プロフィール

軽石へちま

Author:軽石へちま
基本自キャラで凄まじく妄想してみる。
隠れ家なのでBLとか黒とか暗とか主。
キャラ崩壊必至。何とも思わないけども。
妄想についてこれる人だけどうぞ。

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
ブロとも申請フォーム
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--.--.--(--) | スポンサー広告 |

初恋シュプール 4


「なんかすごく変な気分」
「わかる」

 教会の一番後ろの席に二人並んで座って、ぽつりと呟いたルミの言葉に、大和は頷いて返した。

「ずっと教わってた先生の結婚式なんて」
「娘を嫁にやる気分だよな」
「そんな感じかも」

 新婦は文句なく綺麗だし、新郎ももっと七五三染みてるかと思いきやそれなりに格好良く仕上がっていた。何となく空の背が伸びたように見えているのはシークレットブーツのせいなのか目の錯覚なのか何なのか。
 本当に綺麗で羨ましい、と大和の隣でルミは再び呟いた。

「一般家庭に生まれた女子にとって結婚の形ってこれなの」
「乙女の夢か」
「うっわ、気色悪い。でもそういうことかな。森の奥の教会で、真っ白なドレス着て、ってね」
「まあ、間違いなくその逆を行くだろうな。人は多いし、屋敷だし、お前は白無垢俺は袴だ」
「別にいいけどねー。人生どう転ぶかわかんないってことで」

 ルミ以上に大和こそがそう思っていた。
 一般の女と結婚することになろうとは思ってなかったし、そうしようと思うまでに自分の心が動かされることもないだろうと思っていた。人生何があるかわからないものだ。

「……お前、似合うしな、こういうの」

 純白のドレスに身を包む奈央を見ながら大和がぽつりと呟くと、ルミは「はぁ?」とでも言いそうな顔で大和を見上げていた。

「何言ってんのよ、いきなり」
「俺が見立てれば、な」
「結局自画自賛ですか、そーですか。否定しないけど」

 舞踏会とかでも散々いいもの着せてもらったしねー。
 割り切るように言うルミの声が、少しだけ大和に罪悪感を覚えさせる。
 ごく普通の家庭で育った女が思い描く、ごく普通の結婚式の姿。それが乙女の夢という奴なのだと言う。
 大和でなく他の誰かなら、文句なくその夢を叶えてやれただろう。というより、他の誰かなら、こういう形の式以外を考慮に入れないだろうと思う。相手が大和であるというだけで、ごく普通だったはずの夢が砕かれる。
 それは、彼女にとって幸せなことなのか。
 だからといって他の男にくれてやる気などない。大和の傍にいるからには、望む幸せはもちろん、これ以上必要ないといわれるほどの幸せを一方的に与えてやるつもりだ。
 ――そんな小さな夢も叶えてやれない男だったのか、芹沢大和という人間は。
 大和は笑った。そんなこと、あってたまるものか。当然だ。

「今日、ひとり家族を紹介する」

 式が進行する様子を見ながら、大和は告げた。

「え? ……お義父様とお義姉様と、あと家の人、もう結構会ってるけど……。新入り?」
「いや、俺が生まれる前から芹沢の人間だった人だ。今は違うけどな」
「はあ?」

 その上、大和のこれまでの人生で、流風を超えるお騒がせな男だ。
 一昨日の夜初めてその相手からの電話を受け取って、自分とあまりに似ているその声に珍しく驚いてしまった。
 母親の葬儀の時も、後姿を見かけた程度でとても会ったとは言えない。
 教会の列のずっと前の方に座る、黒髪の女性。青いドレススタイルのその女に目を向けた。

「だ、誰その黒幕っ、……もしやお義父様以上のラスボス……?」
「まさか。敵じゃないし、雑魚キャラだ」
「年上相手にそんなこと言っていいのあんたっ」
「ん? だあって俺の方が社会的地位上だもん」
「だもん、じゃないわよ……」

 ずっと年上で、芹沢の人間ってのが緊張要因らしい。全然そんな緊張することないのに、と思いながら、大和はルミの頭に軽く手を置いた。
 



スポンサーサイト

2008.03.31(Mon) | 初恋シュプール | cm(0) | tb(0) |

あんなキャラ欲しいなあ。



なんていうか、黙ります。



2008.03.31(Mon) | しゃべり隊 | cm(0) | tb(0) |

静か過ぎる へや


「……真紘さん、絶対人選間違ってる。そんなに頭弱くなったのかな」 
「そんな小言を言ってる暇があるのなら手伝ってくださいます?」
「僕別に手伝いにきたわけじゃないし」
「あら、じゃあはるばるとこんなところまで何をしに?」
「真紘さんの新居を見に」
「今すぐ手伝ってください」

 長い髪を邪魔にならないよう、左右の高いところで団子状にして、段ボール箱の並んだ部屋で正座しながら椿は僕にぴしゃりと言う。
 本当に手伝いにきたわけじゃないのだ。真紘さんが一人暮らしをすると言い、大和さんが住むところを斡旋すると言い、そうして宛がわれたマンションがどんなものか見に来ただけ。
 ただ、来る直前芹沢邸に足を運んだら大和さんに、『椿が手伝いに行った』と爽やかに言われ、それ手伝いになってないんじゃ、と思ったのは事実だ。

「ひっろい部屋だなー……。……椿が散らかし放題になるのも仕方ない」
「少しは口を謹んでいただけます? それに、これは遺伝ですから」
「こんな遺伝があってたまるかと思うのは僕だけなのかなあ?」
「いいえ、私が一番強くそう思っておりますわ」

 椿は破滅的に部屋の整理とかが下手だ。家事に関わるスキルはゼロといっていい。ていうか破滅的なんだからゼロどころじゃなくマイナスかもしれない。椿の部屋が綺麗である状態を見たことがないし。ああ、でも、整頓ができないからといって、服を脱ぎっぱなしにするとか、そういう汚さではない。多分椿は自分で片付けているつもりなんだろうけど、教科書とか本とか、気がつくと崩れて床の上に散らばっているのだ。
 そんな椿ひとりにこの部屋を任せたらどうなるかくらいわかっているだろうに、真紘さんは外出中。椿は黙ってりゃいいものを、真紘さんに恨みでもあるのか、整理を始め、玉砕。しかし広い部屋だ。男の学生の一人暮らしの部屋なのに、3LDKはでかすぎると思うのだが、大和さんの斡旋なんだし、芹沢の持ち物なんだし仕方ないのかもしれない。

「で? 真紘さんはどこ行ったんだよ」

 椿が散らかしたものを適当な棚に片付けていきながら、僕は聞いた。
 大学生活がどんなものか知らないけど、一応高校の教科書を持ってきたんだろう。狭い部屋ならともかく、これだけ広い部屋ならいくら無駄なものがあっても大丈夫そうだ。真紘さんもかなり片付けが苦手な部類だけど、お母さんによって矯正されてるし、自分でも気をつけているだろうし、椿ほどではないし。

「お昼の用意をすると言って外出されましたわ」
「ああ、まあそれなら納得だ」

 椿に食材を買わせるほど酷いことはない。椿にコンビニのお弁当を食べさせるわけにもいかないだろうし。簡単なものでも作る気なんだろう。
 
「……こんなところで真紘さんが一人で住むなんて、意外ですわ」

 椿はしみじみとそう言った。
 僕もそう思う。
 真紘さんの家は、明るい父親と、そんな父親を引っ張るみたいな母親と、強気で可愛い妹と、そして真紘さんと、家族としてすごく綺麗で、僕なんかは憧れてしまうのに。真紘さんも家族に何の不満もなかったろうと思う。それなのに、いきなり一人暮らしをしたいなんて。そういう年頃なんだろうか。

「まあ、一人暮らしなんて羨ましい限りですけれどね」
「言っていい? 何があっても椿には絶対無理。椿より先に部屋が死ぬね」
「こちらも言ってよろしいですか? 私がごく普通の金持ちの家の娘なら社会的に死んでますわ、樹理さん」
「おおっと、ごく普通の金持ちの娘ならこんなこと言う気にならないよ。もう少し自分を省みた方がいい」
「どうしても私に殺されたいみたいですわね、樹理さん?」

 椿が綺麗な顔して不敵に笑い始め、僕もできるだけ爽やかにそれを返していた時、ちょうど真紘さんが帰宅。がさがさとビニール袋の音をさせている。

「お前ら物騒なんだよ、何やってんだ」
「おかえりなさいませ、真紘さん」
「おかえりなさい、真紘さん。や、だって椿が例の如く何かほざいてるから」
「ほざいてるとは何ですかっ」

 黙ってれば可愛いのに、という一言はもう言い飽きたので俺も真紘さんも言わない。絶対言わない。ていうか椿は真紘さんの前では僕の時より若干猫被るからなあ。黙ってればきっと可愛いんだろう。僕の前では黙ってたためしがないから可愛く見えないだけで。
 もし彼女作るとしても椿みたいなのは絶対にごめんだ。ましてや椿そのものなんて絶対に嫌だ。これを貰う男がいるとしたら、それは家の都合でほんっとうにどうしようもなかったか、頭の螺子がぶっ飛んでる奴か、どっちかだろう。

「ん、昼飯。やたらあるから食えよ」

 真紘さんは大きいビニール袋を二つぶら下げていて、備え付けだった大きいテーブルにそれを置くと、先に椅子に座った。
 整理なんか全く済んでない状態で、僕と椿も席に着く。何か作るのかと思っていたけど、袋に入っていたのは三段重ねの重箱と、多すぎるくらいのおにぎり、それとレモンパイだった。

「紗央おばさまが?」

 椿が察してそう訊ねる。そうか、そうだよな。こんなことしてくれるのは母親くらいなものだろう。真紘さんもひとつ頷いた。

「大した荷物もないのに大げさに寄越しやがって」
「紗央おばさまですもの。元々世話好きですし、真紘さんは最初の子供でしょう? いくつになっても心配なんだと思います」
「……知らねぇよ、んな事」

 乱暴に重箱を開けていく真紘さんは、なんとなく、らしくない感じがした。卒業前の、あの日からだ。真紘さんは何か、自分を揺るがされるものと出会って、それから、家族でいることが嫌になったのだろう。それは、きっと可哀想なことなんだろう。でも僕は思ってしまう。
 なんて高慢な悩みなんだろう、と。
 椿も、少し目を伏せて、それから、袋に一緒に入っていた割り箸を手にすると、いつもの猫を被った笑顔を見せた。

「いつも通り本当に美味しそうですわね。いただきます」

 僕もそれに倣う。
 ひとりの部屋は静かだろうな。そう思った。




2008.03.28(Fri) | 未来話 | cm(0) | tb(0) |

あの青い薔薇は今日も咲く 4



す い ま せ ん で し た … !



何か、ね! ほら、私こういう展開好きなんだよね!(爽)(もう隠す必要もありません)
先生、こっから1年あるんですよゲーム期間! いろいろ考えて楽しくなってしまいます。(しかしほぼ破綻)
千鶴さんは何かあれば、この人が強引で、って言うつもりなんだと思いますが、なんかもういろいろ面倒になったと思うのでケレス先生は最初から何も言う気とかないんだと思います。


あ、あのケレス先生死亡ルートの流風のテーマソングはUVERworldの「Colors of the Heart」かなとか思いました!
でもちょっと「え、今の誰?」みたいなの混じるんで奇妙です。歌詞見てて楽しかったんだけどね!



いや、今までも内容どうしようもなかったんだけど隠させてください。
テンション高くないのに良く頑張ったな私。
ケレス先生引っ越し屋バイトとか萌えました、ありがとうございます魔王様!

2008.03.27(Thu) | Title | cm(0) | tb(0) |

立ち上がるのなら受けて立つ

「あっはははははははははは!!!!!」

 校門の前に自転車に跨って到着した都筑は、俺の姿と門を見て大笑いした。
 すぐ傍には大型トラック。五人程度の使用人がトラックから荷物を出している。

「おはよう、何だいきなり笑い出して」
「っははははは、だ、だって、豪勢にもTPOがありますわ……! これ、パチンコ屋の新装開店ですやん……! もしくはどこぞのお昼の番組のテレフォンなんたら」
「失礼な、これでも“てんてーににあうおはなはなにかなあ?”って一分くらい悩んだんだぞ」

 都筑の言う通り、校門の前にはパチンコ屋の開店祝いのような豪華な花輪が何台も置いてある。人が死んだとかもうその辺は遠慮一切ナシで赤白基準。発光ダイオードが使われていて、夜でも豪勢であることがわかるスグレモノだ。いやあ、これに金かけた俺偉い。偉すぎる。
 先生もあの世で微笑んでいることだろう。花を手向けてくれるなんていい生徒を持ってボク幸せだよ、とでも言っているだろうか。きっと俺の人生これからいいことがあるだろう。
 でも先生、ごめんな。夜光らせてやりたいけどこの辺電源ないんだよ。こんなもんの電気のために金払う気にはならなかったんだな、俺。

「しかも発光ダイオードて。根本的に花かどうかすら怪しいわぁ。やー、さすが大和先輩! 目の付け所が違う!」
「はははは、そう褒めるなよ照れるだろー?」

 とまあふざけた会話を一通りいつも通り楽しんで、配置した花輪をすぐに片付けさせる。ネタとしてこいつに見せたかっただけだし。娯楽のために金を使うのは金持ちの特権だ。
 何や、片付けてしまうんですかー、と都筑は少し不満そうだったが、自宅近くにこんな意味不明なくらい騒がしいものが何台も置かれているのは俺が嫌だ。

「あ、そういえば流風先輩の様子はどないですか?」
「薬効いてるから寝てんじゃねぇかな。起きててもここに来ようとは思わないだろうし」
「それはそうやろなぁ」

 誰かが死んだというだけで普通の人間は立ち寄ろうと思わないだろう。死んだ誰かが、近しい誰かなら尚更。
 すべて片付けが終わって荷物を載せたトラックに近づいて、荷台から花束を取り出す。数台の花輪に比べれば安いもんだが、メインとしてはこっちだ。

「豪勢だろ、バラの花束なんて」

 黒薔薇の花束。黒薔薇っつっても真っ黒なわけじゃないし、本当に深い赤というのが正しいんだろうが、品種がブラックバッカラとか言って黒だーって思いっきり主張してる。
 二十本程度の黒薔薇と、その中央にシンプルに普通の赤薔薇を差し込んである。いっやあ、やっぱり白ってイメージじゃないな、と思って。

「黄色とピンクゆうんも面白いやろなぁ」
「後で祟られても困るからな。妥当な線で」
「あんな花輪用意したお方がよう言いますわ」

 門の隅に花束を置き、今度はポケットに手を突っ込んで、今朝入手したばかりの煙草の箱とライターを出した。
 それは? と問いかける都筑を横目に、既に開封してあるボックスからまず一本取り出して火を点け、花束から少し離れたところに置いてやる。ヘビースモーカーが死んだら、墓参りとかでこういうのドラマでよくやってるし。生徒が先生のために花と煙草を手向けるなんて泣かせる情景だ。

「流風のために煙草覚えようかなあ、と思って?」

 新しくもう一本を取り出して、口に咥えると火をつけた。

「わー、やっぱ悪い人や」
「やー、こればっかは仕方ないだろ。俺、流風が追い詰められてるとこ見るとぞくぞくすんの」
「俺という存在がありながらそんなところで悦入るなんてちょーっと気に食いまへんなー」
「何言ってんだか。お前といる時は四六時中寒気が止まんねぇよ」

 お褒めに預かり光栄です、と都筑が返す。俺は笑いながら煙を吐き出した。





 流風は、寝ようともしないし眠れもしないと言っていた。

『眠いのはわかってる。体がもう休ませてくれって叫んでるのもわかる。眠気もある。でも、目を閉じても落ちないんだ』

 光の灯らない瞳で流風がぼやいていた。
 それでも休ませないことには弱っていくばかりだ。せっかく生きるために家を出たのなら、まずは休むべきだろう。だから昨日は、無理矢理押さえつけて薬を溶かした水を飲ませたのだ。
 現場が近いから眠れないのかもしれない、とも思う。いやに何かを感じているのかもしれない。もしそうなら俺は言ってやりたいと思う。もうあそこには血痕以外何もないんだと。

「ただいま」

 離れの扉を開けて、中に入る。喫煙者がここに来た時だけ使っていた灰皿は玄関に置いてあったので、今日から喫煙者となる俺はその灰皿を手にした。
 一階で人のいる音がする。流風の部屋に充てたのは二階の大和の部屋のすぐ隣の部屋だ。ということは、目が覚めたのだろう。
 和の外観とは違い、部屋は基本的に洋風で、一階の空間は居間というよりはダイニングキッチンというのが正しい。足を向けてみれば、流風はキッチンにいた。
 テーブルにはコンビニの袋。朝コンビニに出かけて、パンを何種類かと飲み物と卵やら何やらを買っていたのを思い出した。俺一人が暮らしているうちは確実に使うことのなかったフライパンが音を立てている。

「おかえり。……どっか行ってたんだな」
「野暮用で。何、愛妻の朝食って感じかね、今朝は」
「何が愛妻だ、馬鹿」
 
 不機嫌そうに流風はハムエッグを二人分、更に盛り付けてテーブルへやって来た。ちょうどよくトースターの音がして、綺麗に焼けたトーストも用意されている。
 俺が自分でやるとこれだけのこともできないからな。まったく、家事ができる奴ってのは脳細胞がどうかなってんじゃないのか。
 灰皿をテーブルの端において、椅子に腰掛ける。

「家で食事っていうといつも和食だったからなー。新鮮だ」
「洋食って威張って言うほどのもんじゃないだろ。……多少は自分で作れるから、置いてもらうんだし、それくらいしないと」
「生活に差し障るなら衣食住は気にするな」
「障らない。……平気だよ、どうせ先生のとこいたときだって俺が作ってたんだ、変わんないって」

 流風はそう言ってトーストを齧った。
 昨日は何も食べようとしてなかったから、大した進歩だ。流石に生きる意志がある人間は食べなきゃやってられないらしい。

「睡眠は? 足りたか?」
「おかげさまで」
「礼言われると照れるからやめろよ」
「何がだ。手荒いんだよ、ヤマト」

 朝食を終えると、流風は後片付けに入った。新しい家事手伝い雇ったんじゃないんだからそこまで細かくやらなくていい、と言ったのに、お前がやったら皿が粉々になる、と返された。まあ確かに。家で食事するなら片付けはやってもらわないと俺の場合大惨事になる。
 洗い物をする流風を横目に、また例の煙草を一本取り出す。先生の近くにいて煙が嫌だってことはないだろうから特に断りは入れなかった。
 しゅ、というライターの音が聞こえたのか、流風が首だけをこちらに向けた。すぐにその眉間に皺がよる。

「未成年のくせに喫煙ですか」
「えー、成人って十五からだろ?」
「何時代の人間だよ、お前」

 洗い終わった皿を片付け、ため息交じりにこちらにやってきた流風は、この煙草が一体どんなものなのかすぐにわかったらしい。

「……どーした、流風?」
「……お前、わかっててやってんだろ……!」
「わからないでやるほど俺は馬鹿じゃない。わかるだろ、それくらい」

 煙草の香りが部屋に満ちていく。

「……お前がどんな顔するか見たかった。いっや、想像通り。……やっぱぞくぞくする」

 流風は、頭をぐしゃぐしゃに掻き毟って、そうしてしゃがみこんで蹲った。
 俺もしゃがんで、そんな流風と視線を合わせてやる。

「っ、すっげーいい奴だな、って、思ったのに……!」
「なんで? 俺いい奴だけど?」

 すごく、追い詰められている流風の表情は、少しずつ俺の感情を昂らせていく。流風のキャラメル色の髪を少し強めに撫でた。額と、俺を睨みつける凛とした瞳が見えた。
 予想外だった。
 てっきり泣くと思ったのに。せんせい、とでも叫んで泣くと思ったのに。

「……泣かないのな、お前。偉いよ」

 泣かねぇよ、と言い切る流風の声は掠れていて、今にも泣きそうで。
 俺はそんな流風のすぐ傍で、また煙を吐いた。




2008.03.26(Wed) | 未分類 | cm(0) | tb(0) |

あの青い薔薇は今日も咲く 3



 とある日を境に、陸はぱったりと姿を現さなくなった。
 単に部室に来ないだけかと思っていたが、たまにキャンパスで見かける千鶴がいつも一人でいるところを見る限り、そういうわけではないらしい。学校そのものにあまり顔を出していないようだ。
 仕事が忙しくなったのか、はたまたそのせいで体を壊したのか。妥当な理由をケレスは頭の中で列挙してみたが、どれもがそぐわない気がした。体を壊したなら千鶴が普通に学校に来るわけはないし、仕事が忙しくなっただけなら千鶴があんな表情をしている理由にならない。
 陸の不在についてどの可能性もが整合性を持たない理由は、千鶴の表情のせいだった。あそこまで陸に執着していた千鶴に今、表情がないのだ。それには誰もが気づいていた。校内一の美女が沈んでいる。そんなことわかっていても、誰が簡単に声を掛けられるだろう。
 二人の間に何があったかは知らないが、サークルの活動に顔を出さない以上はケレスとも関係の持ちようがない。会えなくなればそれまで。これで下手に授業をサボらされることも、変に感傷に浸る必要も、なくなった。
 そう、そりゃあ美人だったわけだし、男なら全く気にしないでいる方が無理という存在ではあった。付き合えば手のかかりそうな女だったし、考えてることはわからないし、わかりたくもないし、厄介そうだし、口も挟まず手も出さなかったのは傍に男がいたからだ。
 千鶴にも陸にも会わなくなって二週間ほどが経った頃、ケレスは彼女の存在をそう結論付けて、一応の蓋をした。
 


 携帯にメールが入ったのは、その日の夜だった。



「陸が、ね……」

 単純に言えば、陸が千鶴を捨てたということらしい。水城 陸という男は何を考えているかさっぱりわからないから、簡単にそう結論付けることもできないだろう。だが、そう思っているのは今の時点ではケレスだけであって、今ケレスの目の前でグラスを傾けている女は少しもそう思ってはいないのだ。
 
「……私何か悪いこと、したのかなぁ……?」

 しかしここまで究極的に居酒屋という場所が似合わない人間もいないだろう。千鶴くらいの年の女が居酒屋に来ることは少なからずあるだろうが、この女に限っては店の雰囲気や何から何まで全てが似合わない。
 つまるところ失恋話のついでにやけ酒に来たわけだ。ケレスは何故かそれに付き合わされている。普段なら居酒屋に来て酒を飲まない方が妙な話だが、こんな話に付き合うのにアルコールを摂る気にならなかった。何が悲しくて、多少気になっていたかもしれない女の失恋話とやけ酒に付き合わねばならないのか。千鶴のことだ、人選にも何か計算が入っているのかもしれない。

「……陸のことだ、お前が悪いとか悪くないとかとは違う次元なんだろうよ」

 それは事実だ。
 陸は他人に影響されることがない。いつまでもひとりで生きている感じのする人間だ。誰かに影響されることを許さないかのように。
 だから、千鶴の行動が悪くてこの結果があったわけではなく、おそらく陸の中では最初から決まっていたことなのだ。千鶴がどんなにいい恋人であろうとなかろうと、言ってしまえば相手が千鶴であろうとなかろうと。
 そんなことを説明して、何だそれじゃあ私は悪くないじゃない、と思えるほど失恋した女は強くないものだ。案の定千鶴はそれでは納得できずに、あらゆる可能性を列挙する。彼女としては初めての挫折なのだろう。
 一頻り彼女の話を聞いて、話がひと段落したところでケレスも切り出す。

「どうして俺なんだ」

 もっと他に男はいるだろう。今必要なのは特に慰め方の上手い男じゃないのか。間違っても自分は慰め上手ではないという自負がケレスにはある。だから、自分がここにいるのは全く妥当でない。

「えへへ、……優しそうだから?」
「馬鹿言うな」

 その優しそうな男とやらを好きになれないと1年前言い出したのはどの口か。
 
「だって、私は悪くないって言ってくれてる。違う?」

 陸には陸の理由があってこうしたのだ、ということは、千鶴には直接非はなかったのだ、と言っていることと同義だ。もちろん、さっきまで自分の悪かったかもしれない点を列挙していたところを考えても、そう言われて納得したわけではないだろうが、つまりはそう言ってくれる男がよかったわけか。 

「面と向かって“お前が悪かった”って言える奴の方が珍しい」
「わかってる。でもケレス君は、他の人と違うもの。私も悪くない、けど、陸君だって悪くない、って、そう言ってる」

 すっかり紅潮した顔で、いつもの凛とした表情ではなく、気の抜けきった笑顔を見せながら千鶴は言う。ケレスは烏龍茶の入ったグラスを傾けた。
 陸が悪くないと言っているのではない。千鶴が良い恋人だったかそうでなかったかとは違う次元だろうと言っただけだ。別にどちらを庇って言ったつもりもない。

「陸君はいつも勝手だから、あんまり付き合って遊んでくれる人とか多くないの。仕事も仕事だからね。私はいつも付き合わされてたけど、あとは本当に限られた人だけ。ケレス君も、その内のひとり」

 それは、単に陸が喋りやすい相手だったというだけだ。
 口調に気を遣わずに済むし、陸は先輩面をするということが一切無い。陸の方もおそらく似たような理由だったのだろう。普通の後輩相手じゃ気を遣われる。日本という国はそもそも年がひとつ違うだけで言葉遣いを気にするのだ。その上、陸はこの近くでは人気らしいし、普通の学生が相手では同い年でも態度を変えられてしまうことが少なくないのかもしれない。

「けどね、多分、陸君のことも私のことも今みたいに言ってくれるのはケレス君だけだと思うの」
「だから何だ」
「うん? ……ふふ、安心する」

 嘘くさい。
 緩く巻いた髪を揺らして、ふにゃりと首を傾げて千鶴は笑っていた。多分、酔っているのだろう。
 安心する、なんてどの口が言うのか。そこまで気分を害されたわけではないが、酒が入ると何でも言えるようになるのか、あるいはそこまで計算なのか。
 彼女は笑っていたが、それでもその後何杯か新しく酒をオーダーしていた。洗面所に向かうにも足がふらついていたのにまだ飲もうとするのでそこは流石に制止する。千鶴は不機嫌そうな顔をしていたが、それじゃあ帰れないだろうと言ってやると渋々納得したようだった。そもそも、今の時点で真っ直ぐ歩けるのかも怪しい。巷を賑わす人気モデルが電柱に凭れて酔いつぶれる、なんて三流雑誌の見出しになりかねない。
 とりあえず、もう少しは面倒を見ることになりそうだ。手のかかる女なのか、手をかけさせる方法を知っている女なのか判断は難しいところだが、どちらにしても厄介な女だ、とケレスは嘆息して思った。




2008.03.26(Wed) | Title | cm(0) | tb(0) |

ぼくのかみさま



 黒いスーツ姿の青年は、大きく息を吸った。
 丘の上だった。ひどく無機質な白い石達。それが生きていた誰かを表しているなんてにわかには信じがたい。この丘に眠る他の連中のことなんてどうだってよかったが、とにかく、青年の目当ての人物と白という色は簡単には結びつかないのだ。

「久々。思ったより早かったろ、俺来るの」

 青年は、にっと墓石に向かって笑って見せて、それなりに長い足で墓石を蹴った。
 死者への冒涜? そんなことは知ったことではない。なら生きている人間を馬鹿にすることは許されるというのか。勝手に死にやがって、この野郎。

「……ちゃんと俺来たからな、一年くらいあんたいなくてもどーにかなったっての! はッ、寧ろいちいち煩い小言挟んでくる奴いなくなってせいせいしてた!」

 そう、取り合えずどうにかはなった。汚いノートはもっと汚くなるまで見直した。取りこぼしなどひとつもないように。取りこぼしてたまるかと思っていた。これまで以上のことは教わることができない。これまで以上のことは自分で学ばなければ。それなら、せめて教わっていたはずのところは完璧でいないと話にならない。
 単身渡米して、本当はすぐにでも墓参りに行きたかったが、それもどうにか踏み止まった。勝手にくたばったような人間に、教師と生徒なんて距離を与えたくなかった。違うのは年齢だけで、ここにいるからは対等な立場でありたいと思った。

「……もう俺も卒業だよ、先月論文提出した。……肩書きならあんたと一緒だぜ、俺。ざまあみろ、あんたいなくてもここまで漕ぎつけたんだ」

 手には花束と、論文のコピーがある。
 同じ肩書きを手にしたというのに、この無気力感は何なのだろう。人一倍努力してここまで来たはずだった。努力だけなら地球上の他の誰にも負けない絶対の自信がある。すべては今日のため。対等な立場に立ちたかったから。
 なのに、ダメだった。
 時が止まっている。
 自分と相手との間の時間は、彼を失ったその時に止まったままで、永遠に自分は生徒のままなのだと青年は痛いほど自覚した。どんなに頑張ったって、生徒止まりだ。

「……っ、何なんだよ、俺と同じ立場になるのがそんなに嫌なのかよ……!」

 あの日にこれでもかというほど涙は流した。それから何年も涙腺を緩ませることなど自分が許さなかった。
 ダメだ、とまた青年は思う。
 あの日がまた蘇ってきたみたいだ。わけがわからなくて、ただ心に穴が空いたみたいで、どうしてかわからなくて、頭の中がぐちゃぐちゃで、瞳からは馬鹿みたいに涙ばっかり溢れてきて。

「日本にいる間はっ、あんたと同じ煙草の匂いするともう気がおかしくなりそうだったし、っ、もう何年も、何年もずっとあんたの字ばっか見てたから、だから、筆記体の字とか、っ、あんたそっくりに、なってるし……! あんたみたいな汚い字とか御免なんだよ、ざけんなよ、マジで……!!」

 文句ばかりが溢れてくる。
 文句を言えば言うほど、どれだけ彼の存在が自分の心の内を占めていたのか、嫌というほど思い知らされることがわかっていても、溢れる言葉を止めることはできなかった。
 本当に言いたいことはそんなことなんかじゃないということも、分かっていた。素直に気持ちを言えないのは、やっぱりあの頃から少しも成長できていないからだ。
 誰もいない丘の上で、この土地の言葉ではない言語で墓石に向かって何年も溜め込んでいた気持ちを吐露していく。やっと言えた言葉だってある。寂しいのは、反応が少しも返ってこないことだ。
 青年は腕時計を見た。そろそろ戻る時間だ。
 ひとつ舌打ちをして、持っていた白い花束と論文のコピーを乱暴に投げつけた。

「折角持ってきたんだからちゃんと読めよな! あと、白とか似合わねぇんだよ、ばぁか」

 ならどうして白なんて選んでしまったのか。彼が死んだ事を、この数年間一番認めたくなくて、けれど一番身にしみて実感していたからだろう。
 慣れたくなんてなかったのに、慣れてしまった。だからここに来て余計に会いたいと思ってしまう。恥ずかしいくらいに会いたいと泣き叫んだ、あの日を鮮明に思い出す。
 青年は踵を返して、ゆっくり墓石から離れていく。
 本当は何を言いに来たのか、ちゃんとわかっている。今言わないと、今度ここに来れるのはいつになるかわからないし、聞いてくれないような気もする。
 青年は足を止めた。
 ただ、言ったら最後のような気もした。対等になりたくてここまで来たのに、埋められない絶対的な距離を認めてしまう。認めたくない、けど、言わないままじゃ心が痛い。
 それから、結局、振り返ることにした。墓石に顔を向ける。
 また、大きく息を吸う。

「……ぁ、」

 声が掠れる。
 ぐっと拳に力を入れた。 

「……っ、ありがとう、ございました……!!」

 つまりは、ただ、最初から、それだけが言いたかった。
 何に対する感謝かなんて、言い出したらキリがない。あの頃の青年が、とにかくいろんな意味で彼を好きなのだと自覚したように、それと同じように、本当にたくさんの意味で。

「俺を生かしてくれて、……っ、本当に、ありがと、う、ございます……!!」

 最後は涙なんか見せないで、カッコよく背中見せて帰ろうと思っていた青年の目論見は失敗に終わる。青年を生かした彼はもうずっと前に死んでいる。そんな単純な事実が、青年の膝を折らせ、スーツの袖を濡らさせた。




2008.03.25(Tue) | Title | cm(0) | tb(0) |

ヒーローになれない



 うちに来てすぐ、俺は疲れ切った顔の流風に、言った。

「お前が一番分かってると思うけど、お前にはもうお前自身しか残ってない。死にたくはないからここにいるんだろ? 俺はお前を生かすよ。お前が生きるために必要な最大限のバックアップをする。ただ、生きた人間として主体性を持った行動をしろ。それができなきゃ俺はお前を生かすだけ生かして駒として飼い殺してやる」

 自分の力で動けない奴は単なる駒だ。
 俺はずっとそう思って生きてきたし、これからもずっとそう思って生きていく。

「俺は、お前の親父さんが思うみたいにお前のこと応援してるわけじゃない。死んだ人間は死んだ人間だ。死んだ人間の残したものに振り回されて生きるだけがお前のこれからじゃないと思ってる。だからって全部否定してるんじゃない。お前が正しいと思ってその道を行くなら、それが正しいんだろう。……先生はお前にいろいろくれただろうと思うけど、それがあるからって義務的に動くんじゃない。残してくれたものがあるから、だから留学しなきゃいけないって思い込むな。そんなのは駒だけで十分だ」

 多分ものすごく好きだっただろう先生を亡くして、家族とも離されて、初めて流風を心の底から可哀想だと思った。そうじゃなきゃここまでのことを言ったりしない。自分父親かよ、と思えるくらいの台詞だったと思う。
 流風は、掠れた声で「ありがとう」と言った。涙も枯れたその表情は、ただ痛々しいだけだった。



『流風はんやったらすぐリストカットやら何やらに走ると思うたんやけどなぁ』
「ははっ、後追って死ぬとかどんなカンケイだよ」
『や、流風はんならやりかねないっ』
「そりゃ確かにな。でも死なせないぜー、俺」
『おおっ、ここで未亡人を狙うライバル出現どすな!?』
「あんな面白いモン連れてかれてたまるかっての」

 流石に離れで通話するのは気が引けて、だだっ広い庭に出て都筑と話した。
 勉強するなら離れをまるごと貸す、と俺は流風に申し出たが、流風はそれを断った。いつも通りでいいんだ、と言っていた。俺からまだいつも通りを奪うのかよ、と笑っていたが、それは心からの言葉だったろうと思う。
 先生が誰かに殺されて、その日のうちに流風が家を出た。それも親父さんに連れられて。細かいことはわからなくても、先生が殺されたことと何かの因果関係がそこにあるんだろう。そして、そのまま家にいたら流風は遠くない未来死んでいる。

『珍しい。いつも流風はんに対してはもっと辛辣やのに』
「あ? あー、そうだな、俺結構流風のこと気に入ってんの。だからだな」
『俺以上に気に入ってるなんていくら流風はんといえど許せへんわっ』
「安心しろ、お前とはベクトルが全然違う」

 流風は、友達というよりは手のかかる弟みたいな存在であり、弟というよりは子供のような存在だった。いちいち手がかかって、いちいち言わないとわからなくて、からかえばすぐ真に受ける。自分に子供ができたらこんな気分になるのかもしれない。
 そんな風に気に入っているからこそ、死者に振り回されてほしくない。単なる駒に成り下がってほしくない。本当はあんなこと、言わなくたってわかってほしいのだけれど、あの状態の流風には言わないで察してくれと言っても無駄だったろう。
 自分で動け。自分で生きろ。何かに命令されて動くんじゃない。自分で、生きろ。

『ほほう、じゃああの先生も気に食わんかったと?』
「あの先生は別格だろ、仕方ない。まあ勝手に死んだのは頂けないけどな。いっぺん喧嘩してみたかっただけ惜しいよ」
『なるほど』
「ま、明日も休校だろ? 取り合えず嫌がらせみたいに豪勢な花束でも作って手向けるとするよ」
 
 そんなやり取りをして、通話を切った。
 ここまでの本音を吐露することなんて、後にも先にもきっと今日だけだ。
 今日は俺も少し、調子が悪いらしい。

「……疲れたな、今日は」

 取り合えずは、戻って流風を休ませるか。
 生ぬるい風が吹く中、砂利を踏んで踵を返した。




2008.03.24(Mon) | Title | cm(0) | tb(0) |

あの青い薔薇は今日も咲く 2


『すごく綺麗な色。少しくすんでるくらいがいいね』
 
 そう彼女が言ったのは、入部が発覚して1ヶ月も経たない頃だったか。

『くすんでるのは綺麗って言わねぇよ』

 だからそう返した。梳かさせてね、と一言告げてから彼女は自分のブラシでケレスの髪を梳いた。ちゃんと梳かさないと髪ひっかかるよ、と言いながら。

『この世界に完璧に綺麗なものなんて存在しないもの』


(ならお前の装ってるそれは、)


 そこで目が覚めた。




 彼女をそれほど意識しているつもりはなかったが、こうして夢に見ていることを思えば、やはりそれなりに意識しているということなのだろう。
 いつ頃からか。記憶していても意味の無いことはすぐに頭から追い出してしまうケレスにとってはそれを紐解くのは厄介なことだった。そんなこと、しても意味が無い。結局彼女にとって自分はエキストラでさえない存在だ。
 一人暮らしの部屋で、ベッドから起き上がるとキッチンの流しで顔を洗う。そこで思い出した。 
 去年、夏休みの始まる直前。体育館のコートで一応サークルのメイン活動であるバスケを申し訳程度に練習して、シャワーを浴びて、タオルを肩に掛けて、部室に戻って荷物を取って帰ろうかという時だった。

『私、ケレス君ってあんまり好きになれないの』

 聞きなれた声だった。
 ほんの数ヶ月前、ケレスのすぐ近くで、この髪に触れて、すごく綺麗な色、と言った、あの声。

『何で。いい奴じゃん。バスケできるし、それなりに賢いし、無愛想だけど喋らないわけじゃないし』

 すぐ後に聞こえてきたのは陸の声。
 部室には今この2人しかいないということか。

『だって何か、目つきとか鋭くて、それに、』

 それに、の後にとても重要なことを言われる気がして、らしくもなく少し緊張した。
 それに? と聞き返す陸の声の後、千鶴の声が聞こえた。

『陸君のこと、陸、って、呼ぶから』

 ぱしゃん、と水で顔を打って、過去へ遡る思考を止めた。 
 そうだ、そこからだ。
 どんな重大な台詞が待ち受けているのかと思えば、呼び捨てにするから好きになれない、そうあの女は言ったのだ。大した計算だと思う。
 外面は限りなく良くしておく。ただ、心を許しておくべき相手に限っては素を晒して甘えてみる。ただし、相手が不快にならない程度に、だ。容姿も何もかも完璧な女に「あなたのことを呼び捨てにするから」なんて理由を持ち出されて、不快に思う男が果たしているだろうか。とんでもなく完璧な計算だ。
 彼女の容姿も、甘い香りも、声も、きっと最初から気になるものではあっただろうけれど、特別念頭に置くようになったのは、そこからだ。それまでは単なるプラス要素でしかなかった彼女をとりまくあらゆる環境が、すべて計算の上でそこに存在するものなのではないかと疑えるようになった。
 水滴が頬から顎を伝ってぽたぽたとシンクに落ちていく。手近なタオルで乱暴に顔を拭いて、気持ちを切り替える。今日から新学期だ。ひとつ学年を経るからといってそこまで劇的な変化があるわけではないだろうが、とにかく。
 それに、どんなに考えたって意味の無いことなのだ。彼女の中の登場人物は、彼女自身と、あの男しかいない。彼女は、あの男に所有されるためにあれだけの完璧を装っているのだから。




「ケレス! おはよう、進級できたんだな」
「そういうお前は。俺と同学年か?」
「まっさか! これからも先輩を敬う気持ちを忘れるなよ」
「生憎とそんな気持ちは一度も持った覚えが無いな」

 学部が違うから、陸がちゃんと授業に出席していたかどうかを確かめる術はないのだが、陸はいつも自らサボっていることを公言していたし、その真偽については千鶴の小言が立証している。ケレスの知る限り、去年陸が授業にしっかり出たらしいという話を聞いたのはほんの数回だ。 

「それに俺が留年なんてないない。言っとくけど俺、1年の頃からフル単だし」
「法学部の教授連中の目は節穴なんだな」
「うわー、そういうこと言う。教授陣のアドレスに匿名でタレコミしておくか」
「そういう要らんことに知恵を回すなっ」

 子供っぽい男だ。
 でも、だからこそ腹の内で何を思っているのか読めない。
 あの時、食堂で見せたあの意味の分からない表情とのギャップが、更に水城 陸という男をわからなくさせる。

「じゃあ俺仕事だから今日は早々と帰るわ」
「おいお前、千鶴は」
「捕まるとまた履修だなんだって話長くなっちゃうからさ。俺の履修お前組んでいいよ」
「てめぇの履修くらいてめぇで組みやがれ!」
「きゃー、金髪悪人面さんこわーい! や、どんな履修でも取りあえず単位取る自信はある! 根拠はないけどな!」

 陸はそんな台詞を残すと、じゃ! と片手を上げて走り去って行った。
 他人の履修云々はこちらには関係のないことだ。学部だって違うのだから、組んでいいよと軽く言われたところで手出しのしようがない。
 春は勧誘の季節だ。一応部室に顔でも出して、自分も帰ってしまおうとケレスが振り返ると、図ったかのようにそこには千鶴が立っていた。

「陸君、帰っちゃった?」
「今しがたな」
「もう、勝手なんだから」

 薄いモカベージュのワンピースに、白い大判のストール。高いヒールの白いミュール。肩で息をしているわけではなかったが、足元が不安定にかたかた揺れているのは、高いヒールで歩き回っていたからか。
 ここでは何をするのが最善なのか。陸はもう帰ったのだからと話を終わらせて帰るべきなのか。疲れているだろう彼女を近くで休ませて愚痴のひとつも聞いてやるべきなのか。きっと後者が相応しいということはわかる。でも、『彼女』に対しては何が正解なのか分からない。他の女なら、それじゃ歩きづらいだろう、とでも言って手を引いてやれば済むところだ。
 ケレスはひとつ、舌打ちをする。

「……面倒くせぇ」
「え?」

 そして、分かっていたことだが彼女は耳ざとくて、完璧で、――特別視しても意味の無い存在だ。
 きょとんとした瞳でケレスを見る千鶴の手を引いて歩く。ちょうど昼時だ、どこかで休むにはちょうどいいだろう。
 特別視する必要のない女だから、だから普通の女と同じ扱いをした。自分の行動に対して納得しているのはおそらくケレスだけで、周囲の目は納得できてはいないようだ。千鶴は校内でももちろんトップクラスの美人だし、恋人の存在も広く知れている。そんな女相手に手を取って歩くなんて正気の沙汰ではないと誰もが思っているのだろう。

「お昼、奢ってくれるの?」

 それなのに、千鶴は嫌がろうともせず、笑ってケレスにそう声をかけた。

「稼いでんだろ。集ってんじゃねぇ」
「そうよね。じゃあ私が払おうか」

 計算高くて、完璧で、その上狡猾だ。
 簡単に人の逃げ道を塞いでくる。

「……本当に面倒だな」

 それは彼女に向けられた言葉なのか、それとも自分に向けた言葉なのか。
 千鶴の手を引きながら、その根本的問題からは目を逸らすことにした。


2008.03.23(Sun) | Title | cm(0) | tb(0) |

あの青い薔薇は今日も咲く 1


「珍しいよな、この時間食堂でお前と会うなんて」
「2限が休講になったから少し早めただけだ」
「なるほどね。俺はサボり」
「言われなくても分かる」
「分かられてたまるか! 俺は毎日毎日日本のメディアに貢献してやってんだよ、その傍らで学生生活なんて泣かせるよなあ、俺!」

 突然やってきた男、水城 陸はランチの載せられたトレーをケレスの前の席に置き、対面する形で腰掛けた。一応先輩ではあるのだが、子供っぽさといい人間性といいあまり年上という感じがしないのが事実。タメ口をきいても一切怒らないというのもあるだろう。ケレスはこの国の人間ではないから、相手が年上だからといってわざわざ言葉を手直しすることに慣れていない。だからそういう風に、タメ口を気にしない、というスタンスを取る先輩がいることはそれなりに助かることだった。仮に陸がそういう態度を取っていなかったとして、ちゃんと敬語を使ったかどうかは怪しいが。

「千鶴は?」
「ちぃはノート取ってくれてるから。俺のために」
「恋人使い荒すぎだろ」
「愛が溢れてると言ってくれ」

 陸の恋人である相川 千鶴は陸と同じ法学部で、講義をサボりがちな恋人のためにノートをしっかり取ってくれているという。当の陸はあまり気にしていないようだからこの男の図太さは大したものだと思いつつ、その男に使われるだけ使われている千鶴の我慢強さも評価するべき点だと感じていた。

「なあ、3限の間バスケするから付き合えよ」
「昼休みは」
「どうして休み時間にわざわざ遊ばなきゃならないのか教えて欲しいなー」
「授業が入ってる」
「お前賢いんだから平気だろ、多少サボっても」

 それをこれまで何度繰り返したことか。入学してすぐに何の前触れもなく部室へ拉致され、昼食だ飲み会だに強制参加させられているうちに気がつけば名簿に名を連ねていた。しばらくしてからその事実に気づいたケレスに、「なんだ、お前入部してたの」と言い放った陸の表情は、事態を引き起こした張本人のくせにやたらとあっけらかんとしたもので、もちろん殺意が湧いた。
 そんなこんなでもう1年も終わろうとしている。あとはテストを受けて勝手に進級するのを待つだけだ。
 後輩をサボらせようと躍起になっている陸の後ろに立つ影。ケレスからはその姿が確認できるため、小さくため息をついた。

「陸君? 仕事あるから休むんだって言ってたよね……?」
「そう、5時から仕事だからさ! だから今のうちに休養取っておかないと!」
「休養は休み時間に取るの! 授業サボっていいことにはならないんだから! もうっ」

 大学のロゴが入ったパールピンクのクラッチバッグを手にした千鶴だった。不機嫌そうな顔で、陸と対面するためにケレスの隣に腰掛ける。
 瞬間漂う、ふわりとした甘い香り。これを快く思わない男はきっといないだろう、と計算された香りに思えてならない。
 相川 千鶴。顔よし、性格よし、頭よしで正に才色兼備。人気モデルなんて仕事をしていながら学校にもきちんと通い、バスケサークルにも入ってマネージャーの業務をこなしている。プライベートでは同じく人気モデルの水城 陸と交際中、どのトピックスを取っても完璧だ。彼女は、『完璧』で構成されている。
 大抵こういった女には完璧とは縁遠いような欠点があったりするものなのだが、今のところ千鶴からはそういったボロは似合わない。正に完璧。欠点があるとすれば、欠点だらけの美男と付き合っていることか。
 んな苦労してるならとっとと別れりゃいいのに。
 そう思わないこともない。ケレスと彼女とでは『完璧』の捉え方が違うのだろう。苦労の無い付き合いをすることが完璧の要素なのではなく、ダメな男に甲斐甲斐しく世話を焼く女でいることが彼女なりの完璧なのだ。
 それなら、彼女は自分になど一切用はないだろう。自分の恋人を取り巻く一人の人間というだけだ。
 ふ、と自嘲気味に笑うと、その小さな音にも千鶴は気づいたらしい。耳ざといのだ。

「? どうしたの、ケレス君?」

 そもそも、だ。
 こんなことを考えていることそれ自体が自分らしくない。
 別に、と素っ気無く返事をすると、千鶴は少し機嫌を損ねたようだった。

「ちゃんと言ってくれなきゃわかんないんだから! それと、陸君に頼まれたからって授業サボっちゃダメだからね?」
「それは分かってる」
「ちぇー、なら夜飲みに行こうぜー」

 お前は仕事だろ、と釘を刺してやると、最近ちょっと減らしたから平気、今日は早く上がるし。と能天気な返事。流石にあんなのが夜毎日入ってたら遊ぶどころか部屋から出らんない、と陸は笑っていた。ケレスには縁遠い職業のために実感はあまり持てないが、写真を取られるだけというのも相当ハードな仕事のようだ。
 夜なら特に用事もないから、と返事をしようと思って陸を見たが、陸がいつもとは全く違う表情をしていたので声を掛けられず、視線を千鶴に移す。何か面倒なものを見るような陸の表情。そんな表情はこれまでの水城 陸には有り得ないもので、特に限定するなら、千鶴と一緒にいるときの陸にそんな表情は無用のもののはずだった。

「仕事、また、減らしたんだ?」
「ん、キツいからさ」
「こうして学校来れてるのに?」
「仕事より学校の方が大事だろ」
「そんなことない!!」

 ヒステリックな叫び。陸は視線を横に流し、ケレスは目を細めた。
 ランチのトレーに乗る食事がどんどん冷めていくのがわかっていても、ケレスも、陸も手をつけようとしなかった。千鶴の空気が、何も許してはいなかった。

「そんなこと、ない、でしょ……!!」
「いや、学校の方が大事だよ。でも金は要るからさ、ちょっと減らしただけ」

 さらりと言ってのける陸の声音に感情は乗っていない。それが千鶴にもわかるのだろう。唇を噛み締めてじっと陸を見据えていた。
 きっと、彼女の視界に自分はまるで映っていないのだろう。彼女の視界には、彼女が許した登場人物しか現れることを許されない。
 別に、とケレスは思う。
 別に、主役になりたいわけではない。そんなキャラではないことも自分でよく理解している。ただ、彼女の中ではエキストラでさえないのだとわかったのだ。彼女の中には常に主要人物しか登場しない。必要ないものを映すスペースなど割けないほど、彼女の視界は、心は、とてつもなく狭い。

(どこが完璧だ。欠点ばっかりじゃねぇか)




2008.03.23(Sun) | Title | cm(0) | tb(0) |

まだ駄目まだ駄目一体何時に成れば君は救われるのですか


 流風を学校の裏の芹沢邸に車で送り届けた。流風は玄関から出さず、わざわざ窓から外へ下ろす強行手段をとった。我ながら無茶苦茶だとは思うが、正面突破で玄関を出れば絶対ちぃは泣いて止めるだろう。流石に愛する妻をぶん殴って制止するのは気が引けたのだ。
 芹沢家の大和君は何度かうちにも遊びに来てくれていて、俺も顔を覚えていた。彼は察しがいい。あとは心配要らないですよ、と大人びた笑みを見せてくれた。腹の内がわからない子ではあるし、年相応でない気はしたけれど、流風のことなら何だってわかってくれそうだ。俺は安心して流風を預けた。残りの荷物はすぐ送る、それだけ言い残して。
 そして今、一気に静かになったリビングで、俺はちぃと対峙している。帰ってきたとき、ちぃは泣いていた。流風をどこにやったの、流風を返して、と泣いていた。

「ねえ、ちぃ。俺の目、節穴だとでも思ってた? 何年この仕事やって、何年君と暮らしたと思ってんの? 朝帰ってきて、全部様子がおかしいことくらいわかる」

 俺も見くびられたもんだ。
 ちぃは泣いたまま顔を上げようとしない。
 流風をこの状況にしたのも、ちぃをこういう女にしてしまったのも、全部俺だ。俺がもう少し器用だったら。俺がもう少し優しい言葉をかけられる余裕を持った人間だったら。俺があの時ちぃを拒絶したばっかりに、ちぃは何でも疑ってかかるようになってしまった。裏切られるのが怖い、失いたくないと強く思う人間にしてしまった。俺が彼女にトラウマを与えた。それはきっと、今こうして流風を失ったことで今後一生癒えることはない傷になるんだろう。

「……犯人は見つかってないよ。分かってるのは俺の勘だけだ。バカな教師が一人謎の死を遂げた、って、外向きにはそれだけの話」
「……何の話をしたいの?」

 ようやくちぃが言葉を返した。
 俺が別に自首を促したいとかそういうわけでないことに気づいたらしい。

「許せるわけないじゃない!! 今までずっと可愛がって育ててきた子供が、一人暮らししたいとか、そういうならまだしも、アメリカなんて、っ」
「うん、そうだよな。俺も嫌だ」
「嘘つき!! 貴方だって同じだったじゃない、私のことなんか考えもしないで、ひとりで全部決めて、ここに心配してる人がいるのに、なのに拒絶するの、貴方も流風も一緒よ……!」

 そう言ってちぃはまた泣き始めた。
 俺は一呼吸置いて、口を開く。

「……なあ、ちぃ。俺があの時君と縁切って、何しようとしてたか知ってる?」
「……試験、受けるために、勉強、してたんでしょ……? ご両親みたいな犠牲者、出さないように」
「そうなんだよな。誰かに縋ったら負けだった。ひとりで突っ走らなきゃ絶対届かないと思った。でも、おかげさまで俺は高校時代からずっと一人だった。だから全部終わってからわかったんだよ、やっぱり誰かと一緒にいたい。俺だって家族が欲しい。何があっても俺といようとしてくれた、君といたいと思った」

 ただ、ずっとおかしかったことがあった。
 俺は確かにこの女と結婚して、家族になろうとしたのに、そう思ってたのに。

「それなのに、変だよな。俺にとっての最初の家族は流風なんだよ」
「……何、それ、私は違うってこと?」
「ちぃ、俺はね、家族が欲しかったんだ。女とガキが欲しいんじゃなくてね、奥さんと子供が欲しかったんだよ。君は俺にとってずっと恋人のポジションで、きっと君にとってもそうなんだと思う。これはもう仕方ない。ずっと恋人みたいな夫婦、それもいいだろう。……でも、流風は何があっても俺と君の子供なんだ。俺はずっとそう思ってきた、でも君はそうじゃない。流風は俺と同じ細胞したクローンじゃないし、ましてや君の男なんかじゃ絶対ない。だから、俺を束縛することは許せても流風を縛り付けることだけは父親として許せない」

 ちぃは目尻に残る涙を拭って、今度こそ顔を上げた。
 もう開き直ったような表情だった。背筋がぞくりとするほど美しい。命を生み出す身でありながら誰かを殺めた女ってのはこんなに綺麗なもんなのか。かなり変態くさいな、俺。

「……誰のせいだと思ってるの?」
「俺のせい」
「それで、警察に突き出すつもり?」
「違うよ。俺だって簡単にこの仕事から離れたくないし」
「なら何? ……こんな女はもう御免? 離婚でもする? それで後腐れなくなった後私を警察に突き出す?」

 何てことを言う女だ。俺は鼻で笑って、まさか、と返した。

「俺は、外面ばっかり完璧に綺麗で、中はどろどろで汚い君が好きなんだよ。俺と一緒にいたいくせに、外面気にして泣き落とすなんてこともしなかった、打算ばっかで本当にどうしようもない君が好きなんだ。他の何を譲れても、君だけは例え流風にだって譲れないね。ここまで末期的に好きじゃなきゃ君みたいな女と結婚しようなんて思えないよ。君だってそうだ。結局、流風に俺を重ねて夢見てただけだろ? そんな血塗れの体になっても、君は俺を愛してる。どうしようもないね、君は」

 俺の言葉に、ちぃはくすくすと笑みを零した。

「そうね、そうよ、多分。今でもそう。流風がいなくなって、貴方が離れていったあの時みたいに心が千切れそうだもの」
「こうなるならやらなきゃよかった?」
「それは少しも思わない。……あの先生が生きていたら、きっと何もかも奪われた。あの人の何がいいのか少しも分からないけど、でもきっとあの人は私達からあの子を全部根こそぎ持っていく」
「なるほど、ね」

 でもさ、ちぃ。知ってるか?
 それは、俺たちよりずっと長く深く流風の中にあの人の存在があったからなんだ。
 俺たちが仕事で家を空けている間、流風がずっと見つめ続けたものだったから。
 そんなこと、君は知ったこっちゃないんだろうな。

「ほんと、君はどうしようもないな」

 目の前にいるのは人をひとり殺めた人間だ。なのに俺はどうしても愛おしく思ってしまう。俺を愛するが故に走った短絡的な行動を、何てことを、と思いつつも、憎めない。金髪の彼には本当に申し訳ないけれど、俺だってどうしようもない人間なのだ。だからせめて流風は、どうしようもない人生を送らないで欲しい。そう願うばかりだった。


2008.03.22(Sat) | Title | cm(0) | tb(0) |

残ったのはいらない希望



 玄関で靴を履きながら、「せんせー」と俺は声を掛ける。
 少し不機嫌そうな「あ?」という疑問符付きの一文字が返ってくるのと同時に靴を履き終え、俺は顔を上げてせんせーと視線を合わせた。

「言っときたいんだけどさ」

 言わないと気分が悪いから。
 こんな気持ちなの俺だけだってわかってるけど、でも言っておかないと、この先気持ち悪いから。

「俺、せんせーのこと好きだわ、やっぱ」

 それ以上は付け足さなかった。もっと言いようはあったのかもしれない。
 だって、今わかる範囲では決して変な意味ではないのだ。
 多分、先生として好きなんだろうし、少し年の離れた兄を見ているような気分でも好きなんだろうし、人として同性として憧れている部分もあるのかもしれない。断定できるのは漠然と自分がこの人間を好ましく思っているということだけで、細かいところは全部憶測。もしかしたら、恋愛感情であるかもしれない(流石にそれは自分でも否定したいけど)。これだけ好きだと思ってるのに、何か人間性は気に入らないとこばっかってのが変な話なんだけど。
 せんせーは、「そうか」とだけ返した。それで十分だった。






 そんなやり取りは数ヶ月前のことだ。
 今となってはどうでもいいことで、第一、当のお相手は亡くなったらしいと突然の報せが入った。奴はアメリカ人だから葬式だとか全部向こうでやるとかで、つまり、もう会うことは永遠に叶わなくなったということ。
 俺のことを心配して、朝から慎吾やヤマトが来てくれたけど、「ありがとう」「心配かけてごめんな」「俺は平気だから」なんて、そんな言葉を易々と吐き出せるほど俺は強くできていない。なあ、それはあんただってよく分かってるところだろ?
 連絡があってから部屋に閉じこもって、今日がエイプリル・フールでないことを何度も何度も確認して、声が聞きたくて何度もせんせーの携帯に電話をかけてみた。何度鳴らせど出てこないというその事実が、舞いこんで来た報せが本当のことなのだと俺に実感させる。流風、可哀想に。ちーちゃんはそう言って俺を抱き締めて慰めた。ちーちゃんの腕の中で、事実を整理しきれなくて、そうだよな、俺って可哀想だ。ぼんやりとそう思った。
 何でこうなったんだよ、あんた何かやらかしたのかよ、殺されるなんて、いくら人相悪いからって行きすぎだろ? 何があったのか俺に教えてくれよ、畜生。散々自分の部屋を荒らして、涙なんか出てこなくて、綺麗だった部屋をどんなにぐちゃぐちゃに荒らしても、俺とせんせーの間に残ったのは何冊もの汚いノートだけだった。


 こんなんじゃもう、勉強なんかできる訳、ない。


 何のために勉強してたんだよ、あんた見返したかったからだろ? 本人いないのにどうしろってんだよ。人間性なら既に俺の方が数倍勝ってる自信あるしさ?
 先の尖ったシャーペンで何度も何度も手の甲を刺す。痛みが、刺す痛みが、ここは現実なんだと教えてくれる。どうして俺はこんなに自分を傷つけたいんだろう。どうして、少しでも死にたいと思ってしまうんだろう。俺とあんたの間にはもうノートしか残ってないって、たったそれだけの関係だったんだって今さっき確認したばっかりじゃないか。
 何度も何度も、飽きるまで手の甲を刺して、飽きたら今度は手首に。段々血が滲んできても気にならなかった。太い血管を突き破って、血を撒き散らして俺だって死ねばいいと思った。

「流風」

 しばらくすると、この散らかった部屋に父親が足を踏み入れた。この状況なのに奴が微笑んでいるのは、何か真面目な話がある証拠だろう。俺は拒絶することなく、父さんが近寄ってくるのを待った。

「死にたい?」
「…………」
「可哀想に、そりゃそうだよな、死にたいと思うに足る理由が見当たらないんだもんな。でも、今までの師弟関係ってだけで十分そう思っていいと思う。それは仕方ない。だから俺は、今ここでお前が死んだってそれは今日の流れからどうしようもないことだと思えるよ」
「………そんなに、俺に死んで欲しいわけ?」
「そんな親がどこにいるんだよ。ただ、このままだと流風には死ぬしか選択肢がないみたいだ。ひとつ違う道を持ってきたよ」

 父さんは封筒を持っていた。
 それを俺の手元に置く。
 俺は黙って封を切った。

「ちょっと職権濫用して学校に連絡取り付けた。あの先生のことだからなあ、と思ってたんだけど、案の定。これで、あと残り二人が連続殺人とかされなければ、お前のこれからの道はきちんと整ってるよ」
「………っは、何コレ、……バカじゃねぇの? まだ夏なんですけど。………バカだろあの男こんなもん用意しやがって!! こんなの、あったって、」

 尚更行けるわけがない。
 自分が死ぬなんてこと、予知していたわけではないだろう。だからってとんでもないバカだ。俺のこれからをちゃんと用意しているみたいに、そんな風にいなくなるなんて、バカ以外にどうやってあんたを形容したらいいんだろう。こんなものいらないのに。究極的には、あんたがそこにいてくれるだけで、俺はきっと満足だったのに。

「……流風、でかい声出さないで聞いて」
「なに、を、」
「お前の先生を殺した犯人の話をしよう」
「見つからないんだろ、目撃証言も証拠も何もないから!!」

 父さんは、俺の頭をぐっと自分の胸に押し付けて、ぼそりと呟いた。

「……俺はね、流風。やったのはちぃじゃないかと思ってるんだ」
「……何、言って、」
「確かに目撃証言も、証拠もないよ。でもあんな辺鄙な場所だ、ちゃんと捕まえようと思えば捕まらないわけがない。どこかで潰されたかなと思う。学校の近くってでかい土地持ってる人が多いだろ? だから無差別っていうのもあんまり考えられない気がするんだ。そう考えると、凶器が門の近くの池で見つかったってのも、ねえ。確かに犯人がそこに捨てたのかもしれないけど、捨てるより持って逃げる方が確実だし、捨てるにしたって他に場所なんていくらでもある。とにかく、単に殺されたにしては変なんだよ、流風」

 この意味分かるか? 父さんは声に出さないけどそう聞いている。
 
「……分かりたく、ない」
「俺も分かりたくない。バカだなあと思うよ、あの先生」

 そうじゃない。それだけじゃない。
 もし今の話が本当なら、あんたを殺したのは俺じゃないか。ああそうだ、だって反対された。ちーちゃんに留学の話をして、ちーちゃんはすごく反対して、でも俺は「あんたには関係ない」なんて言って押し切ったんだ。もしあれが原因なんだとしたら、俺がもうちょっと粘ってちゃんと話つけてたら、もしかしたら、あんたは。なのに、あんたは、

「俺の、ために、わざわざ、捨てたってのかよ、凶器、を」
「言ったけど、証拠とか全然ないから俺の憶測だよ。でも俺の勘だとそうだし、……血の匂いがする。まあ、俺も失職しない分ありがたいとは思うけどさ」
「なんだよ、……どうしろってんだよ、俺に……!!」
 
 こんな道、残されても迷惑だ。もう勉強なんてできない。こんなもの用意されても、悪いけど応えられるほど俺強くない。わかってんだろ、俺がどんだけ弱いかわかってんだろあんただって!! なのにどうしてわざわざ俺のこと追い込むんだよ、こんなの困るんだよ!!

「流風、こんな家出て行け」
「……は? 何言ってんだよ」
「その書類見て、今の話を聞いたお前は死ぬことなんてできないはずだ。なら生きるしかない。でもここにいちゃダメだ。これだけのことを分かってる俺が、お前を生きたまま殺すわけにはいかないんだよ」

 確かに、ここまで知って、それでも俺が自殺なんてしたら、死んでもあんたには会えない自信がある。父さんは、俺がもう少し器用だったらこんなことになってない、と付け加えた。そんなの、関係ない。悪いのは俺だ。俺があんたを殺したんだろう。犯人が捕まっていなくても、きっと、そうなんだろう。

「大きいものを失った時、すぐ近くに縋れる何かがあるのは心強い。でも、お前が縋るべきは俺でもちぃでもない。どんなお前でも飽きないで支えてくれる子がいるだろ? お前はひとりで勉強して、今持ってるそれを無駄にしないことだ。で、ちゃんと先生に手合わせて来い。お前が復讐する時は絶対今じゃない」
「っ、そんなこと言ったって、俺、」
「最低限必要なものを詰めろ、すぐ。……犯人はまだわからないけど、先生がお前の事を考えてくれてたのは事実だろ? で、ちぃは留学に反対してる。今のお前の精神状況じゃちぃに押し切られるのがオチだ。けど俺は応援してる。俺もそういう生き方しかできないから。目標のために無茶するような生き方しかできないから、俺はお前を応援してるよ」

 今まで電気をつけていなかった部屋。父さんは素早く明かりをつけて、クローゼットにしまってあった俺の旅行用のバッグを取り出して投げて寄越した。もう何がなんだかわからない。わかるのは、あとはただ俺が生きていくしかないということ。
 制服と、服を何着か詰めて、あとは教科書や参考書一式。それと、残してくれた書類と、汚いノートの束。
 こんな準備をして、ようやく涙がぼろぼろと零れてきた。
 ごめん、ごめん、本当にごめん。何度も何度も心で呟いて、これからの方が今までよりもっと頑張らなきゃならないのに、俺はやっぱり強くないと自覚する。もう強気でいるのも難しい。俺あんたがいたからずっと強気でいられたんだ。入学してからずっと、視界の端にあんたの金髪が見えるたびに、本当はどうしようもなく弱気な自分を叱咤してきたんだ。

「っ、せんせ、い……」

 会いたい。声聞きたい。もう叶わないとわかっているのに、死にたいと思ってるわけじゃないのに、どうしてもどうしてもそう思う。会いたい。声が聞きたい。一度くらい名前呼んでくれたってよかったじゃんか。俺だって結局周りのみんなみたいにあんたのこと名前じゃ呼べなかった。

「会いたい、っ、会いてぇよ、畜生っ……! 何刺されたくらいでくたばってんだよ、ざけんなよぉ……!!」

 泣き叫びながら荷物を詰める俺の頭を、父さんが撫でた。
 しばらく涙は止まりそうにない。何でこんなに悲しいんだよ、何なんだよ俺。なんでこんなに会いたいんだよ。
 乱暴に扱うからノートがばさりと音を立てて開いた。あんたの赤いペンが描く雑な軌跡。俺はそれをなぞって、また涙した。インクの上に涙が落ちないようにするのがすごく大変だった。あんたの残してくれたもの、滲ませたくない。
 やっぱり、こんなに心乱されるくらいには、あんたのこと好きみたいだ。どんな意味で好きだったんだろう。きっと、全部なんだろうな。どんな、なんて特定できないくらい、あんたを失って死にたいと思うくらい、すごくたくさんの意味であんたのことが好きだった。これから生きていかなきゃいけない俺は、あんたのことをそう思えたこと、後悔するわけにはいかない。
 でもさ、こんなに痛いなら、俺の心返してくれよ、マジで。




2008.03.22(Sat) | Title | cm(0) | tb(0) |

伸ばす手の先にはいつも君が



 夏! そして朝! バカみたいに早起きの俺!!
 水泳部の朝練があるからっていつも気合い入れて早起きしてる。ていうか、朝練あろうとなかろうと門が開く前に学校に着いてるっていうのは最早俺のポリシーだ。朝練あるとプール入れるし余計楽しみで早く起きるんだけどさ。
 家を出て、まだ少し涼しいくらいの道を駆けていく。仕事用のリュック背負って、あとはプール道具だとかタオルだとかジャージだとかを無造作に突っ込んだバッグを持って。やっぱ坂は面倒だけど意地で走る。で、学校着いたら速攻シャワーだ。なんかセレブっぽいな俺!!
 いつもの調子でたったか坂を駆け上がって頂上に着いてみると、何故か今日はもう門が開いている。……誰だ俺のポリシー邪魔した奴。しかも門の前には誰かが横になっている。酔いつぶれてる? そんな場所じゃないだろ、絶対。
 ちゃんと見てみると、それの頭部はくすんだ金色に見えて、更に近づいて、門の前で倒れているそいつが例の横文字金髪だということを認識した。

「っはははは、何だよお前ー、学校の前で潰れてんじゃねぇよー!!」

 俺は大笑いして金髪に更に近寄り、笑いながらそう言って、笑いながら、手持ちのバッグから大判のタオルとジャージを出してそいつの上にかけた。現場保存だ。下手に動かしちゃいけない。坂を駆け上がってきたから体が温まってきていて、それに加えてここのむせ返るような何か、気分の悪い匂いで吐き気だってしてきそうだ。

「お前の悪行ぜってーこの後職員室でバラしてやる。門前でぶっ倒れるとかアホだろマジで!!」

 いつもの調子で俺は話しかける。だって、もしかしてドッキリってこともあるだろ(キャラじゃないなんてことわかってる)? 冗談なんかじゃない、芝居なんかじゃないなんてこと、俺が一番よくわかる。こんなの冗談じゃ再現できるわけがない。
 朝練まではまだまだ時間があるから、部員の生徒が来るのももっと後だろう。だからそれまでに休校の措置をとらないといけない。となると、連絡すべきなのは校長、教頭と各学年主任、そこから連絡網回してもらうとして、その前にやっぱり警察だ。救急、……は多分必要ない。もう手遅れだろう。紗央に連絡入れるのとどっちが早いかな。やっぱり110番に連絡した方が早いか。
 ポケットから携帯を取り出す。ボタンの上をすべる指が震えている。そんなのわかってる。仕方ないだろ、これでも冷静に対処してる方だ!! うっわ俺って意外と冴えてるー!

『はいっ』

 電話を耳に当てて、すぐに聞こえたその声で、俺は一気に気が抜けてしまった。
 
「……な、お……?」

 ああ、俺、警察に電話しなきゃいけないって分かってたのに。
 すぐ連絡しなきゃいけないって思ってたのに。
 指だって震えてたからちゃんとしなきゃ、って思ってたのに。
 なのに、どうして気づいたら奈央に電話してんだよ、俺。

『今日は早いね。どうしたの?』

 ダメだ、俺、冷静になったつもりで、すげえテンパってたんだ。まともになんて考えられない。俺ひとりじゃダメだ。こんなの、すげえ怖い。不安で仕方ない。

「奈央、俺、ど、どうしたらいい、かな、ダメなんだよもう、警察、連絡しなきゃいけねぇのに、俺、奈央にかけてて、俺、もうわかんなくて、」
『……今どこ? わかること、ゆっくり教えて』
「学校の、正門。横文字が倒れてる」

 門に寄りかかって、ちらりとタオルをかけたそいつの方向を見る。でも怖くて、すぐ目を逸らした。

『空君。電話を離して目を瞑って10秒数えてみて。それから、そのまま深呼吸を2回。……大丈夫だよ、あたしここにいるから』

 俺は、奈央に言われた通り、目を閉じて10秒数えて、それから深呼吸を2回、した。終えてから電話を耳に当てると、まだ奈央はちゃんと待っていてくれた。

『大丈夫。今理央を急いでそっちに向かわせたから。理央が要さんと紗央ちゃんに連絡してる。警察には紗央ちゃんが連絡入れてくれるから。理央が2人とも連れてすぐ行くからね。ただ、学校には空君から連絡頼みたいな。あたしじゃ勝手がわからないし。携帯に連絡先、入ってる?』
「ん、平気……」

 そのままずるずるとしゃがみこんで、俺ってどうしようもないなと途方に暮れた。
 奈央の方がずっとずっとしっかりしてる。

「……ごめんな、ダメな男で。自分で対処もできないで彼女に電話とか、ほんっと情けねぇ……」
『……空君っ』

 怒ったような調子でもなく、もしかしたら笑っているのかもしれないような口調で、奈央は俺を呼んだ。いつもの口調だった。耳慣れた声。

『忙しくて長い今日が終わったら、うちで一緒にごはん食べよう。いつもみたいに頑張って作るよ、あたし。それからね、お風呂に入って、テレビ見て、今日は泊まっていって。それで、あたしのベッドで一緒に寝よう? 二人だけになったら、空君は泣いてもいいの。疲れた、って泣いていいんだよ。あたしの前では情けない空君でいいの。そしたらあたしは、おつかれさま、ってキスしてあげる。いつもの空君だろうと、どん底にいる空君でも、あたしは当たり前に傍にいるよ。それは、空君がいつもあたしにしてくれたことだから』

 奈央は諭すように、ゆっくり、ゆっくりそう言った。
 すぐに電話を切ったら俺が不安がるだろうと、そう思ってくれているからだ。理央たちが来るまでの間、俺を安心させてくれている。
 奈央のその心遣いを考えるだけで目頭が熱くなって、何で俺こんなにガキなんだ、と自分を罵った。

「っ、俺、マジで今泣きそうなんだけど……」
『今はダメだよ。今はちゃんと向き合って、空先生をやり遂げてね。辛いこと苦しいこと悲しいこと全部溜め込んで、それであたしのところに帰ってきて。空君の心にぽっかり穴が空いてバランスが崩れても、それでもちゃんと立っていられるように力いっぱい支えるのがあたしの役目だから、それまではちゃんと先生してくれないと』
「……うん、ごめん、俺、弱くて」
『ううん』
 
 奈央は電話の向こうで苦笑していた。

『あたし無茶言ってるな、って分かってる。多分、あたしが空君の状況に置かれたらまともなことなんて考えられないだろうし、空君に連絡する余裕すらないんじゃないかなと思う。……でも空君に言うのはね、空君ならできると思ってるからだよ』
「買いかぶりすぎだろ、流石に……」
『そうかな? あたしの記憶の中で、空君は何があっても立ってるよ』

 奈央がそう言うから、俺は立ち上がった。
 奈央がそう言ってくれるなら、俺はきっとできる。
 そう思ったから教師にだってなったんだ。
 遠くでエンジン音が聞こえた。理央の到着か。

「……ごめん、ありがとう、奈央」
『いいえ。……まだ電話繋いでた方がいいかな?』
「もう平気。だって俺、先生だし」
『そっか。……じゃあ、頑張って、ね』

 奈央の言葉を聞いて、通話終了ボタンを押す。
 さっきまでのあの追い詰められた感じはなくなったけれど、出所のわからない焦燥感は消えない。

「……お前、流風どうすんだよ、知らねぇからな……」

 呟いても返事はない。長く長く、暗い一日が始まろうとしていた。




2008.03.21(Fri) | 未分類 | cm(0) | tb(0) |

たしかあの日は今日だった



「失礼します」

 化学準備室に足を踏み入れる。
 中からの返事は、「ああ」。それだけだった。別に入っても差し支えないということだろう。僕は遠慮なく部屋の中央まで進む。
 くるりと椅子を回転させて、僕と対面したのは金髪の先生。この前屋上で会った先生だ。

「先日はどうもありがとうございました。ちょっとぼーっとしてたらあんな時間に」

 一応言い訳みたいな言葉を付け加えておく。まさか常習犯だとは言えないから。父親が担任なんて何かの陰謀みたいだ。僕も、きっとお父さんも気まずいっていうかあんまり気分良くないから、面倒だと思ったらどこかに隠れることにしている。それは朝からずっと、丸一日ということもあるし、特定の時間だけ隠れるということもある。ただ、単位は落とさない程度に。サボる分、それなりに自分でも勉強している。

「そんなこと言いにきたのか?」

 案の定の言葉。
 お父さんは、瀬川先生とかの話はよくするけど、この先生の話はあんまりしない。でも、僕に対してしないだけで、授業中とかはそれなりに喋っているから、お父さんはきっと厄介な生徒だったんだろうな、っていうくらいの認識はある。それだけ。
 あんまりあの遅刻の件について深く聞かれても困るから切り上げてくれるのはとても助かる。いいえ、と僕は返した。

「生物でわからないところがあるんですけど、生物の先生みんな出払ってて。職員室にいた先生が化学準備室行けばどうにかなるかもって教えてくださったので。あ、迷惑ならまた明日にします」

 言葉は返ってこなかった。
 代わりに、手が伸びてくる。
 僕は黙ってその手に向かって、持っていた問題集を差し出した。

「多分取るに足らないことだと思うんですけど、何かひっかかるので」

 多分、だ。多分、聞いたって試験で得点になるようなことじゃないんだと思う。かといって向学心だとか知的好奇心だとかいう言葉に置き換わるかと言ったらそうでもないと思う。ただ気持ち悪いだけだ。すっきりしない感じ。それが嫌だから早めに解消しようと思ってここまできた。
 先生は僕が示したページを一通り見てから、前のページに遡って眺め始めた。ぱらぱらとめくって、すぐに元のページに戻す。

「割とやってるな」
「はい。出来る範囲のことはやってるつもりです」
「しかも自信家か」
「いいえ? 陰で努力とか、気持ち悪いんです。ちゃんとやってることなら堂々としているべきだと思ってるので」

 涙ぐましい努力。誰も気づかないようなところでひっそりと努力を重ねていつか成功する人。それもいい。というか、きっと大半の人はそうなんだろう。僕が嫌だと思うのは、素直に努力していることを言えないことだ。自分が正しいと思ってそうしているなら、もっと堂々としているべきだと思う。

 それは自分に向けられている刃だと知っているけれど。

 何だって僕はそれなりに頑張っている。どうして? これ以上迷惑かけられないから。私立高に通わせてもらって、養ってもらって、進学させてもらった以上は学業でそれなりの成績を取らなければならない。でも多分大声では言えない。僕は父親に養ってもらってすごく申し訳ないと思っているから勉強を頑張っているんです、なんて言えない。けれど間違っているとも思っていないんだ。
 先生の瞳は鋭いと思う。すっと細められた目で見られると、何だか睨まれたような気分になる。それからすぐに先生は嘆息する。呆れられているみたいに思う。

「………水城先生は、もっと出来よかったんですよね?」

 気づけばそんな言葉を口にしていた。
 この人は、僕の知らないお父さんをたくさん知っているんだろう。そう思った。

「似たようなもんだ」

 先生はそう言う。
 似たようなもん? 似てない。似てるわけがない。そう思ってもそんなこと言い返せない。お父さんは学生時代とにかくこの人に付きまとって教わっていたという。お父さんにアメリカに向かう決意をさせた人。ものすごく遠まわしに言えば、この人とお父さんが出会ってなくてもやっぱり僕はいないんだろう。

「わかんねぇから質問に来んだろうが。質問がひとつってだけであれより何倍も良心的だ」
「他にも質問していいならするんですけど」
「んな面倒なのは後にも先にもあれだけで十分だ」

 先生は心底そう思ってるみたいだった。どれだけ迷惑かけたらそんな反応されるに至るのか気になるところだけど、あんまり突っ込んで聞いてお父さんに迷惑かけるのも気が引けるし。そもそも僕は質問に来たんだ。相手がこの先生だからちょっとお父さんのことにも触れてみようかと思ってしまっただけで、生物の問題さえ教えてくれればいいんだ。 
 先生もそれがわかっているのか、すぐに説明に入ってくれた。聞いていて、ああやっぱり取るに足らないことだった。と思う。いつもそうだ。他の人は引っかからないところに疑問を覚えてしまう。これって全然わかってないってことなのかもしれない。取るに足らないところだから説明する方も難しいかもな、と思ったけど、そこはさすがプロだった。二、三ある選択肢のうち、答えにならないものを慣れた調子でひとつずつ潰していく。そうやって、質の良い教え方をしてくれるから、結局少し質問事項は増えてしまっていた。先生がそこまで気にしていないように見えたのが幸い。あとはここを出て行くだけだ。
ありがとうございました、と挨拶をして、ああ、とまた気のない返事が返ってくるかと思っていたら、先生から出た言葉は少し意外で、

「お前の担任はどうだ」

 そう聞かれた。

「水城先生ですか? 担任ですけど余程のことがないと喋らないのでよくわかんないです。廊下で生徒とか他の先生と喋ってるのみるとまだすごく若いんだなあと思ったりします」

 当然だけど苗字同じだから、空気を読まない櫂とかにお父さんの話題を振られたりする。だからこういう切り替えしにももう慣れた。あまり接点のない担任。感情を乗せて喋る必要もない。

「お前が今質問したところの大半は学生時代、お前の担任が聞いてきたところだ」
「そうだったんですか。変わり者だったんですね」
「そうだな。瓜二つだ」

 その言葉に僕は一瞬ぎょっとして、でもボロを出してたまるかと一呼吸置いて調子を取り戻す。

「妙なこと言いますね。僕とあの先生じゃ多分考え方も生き方もまるで違う」
 
 僕はあんなに子供っぽくなれない。
 仮面をかぶってるみたいに、あんなに表情を変えるなんてできない。
 僕とあの人はまるで違う。違うけど、違うからこそ僕はお父さんに見捨てられたくない。僕がここにいられるのは、お父さんが存在を許してくれたからだ。

「何よりも、僕は水城先生と違って貴方と仲良くできる自信がありません。苗字なら確かに瓜二つですけどね」

 そこまで言い切って、失礼します、と頭を下げる。
 もうあの先生に質問なんかするものか。そう思って部屋を出た。




2008.03.20(Thu) | Title | cm(0) | tb(0) |

an excuse



「お前のクラスのガキだろ」
「ガキは40人ほどいるんで特定してもらわないとわかりませんねぇ」

 5時間目だった。俺も、恩師(仮)も授業が入っていない時間ではあるけれど、こうして職員室に一緒にいるのは結構珍しいことだった。俺は1年の担当の席で仕事をする。相手は3年の担当だがコーヒーを入れるためか俺の席のすぐ傍まで来ていた。
 クラスのガキは40人程度。何のヒントもなしにそこから特定しろってか。何の心理テストだよ。

「金髪に緑の目のガキ」
「――ああ、」

 そうですよ。
 ちゃんと続けたつもりだったのに、知らず他人行儀な口調。
 他人だって分かってる。昔から、ただ俺が一方的に敵視っていうか執着していただけで、結局は他人だった。だから樹理にとっても他人だ。
 ぐっと唾を飲み込む。他にもちらほらいたはずの先生方は印刷室かどこかへ消えてしまって、何故か広い職員室に俺と相手だけが残った。俺は、できるだけ笑って、いつも通りを装うことにする。

「なんかやらかした?」
「単なる遅刻だ。屋上で呆けてたからな」
「なるほどね……」

 何で、どうして、こんなに緊張しているのか。
 この年になってビビってんの? 別にガキの一人二人いたって可笑しくないだろ俺。
 先生はカップにコーヒーを注いで席に戻ろうとする。普通のことだった。コーヒーを入れに来て、席に戻る。普通だ。
 なのに、視線が刺さってる気がして、気持ち悪くて、無性に腹が立って、俺は席を立つと、席に戻る先生の肩を掴んで、止めた。

「……っ、なんだよ……」
「こっちの台詞だ」
「何だよ、言いたいことあるなら言えばいいだろ!? 何だよそれ、わざわざ、っ、俺に言うことか!?」

 無茶苦茶言ってんのわかってる。
 だってこいつには何一つ教えてないんだ。俺は単身帰国したって、きっとそう思ってる。金髪なんてどこの留学生だよ、って、それくらいにしか思ってないと思う。
 だからこいつは、樹理が俺のクラスにいるってことしか知らなくて、樹理が遅刻したからただ俺にそれを知らせただけなのに。きっとそうなのに、どうして俺は考えるんだろう。知ってるんじゃないかって。こいつは馬鹿みたいに勘がいいから、知ってるんじゃないかって、思ってしまうんだろう。それはすごく怖いことだ、でも、何で、知ってて欲しいと、思ってるんだろう。
 どうして俺は、こんなに年を重ねてもまだガキのままなんだろう。なあ、どうして樹理がいるか知ってんの? 俺だって結構考えてたんだからな。俺だって馬鹿じゃないんだよ。俺は俺なりに考えて、でもやっぱりそうすることでしか救われないと思ったんだ。

「……1年のうちから遅刻ってのは感心しねぇと思っただけだ」
「……っは、ガラじゃねぇよそれ。カッコつけてんの?」
「ざけんな。勝手に言ってろ」

 離れる背中に少し心細さを感じて、いつまでもガキな自分に閉口する。

「忠告ありがとうございます。ちゃんと注意しときますよ」

 でも、あんたがいる限り大人になれないなんてそんな馬鹿なことないよな? 俺はちゃんと考えて、少しは進歩してるつもりだから。
 そんなこと考えてる時点でガキなのかもしれないけど、取りあえず、俺も席に戻ることにした。



2008.03.14(Fri) | 未来話 | cm(0) | tb(0) |

ごめんなさいごめんなさいごめんなs(略)



「おいっ、英語教えやがれオッサン!!」

 いつも通り裏庭から忍び込んで、俺より10年長く生きてる暇そうな男(畳の上で熟睡中)に飛びかかる。男は一度低く呻いて動かなくなる。どうしたのかと一応心配になって顔を覗き込もうとすると、首根っこを掴まれて畳の上に落とされた。

「いってぇ……。何すんだよ!!」
「こっちの台詞だ!!」

 子供のちょっとした悪戯心なのにそういうのがまったく通じない。頭固いヤツだ。
 このオッサン、……いや、まだ24とかそこらだと思うけど。名前はケレス、……んー、下の名前忘れたな。舌噛みそうな感じだった気するんだけど。日本人じゃないくせに畳の部屋でよく寝てたりするし日本語はいやに喋れたりするし、すっげー変。関わってもこいつすぐ怒鳴るし冗談通じないんだけど、外人だから英語はできる。つーことで、使えるところは使わせてもらおうと思ってちょくちょく顔出してるんだけど。

「英語教えろー! 俺の成績下がったらどーしてくれるんだよー」
「それ以上下がりようねぇだろうが」
「下がる余地くらいありますー。あ、理科でもいいけどどっちがいい?」

 大学だか大学院行ってるならこれくらい面倒みて欲しいもんだと思う。暇そうにしてるからわざわざ来てやってるのに!
 家から持ってきた2種類のワークを持って見せると、これ見よがしにため息をつかれた。むっとする。

「何だよ、機嫌悪ぃの?」
「人に物頼む時の態度は?」
「何だよそれっ、急にオトナぶんなよなー、オッサンのくせに!」
「じゃあ教えねぇ」

 呆れたように息をついて立ち上がる(俺からしたら)大男を見上げる。
 片手で頭を掻きながら、玄関の方に向かっていくようだ。

「――あ、」

 なんか、やだ。
 そういうの、やだ。
 ひとりで置いてかれんの嫌なんだよ。

「や、だ、待てよにーちゃんっ!!」

 立ち上がってちょっとずつ遠くなる背中に叫ぶと、背中は動くのをぴたりとやめて、くるりと首がこちらを向いて、バカにするみたいに鼻で笑われたのがわかった。
 それで自分が何叫んだか思い出して、一気に顔が赤くなるのがわかる。別にっ、呼ばないようにしてたわけでもないしっ、10個上でオッサンなの事実だし、ああもう何で俺がこんな恥ずかしいんだよちくしょう!!!

「な、何だよっ、そーやって笑うなら教えろよな、英語と理科っ」
「で、人に物頼む時は何て言うんだよ」
「さっき笑ったんだからそれチャラだろ! ざけんなバカ!! 性悪!!」

 もう何か恥ずかしいしイライラするしでいろんな悪口吐きながら俺はどたどた歩いて、相手の腕を引っ掴んでまた畳の部屋までぐいぐい引っ張る。
 ちゃんと教えてくれるまで放さないんだからな、このオッサンめ。


2008.03.10(Mon) | ご近所物語 | cm(0) | tb(0) |

初恋シュプール 3


 ついに来た。
 控え室へ向かう廊下をハイヒールで鳴らしながら、紗央は感慨深さを覚えていた。
 これで自分も、奈央も、理央も、遠い昔の呪縛から放たれる。あの日から少しも動けないと思っていたのに、奈央を皮切りに、これから歩みだせる。そういう意味では、ゴールではなくてスタートなのだろう。
 奈央が幸せになる。それが自分と理央が過去と決別する条件。その条件は満たされた。奈央は今、……もっと前から、幸せだった。空と出会って、皆で一緒にいることが好きで、それだけじゃなくて、空自身もとても大切だと気づけた。奈央は、幸せだ。心から笑っている。俯き加減で、部屋の隅で本ばかり読んでいた頃とは違うのだ。
 だから、自分もちゃんと新しい何かを見つけられるように、ちゃんと、これまでと決別できるように、大嫌いだった青、ライトブルーのドレスを着て、自慢だった長い黒髪を今朝一番に切った。中学だったか高校生だったか、それくらいの頃の奈央の髪型に近い。切りすぎたようにも感じた。でも、それくらいがちょうどいい。紗央には、縛られる過去が多すぎた。
 後悔がひとつもないわけでは、決してない。これまで伸ばしてきた長い髪。手入れも欠かさなかったから、綺麗だと言ってくれる人は何人もいた。奈央も、そうだった。けれど、今は。その奈央の髪が綺麗に伸びて、栗色でやわらかそうなその髪が奈央にとてもよく似合っていることを知っている。会ったばかりの頃は紗央の長い髪を褒めていた空も、今では当然奈央の髪の方がお気に入りらしく、嬉しそうに指先に髪を絡めて遊んでいる。自分の髪が長く綺麗である必要はもうない気がした。
 控え室のドアの前。軽くノックをして、入るわよ、とひとこと。どうぞ、と可愛らしい声が聞こえて、紗央は扉を開いた。
 ――綺麗だった。
 純白のドレスを纏った奈央。とても奈央に似合っている。これは新郎も大喜びだろう。その感想を述べるよりも先に、声を上げたのは奈央の方だった。

「紗央、ちゃん、……髪、切っちゃったの……?」
「うん。短いのも結構似合うでしょ? ま、奈央の従姉なんだからとーぜんなんだけど」

 奈央にも、誰にも言わないで髪は切った。
 知っていたのは自分だけ。この心の変化を、ちゃんとわかっているのは紗央自身の心だけだった。
 ドレスを重そうにしながらも奈央は立ち上がる。その瞳はとても心配そうだ。何かあったの? そう言いたそうに揺れている。

「別に何があったわけでもないわよ。もう夏だし、イメチェンって奴? 奈央がこうして結婚できて、ほっとしたっていうのもあるけど」
「紗央ちゃん……」

 それは事実だ。奈央が結婚して、ほっとしている。
 まだ心配そうな目をしている従妹の肩にそっと手を置いて、紗央は笑って見せた。

「あたしのことなんていいから。……すごく綺麗、奈央」
「……ありがとう、……ごめんね、紗央ちゃん……」
「何で謝るのよ。奈央のウェディングドレス姿見れて大満足よ? 式のお祝いのパーティー、気合い入れてケーキ作ったんだから」

 白いドレスに、やわらかい栗色の髪。
 どこかのお姫様みたいだ、と紗央は思う。
 自分はきっと、永遠に着ることのないものだろうとも、思う。
 似合いそうな気もしない。それは単なる合理化だろうか。

「あたしが、ずっと馬鹿だったせいで、紗央ちゃんは、泣けなかったんだよね……」
「何泣きそうな顔してるの? 今泣いたらメイクぐちゃぐちゃだからね。泣くなら最後空の胸でも借りて泣きなさい」
「紗央ちゃんのことも、理央のことも、あたし、たくさん謝らなきゃいけないのに、償い、しなきゃいけないのに、」

 奈央がそれに気づけただけで十分だ。胸のペンダントを指で遊びながら、紗央は微笑む。
 それで十分。寧ろ謝りたいのはこっちの方だ。これまで、どれだけ奈央を憎んで呪ったことか。どれだけ奈央の悲劇を願ったことか。人間として最低だったと思う。きっと、苦しいのは自分だけではなかったのに。

「……あたしも理央も、奈央に幸せになってほしくて仕方ないの。それしか望んでない」
「……ううん、それだけじゃないよね。紗央ちゃんも、幸せになりたくて仕方ないんだよね」

 そっと奈央が紗央の手を取る。 
 ペンダントで遊んでいた紗央の手が、止まる。

「これ」

 奈央は近くにあった細長い箱を手にとって、紗央に握らせる。
 何、と視線で訴える紗央を、奈央は軽く微笑みで交わした。

「紗央ちゃんがまだこの指輪、持ってたら外してやって、って」

 ――理央が。
 付け加えられた人名にはっとして、動けなくなった。
 箱の蓋を開ける。ネックレスだった。
 トップに、青い石。その色は、紗央の瞳と同じ色。

「俺はこれくらいしかしてやれないから、って、理央、言ってた。申し訳なくて、迎えになんて行けないって」
「なんで、理央、まだ、覚えてたの……?」
 
 そっと首のペンダントが外される。長いこと身につけていたそれは、かなりの年月を感じさせた。
 ずっとずっと昔、理央がくれたおもちゃの指輪。迎えにいくから待ってろ、という力強い言葉。まだ憶えている。それを今までずっと支えにして生きてきた。辛いことがあっても、いつかきっと助けてくれると思ってやってこれた。

「……青い服、着るようになったんだね」

 今までずっと青い服を嫌がっていた。でも、ちゃんと歩き出すために、着てみることにした。
 奈央が新しく首にしてくれたネックレスも綺麗な青い光を放っていたが、服の青さと相まってあまり際立たない。

「青い服、すごく、似合う。綺麗だもん、紗央ちゃん」

 紗央ちゃん美人だから何だって似合って羨ましい。一歩後ろに下がって、紗央の全身を見て奈央は笑った。 
 
「それ、ブルーダイヤなんだって。紗央には綺麗な青が似合うって理央言ってた。理央ひとりで買いに行ったんだよ」

 小ぶりでもしっかりと輝きを放つペンダントトップをじっと見つめる。
 まだ、理央は、憶えていた。
 まだ紗央があんな昔の子供の戯言に縛られていたことを、知っていた。
 それだけでもう十分なのに。見せ付けるように、知らしめるようにずっとあのおもちゃの指輪を持ち続けていた自分はどれだけ性格が悪いのだろう。
 奈央はくすくす笑っていたが、やがて落ち着いた声音で、紗央の機嫌を窺うように、口を開いた。

「こんなことで、許されるなんて思ってない。紗央ちゃんがどれだけ理央のこと待ってて、あたしが邪魔してたのか、理解してるつもりでも本当になんてわかってないの。だから紗央ちゃんはあたしのこと許せないかもしれない。ずっとあたしなんか構ってた理央のことも、許せないかもしれない。あたしのせいで紗央ちゃん、ずっと辛い思いしてたんだもん」
「…………」
 
 辛くなかったとは言わない。 
 理央が助けてくれたって、あの頃の状況は何も変わらなかっただろうけれど、ひとりじゃないと思えることくらいはできたのかもしれない。
 辛かった。ずっと、ひとりだった。助けてくれる誰かを見つけても、その誰かは必ず紗央の元を去っていった。何度泣いたか知れない。何度呪ったか知れない。何度憎んだか知れない。
 分かっている、呪ったって憎んだって仕方ないことだと。でも、そう思わなければ生きていられなかった。

「でも、……紗央ちゃんが許してくれなくてもあたし、……あたしも理央も、紗央ちゃんのこと、大好きだから、大切だから、仲良しでいたいって、思っちゃうんだよ……」

 そんな言葉を聞いたら、もう後は言葉にならなかった。
 それだけで十分。どうか、憎んだあたしを許して欲しい。呪ったあたしを許して欲しい。懺悔をするのは紗央の方だったけれど、ひとつも言葉にならない。
 ただ、偉そうに、いつものように、年上ぶることしかできなかった。

「許すも許さないも何も、最初から何とも思ってないわよ。あたしだって奈央も、癪だけど理央も、大好きだから」

 こんなにも素直で可愛い兄妹に、重く暗い気持ちを押し付けてしまった。それは心苦しいけれど、あの指輪はこれからもう必要ないんだと、これまでの長い日々とはまた違う日々を送ることを許されるのだと、そう言われて、純粋に嬉しかった。

「あーあ、しっかし奈央ホント綺麗なんだもん。空なんかにやりたくないわね」
「あはは。空君怒るよー?」
「いいじゃない別に。本当に綺麗なんだし、……あたしは一生着れそうにないなー」
「……紗央ちゃんは着るよ。絶対綺麗だよ。その時はあたし、いっぱいいっぱい頑張ってすっごい大きいケーキ作るから覚悟しててね?」
「天変地異が起きてそんなことが実現するならお願いするわ」 
 
 でも、今はあたしの話なんてどうでもいいでしょう?
 今日の主役は紗央ではない。来るかもわからない日のことを話すにはふさわしくない日だ。
 
「……本当におめでとう、奈央。あんな十何年もあんたのことだけ好きでいてくれた男だからって愛想尽かされるようなことしちゃダメよ?」
「うん、頑張るね」
「あ、でも、空に愛想尽かすようなことがあったら遠慮なくあたしのところに来なさい。空くらいなら一瞬でミンチにしてあげる」
「あはは。覚えとくね。きっとないと思うけど」
「……そうね、ないわね、あんたたちは」
 
 きっとそうだろう。相手の欠点さえ愛おしく思える二人だから、物理的な距離がもし生じたとしても、本質的に離れることも、別れることも、きっとない。それでいい。空と奈央がそうして別れることなく幸せでいるのなら、紗央自身もこれから幸せに生きていけるような気がした。孤独であろうとも、それがいつまでも続くとしても、今は本当に奈央のことが好きで、奈央の幸せが自分の幸せだろうと心から思えているから。

「ずっと幸せでいて」

 そう声を掛ける。普通は「幸せになって」と言うのだろう。でも、奈央はずっと幸せだっただろうから、その言葉はきっと相応しくない。
 応えるように、奈央が笑顔を見せる。眩しい笑顔ってこういうことを言うんだな、と紗央は思った。この笑顔は、これからずっと忘れることなどないだろう。



2008.03.09(Sun) | 初恋シュプール | cm(0) | tb(0) |

初恋シュプール 2



「だぁあああ……。やっぱ六月だしあっついなー……」

 口ではそうぼやいていても、生真面目な性格からネクタイを緩めることはしない慎吾。目の前には白くて大きな教会。披露宴はせずに式だけをここで挙げるというのだから、騒がしいことが好きな新郎のイメージからすると少し意外な気がしていた。 
 式まではあと一時間ある。時計で時刻を確認している時に離れたところから近づいてくる影に気づく。どうやら二人。慎吾は手を挙げて挨拶した。

「ひっさびさだなー! 元気してたかー?」
「お前こそ、せっかく体育大入ったんだしさっさと代表になれっての」
「んな簡単に言ってんじゃねぇよ、ばーか」

 五十瀬至貴、そしてその隣に鳥辺山嵩皓。二人とも慎吾と同じように正装で、高校時代とあまり変わらない関係のようだった。これには未だに慎吾も手を焼いている。

「都筑は来ないの?」

 嵩皓が慎吾を見て問う。慎吾はひとつ頷いた。

「仕事あるんだってさ。新郎新婦によろしゅうー、ってメール来た」
 
 進学した慎吾たちとは違い、風哉はひとり実家の京都に戻って社会人としての道を歩んでいる。仲の良かったメンバーが揃わないのは残念だが、それも仕方ないことは誰もがわかっていた。高校の頃とは違うのだから、そういうものなのだ。
 他にも同じ学年の奴来てる、と慎吾が教えてやると、だろうなあとげんなりした顔をしてそれでも軽く挨拶回りをするのか、嵩皓を連れて至貴はその場を離れた。

「よう、似合うじゃん」
「うおっ、ヤマト先輩! と、葉山先輩!」

 そろそろ来るんじゃないかとは思っていたのだが、やはり唐突に来られると驚いてしまう人物の登場。後ろから掛けられた声に振り向いて、声の主の名を呼ぶ。
 この人はあの夏服以外なら大体似合うんだな、と心底思うほどに、大和の礼装はきっちりはまっている。その傍らにいるルミも、こげ茶色の控えめなドレスに淡いストールを羽織って、二人セットでいるのが何ら不思議でない。

「おっと野島、葉山先輩はもう卒業だ」
「は? 何ですか急に」
「籍を入れた。だから苗字が変わったんだ」
「……はあ、…………え、ちょ、結婚したってことスか!?」

 慎吾のオーバーな反応を見て、大和が大きく笑い出した。なんだ冗談か、そう思ってちょっとばかり安心した慎吾だったが、こんな冗談普段じゃ黙っているはずのないルミが黙っているのを見ると、さっと背筋が寒くなる感覚を覚えた。

「……ま、マジで、すか」
「大マジだ」
「で、でも、ヤマト先輩みたいな立場の人が結婚して、マスコミとか騒がないわけないじゃないスか!」
「だぁから、籍入れただけだって。書類書いて、役所出せば成立。式はもっと先だからその時騒ぐだろ。平々凡々の一般人と結婚ですかー、ってな」

 平々凡々で悪かったわね、とこれはいつもの反応。
 平々凡々がいいっつっただろ、と平然と流すのもいつもの反応。
 二人でいることが板につきまくっている。これは真実なのだろう。

「ちなみに、いつ?」
「んー、先月? 今日に合わせて体裁のいいようにさ」
「わざわざ参列するために結婚したんスか!?」
「ほらほら、こいつ、大学通ってはいるけど一応社会人だから」

 苦笑しながらルミが大和を指差す。そうだぞ、と威張るように笑う一つ上の先輩の説明を聞けば、今回の式のメイン、新婦直々に教会を花で飾って欲しいと依頼されたということだった。大和は快諾して、最近アレンジメントの資格も取ったからご祝儀代わりにやらせて欲しい、と提案したが断られた。芹沢の次期当主にお願いしている、とのことで、そこはもうビジネスだ。そこまで言われて断るわけにもいかないし、最低限の金額を受け取って、大和は仕事をした。籍を入れたのは大和の面白半分でもあったけれど、仕事とは別に挨拶をしたり御祝儀を渡したりと、そういった時に華やかさをプラスするパートナーがいるのといないのとでは気の持ちようが違うということらしい。
 おかげで大学でも注目されて困っている、とルミは言う。大和は大学の芸術コースで講師をしているから、その時にやっぱり面白半分で言いふらしたのだという。どこまでも非情で非常な人だ、と慎吾は思った。

「そーいや、今来たんですか? お二人は」
「いや、新郎新婦には挨拶してきたよ。見てきたらいいのに」
「ドレス姿すっごい綺麗なんだよー? 見たらあれは惚れるね」
「いやいや、そういうのは取っておきます、あとのお楽しみってことで」
 
 新婦が綺麗だなんてこと、そんなの当たり前だ。あの鈴城理央の双子の妹で、交番や喫茶店でよく見かける鈴城紗央の従妹で。
 新郎はきっと七五三状態で。ああでも、卒業する頃あんまり小さいと思わなくなったかも。そう思い出して、やっぱり後に取っておこうと思う。その方が多分感動するし、心から祝えそうな気がする。

「おーい、もう会場入れるってよー!」

 少し離れたところから至貴に呼びかけられ、じゃあ早速行きますか、と大和とルミに訊ねる。しかし大和は軽く首を横に振った。

「もーちょい待ってろよ。まだ始まらないだろ?」
「そうですけど、何ですか? あ、後輩ひとりVS先輩二人って状況作ってリンチする気ですか!? 俺負けませんからね!」
「お前がそれでいいなら俺は全然構わないけど? ……とか言ってる間に、来た来た」

 教会に近づく黒塗りの車。
 何が何やら、といった感じの慎吾と、すべて知っているような大和とルミ、その三人の前に車が停まる。
 見覚えのある車だ、とぼんやり慎吾は思う。多分芹沢の車なのだ。それなら何度か見たことがある。

「遅いぞ」

 大和が声を掛けると、ドアが開いた。

「うるさいな、ちょうどいい飛行機無かったんだから仕方ないだろ」
「お、スーツ似合うじゃんー! 苦労して選んでよかったっ」
「おー、葉山。じゃないか、芹沢夫人? 結婚おめでとう。スーツわざわざ選んでくれてさんきゅ、悪いな」
「いえいえ、芹沢的にははした金らしいからねー」

 見慣れない、黒い髪。
 でも、その背丈も、顔も、声も、全部が記憶の中の彼と同じもの。
 呆然と立ち尽くす慎吾の肩を、軽く大和が押してやる。慎吾はつんのめってバランスを崩し、そのまま彼の前に立った。

「……久しぶり、慎吾」
「る、っ、流風、せんぱい……ッ!!」

 学生時代の恩師の結婚式に来たというのにこれじゃあメインがまるで違う。
 一年ぶりに見る憧れの人間。その姿に感動して、まるで夢でも見ているようで、慎吾は髪の色だけが変わった流風に思いっきり抱きついた。

「うあっ、お前っ、キモいんだよ! はーなーせー!!」
「離しませんよ!! もういっそこのままゴールインしたいくらいです!」
「ぜってー嫌だ! もう式始まんだろ、離せー!!」

 そう言いつつも、流風の顔も嬉しそうに綻んでいた。嬉しいくせにー、と流風の頭を大和が強引にぐりぐり撫でる。せっかくセットしたのにやめなって、とルミがそれを制止した。でも、笑っていた。

「さてと!! そろそろ行きましょうよ、空先生の結婚式!」

 ひとしきり騒ぎ終わった後の慎吾のひとことで、四人の足は教会へと向かう。
 本日の主役の晴れ姿を見るために。

2008.03.09(Sun) | 初恋シュプール | cm(0) | tb(0) |

初恋シュプール 1



「息子さんから連絡とかはあるんですか?」
「うん、週一くらいで電話寄越すし、月一回は手紙も来るよ。俺宛てとちぃ宛てわざわざ別にして、俺の方だけ素敵な英文で。読めないと思ってんのかね」

 平日の昼間だったが、駅前の喫茶店で理央はかつての教え子の父親と談話していた。
 水城 陸。バスケも勉強もトップクラスで現役海外留学を果たした水城流風の父親。顔は生き写しのようにそっくりだ。
 理央が陸と話すようになったのはつい最近、偶然理央のマンションの近くで出くわし、そこで理央が相談を持ちかけたのだった。

「英語が得意なら流風くんも知っているはずでしょう」
「いっや、俺勉強嫌いだったからさー。俺、大学はマークは勘、記述はたまたま好きなとこ出たから通れたようなもんで。俺、国Ⅰで今の仕事就いてるけど、あれの一次試験も選択だから通ったんだし、それ流風も知ってるから俺が英語読めるなんて思ってないんだろう」
「けど、英語はお好きなんでしょう。流風くんだって相当できるのに、それを読めるってことは」
「まあね。あのよくわかんない英語のテスト、この前受けに行ってみたら750って結果返ってきたし。900点満点ってことは結構いいんだろ?」

 だろ? とかなり軽く聞いてくる割に、内容は理央もびっくりなものである。
 勉強と離れてもう二十年近いだろう人間が取る点数にしてはとても高い。

「結構どころか相当ですよ。学生だって取れるかどうか」
「はー、俺もしかしたら流風より出来いいかも、なんてな」

 まんざら冗談でもないかもしれない。このとんでもない能力は流石親子といったところか。笑いながら陸はコーヒーのカップに口をつけ、すっと目を細めると本題に入った。

「ま、調べるのは別にいけないことじゃないし。これでおっけ?」

 陸は懐から手帳を取り出すと、その途中のページを破いて理央に渡す。
 男性にしては綺麗な字で書かれているその文字を目で追って、理央は頭を下げた。

「でもまた何で? 知り合い、ならわざわざ頼まないよなぁ」
「ええ、知り合いではないんですが、重要人物なんです」
「深く聞かないけど、わざわざ俺なんて頼ったんだから相当だね」
「自分でどうにかしたかったんですけど、流石に直接の知り合いでもないし、組織にいる人間をどう調べたらいいのかなんてわからなかったので。ご協力感謝します」
「いえいえ」

 受け取った紙を小さく畳んで胸ポケットに入れると、理央もカップに口をつけた。
 これでやっと終われる。安堵感でいっぱいだった。
 そうだ、と陸が声をあげ、理央も視線を上げた。流風にそっくりな、陸の笑顔が目に映る。

「妹さん、もうすぐ結婚式だって? おめでとう」
「あ、ありがとうございます。よく知ってましたね、僕の妹」
「うちの妻が君の従姉と仲良いんだ。喫茶店にもたまに行ってたみたいだし、そこで聞いたんじゃないかな」
「そうですか……。おかげさまで、ようやく結婚なんです。ありがとうございます」

 その予定の日まで、あと2ヶ月を切った。
 奈央はまだ理央と同じ部屋で生活しているが、その日が来れば出て行くだろう。
 毎日のように顔を合わせるだろうことはわかっているのだが、それでも妙な気分だった。同じくらい、安心した気持ちもある。

「あ、ごめん、話戻しちゃうんだけどさ」
「はい」

 戻す、ということはおそらくさっきのメモに関連することだろう。
 あまり深刻な話ではないらしい。結婚の話の流れで、相手の顔もどことなく綻んだままだ。 

「君の探してるその彼、実は、」


2008.03.09(Sun) | 初恋シュプール | cm(0) | tb(0) |

久々ご近所!

 その日は朝から雨だった。
 部活を終えて暗く雨の降る家路を辿り、自宅まであと十メートルかという所で、ケレスの足は止まった。隣の家の軒先に黄色いものが見える。小学生の校帽だろう。地面に落ちているわけではないようだが、ドアノブに引っかかっているというわけでもなさそうで、ということはおそらく帽子の主が軒先にしゃがみこんでいるのだ。隣の家にはちょうど小学生、しかもしっかり帽子をかぶらなければならない一年生がいる。
 携帯をポケットから取り出して時刻を確認しながら近寄ると、軒先には青く小さい傘も立てかかっており、その傍で想像通り、小学生の流風がしゃがみこんでいた。

「……何してる」

 もう七時だ。それに、冬に雨。子供が長い時間いれば体調を崩しかねない。
 流風の親が共働きで帰りもいつも遅いことはわかっていたが、こうして軒先にしゃがみこむようなことは今までなかった。
 流風は声をかけられてすぐ顔を上げてケレスを見たが、すぐにふいと視線を逸らした。

「おとーさんとおかーさん、待ってる」
「鍵は」
「……家のなか。たぶん、テーブルの上」

 普段鍵を持ち歩いているから締め出されることなどないのだが、今回はどうやらその大事な鍵を家に忘れてきたらしい。
 しかし、鍵を持っていてもいなくても、こんな風に寒さに凍えることはないはずだ。流風は毎日のようにケレスの家の裏庭から上がりこんで、のんびりとケレスの帰りを待っているのだから。

「何でここにいるんだよ」
「かぎ、ないから」

 そんなことはわかっている。とは思うがそれを率直に言っては泣き出すかもしれない。それはかなり厄介なのでぐっと堪え、うちに入ってればいいだろ、と出来るだけ穏やかに告げる。
 流風は視線を落としたまま、不機嫌そうにごにょごにょと呟き始めた。 

「……にーちゃんの家、やだから」

 毎日毎日居座っているくせに言う台詞がそれか。
 若干苛立ちを感じながらも、そうか、とだけ返して流風を放置して風邪でも引かれれば非はなくとも後味が悪すぎる。
 あれだけ懐いていたのが今日突然こうなるのだから、きっとくだらない理由があるのだろう。進んで聞く気はなかったが、黙っていれば話し出すだろうと、しばらくだんまりを決め込んだ。

「………変なんだって」
「何が」
「俺が、いっつもにーちゃんの家いるのも、本当のにーちゃんじゃないのににーちゃんって呼ぶのも、変っていわれた、から、……でも、なんで変なのかわかんないし……」

 ケレスはため息をついてまたしばし黙った。やっぱりガキにありがちなどうでもいいくだらない理由だ。しかし黙っていれば黙っていたで、「おこってる?」と下から顔を覗きこんでくる。怒ってない、と返しても、どうも悪い方向に考えるようで「おこってる……」と瞳に涙を浮かべ始めた。何をやっても厄介だ。
 さて、この子供を動かすにはどうするべきか。物で釣る以外手段は思いつかないのだが。
 寒さでふるふると震えている小さな手をちらりと見てから、ケレスは再び口を開いた。

「寒くねぇのか」
「さ、むい」
「腹は減ってんだろ」

 流風の大きな瞳がまたちゃんとケレスを見上げると、小動物の鳴き声にも似た小さな音が聞こえる。おなかすいた、と流風が呟いたのはそれとほぼ同時だった。
 スポーツバッグを肩に掛けなおし、右手で傘を差したまま、左手を流風に差し出す。流風の小さな手が、恐る恐るケレスの手に乗せられた。

「ったく、風邪引いたらどうすんだ。お前こじらせるだろ」
「風邪ひかない! 手洗って、うがいもちゃんとしてるっ」

 自慢げに言う流風にはため息をつかざるを得ない。ランドセルをがしゃがしゃ背中で揺らしながら、ものの十数秒でケレスの家の前に出る。傘を閉じ、ポケットを漁って玄関の鍵を取り出していると、流風が神妙な顔で制服の裾を引っ張った。
 何だ、という視線を向けると、変じゃないよね、という妙な返事が来た。

「だって俺っ、にーちゃんのこと大好きだもんっ! もし本当にお兄ちゃんがいたとしても、にーちゃんのこと大好きだと思うっ」

 にへら、と屈託なく流風が笑うので、否定はもちろんできない。そうかよ、といつものように受け流し、そうだよ、と嬉しそうに流風が返す。
 さっきまでの不機嫌そうな顔が嘘のようで、流風が自分から繋いできた手はとても冷たい。だからって暖めてやろうとかそういう風に考えるわけではなく、ただなんとなく、ケレスはその小さな手を握ったのだった。


2008.03.03(Mon) | ご近所物語 | cm(0) | tb(0) |

スノウメモリー 5



「椿が?」
「はい。何かやたらと意味深なんで気になってて」
「で、叔父さんに何かあるのかって?」
「まあ、あの性格ですから」

 確かに、叔父さんのあの性格はかなり人として問題がある。
 それ言ったら人の家の事情ぺらぺら喋るうちのババアも大差ないんだけど。

「椿、ねぇ……」

 叔父さんは、本当に人として問題がある。
 だけど、椿が嫌いなわけではないし、本当におもちゃ扱いしようと思ってそうしているんじゃないような気がする。今のところはそうするのがベストだからそうしている、みたいな、ああするのが今はいい、みたいな、そういう感じがする。
 
「まあ、いくら椿って言っても所詮他人なんで。あんまり深く詮索するのもな、とは思います」
「お前、事実とは言え言葉選べよなー」

 うちのババアではない、ウエイトレスが運んできた温かいカフェオレに二人して口を付ける。ババアは寿退社してからここでパティシエールをやっている。今も奥の厨房にいるんだろう。
 しかし、そうだな、椿は詮索されるのを好まないだろう。
 椿は、叔父さんのそのポリシーから言えば、存在自体が不思議だ。叔父さんは常々、『俺は冗談は言うが嘘は言わない』とかふざけたことを言っている。冗談の質が悪すぎるのは周知のことだけど、確かに嘘を言ったことはない気がする。ああそうだ、椿の両親もすごく仲がいい。叔父さんのポリシーが影響しているんだろう。何があってもすっぱり『妻以外の女は論外』とか言うしな。カッコいいんだかただ恥ずかしいのか分からない存在だ。
 ともかく、その叔父さんは、昔は一般の人だった叔母さんと結婚する前、芹沢の家の結婚の許しをもらいに行き、その時に、

『――こいつ以外要らない。家政婦も、弟子も、生徒も、子供も必要ない。こいつがいれば俺は何年だって芹沢引っ張っていけるよ』

 そう言ったらしい。あの叔父さんが、一族の前でそう宣言するんだから、かなり優先度の高い宣誓だっただろうに、嘘は言わないと言う叔父さんは数年後、あっさり娘を設けることになる。その原因が、愛する奥さんの要望に応えたものなのか、他の何かなのか、それは所詮甥っ子の俺にはわからない。ただ、叔父さんのポリシーからすれば、椿の存在は本当に有り得ない。十七年生きてきただけの俺でも、叔父さんの性格なら嫡子無しでやっていこうとしたはずだ。
 多分、椿もどこかでこの話を耳にして、知っているのだろう。こんな話聞けばあの図太すぎる椿だってそれなりのショックを受けるに違いない。父にとって自分は全く必要な存在ではなかったのだ、と。愛する妻がいればそれだけで他の一切を必要としない、と叔父さんは言った。そのくせ、生まれた椿には家を継ぐなんていう重荷付きだ。椿からすればたまったものではないだろう。結局、どうして椿が生まれたのか。それが叔母さんが望んだから、それならまだいい。叔父さんは叔母さんに屈服しているも同然だから、叔父さんの嘘を翻させるのは叔母さんしかいないだろう。けどもしも、ほかの事が原因だったら? 椿の生まれるきっかけが、他の何かだったら? 俺なら、感謝ももちろんするだろうが、ぞっとする。それが何なのか、どんなものなのか、知りたくて仕方なくなる。椿と同じ境遇に置かれたとしたら、憎むかもしれない。実際、あの言葉から椿が生まれるまでは数年ある。旧家としてはすぐに跡継ぎを決めて安心したいだろうにそうしなかったのは、もしかしたら。

「真紘さん?」
「あ? あー、いや、そうだな、何だろう」

 こんな話を他人に出来るほど俺は偉くない。それがわかるくらいには大人になったつもりだ。椿もわかっているから複雑で、けれど言うべきでないとわかっているから内側に溜め込んでいるのだろう。
 でもやっぱり、叔父さんは、叔母さんの一声があれば態度をころっと変えるのではないかと俺は思っている。叔母さんにとってはあの一言は多分、一生大事にとっておきたい言葉で、最初で最後の、そして最高の、芹沢大和の本音だ。大事にしておきたかったから、最初の数年は二人だけだった。やっぱり外から何か働きかけがあったんだろうか。旧家だから、やっぱり子供作れ、とか。けどそんなこと言われてすんなり聞く人でもないし。
 叔母さんが、『冗談にして』と言えば、叔父さんは世の中のバカ親みたいに椿を溺愛するかもしれない。あの発言全てを冗談にしてしまえば、叔父さんが誰か別の人のものになる可能性だって孕んでくるけれど、椿の状況改善には一番手っ取り早い。つまり、今の叔父さんの椿に対する態度は、誓いを一部嘘にしてしまったから、少しでも宣言に近い状況に仕立てたいのだ。それだけ叔母さんのことを考えているということなんだろう。まあ、子供云々以前に家政婦も弟子も腐るほどいるんだから他も嘘になってるっちゃなってるけど、それは死活問題だから別なのか。高校でバレーのコーチできるほど教室減らしてはいるから普通に家元やるよりはずっと人数も少ないのかもしれない。

「いいんですよ。僕がそれを知って得をするわけじゃないし」
「だな。俺もあんまり見当がつかない」
「嘘だー。いろいろ噂拾ってるって顔、してますよ」

 樹理は悪戯っぽい顔をしたが、そこまでその話題は引っ張らずに、区切るようにカフェオレを飲んだ。育ちが育ちだからか、樹理は分を弁えている。踏み込むべきポイントと、そうでないところをちゃんと分かっているから、こちらも話しやすい。空気が読めない奴ってのはいるもんだからな。黎とか櫂とかその父親みたいに。

「真紘さん、学部は?」
「俺? 法学部」

 進学予定の学部を聞かれたので律儀に答えてやったのに、樹理は「ほーがくぶ?」と変換できてませんって感じの顔で聞き返す。ほうがくぶって言って法学部以外にどんな感じが当てはまるというのか。芳か? 報か? それとも砲か? ……なんかこれはちょっと俺っぽい感じがする。

「あんまり似合わないものですから」
「お前率直にもの言いすぎ」
「百人に聞いたら百人が同じこといいます。真紘さんっていうと、何か、……船舶系とか漁業とか農業とかそんな感じが」
「俺は一体何キャラなんだよ」

 土木系か。漁業は土木じゃないし、とにかくごっついイメージなんだろうな。

「仕方ないだろ。目指すはキャリアなんだから」
「大和さんは無理だって即答してましたけど」
「叔父さんのいう事いちいち信じてたら絶望から這い上がれなくなるぞ」
「ははっ、それは確かに」
 
 ありゃ人ならざるものだろう。例えどんな真実を抱え込んでいたとしても、簡単に心を許していい存在ではない。樹理はちゃんとそこもわかっている。偉い。

「まあ、進学も決まってるし、勉強くらい教えてやるよ」
「多分僕の方が出来はいいですよ。だって真紘さん、下から数える方が断然早いでしょう?」
「いちいち余計なこと言ってくれるなー、樹理。一回殴り合いの喧嘩でもしてみるかー?」
「うわー、弱い者いじめですねー。真紘さんのお母さんに報告させてもらいますー」
「ちょ、お前っ、」

 にっと笑う樹理の顔はどことなく、白衣姿の流風先生を思わせる。
 その後、あることないこと樹理がしゃべって店内でババアと大喧嘩になった。叔父さんも心許せる存在ではないが、こいつも大概にしてほしいもんだな、と思った。


2008.03.02(Sun) | 未来話 | cm(0) | tb(0) |

おおおう。
金額とか知るのも兼ねて出かけようと思ってたけどもうちょっと後でいいや。(適当)


昨日部長が言った、アンドゥーがみのりに惚れるとかいうのがやたらツボったらしくいろいろ考えてたけど私は玉砕した。
なんか冬二くんとすごく妙な三角関係みたいになってたら尚萌える。


スターゲイザーのついでに流風が1年の頃の話も交えようと思ってたんだけど何しようとしたんだか忘れた。多分山口先輩と絡ませたかったんだと思う。
そんな感じでちょいと頑張ってみる。

2008.03.02(Sun) | しゃべり隊 | cm(0) | tb(0) |

/
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。