度たりともない。それは、人間としてとても好ましいと思った。なので、お互い得意な理系科目で得点争いなどという少し子供じみたこともしている。彼女が負けることもあるし、炎而が負けることもある。いい勝負に持ち込めていることが、次のやる気に繋がっている。成績で差が出てしまうのはほとんど英語のせいなのだが、彼女の国語での失点を自分が他の科目でカバーできないのは最近少し悔しい部分でもある。

「お、芹沢センパイだ」

 人だかりから樹理と一緒に離れると、一際大きな影が近づき、炎而に声を掛けた。
 180オーバーの高身長。確か本人はもうすぐ190に届きそうだと言っていた。がっちりした体格なのにこの学校の制服がやけに似合って見えるのは慣れのせいなのか何なのか。
 彼はにっと白い歯を見せて笑う。

「よう恒輝」
「ちっス」
 
 礼儀正しく彼は軽く会釈を返す。
 野島 恒輝。炎而のひとつ年下で、学校一、二を争う巨人である。父親はかつて日本代表で、アメリカのプロリーグにも在籍していた野島 慎吾。父親の血を強く継いでか、バスケのセンスはバスケ部員の中でも群を抜いている。幼いころからバスケに親しみ、小学校からその方面では名の知れた存在だったらしい(親のせいもあるだろうが)。この月見ヶ丘高校は全国的に見ればそこまでの強豪ではないが、なぜかここを志願したのだという。スポーツ推薦は使わず一般試験を何とかクリアし、晴れて入学、となる頃この学校のバスケ部は野島慎吾の息子が入学するという噂で持ちきりだった。
 実際に入部した頃は親の七光りがどうだとかこうだとか言う輩も少なからずいたようだが、彼もまた、樹理に負けず劣らずの努力家でバスケバカであった。自主的な朝練も放課後練も欠かさない恒輝がスタメンの座を得ることを、誰が反対できただろうか。
 反面、学業はさっぱりなようだが、噂によれば彼の父親も毎回テストは大変な点数を取っていたらしい。蛙の子は蛙という奴である。

「コーキもテストの結果見に来たの?」

 炎而の傍からひょっこり樹理が顔を出す。恒輝は一瞬ぎょっとした表情を作り、ぎこちなく口を開いた。

「お、おおお俺がテストの順位とかっ、カンケーあるわけないじゃないスか!」
「ちょっと気にした方がいいと思うよ?」

 何の悪気もなくばっさり言ってしまう樹理には、いっそ清々しささえ感じてしまう炎而である。その純粋な言葉の前には言い訳も取り繕いの言葉も出てこないのか、恒輝はぐっと黙り込んで、それから縋るように炎而を見た。その視線の意味も、炎而には伝わる。何で樹理センパイと一緒なんスか、この状況俺にどーしろと!?、樹理センパイと一緒にいるんスから俺を助けてくれるくらいのことはしてくれてもいいと思います! そんなところだろうか。
 はあ、と息をついて炎而は貼り出された順位表の、更に隣を指さす。

「恒輝。お前あっちに名前あったぞ。ワーストの皆さんに楽しい補習のお知らせ」
「げ。マジだったのか……」
「なんだ、心当たりあるんだ。ああ、補習メンバー見に来たってとこか?」
「う、……芹沢センパイ、もうちょっと空気と言葉を選んでくれてもいいと思います。俺の面目的な意味でも」

 これ以上優しくは言いようがないだろ、と思いつつ、好意を寄せている相手の前で面目をつぶす真似はよくなかったかもしれないと思い直す。悪かったよ、と声を掛ければ恒輝はふてくされたように「図星ですからいーっスけど」と返した。

「コーキ、補習?」
「この補習出ないとレギュラーから外すって言われてるんで、まあ、どうにか、出席だけはしねえと……」
「勉強も楽しいよ?」
「樹理センパイほど要領よくないんスよ俺は。センパイが女バス入ってくれんならちょっとは要領よくなるかもしんないスけど!」
「うふふ、だーめ!」

 ちぇー、と残念そうに声を洩らす恒輝は、バスケ部の顧問と話があるらしく職員室へ入っていった。顧問からの呼び出しということだが、十中八九この補習絡みだろう。日夜バスケ漬けの彼にはさぞ辛い期間になることだろう。
 入れ替わり立ち代わり掲示板の前には人だかりができている。自分の順位さえ確認できれば、長居するような場所でもない。炎而は樹理の肩を軽く叩いた。

「樹理、行くか」

 金色の髪を大きく揺らして、樹理は頷いた。




 国語の授業の一環で郷土史をグループで調べることになった。今日の放課後はグループで二手に分かれて図書館に向かい、必要な資料を集めることになっている。たまたま今席が近いこともあり、加えて何故かお目付け役になってしまっている炎而は樹理を引き連れて市内の図書館へ向かうことになっていた。
 樹理と並んで正門へ向かうまでの道のり。途中にバスケコートが見える。今日は体育館を男子が使っているらしく、女子は外のコートで練習中だ。特に興味はないが、炎而はその風景を視界に入れる。方や樹理はそんなものには目もくれない。

(それでもあいつは執着してるんだよな)

 野島 恒輝という男は、プロバスケプレーヤーの血を引く、いわゆるサラブレッドという奴である。持って生まれた才能と、親譲りのセンスと、生真面目で努力家な性格でバスケに打ち込んできた。中学も私立でバスケの名門に通っていたのだが、付属の高校には通わずに外部校であるこのツキ高を受験した。入学当初から恒輝は樹理に目をつけていたし、どうやら知っているようでもあった。日本人にしちゃでかい男が毎日小柄な樹理を追いかけまわす様は割と洒落にならないものであった。今年の春にはもう樹理のお目付け役のようになっていた炎而は漏れなく恒輝に彼氏と勘違いされ、威嚇されるようになった。
 どうにかこうにか誤解を解き、尊大すぎる口調を矯正させ、センパイと呼ばせるに至ったのはほんの数か月前、夏休み直前のことである。
 恒輝は樹理が好きだ。それは炎而にもわかる。けれど最初はそういう意味で固執していたわけではない。恒輝は樹理の部活を聞き、どこにも入っていないと聞くと目の色を変えた。なんで女バスじゃねえんだよ、と声を荒らげた(当時は口が悪かった)。それから毎日のように、女バスに入れという攻撃が続き、ダメならうちのマネージャーでもいいから、という妥協案まで出す始末だった。
 夏休みに入る前、炎而は恒輝に問うたことがある。どうして樹理にバスケなのか、と。恒輝は目を丸くして、んー、と少し考えた。

『芹沢センパイ、樹理センパイがバスケしてるとこ見たことあります?』

 その質問は想像していなかったわけではないが、然程重要とも思えなかった。

『いや、ないけど。体育はさすがに男女別だし、――お前の口振りからすると、樹理って中学時代バスケ部だったとか?』
『そーなんスよ』

 樹理本人からそんな話は聞いたことがないが、恒輝がそう言うのだからそうなのだろう。恒輝と樹理は別の中学に通っているが、どちらも私立校だったらしい。ならば尚更、恒輝が中学時代に見た樹理は目に焼き付いていたのだろう。こんな見た目の中学生には、そうそうお目にかかれまい。
 スポーツドリンクを片手に空を見つめながら、恒輝は更に続ける。

『俺、一応中学は名門に通ってて、女子も結構いい成績とってたんスけど。たまたまうちの体育館で練習試合やってて、相手校が樹理センパイのチームだったみたいで。これがまたすげーんスよ。ゲームメイクの能力が半端じゃない。流れことごとく変えられちゃうし、コートの把握能力もずば抜けてるし。それでいてシューターってチートもいいとこでしょ』
『……ごめん、全然思い浮かばない』
『あは、そりゃそーっスよ。俺だって樹理センパイ目の前で見た時そう思いましたもん。でも、その日の試合は樹理センパイのとこの勝ちで、嘘だろと思ってまた別の試合見に行ったんスけど、やっぱり樹理センパイで。とんでもねえ司令塔なんですよ、あの人。で、あわよくば一緒にバスケがしてえな、とツキ高進学を決めたわけです。確かに見た目かわいいところも、それでいて意外に気ぃ強いところも好みですけど、それ以前に俺、プレーヤーとしてのあの人に惚れてるんス』

 もしかして親や近しい親戚がプロプレーヤーだったりするのではないかと、恒輝自身父親に聞いたりして調べたがどうにも該当する人は見つからなかった。父親から得られたのは、「俺の尊敬する先輩とおんなじ苗字だな、その子」という言葉だけ。その先輩がもしやプレーヤーとして今も活動しているのではとも思ったが、その先輩とやらは学業で渡米し、帰国直前に事故で亡くなったのだと言う。

『だから、勿体ねえなって。せっかくずば抜けた才能があるんだから、一緒にやりてえなと思ってるんスけど。ふわふわした見た目なのに結構手強いっス、樹理センパイは。俺は見た目通り諦め悪いんで、しばらく言い続けますけどね』

 そんな思いから言い寄り続けて、樹理からはのらりくらりとかわされている。樹理は帰宅部だ、他に打ち込んでいるものがあるようにも見えない。そんなにバスケのセンスがよかったのなら、何故今は離れてしまったのだろう。それだけの腕前があるのなら、進学にしたってこの学校ではなく、付属に進むなり他の名門からのスカウトだってあっただろうと思う。

「樹理は、バスケ部入らないのか? 恒輝がうるさいだろ」
「うん? バスケットはね、授業で楽しいくらいがちょうどいいの。中学の頃は、みんな部活に入らなきゃダメだったから」
「けど、恒輝すっごい褒めてたぞ。樹理はバスケが上手いって」

 コーキはお世辞が上手! と樹理がはにかむ。

「でもね、わたしは真似してるだけだよ。ちっちゃい頃からよく見てた、ノジマシンゴのプレー。コーキが何か思うところがあったなら、少しは似てたってことなのかな?」

 実の息子がそれだけ惹かれるものがあるというなら、樹理の中に野島慎吾の姿を見出したのだとしてもあまり不思議ではない。炎而には到底想像できないが、わかる人にはわかる何かがきっとあるのだろう。そうなんだろうな、と炎而が返せば、樹理は「うれしい!」と一層顔を綻ばせる。

「でも、野島慎吾が好きなら尚更バスケ部入った方がよくないか? 直接会えるわけだし」

 かつてアメリカのプロリーグにも在籍していた恒輝の父、慎吾は今は日本のプロチームの監督をする傍ら、月に一度くらいの頻度で母校であるツキ高バスケ部の指導に当たっている。彼の指導を受けたくてこの学校を受験するバスケ部中学生は少なくない。

「好きだけど、バスケばっかりがんばるのは、なんかちがうの。わたし、見たいものも知りたいことも、たくさんある。だからね、バスケだけがんばるのは、ちょっとちがうみたい」

 そう言う樹理は、確かに何かひとつに打ち込んでいるようには見えない。それは見た目のせいもあるだろうが、それは不真面目というわけではないことを炎而は知っている。本人がそう言っているのだから、今はまだこれ以上踏み込む権利などない。炎而にも恒輝にもだ。こう見えて樹理は意外と強かである。自分がこうだと決めたら、なかなか意見を曲げようとしない。
 校門の前まで来ると、小柄な影が動いた。更に近づいてみればそれは隣町にある私立中の男子制服を纏った、見知った相手とわかる。炎而より早くその相手に声をかけたのは、樹理だった。

「ツバキ! 久しぶり!」

 放課後炎而が出掛けるとなれば大概椿は着いてくることになっている。学校の用事で樹理が一緒にいることもたまにあり、互いの面識はある。椿にとっては天敵だが。

「椿、図書館でいいっつったろ」
「短縮授業だったのをすっかり忘れてまして。ついでなので屋敷に戻って荷物を置いてきました」
「そっか。ならいいんだけど」
「行くならとっとと行きましょう。あまり遅くなるのも困りますし」

 椿がそう言うと、待ってましたと言わんばかりに樹理が「行こう!」と声をあげ、ごく自然に椿の左腕に自分の右腕を絡めた。一瞬ぎょっとする椿だが、会えば毎度のことなので一応免疫はついてきているらしい。それでも毎回律儀に驚くところは見ていて面白い。炎而は樹理の左隣に並んで、樹理を真ん中に挟む形になる。

「ツバキ、高校は月見ヶ丘に絶対来てね!」
「はあ、そうなると思いますけど」
「舞踏会はわたしと踊って?」
「それは嫌です」
「ええ!? エンジじゃなきゃダメなの?」
「え、俺と踊りにツキ高入るの? 椿」
「炎而様も悪ノリしないでください、どうしてそうなるんですか!」

 椿をこうして付き合わせることはあまりよろしくないと分かっていつつも、年相応にこうして喋る分には楽しい。いつも寡黙な椿が樹理を見ると、めんどくさいです早く帰りたいですオーラをばしばし出しているのも普段そうなかなかお目にかかれないものだ。
 そんなことを口にすれば、これだから嫡男は気楽でいいですね、と椿はため息をつくのだろうか。そうなんだろうな。わかっているから炎而も口には出さず、三人で坂を下った。

2013.03.01(Fri) | 擬似親子 | cm(0) | tb(0) |

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