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軽石へちま

Author:軽石へちま
基本自キャラで凄まじく妄想してみる。
隠れ家なのでBLとか黒とか暗とか主。
キャラ崩壊必至。何とも思わないけども。
妄想についてこれる人だけどうぞ。

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ジャバウォックの攻略


「……なるほどね、それでか」

 白で統一された、広い研究室。拘束時間はもう過ぎているから、この研究室の他のメンバーはもう帰路についている。この部屋にいるのは瑶子と、瑶子に相談を持ち掛けたケレス、要の三人だ。
 診断書を片手に、瑶子は大きくため息をついた。こうなる可能性に気づいていなかったわけではない。過信していたわけでもない。けれどこんなに時間が経つまで気付かなかったなんて、と瑶子は自分の不甲斐なさを嘆いた。

「……一応聞くけど。医学チームの研究員としてはどうなの、要くん」

 どうとも答えようがないことは瑶子も分かっている。その上で確認せざるを得ない。要はあまり感情が表情に出ない。今もそれは変わらなかった。

「その可能性が極めて高い、としかこちらも答えようがない。事故の時に相当な濃度の蒸気を吸入したのは確かだし、退院後の定期検診でも血中のオルビド濃度は下がっていない。が、だからといって確かに罹っていると断定することは不可能だ」
「そりゃ、そうよね」

 古妖精病(メランコリア)の診断には、明確な基準が存在しない。化石燃料を燃焼させた時に生じる蒸気に含まれる、オルビドという成分を元に医者は診断書を書くのだが、濃度が高いからといって必ず発症するわけでもなく、そのメカニズムは完全には明らかになっていない。何よりも確定的な診断に必要なのは、第三者からの申し出だ。
 心を占める、一番大切な人を忘却してしまう病。日付を跨ぐと記憶はリセットされて、忘却対象の存在はなかったことになってしまう。忘れたことも忘れ、懐かしさを覚えることすら許されない。この病が発覚するのは、忘れられた人がいるからだ。忘却対象からの進言によって医者は診察を行い、診断書を書く。今回の場合、忘却対象として訴える人間がいないことから、発覚が遅れてしまった。

「……ま、ケレス君が言うんだから確かなんでしょうけど」

 北エリアにある鉱山で崩落と爆発事故があったのは四か月ほど前のことだ。たまたまその日そこに調査に出かけていたのがケレスとシーマスの二人で、崩落に巻き込まれたのがシーマスだった。同じ日に鉱山に見学に来ていた、アカデミーの医学部学生を助けたのだという。外にいたケレスが状況を聞けば、ある一区画の出口が崩落によって塞がれてしまったのだという。シーマスは学生を押し出して、自分はそこに閉じ込められたらしい。出口が塞がれるレベルの崩落ならば普段からないわけではないが、その時は運が悪く、現場では照明の配線か切れて燃料に引火し、密室となった区画内に高濃度の蒸気が充満した。塞がれた出口を掘り起こすまで、誰も内部の状況に気づくことはできなかった。
 瑶子がケレスの話を聞くと、ケレスがシーマスの変化に気づいたのは事故のひと月後だったという。毎月決まった日に必ず休みを取って地上に降りるシーマスが、事故の翌月は研究を休んではいたものの空都にいた。確信したのはその次の月だ。毎月その日にシーマスが休むことは、研究室の誰もが知っている。なので研究室に掲示されているメンバーのスケジュールで、その日は必ずシーマスは休みになっている。その月はたまたまケレスも同じ日に休みをとっていたのだが、シーマスはよく、スケジュール表の前で立ち止まっては考えることが多くなったように思う。以前ならばその日になれば朝から底都へ向かっていたシーマスは、その月も、ケレスが見た限りでは空都にいた。
 発症者を研究室から出すのはあまり喜ばれる話ではない。だからといって、誰も悲しむ者がいない今回の事態を喜ばしいとは、瑶子は決して思わない。それは目の前にいるケレスも、要も同じだろう。三人の認識は同じだ。シーマスは確実に発症している。そしてその忘却対象は、もう随分前に亡くなった恋人だ。だから、私のことを覚えていないんです、と申し立てる人間もいない、当の本人は忘れたことすら忘れているのだから確かめる術がない。研究にもおそらく影響がないだけ、事情を知るものにとっては辛い事故になりそうだった。

「ケレス君」

 声を掛けると、普段からお世辞にも良いとは言えない目つきでケレスが瑶子を見る。

「上の人からね、この研究室の大陸調査を二手に分けないかって打診があったの。ケレス君とシーマス君とを分けて、それぞれ助手をつけて」
「今のままで不自由はしてねえ」
「君たち万能だからそりゃそうでしょうけど、その申し出自体は悪くないって私も思った。……けど、若手ばっかだからって今まで見向きもしなかったうちのラボに何でわざわざ声をかけてきたか、合点がいったわ」

 机の引き出しからクリアファイイルを取り出して、中身を机の上に並べ、二人に見えるようにする。助手志望の学生の経歴書だ。貼り付けられた顔写真と、記載された名前を見てすぐにその人物が何者なのか要にはわかったらしく若干表情に変化が見られた。

「さすが医学部。この子知ってるわね?」
「芹沢の分家筋の子だろう。優秀だからと芹沢本家に養子に入ったらしいが、……この子は医学部のチームに入っていたんじゃないのか」
「そうね、その通り」

 事情のわからないケレスは机の上の書類を手に取った。そこには胸から上が写った少女の写真が貼られている。アカデミーの高等部の深緑色の制服をきっちり着こなした、ツインテールのよく似合う少女だ。いかにも令嬢という雰囲気が写真からでもよくわかる。ケレスの視線が書類をなぞっていくのを横目で見ながら、瑶子はもう覚えたその情報を口にしていく。

「芹沢 椿。今要くんが言ったように、芹沢本家に養子に入った超優秀な女の子。まだ高等部の生徒だけど、芹沢の一員ということと頭脳を買われて、専門は薬学だけど取りあえず医学部の研修生として例の病気の研究をしていた。その関係で、この子のチームは四カ月前に北エリアの鉱山に調査に出てたの。もちろんこの子も」

 経歴書にはそこまでのことは書かれていない。瑶子がこの話を持ち掛けられた時に伝え聞いたことだ。
 そしてこの少女は今、医学部を離れている。権力の乱用であることを承知で、この研究室に助手として所属したいと申し出てきたのだ。
 ここまで話せば賢い二人はすぐに事情を察した。少女が何を考えてここに来ようとしているのかも、察することができているだろう。

「シーマス君が大事な記憶と引き換えに助けたのが、その子よ」
 
 彼女も、単にこの研究室に来たいというわけではない。シーマスの手伝いをしたい、と研修生のポジションを蹴っている。元は芹沢姓でなかった彼女が芹沢本家に養子入りしたのは、優秀だからだ。将来は芹沢で植物を用いる薬剤関係のトップに立つことを期待されている。そのためにいた医学部だ。高等部を出たら本来の専門である薬学の道に進むことは決まっていた。それをすべて蹴るというのは、相当のことだと瑶子は思う。この空都に住むということが既に選ばれた者の証なのだから、自分に期待された役割を放棄するということは今地上にいる人に申し訳が立たない。

「……シーマス君とどういう関係なのかは知らないけど。確実にシーマス君の状態を知ってるからやることよね」
「雑務できる奴が補佐で入るなら、調査内容分けるくらいはどうってことねえ。お前に任せる」
「ありがと。要くんは毎週の検診続けて報告くれればいいわ。確定しない以上報告だって意味ないもんね。保留ってことで」

 対策法も治療法もないのに、研究室から発症者が出ることはあまり喜ばしいことではない。伝染もしないし、職務さえ忘れなければ問題はないというのにこの毛嫌いようはないだろう、と瑶子はよく思う。他の研究室でも稀に発症者を出してしまうことがあるようだが、職務に影響がない範囲なら、どの研究室も上には伏せているらしい。瑶子もその慣習に従うことにした。特に今回のことは、はっきりした診断書を出すことが誰にもできないのだから。
 二人が頷くのを確認して、その日の話し合いはそれで終わった。どうしようもないのだから、なるようにしかならない。

「本来はもう発症してるシーマス君に地質調査を続けてもらうのが筋なんだろうけど、……芹沢のお嬢様がいるんじゃそんなことさせられないから、シーマス君を海洋調査に回させてもらう。それでいい?」
「任せるっつったろ。あとはお前から本人に伝えろ、リーダー」
「それくらいはお仕事なんでさせてもらいますよ、もちろん」

 笑ってそう言えばケレスも不満はないようで、要と揃って研究室を出ていった。研究室内の人事の決定権を握るのは、政治学専攻としてリーダーを任されている瑶子だ。
 シーマスはどう思うだろうか。何かを忘れた自覚なんてないのに専攻から外されるのは、やはりいい気分はしないだろうか。しかし、毎月毎月同じ日に朝早くから底都に向かっていたことを知る者としては、このまま黙って無かったことにすることはどうしてもできない。思い出さなくてもいい、少しでもおかしいと思ってくれたらと、そう願ってしまう。普段から飄々としているけれど、それだけ一途に想い続けるひとを忘れてしまうというのに、誰も悲しめないというのは可笑しい話だ。少なくとも瑶子はそう思う。

「さあて、残務残務で楽しい毎日!」

 外は真っ暗、室内灯が煌々とひかる白い部屋。振り切るように声を出すと、瑶子は本日の残務を片付けるべく自席へと戻っていった。



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2013.07.10(Wed) | 空挺懐古都市パロ | cm(0) | tb(0) |

過去編③




「出所までもう少しっスね、桜井サン」
「お前も懲りねェな、目ぇつけられるから来なくていいって何度言ったらわかる」
「俺が来たくて来てるんですから、目ぇつけられたって構やしませんよ。第一、俺三男坊なんで。こんくらいのことじゃ目くじら立てられないです」

 面会室の厚いアクリル板を挟んだ向こうで、穂積はそう笑った。このやり取りも、もう二十回以上になる。拓海が刑務所に収容されてからというもの、穂積は月に一度は必ず面会に訪れていた。普段は几帳面さなど感じられないのに、それはもう義務のように、毎月きっちりやってくる。拓海とて穂積を邪険に思っているわけではない。話し相手に満足しているわけではないし、そもそもここではほとんど喋らない。月に一度でも顔の知れた人間と話せることで、気が楽になるのも事実だった。
 穂積が毎月やってくるのは、近況を報告するためだ。それは警邏の中のこともだし、拓海が気にかけているであろう、北エリアで助けた少女のその後のこともだった。

「連日あの子目当ての客で盛況ですよ。交際の申し込みも絶えないとかで」
「そいつは結構なこって」
「ぜーんぶばっさり断ってるみたいですけどね。美人は手厳しい」

 拓海がここに来て、もうすぐ二年だ。拓海の予想通り、普通ならかなり緩い判断を下されるであろう事案で、異例の裁判無し。刑期二年が即日言い渡された。刑務所の中では、空挺都市を維持する浮力を得るための燃料の発掘をさせられる。毎日毎日休みなく、朝から晩までずっとだ。元々体力には自信があった方だったし、警邏の仕事も肉体労働だ。しかし現場での仕事は疲れ方が違う。幸いまだ若いといわれる年齢なので、ひと月も経つとそのサイクルには慣れた。
 拓海が助けた少女――紗央は、あの後ちゃんと穂積が職の斡旋をしてやったらしい。知り合いが西エリアの貴族街で料理店をしていて、東エリアの平民街にもひとつ店を作りたいと言っていたところだったようだ。人手が欲しいという話に穂積が食いつき、紗央は住み込みで働くこととなった。西洋の料理も、東洋の料理も扱う本格的な店だ。身なりを整え、看板娘として働く少女は、見違えるように美しくなったと聞く。
 平和で暮らしているならそれでいい。それで十分だ。拓海はそう思う。そうして、金持ちで性格のいい男に貰われて、貧民出身でも幸せな家庭を築けばいい。料理も上達したと聞くし、きっといい母親になる。

「あ、そだそだ、今月はですねえ、ひざ掛けも入れときましたから」
「ひざ掛け?」

 ここに来ると穂積は必ず差し入れを置いて帰る。毎月、古い装丁の本が十冊ほど入っており、最初は嫌々受け取ったのだが、消灯時間までの暇つぶしに開いているうちに、すっかり周囲からひそひそと読書家呼ばわりされるようになってしまった。これまでは読書なんてできるだけ避けてきた道だというのに、暇というのは恐ろしいものだ。
 これまで読み終わった本はしまう場所もないので、すべて看守に預けてある。出所したら処分を決めようと考えていた。

「冷えるんじゃないかなあと思いまして」
「去年はセーター入れてたじゃねえか。温度管理なってないわけじゃねえし、あんま気ぃ使うな」
「らしくないっスよ、もらえるもんはもらったらいーじゃないスか」
「つーか気色悪ぃんだよ」
「うわ、こんなに桜井サンのこと思いやって差し入れしてる後輩に酷すぎる」
「だぁから、頼んでねェって」

 差し入れされる本はジャンルが偏っておらず、だから飽きることがなかった。装丁の古さを見ると、古本屋かどこかで手に入れたのかもしれない。
 軽口を叩きながらもありがたく受け取っておくことにする。このアクリル越しのやり取りも、あと数回だ。

「桜井サン、出所した後行く場所決まってんですか?」
「あ? 前科者なんざ燃焼工場で十分だろ。部屋もあるみたいだし、そこしか考えてねえよ」
「いいんですか、あんなところで。何なら花屋とかで働きません? 資格フルに生かせるし!」
「資格なんて生優しいモンじゃねえだろ。花はやりたい奴が好きに触ってりゃいい」
「……怒んないで聞いてほしいんですけど」
「なんだ」 

 不思議なものでも見るかのように、穂積は少し目を丸くして、俺に問いかける。

「桜井サンって、ゴーマンだし性格もよくないのにすげえ無欲ですよね」

 喧嘩売ってんなコイツ、と思いながらため息をつく。

「うまく言えないんスけど、大事なモン落としてるような感じがするんですよね。たまに、桜井サンはそうやって生きて早死にすんじゃねえかなとか」
「……後輩からのありがたい忠告としていただいておく」
「ま、そんくらいでいいですけどね。聞いといてくれれば」

 穂積がいつもの締まりのない顔でへらりと笑うと、その日のやり取りはそれで終わりだった。







 それから何度か穂積との面会があって、とうとう出所の日が来た。元々荷物などそう多くはない。何回にもわたって穂積が差し入れしてくれたものが荷物として増えただけだ。今持ってきているのは冬の間に貰ったセーターとひざ掛けだけで、残りの本は分けて取りに行くとまだ預かってもらってある。そのまま置いていくこともできたし、処分を頼むこともできたが、何となくそうすることは気が引けた。それなりに気に入ったものもある。これから住む予定の部屋はそう広くないから結局あとで自分で処分することになるのだろうが、その選定をゆっくり自分ですることは悪くないはずだ。
 貰ったセーターは今身に着けている。わずかな荷物を詰め込んだ鞄を手に、刑務所の門に背を向ける。思ったよりは早く過ぎた二年間だった。別に刑務所を宿舎か何かだと思っていたわけではない。その証拠に、毎日毎日夢見は最悪だった。眠れていないわけではなかったが、どうにも朝気分は優れなかった。男の腕を落とした時の感触。歯が折れて飛ぶほど殴った時の手の痛みも、何度も夢に見た。およそ自分には縁がないだろうと思っていた罪悪感に苛まれることも、ないわけではなかった。しかしその罪悪感を引きずることは、自分の罪をあの少女に押し付けることに他ならない。それだけは避けなければならない。そんなことは絶対にしてはならないのだ。
 工場のある地区へはここからしばらく歩かなければならない。エリアのことは熟知しているつもりだ。外に出るのは二年ぶりだが、北エリアに限ってはそう変化があるとは思えない。靴底が砂を踏む感触。

「――ま、……待って……!!」

 歩き出した拓海の背に、女の声がかかる。待って、と言われて思わず足を止める。この辺には今自分しかいない。刑務所の周りは閑散としていて他の建物などない。面会で訪れる人間でなければ建物自体に用事ということもない。ここで働いている人間は裏口から出入りしているのだから。
 ゆっくり振り向くと、そこには重そうに袋を持った少女がいた。まだ躊躇っているかのように、その瞳は少し、揺れているように見える。澄んだ青色の瞳だ。
 風が吹けば髪が靡く。黒い髪は濡れたように艶やかで、金持ちの家の人形のように、毛先まで綺麗に纏まっている。すらりと伸びる、白くて長く、細い手足。その身に纏った、裾に控えめな刺繍のある茶色のワンピースは、少女の美しさをより際立たせる。
 紛れもなく、あの時の少女の成長した姿だった。あの汚い世界で十分美しかった彼女が、真っ当に成長して、本当に、穂積が言っていた通り見違えるように美しくなった。
 思わず息を呑む。数歩離れたこの距離でも、その成長はよく伝わった。あの頃、この少女を天使だ女神だと呼んでいた警邏の隊員がいたが、この姿を見ては拓海もその言葉を否定することはできない。
 少女が意を決したようにこちらに歩み寄る。拓海の目の前で止まった彼女が口を開く前に、拓海は息を吸った。そして、彼女の出鼻を挫くことにする。

「どういうつもりか知らねェが、ここには来んなっつっただろうが! てめェのその耳は飾りか? あァ?」

 怒鳴り声に、少女の細い肩がびくりと震える。
 北エリアには来るなと言った。拓海はもう二度言っているし、彼女を保護した穂積も同じ忠告をしたはずだ。わかると思ったから言っているのに、わかってもらえないとなれば後は勝手にしろとしか言いようがない。このエリアで起こりうることは彼女も想像がついているはずだ。

「こ、ここまでは、初めて来ました。危ないからって穂積さんが、ついさっきまで一緒にいてくれました」

 軽く俯きながら彼女は言葉を落とす。小さい声だったが、聞き取れない距離ではなかった。
 馴染みの名前が出てきたことにも、その名前に敬称がついていることにも、驚いた。昔は使わなかった丁寧語を使っていることにも。

「……じゃあなんで今あいつはいない」
「あなたが、出てくるのが、見えたから、もういいだろうって」
「あいつ自分の仕事わかってんのか、くそッ」

 お前は警邏の人間だろうが。それに何だ穂積さんって。
 そういえば穂積は毎回この少女のことを報告していた。この子も穂積のことは信頼しているようだし、恩人として親しくなったのだろうか。
 嫉妬と十分呼べる感情がふつふつと湧くのがわかって、拓海は舌打ちをした。出所して早々どうしてまた自分の浅ましさに気づかなければならないのか。
 少女が拓海の全身をじっと見て、何か気付いたかのように「あ」と声を上げた。

「あたしのセーター、着てくれてるんですね」
「は? お前の?」
「え、毎月本を選んで、冬にセーターとひざ掛けを編みました。……穂積さん、伝えてくれてなかったんですか?」
「あの野郎……!」

 後輩の機転の利かせように腹が立った。
 あの気色悪い差し入れは全部、あの男が選んだものではなかったのだ。この少女からの預かりものを持ってきただけだ。そりゃあそうだ、この少女がひとりでここに来るには危険すぎる。次何かあっても、誰が助けてやれるかわかったものではない。それに、万一ひとりで来られたとしても、拓海は面会などしなかっただろう。そんなことは穂積でもわかっていたのだ。来るなと言っていたのだから、来たらいけない。かといって、この少女からの贈り物を拓海は素直には受け取らないだろう。それも見越した上で、自分からの差し入れという体をとった。腹が立つ。それならばと受け取った自分の考えの浅さにも腹が立つ。

「……あの本、お前が選んだのか。穂積か?」
「あたし、字はろくに読めないし書けないんです。計算も苦手で。穂積さんも、あんまり本は読まないみたいで。でも、東エリアの平民街のすごく奥まったところに古本屋さんがあって、そこの店主さんが、事情を説明したら面白いのをいろいろ選んでくれました」
「……これは」

 本の事情はわかった。次にセーターを軽く引っ張ってみせると、彼女は表情を綻ばせた。

「今働いてるお店のおかみさんが手芸のすごく得意な方で、お裁縫たくさん教えてもらったんです。編み物、手際がいいって褒められたんですよ。初めて編んだからちゃんとできてるか心配で……。でもちゃんと着られてるみたいで、よかったあ」

 本当なら、ここでこのセーターを脱いで、ひざ掛けも突っ返すなりなんなりするべきなのだろう。自分はもうこの子に関わるべきではないし、この子も拓海のような男と関わっているべきではないのだ。今幸せな暮らしができているのなら、それを少しでも長く保つよう頑張らなければならない。その一方で、そこまで非情になりきることはできない自分のこともまた、拓海はわかっていた。自分にできることは、今日で別れるということだけだ。この娘の厚意は、ここでは素直に受け取っておくべきだ。

「駅まで送る。ついてこい」

 ここから工場街へ向かう道と、駅への道は真逆だ。このエリアは全体的に安全とは言いにくいのだから、誰かがついてやらなければまた何か起きるかもしれない。少女の方向へ向かい歩き出し、その隣を素通りして駅への道を辿り始めるが、少女は小走りで着いてきて、待って、とまた声をかけた。しかし拓海には聞き入れるつもりはない。

「少しでいいから、話、聞いてほしいんですっ」
「聞かん。とっとと帰れ」
「お願いです、聞いてくれなきゃ帰れません、お願いします、拓海さまっ」

 唐突に自分の名を呼ばれ、しかしそこに気色悪い敬称がついていて、拓海の眉間には皺が寄った。この子が自分の名前を知っていたことは特に驚かない。ここまでくるとすべての情報源は分かっているからだ。足を止めてしまった自分のことは、心底愚かしいと思う。チャンスとばかりに少女は拓海の目の前に回り込んで、深く深く頭を下げた。

「あの、……えっと、」

 黒い髪を揺らして顔を上げ、その青い瞳はきょろきょろと落ち着かない。立ち止まってやったのに、話を聞いてほしいという本人が話し始めない。拓海は気が長い方ではない。苛立ちを覚えればすぐに歩き出すつもりだった。
 数秒沈黙してから、少女の瞳は申し訳なさそうに拓海を見つめる。

「何を、言ったらいいか、わかんないんです」
「なら何も話すことはねえってことだろうが、行くぞ」
「違うんです! ……ありがとうも、ごめんなさいも、違う気がして、言えないんです。あたしが言いたいのは、そんなことじゃなくて、」
「気持ちだけありがたくもらっておく」
「そうじゃなくて!」

 少女が借りをつくったと感じているのならそんなのは勘違いだ。あれは、拓海が自分がやりたくてやったことだ。自分のやったことに責任をもつ。だからこうして二年間刑務所に入った。これからも日の当たるところで暮らせるとは思っていない。それくらいでいい。本能のままに生きたツケだ。これはこれで、拓海自身は受け入れている。

「……もらった分、返したくて。あたし、あなたに貰ってばっかりだから、少しでも、返したくて」
「っは、今や稼ぎ頭らしいからな。その同情もついでだから貰ってやる」
「同情なんかじゃないです、……あの、……あたし、夕ご飯、作らせてください。毎日、通いますから。だから、」
「馬鹿もいい加減にしろ」
「馬鹿かもしれないけど本気です!! 聞いてくれなきゃ帰らないってあたし言いました!」
「なら勝手にしろ。人形にでもダルマにでもなったらいい」

 決心して受け入れた二年間だった。責任も感じた。罪悪感も確かにあった。それをすべて受け入れた、受け入れるための期間だった。
 この子のことを考えていいのは二年間限りだ。二年経ったら、あとは自分のやった事実だけを背負って生きていく。そこに彼女がいていいはずはないし、彼女にしても拓海のことを考えていていいわけはない。ここで終わりだ。最後に成長した姿を見られただけ、それだけでも幸せだと思う。これ以上この子が食い下がるなら、拓海は突き放すことしかできない。
 言うべきことは言った。帰らないなら好きにすればいい。ここはまだ刑務所の目の前だから、いざとなれば助けを呼ぶこともできるだろう。再び踵を返し、駅とは逆方向の工場街に向けて歩き出した。なるべく早く歩く。工場街に近づくと大規模な機械音が聞こえてくる。見かける人間は作業着姿の男ばかりで、みんなこの工場の従事者であろうことが伺える。
 拓海の新しい住まいは工場街の端にある。警邏として勤務していた頃の記憶を手繰り寄せながら、細い路地を進む。この辺が汚いのは昔からだ。このエリアは何も変わっていない。
 工場の従事者の居住エリアに差し掛かる。前科者の男どもしか暮らしていないエリアは見るからにどんよりしていて、活気がない。小さなアパートが敷地内にいくつも建てられている。拓海の部屋はそのうちのひとつ、二階にある。
 建物を見つけ、近づくと背後でがさがさ物音が聞こえ、振り向けば「ひゃっ」と小さく悲鳴が上がる。視界の端で猫が走り去っていくのが見えた。

「……お前、いつまで着いてくるつもりだ」
「ごはん、食べてくれるまで」
「俺はもうお前と関わらない」
「あたしの気がすみません」
「お前の気なんか知るか」
「ならあたしもあなたの事情なんか知りません」
「いい加減にしろよ、……本当に知らねェからな」
「あたし毎日来ますから。夕方、お店の仕事終わったら、絶対毎日来ます。あなたが会ってくれなくても、あたしと関わろうとしてくれなくても、それでも、毎日来ますから」

 少女が袋を抱え直す。
 きっとその袋の中には食材が入っているのだろう。東エリアで買ったのなら、いい加減腕も疲れているはずだ。
 それでもその瞳は真っ直ぐで、絶対に退こうとしない。これを振り切ることは簡単だ。彼女もそれでいいと言っている。もしそれで、次に何かあったとき本当に自分は無関心でいられるだろうか。ここで受け入れることは間違いだとわかっているのに、まるで逃げ道を探しているかのような感覚になる。

「俺は、お前に感謝して欲しいとも謝罪して欲しいとも思ってねえ。そうされることをしたとも思ってねえ。俺はお前と違う、人殺しだ。……頼むから帰ってくれ」
「あたしは感謝も謝罪もしません。ただ、これまでもらったものを返したいだけです。……いつも、見かけたら声をかけてくれて、あたしに仕事をさせてくれて、大切なこといっぱい教えてくれて、本当なら、少しずつ返していかなきゃいけなかったものです。二年間お会いできなかったから、だから、これから返していきたいんです。何か間違っているでしょうか!」

 お前に会うと自分が惨めになるなんて、どうして言えるだろう。
 毎日来たって会わなければいいのはわかっている。無視すればいいだけの話だ。それができるなら、最初からこんなに悩んだりしない。どちらにしても、拓海に残された返答の余地はひとつだけなのだ。

「………もういい、分かった、気のすむようにしろ」

 拓海のその一言で、少女の表情がぱあっと輝く。心底うれしそうにその青い瞳を細めて笑う。そうだ、自分はこの子にこの顔をしていてほしかったのだ、と今更ながら実感する。

「あたし、頑張りますね、拓海さまっ」
「来るときは駅から動くんじゃねェぞ、帰りも送る。あとその様付けと敬語やめろ気色悪い」
「えっと、……拓海、さん?」
「だからやめろっつってんだろ。前みたいに話してくれればいい、名前は呼び捨てで構わん」

 ぶっきらぼうに言いながら少女の腕から紙袋を奪って抱えると、アパートへ向かい歩き出す。その後ろをとてとてと小さな足音が着いてくる。
 二人分の足音が階段を上る。あまり新しくないこの建物は、いつ壊れるかわからない物騒な音を立てて軋む。預かっていた鍵で開錠し、扉を開くと埃の臭いが鼻をついた。

「まず掃除からみたいね、タク」

 呼び捨てでいいと言ったのに、ひとつ上を行く呼び名に思わず眉を顰めるが、彼女があまりにも眩しくにこにことしているので、つい反論の機会を逃してしまった。

「俺は掃除は嫌いだ。お前に任せる」
「まっかせて! 掃除は元から好きだったんだから!」

 張りきった顔で腕まくりをする少女を頼もしいと思いつつも、ちくりと胸を刺す罪悪感が消えない。拓海は一度ゆっくり目を閉じる。それから、玄関の扉が閉まる音と一緒に目を開く。この罪悪感は、今は無視しておくことにした。



2013.06.22(Sat) | 空挺懐古都市パロ | cm(0) | tb(0) |

過去編② 涙だけが知る恋




 恙なく異動は完了した。
 北エリアには空都の存続に欠かせない鉱山がある。刑務所に収容された囚人はすべてこの鉱山での発掘作業に充てられる。ここで発掘された燃料を、大工場で燃焼させることで浮力を得るのである。工場の従事者のほとんどは刑務所を出た前科者で、そう高くはない賃金で長く働かされている。浮力を生じさせるメカニズムなどは一般人が知る由もない。そういった専門的なことは空都のアカデミーがすべて担うことだ。
 刑務所はあるものの、北エリア自体がアングラな世界と解釈されているのか、後ろ暗い商売などはほとんどがここで行われているし、普通の繁華街でも他のエリアに比べれば違法性が強い。それもこれも、北エリア限定で黙認されているのだ。この底都は、いずれ海に沈む。それまでの間、他のエリアには影響を出さないようにするのが警邏の役割となっている。他のエリアではもちろん犯罪扱いの薬物の売買も、明確な法はないものの各自の判断に委ねられてしまっているし、売春にしたってどんな年齢であろうと本人の同意があればよいとされている。警邏が実質的に逮捕できるのは傷害や窃盗の場合だけだ。腐っている、と拓海は思う。
 拓海自身はあまり正義感の強い方ではない。北エリアでの勤務だって、そこまで強い憤りを覚えているわけではない。ただ、腐っているとは思う。着任した日に、パトロールを兼ねてエリアを見て回った。繁華街では普通の飲食店に混じって薬物が普通に売買され、薬物漬けの人間が何人も路地裏に転がっている。歓楽街ではみすぼらしい少女が身売りをしている。その眼がまだしっかりしていればいい方で、薬を使われすっかり表情の抜け落ちた子供もよく目にした。女だけではない、見た目がほんの少し中性的な少年も、そこにはいた。
 ここが一番ヤバい、と教えられたのは見世物小屋だ。このエリアの歓楽街には何軒もの見世物小屋があり、どこも人で賑わっているが、他のエリアで見られるような踊りや歌、芸の類はない。もう碌にしゃべることもできない女子供を見世物にして晒し、笑いをとることが目的の小屋だ。一番客の入りが大きい小屋は暗く細い路地にあり、それは酷いもので、散々薬漬けにして正常な判断も何もできない少女の指や腕や脚を客の目の前で切断していた。その絶叫を聞いて笑うことのできる人間を、腐っている、としか表現できない自分は人間としてきっとどこかが欠落している、と拓海は思う。その小屋の裏には、もう見世物としての役目が終わったとばかりに並べられた少女たちがいた。四肢がない、耳がない、目がない。それでもまだ少女たちは生きていた。心臓が動いているばかりに、その状態でもまだ生きていた。
 北エリアには、刑務所という特殊な場所があるため、職員用の宿舎が設置されている。拓海の住まいもそこである。金を出して部屋を借りるより安上がりだし、恨みを買いやすい警邏の隊員が一人暮らししているとなれば要らぬ危険を呼び寄せる可能性もある。刑務所の所員用宿舎はエリア内でも比較的安全な中央駅の傍にあり、交代で警備がついている。これ以上のセキュリティはないといってもいい。毎日の勤務が終わると中央駅の傍で夕飯を買い、宿舎に戻って食べて、寝る。これが東エリアや南エリアなら過ごし方も少しは変わったろうが、何せ常駐の辞令である。休日でも申請を出さなければ別エリアへ行くことは許されない。そこまでして別のエリアに行く理由もないので、休日は自然と宿舎にこもりきりの生活となる。
 汚い部屋で、拓海は思う。芹沢はきっと、この一年でチャラにする気なのだ。それはきっと、次男が優秀に育ったからだろう。次男が使えないのならもっと強制的に戻されるはずだ。だから、有事の保険として拓海を芹沢に戻したいのだろう。しかし自由を楽しむだけ楽しんで、それからぬるま湯の生活に戻すのでは何にもならない。だから一年間の罰を与えた。そんなところだろうか。そんなもの求めちゃいない。このままでいい。ずっとこのままだって問題ない。あんな窮屈な家にいるくらいなら、壊れた人間を相手にしている方が余程ましだ、と。
 けれど、そんな拓海でも、エリアをパトロールしていると毎日思うことがある。
 あの少女。東エリア、警邏隊の屯所の陰にいつもいた、美しい少女。長い黒髪、白磁のような肌、透き通った蒼の瞳はいつも力強く拓海を射抜いた。あの子だけは来てくれるなと。あんな綺麗な娘がこんなところにいたら、この狂った世界に何の文句もないはずの拓海自身もきっと、怒りに我を忘れるに違いない。四肢のない、虚ろな瞳の少女を視界の端に入れながら、そう思う。どうやら自分は自分で理解していたよりもずっと強く、あの少女に惹かれていたようである。





 拓海の着任から四か月ほどが過ぎた。この腐れきったエリアの警邏業務にも慣れ、毎日のルーチンワークをこなす。
 今日はたまたま北エリアでの勤務となっていた穂積がやってきていた。ひと月に一度くらいは北エリアで会う機会があったものの、拓海がエリアから出ることがないため毎回「久しぶり」という挨拶が定着している。

「やー、すっかり悪い顔になりましたねえ桜井サン」
「てめェのだらけっぱなしの顔に比べりゃマシだろ」
「うわひっでえ」

 午前中は屯所で書類仕事を片付け、午後からパトロールに出る。工場の見回り、繁華街から裏の繁華街への見回りだ。ここはいつ来ても腐ってんなあ、などとぼやきながら穂積は拓海の後を歩いてついてきていた。

「なあ桜井サン」
「あ?」
「桜井サンがご贔屓にしてた東エリアの天使いたじゃないスか」
「知らねえな」
「またまたあ、とぼけちゃって!」

 東エリアの天使といえばまず間違いなくあの少女のことである。天使でなければ女神か。心のオアシスと呼んでいた隊員もいた。それだけ、汚い貧民街であの少女という存在は一際白く輝いてみえるようだった。そのことを否定するつもりは拓海にはない。
 贔屓にしていた――というのは、面と向かって後輩に肯定すべきことではないだろう。追及されれば否定はできそうにない。

「で、そいつがどうした」
「俺最近東エリア勤務が続いてたんですけどね、あの子いつも屯所の陰にいたじゃないですか。それがここひと月くらい平民街にいるもんだからおかしいなって」
「は? あいつ屯所の傍から動くなって釘刺されてんだろ」

 確かそのはずだ。大事にしてもらっている貧民街の住人から、平民街に出ては何があるかわからないから、だからあの屯所の傍で、警邏隊の隊員を狙って靴磨きをしていたのではなかったか。
 歓楽街の入口でそんな話を切り出した穂積は、立ち止まる拓海をよそに先を歩き始める。

「俺もそれ知ってたから、こんなとこいたら危ないだろ、って声かけたんスけど。あんたには関係ないでしょ、の一点張りで。どうも金が要るみたいで必死らしい。他の隊員も気持ち多めにやったり、できるだけ気に掛けるようにはしてるみたいですけど、それだって四六時中見てやれるわけじゃないから」

 少女を囲いたいという奴まで出ていたくらいだから、隊員たちも通常よりずっと気を使って見ているだろう。穂積もそれは同じようだ。しかし彼女自身がそこにいることをやめないのであれば、それ以上はどうすることもできない。
 金が要る、というのが怖い。金のためにおかしな輩に絡まれる可能性だってないわけではない。東エリアは北に比べれば平穏だが、北エリアはもはや無法地帯と化している。そんな場所と比べたって何の安心にもならない。となれば残る三つのエリアのうち、一番危ないのは人口が多い東エリアに決まっている。出会う人間すべてが危険だというつもりはないが、金が欲しいという希望に合致した取引を少女に持ち掛けるような奴に、間違いなくろくなやつはいない。

「だから、申請出して今度会ってやってくださいよ。桜井サンが言えば聞くかもしんないじゃないスか」
「はあ? 何で俺が」
「俺を見かけると毎回、あんたあのでっかいのといっつもサボってた奴でしょ? あいつ北エリアで刺されたりしてない? って聞いてくるんで」

 身振り手振りを交えながら少女の声真似をする穂積は、少女のことを思い出したのはぶっと吹き出す。似てねえよ、と後ろから拓海が頭を小突くと、俺渾身の名演技なのに! との弁解がなされた。

「なんか恨まれたりしてるんスか? あの子に」
「なんもしてねェよ」
「なら好かれるようなことは?」
「毎回靴磨かせてやってたが。それだけなら他の隊員だって好かれて然るべきだろ」
「そーっスね。そりゃそうだ」

 元気でやっているのならそれでいい。今度の休みには仕方ないから申請を出して久々に東エリアに行くか、などと考える。
 金が目当てなんてろくなことにならない。下手をする前に釘を刺さなければならないだろう。

「仕方ねえから次の休みには東エリア行ってやる」
「お、マジっスか? なら俺とメシ食いましょうよ、奢ってくれるって約束してたじゃないですか」
「んな約束をした覚えはない」
「うわ、警邏として一番やっちゃいけないことなんですよ、しらばっくれるのは!!」

 抗議の声を上げる穂積と共に、もう歩きなれた歓楽街を歩く。気にかけられていると知っただけでこの気分の上がり様だ。子供じゃあるまいし、と自らを情けなく思いながらもこの気持ちを否定する気はやはり、なかった。
 件の見世物小屋の手足のない少女たちを哀れに思う。彼女たちは一体何を引き換えに、なくしたものを差し出したのだろう。――無知とは、恐ろしいものだ。





 一日の勤務が終わる。言いくるめられて夕飯を奢るハメになり、拓海は穂積と共に繁華街への道を歩いていた。囚人たちの発掘作業はもう終わっている時間だ。工場も今日の稼働を終えている。日も暮れ、これからは繁華街の時間だ。正直このエリアはこれからの時間の方が警邏としては忙しいのだが、今日は日勤でよかったと思う。
 繁華街の色とりどりの明りが、作業を終えた工場の労働者たちを誘い込む。店の前では華やかな衣装に身を包んだ女たちが客引きをしている。これはどこのエリアでも変わらない光景だ。

「北は他に比べると美人が多い気がしますねえ、眼福眼福」
「法外な値段で買う男がいるからだろ。簡単に稼げるなら多少汚くてもこっち来んだろ」
「ほう、桜井サンはこっち来て女買ってないんスか?」
「毎日こんなとこ見てりゃ汚くて金払ってまで抱く気になんてなんねェよ」
「あは、確かに」

 適当な定食屋に場所を決め、穂積が先に暖簾を潜る。拓海もその後に続いたが、繁華街の向こう、歓楽街に向かう路地に、気になる人影が映った。綺麗な黒髪の女、そう高くはない背、そう、おそらくは少女だったように思う。
 どくん、と大きく心臓が鳴る音が自分でもよく聞こえた。ついでに悪い予感もする。まさか、だ。行ってみればいい。気のせいなら戻ればいいだけの話なのだから。

「……おい、穂積。先に食ってろ、すぐ戻る」

 視線は穂積には一切向けず、先程の人影を視界から逃さないよう見つめて、拓海は店を離れた。背中に「何スかいきなり!?」と拓海を呼ぶ声が聞こえたが、気にしている場合ではない。
 まさかの話だ。次の休みには東エリアに出向くのだから。そこで少し会話をして、変な考えがあるなら諌めてやればいい。屯所の人間に言って、もっと気にかけて見てもらえばいい。ああ、貧民街の連中にもまともに監視しとけと言うべきかもしれない。だから早まるな。お前はこんなところにいていい人間じゃないんだから――!!
 どくどくと心臓が早鐘を打つ。早くしなければ。早く追いつかなければ。視界に捉えて離さないその人影は、歓楽街の一際暗い路地に向かっている。わかる。あの路地には、あの見世物小屋がある。見世物が見世物だからか深夜にしか営業しないため、今はまだ人通りはない。全力疾走でその影に追いつくと、少女の手を引く中年の男の肩に手を掛けた。男がゆっくり振り返る。次いで、手を引かれる少女も。少女の瞳は、透き通った蒼色。

「……こんなガキを、どこに連れ込もうとしてる」
「いやだなあお巡りさん。合意ですよお」
「答えろ。叩き斬るぞ」

 人通りはない。多少荒い手を使ったところで誰も拓海を咎めはしないだろう。返答次第では武力は辞さない。
 相手の男の眼は昏く淀んでいた。こいつもキメてやがる、とまともな返答が期待できないことに拓海は唾を吐く。

「お巡りさん、これは合意ですよお? それがここのルールじゃないですかあ」
「うるせえ、御託は聞いてねェ」
「ああ、それともお巡りさんもこの娘気に入ってましたあ?」

 男は少女の手をより強く引き、腕の中に収める。肩に片腕を回し、もう自分のものなのだと言わんばかりの表情だ。
 ぱちん、とどこかでスイッチが入る音がした。
 男はなおも、光を灯さない瞳でくだらない話を続ける。少し怯えた蒼の瞳は、薄く涙を浮かべて拓海を見つめている。視界の端に、この暗闇に唯一光を与える灯篭の火が見える。

「こんな子がうろうろしてたら、そりゃあお巡りさん、目の毒ですよねえ。生唾モンですよねえ」

 男の太い指が、少女の白い肌を滑り、鎖骨を撫でる。そのままいつものボロボロのワンピースの生地の上から体のラインをなぞり、腰に触れ、

「ああ! そうだ、何ならお巡りさん、今晩が終わったら、一番にこの子を買いませんかあ? これだけの上玉ですけどねえ、お安く、」

 その指が生地を潜り、太腿に触れ、少女が小さく悲鳴をあげた時点で、今度は何かが切れた音がした。

 ――限界だ。考えんのもヤメだ。 

 拓海は腕を伸ばして少女の体を強く引き寄せると、そのまま投げ飛ばすように自分から遠ざけた。狼狽える男には慈悲をくれてやるつもりはない。躊躇いなく腰のサーベルを抜き、少女に触れた指を力任せに腕ごと落としてやった。吹き出した血液が拓海の顔面を汚す。ごろりと転がった男の右腕をゴミを扱うかのように蹴飛ばすと、男ににじり寄った。

「どうだ、いつもてめェがやってる腐ったショーを体験する気分は? あ? 気持ちいいか?」

 悲鳴混じりに拓海から逃げようとする男の毛髪を力任せに掴むと、ぶちぶちと何本もの毛が抜ける音と感覚が掌に残った。なるほど確かにこの弱者を追い詰める感覚は悪くない。そんなことを思いながら男の頭を地面に叩きつけた。仰向けに倒れ込んだ男の胸に強く膝から乗りかかり、サーベルを投げ捨てるとその丸い顔を渾身の力で殴りつけた。右の拳で。左の拳で。殴りつけながら、男に話しかけるのはやめない。


「……やめて」

「なあ、オイ、次も腕がいいか? あ? それとも脚か? 好きなとこ言ってみろよ、耳でも目でもどこでも抉ってやる」

「あたしが勝手に着いてきたの!!! っ、いいじゃない、ここに来るだけで、一晩男の人と過ごすだけで、たくさんお金貰えるのよ!? 気に入ってもらえたら空都でだって住めるんだから!!」

「リクエストがねェなら俺が勝手に決めんぞ」


 少女が泣き叫ぶ声が聞こえる。
 拓海は頭の中で、自分の耳を削いだ。少女の言葉をまともに聞いてしまえば、抱きしめたくなる。何をそんな馬鹿なことを、と。金が欲しいならいくらでもくれてやるのに。
 こいつを囲いたいと言っていたくせにそうしなかったあの隊員を恨んだ。そして一番自分を憎く思った。こんな思いをするなら、どれだけの金を積んででもこの少女を自分のものにしておくべきだった。無知とは恐ろしいものなのだ。けれどこの少女にはこんなことは知ってほしくなかった。こんなことで、こんな場所で、少女への劣情を自覚するくらいならいっそ、早いうちに金で買ってしまえばよかったのだ。
 ああでも、もう遅い。もうこの腕を振りぬくことを止めることなどできない。


「そうだな、歯を全部折るなんてのはどうだ? ショボすぎてそんなんじゃイケねえか?」

「あんたなんか国に生かしてもらってるくせに!! あたしの気持ちなんてわかんないくせに!! あたしがどんな気持ちでここにいるのかなんて……!」

 
 削いだはずの耳がまだ、少女の声を捉える。
 お前がどんな気持ちでここにいるのかなんて知るか。お前の気持ちなんて知るか。国に生かしてもらっている俺の気持ちも、お前になんて分かってたまるか。
 この子供に間違いを犯させたのは誰だ。この子を真っ当に守ってやるには、俺は他にどうしたらよかったんだ。
 振りぬいた右の拳が、男の頭に当たる。次の拳は正面から口にぶつけてやった。何本か男の歯が折れ、これまでの殴打でべろんと皮のむけた拓海の拳が唾液と血液で更に汚れる。少女はもう何も言わなかった。目の前で行われる拷問に、すすり泣くことしかできない様子だった。それでいい、幻滅しろ。それで、こんなところには二度と来るな。そう思ってほっとした時に、拓海の体は後ろから拘束された。

「ダメだ桜井サン、それ以上やったら殺しちまう!」
「………心配しなくても、……もう死んでんだろ」

 あれだけ頭を殴れば死ぬだろう。これだけの力で胸を圧迫していれば死ぬだろう。
 拓海の下にいる男は、もう顔など元の状態が判別できないほどに膨れ上がり、ぐちゃぐちゃになっていた。ひでえ、と拓海のすぐそばで、拓海の体を拘束したままの穂積が眉を顰める。
 拳が痛い。削いだ耳が戻ってきたかのように、世界に音が満ちる。通行人がこの惨状を見て悲鳴を上げる。そこに警邏隊の制服姿の男が二人となれば、ざわめきは異様なものとなっていた。
 拓海は自分の制服のベルトに掛かっている手錠を取り出した。片方の輪を自ら右手に掛け、もう片方を穂積に手渡す。

「逮捕しろ穂積、現行犯だ」
「……っ、けど、ここ、北エリアですよ。こいつも相当ヤバい奴ですし、お咎めなんかないんじゃないですか」
「逆だ。……芹沢に殺人者なんてゴミが必要なわけねえだろ。下手すりゃ裁判すらなくブチ込まれる」

 その事情は同じように名家の出身である穂積には痛いほど分かるのか、ぐっと唇を噛みしめる。なんでてめェが悔しそうなんだよ、と拓海の顔は薄く笑いを浮かべていた。

「……俺なんか別にどうだっていい。だが、ひとつだけ頼みがある。どうしても叶えてほしい」
「……何スか」

 空いた手錠の輪を拓海の左手首に掛けると、穂積の眼がしっかりと拓海を見据えた。

「……あのバカを、平民街のどっかでちゃんと働かせてやってくれ。信用のおける、危なくない場所でだ」

 拓海の視界の隅で、少女はまだ泣いている。
 泣かせたくはなかった。あの子は、あの力強い瞳だから輝いているのだ。こんなところで汚されていいものじゃない。
 思えば、最初からそうすればよかったのだ。真っ当な仕事に就かせて、ちゃんと稼がせてやるのが筋だ。それをしなかったのは、少しでも彼女を視界に入れておきたかったからだ。自分の浅ましさにまたひとつ気付いてしまう。

「……そうだな、女なんだから料理なんかいいんじゃねェか? お前の力ならできんだろ、それくらい」
「そりゃ、できますけど……。いいんですか、そんなことで。桜井サンがムショ行きにならないように口添えだっていくらでもできます」
「お前みたいなクズ、家から切り離されたら生きていけねえだろうが。馬鹿か」

 笑ってそう言うと、あんたが言うんスか、とぐっと唇を噛みしめた穂積の眼に涙が光っていた。気色悪ィ、と言ってやれば、心の汗です、などと意味不明の返答。
 通行人が呼んだのか、屯所の人間がわらわらとやってきた。皆一様に手錠をかけられた拓海の姿を見て唖然としている。
 野次馬はどんどん増えて、拓海と死体を取り囲んでいた。

「……あの、……あんた、」

 連行される直前、立ち上がった少女が涙でぐしゃぐしゃの顔で、拓海に駆け寄った。
 ここに来たのは今日が初めてのようだ。人に買われたのもきっと今日が初めてなのだろう。東エリアでもう誰かに買われて味をしめたのかと思ったが、そうではないようだ。
 そのボロボロのワンピース姿が懐かしくて、本当は抱きしめて叱りつけてやりたくて仕方なかった。でももうそうすることは二度と叶わない。この汚れた手でこの美しい少女に触れることは拓海自身が許せないのだ。
 真っ当に生きろ、と。幸せになれ、と。言いたいことはいくらでもあったけれど、どれも一言では表せそうになかった。そんな自分に拓海は苦笑する。
 この少女が好きだ。さっき腕を掴んだ時、細い体がぶるぶる震えていたことを拓海はわかっている。あんなに震えていたくせに一丁前に強がっていて、本当は誰かが守ってやらなきゃいけないのに。こういう形でしか守ってやれなかった自分を不甲斐なく思う。守ったというのもおこがましい。自分は少女の心に傷を刻み付けただけだ。ああ本当に、自分は、この、姿も心も美しい少女に心底惚れている。

「……来んな、っつったろうが、紗央」

 それだけを伝えると、自ら警邏隊に着いて歩き出す。彼女の傍には穂積がいる。穂積はクズだけれど、腐ってはいない。しっかり彼女を送り届けて、真っ当な職を斡旋してくれるはずだ。
 人ごみの中を歩きながら、彼女の名前を何度も小さく呟く。
 そしてようやくひとつの事実を思い出す。
 ――彼女は拓海の名前を知らないのだということ。
 気づいてひとり俯いて笑った。そうか、彼女にとっては、名も知らぬ警邏の男が気色悪い薬漬けの男を殴り殺しただけの記憶になるのか。
 


 はじめて覚えた正義感が、涙に変わるなどとは、考えてもみなかった。


2013.06.04(Tue) | 空挺懐古都市パロ | cm(0) | tb(0) |

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